2013-07-10 22:46 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
なかなかまあ横須賀に住み横須賀で働きながらこのブラザーデッカー司令官の回想録について説明しながら解説していくというのも身を削る思いな訳ですが、もちろん東北大震災より後の約2年と半年を横須賀で過ごし、こうした非常に貴重で聖書にも近いような本があったとしても首長や議員以下誰もまったく読まないであろう事が良く認識される土地柄を十分理解している以上、まあ懇切丁寧なブログを続けるのが最も手っ取り早い啓蒙活動であると理解し継続することとします。

第一章の副題ですが民主主義への扉を開かせたとありますが、どうもこれはかなりの意訳のようで、目次では英語で横にWe Open the Doorとあり、背帯でも強調している民主主義の言葉は特に強調されていません。つまり副題で民主主義と入れたのはあくまで訳者の強調であり、もしかすると訳者の方々は色々な流れの中でブラザーデッカー司令官の真意を訳していないことが考えられます。まあそれは横須賀では良くある事です。まあそもそも民主主義を命令形で良いのかって話な訳ですが、恐らく現代のほとんどの当時を生きていない世代は皆理解していない日本の歴史でもある訳です。まあいちいちここで突っかかっていては話が先に進まないので本文に入っていきます。
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副題は黒船の再来とはで、ブラザーマシュー・カルブレイス・ペリー提督が浦賀沖に来航して開国した歴史を日本の近代工業化と民主主義の発端とし、日本がその後も民主主義を拒絶したために真珠湾攻撃に繋がり敗戦によって再び黒船が再来したと表現しています。敗戦後に共産主義者の陰謀によって国が略奪されるかもしくはアメリカの助けