FREEMASONRY
Blue Lodge, Scottish Rite & York Rite in Japan
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ようやく背景も今回は行っていないグリニッジのクイーンズハウスの床の白黒の丸模様に落ち着いたわけですが、どうもやはり落ち着かなかった原因が選挙前というところにありそうです。音楽の方もスコットランドだけではなくブラザーモーツァルトなどのフリーメイスンの作曲家の音楽などこれまでのものをかなりチャンポンにしたものとしました。しばらくこの形で続けようかと思っています。いやまあ大変なブログです。

こちらはプリンスィズストリートに面したオシャレなビルです。現代的な建築が国会議事堂であると聞いていたので撮ったのですがただのオシャレな店舗と住居のビルのようです。まあエディンバラ城が見られる場所ですし高いんだと思います。

ブラザーサー・ウォルター・スコット記念塔です。ブラザースコットは作家としてスコットランドを代表する作家であるそうですが、どうもジョージ四世がスコットランドに行幸した際にキルトを着用するなどでアドバイスをしたなど単なる作家としての功績だけではなさそうです。いわゆるフリーメイスンとしてスコットランドのために活躍したのだと思われます。1771年8月15日生まれで、77を挟んだ11の数字といわゆる聖母降誕祭、イエズス会の記念日の日に生まれたという事も大きな意味を持つのだと思います。作品はもちろん読んだこともありません。初代バクルー伯爵として同名の人物が1603年-1633年にかけていたそうです。もちろんフリーメイスンなのだと思われます。

リスが走っています。

まあ冗談のようなスコットランドのフリーメイスンリー探訪の旅ですが、実際冗談のようなフリーメイスンリーの歴史学会がありそれに参加するために訪問しているわけです。こういう写真も下準備のようなものでしょうか。スコットランド国立美術館からエディンバラ城を望みます。ブラザーウィリアム・ヘンリー・プレイフェアによる建築です。

王立スコットランドアカデミーの前からのエディンバラ城です。ちょうどここが町の中心という感じでしょうか。

ジョージストリートの小ピットの銅像です。24歳でイギリス最年少の首相となったそうです。任期中はフランス革命やナポレオン戦争があり最後はアウステルリッツの戦いでの敗北後に亡くなったそうですが、稀に見る天才で14歳でケンブリッジ大学に入学しその記録は最近まで破られることは無かったそうです。小さいころから痛風をもつ病弱であったそうです。父親が議会で演説中に亡くなった際に遺骸を運び出したそうです。腐敗選挙区から縁故と学閥でようやく国会議員となった後は国王ジョージ三世とうまが合い若くして首相となりその後17年間続けて、間を置いて2年間最後は死ぬまで在任したそうです。彼は私生活では一生独身で子供もおらず、最後は体の為と勧められた濃度の高いワインのアルコールによる胃潰瘍で亡くなったそうです。ウェストミンスター寺院にブラザー大ピットとともにお墓があります。

胸の無い中性的な二人に囲まれているのも小ピットのホモセクシャル的な嗜好を示しているのかもしれません。馬がスコットランドを示すユニコーンのようであるのも象徴的です。明らかなフリーメイスンリーを示すシンボルはありませんが、父親のブラザー大ピットはフリーメイスンなのでしょうし、彼もそれに準ずる存在であったことは間違いありません。

ジョージストリートに面してスコットランドグランドロッジ、フリーメイスンズホールがあります。

ちょうどその先の通りからが一番エディンバラ城が綺麗に見える場所でした。一番いい場所をやはりフリーメイスンリーグランドロッジが占めているのですね。

その交差点にあるのがブラザートマス・チャルマーズの銅像です。スコットランド自由教会の指導者であったそうです。聖書を開いた形が重要なのでしょうね。スコットランド王立アカデミーの副会長も務め、セントアンドリュー大学で数学を学び、その後道徳哲学と神学について論文を出しながらセントアンドリュー大学の学長をしていたそうです。

ブラザーアレクサンダー・グラハム・ベルの名前のパブがあります。ブラザーベルは有名な電話の発明家であり、その他多くの発明を成した科学者ですが、アメリカで活動しナショナルジオグラフィック協会創設に関わったそうです。エディンバラで1847年3月3日に生まれたそうです。母親が聴覚障害であったそうで、その後の妻も聾であったために音声装置の開発や音響学に没頭したそうです。1876年3月3日に電話の特許を取得しますが、この際にはイライシャ・グレイとの特許の争いがあります。イライシャ・グレイはその後ファクシミリの原型を開発したりしているそうです。何らかのアイディアをイライシャ・グレイの特許申請書から得たことは確かのようですが、最初に電話の実証実験を行ったのはブラザーベルで間違いないようです。後には光通信の原型となる発明もしているようです。飛行機の開発や優生学とも関わっていたそうです。
このパブのちょうど東西の反対側にブラザーサー・アーサー・コナン・ドイルの名前を冠したパブがあります。ちょうど対称になっていて、いずれもエディンバラ出身の有名なフリーメイスンの名前なのですね。

ヴィクトリア女王の夫であるブラザーアルバート公の記念碑です。ヴィクトリア女王の従兄であったそうですが、ハンサムで聡明であり非常に仲睦まじい結婚であったそうです。ロンドン万博におけるクリスタルパレスの成功を主導したりしたそうです。胃癌か腸チフスで42歳で亡くなったそうです。息子のブラザーエドワード7世の女優とのスキャンダルで息子と面会した一カ月後に死亡したそうです。その後ブラザーエドワード7世の息子のブラザークラレンス公が関係していると噂された切裂きジャックの事件が起きたりしています。
広場の名前はシャルロットスクエアです。

ジョージストリートを西から東に一望しています。先に見えるのがセントアンドリュースクエアのブラザーメルビル卿記念碑です。

ウェストレジスターハウスという名前になっていますが、かつてはセントジョージ教会として建築された建物で、ロンドンのセントポール大聖堂に似せたそうです。その後政府の建物となり、現在はスコットランド国立公文書館の一部として使われているようです。美しい対称形の建物は日本の最近再建された東京駅のようです。

再びスコットランドグランドロッジの前です。入口の上に聖アンドリューの斜め十字の磔像があるのが特徴です。なかなか町に溶け込んだ建物ですが、建築から100年以上は経っているようです。
このジョージストリートでは中央分離帯が駐車場になっています。どういうシステムかはわかりませんが、交通量がそれほど多くないエディンバラでは非常に広く設計された通りの有効活用なのでしょうね。しかしエディンバラは都市設計でも非常に面白い街です。

どうもやはり通りの書店ではブラザーダン・ブラウンの新作を宣伝していました。面白いのでしょうかねえ。結局イタリアのローマやフィレンツェへの観光の誘いと3のシンボリズムの元となったダンテの神曲を読んでほしいというところなのだと思われます。
しかしまあフリーメイスンリーとはイギリスの歴史そのものであり、歴史とフリーメイスンリーとは一体なのだと良くわかります。エディンバラで歴史学会をやることそのものがフリーメイスンリーの歴史の勉強なのですね。

こちらはプリンスィズストリートに面したオシャレなビルです。現代的な建築が国会議事堂であると聞いていたので撮ったのですがただのオシャレな店舗と住居のビルのようです。まあエディンバラ城が見られる場所ですし高いんだと思います。

ブラザーサー・ウォルター・スコット記念塔です。ブラザースコットは作家としてスコットランドを代表する作家であるそうですが、どうもジョージ四世がスコットランドに行幸した際にキルトを着用するなどでアドバイスをしたなど単なる作家としての功績だけではなさそうです。いわゆるフリーメイスンとしてスコットランドのために活躍したのだと思われます。1771年8月15日生まれで、77を挟んだ11の数字といわゆる聖母降誕祭、イエズス会の記念日の日に生まれたという事も大きな意味を持つのだと思います。作品はもちろん読んだこともありません。初代バクルー伯爵として同名の人物が1603年-1633年にかけていたそうです。もちろんフリーメイスンなのだと思われます。

リスが走っています。

まあ冗談のようなスコットランドのフリーメイスンリー探訪の旅ですが、実際冗談のようなフリーメイスンリーの歴史学会がありそれに参加するために訪問しているわけです。こういう写真も下準備のようなものでしょうか。スコットランド国立美術館からエディンバラ城を望みます。ブラザーウィリアム・ヘンリー・プレイフェアによる建築です。

王立スコットランドアカデミーの前からのエディンバラ城です。ちょうどここが町の中心という感じでしょうか。

ジョージストリートの小ピットの銅像です。24歳でイギリス最年少の首相となったそうです。任期中はフランス革命やナポレオン戦争があり最後はアウステルリッツの戦いでの敗北後に亡くなったそうですが、稀に見る天才で14歳でケンブリッジ大学に入学しその記録は最近まで破られることは無かったそうです。小さいころから痛風をもつ病弱であったそうです。父親が議会で演説中に亡くなった際に遺骸を運び出したそうです。腐敗選挙区から縁故と学閥でようやく国会議員となった後は国王ジョージ三世とうまが合い若くして首相となりその後17年間続けて、間を置いて2年間最後は死ぬまで在任したそうです。彼は私生活では一生独身で子供もおらず、最後は体の為と勧められた濃度の高いワインのアルコールによる胃潰瘍で亡くなったそうです。ウェストミンスター寺院にブラザー大ピットとともにお墓があります。

胸の無い中性的な二人に囲まれているのも小ピットのホモセクシャル的な嗜好を示しているのかもしれません。馬がスコットランドを示すユニコーンのようであるのも象徴的です。明らかなフリーメイスンリーを示すシンボルはありませんが、父親のブラザー大ピットはフリーメイスンなのでしょうし、彼もそれに準ずる存在であったことは間違いありません。

ジョージストリートに面してスコットランドグランドロッジ、フリーメイスンズホールがあります。

ちょうどその先の通りからが一番エディンバラ城が綺麗に見える場所でした。一番いい場所をやはりフリーメイスンリーグランドロッジが占めているのですね。

その交差点にあるのがブラザートマス・チャルマーズの銅像です。スコットランド自由教会の指導者であったそうです。聖書を開いた形が重要なのでしょうね。スコットランド王立アカデミーの副会長も務め、セントアンドリュー大学で数学を学び、その後道徳哲学と神学について論文を出しながらセントアンドリュー大学の学長をしていたそうです。

ブラザーアレクサンダー・グラハム・ベルの名前のパブがあります。ブラザーベルは有名な電話の発明家であり、その他多くの発明を成した科学者ですが、アメリカで活動しナショナルジオグラフィック協会創設に関わったそうです。エディンバラで1847年3月3日に生まれたそうです。母親が聴覚障害であったそうで、その後の妻も聾であったために音声装置の開発や音響学に没頭したそうです。1876年3月3日に電話の特許を取得しますが、この際にはイライシャ・グレイとの特許の争いがあります。イライシャ・グレイはその後ファクシミリの原型を開発したりしているそうです。何らかのアイディアをイライシャ・グレイの特許申請書から得たことは確かのようですが、最初に電話の実証実験を行ったのはブラザーベルで間違いないようです。後には光通信の原型となる発明もしているようです。飛行機の開発や優生学とも関わっていたそうです。
このパブのちょうど東西の反対側にブラザーサー・アーサー・コナン・ドイルの名前を冠したパブがあります。ちょうど対称になっていて、いずれもエディンバラ出身の有名なフリーメイスンの名前なのですね。

ヴィクトリア女王の夫であるブラザーアルバート公の記念碑です。ヴィクトリア女王の従兄であったそうですが、ハンサムで聡明であり非常に仲睦まじい結婚であったそうです。ロンドン万博におけるクリスタルパレスの成功を主導したりしたそうです。胃癌か腸チフスで42歳で亡くなったそうです。息子のブラザーエドワード7世の女優とのスキャンダルで息子と面会した一カ月後に死亡したそうです。その後ブラザーエドワード7世の息子のブラザークラレンス公が関係していると噂された切裂きジャックの事件が起きたりしています。
広場の名前はシャルロットスクエアです。

ジョージストリートを西から東に一望しています。先に見えるのがセントアンドリュースクエアのブラザーメルビル卿記念碑です。

ウェストレジスターハウスという名前になっていますが、かつてはセントジョージ教会として建築された建物で、ロンドンのセントポール大聖堂に似せたそうです。その後政府の建物となり、現在はスコットランド国立公文書館の一部として使われているようです。美しい対称形の建物は日本の最近再建された東京駅のようです。

再びスコットランドグランドロッジの前です。入口の上に聖アンドリューの斜め十字の磔像があるのが特徴です。なかなか町に溶け込んだ建物ですが、建築から100年以上は経っているようです。
このジョージストリートでは中央分離帯が駐車場になっています。どういうシステムかはわかりませんが、交通量がそれほど多くないエディンバラでは非常に広く設計された通りの有効活用なのでしょうね。しかしエディンバラは都市設計でも非常に面白い街です。

どうもやはり通りの書店ではブラザーダン・ブラウンの新作を宣伝していました。面白いのでしょうかねえ。結局イタリアのローマやフィレンツェへの観光の誘いと3のシンボリズムの元となったダンテの神曲を読んでほしいというところなのだと思われます。
しかしまあフリーメイスンリーとはイギリスの歴史そのものであり、歴史とフリーメイスンリーとは一体なのだと良くわかります。エディンバラで歴史学会をやることそのものがフリーメイスンリーの歴史の勉強なのですね。
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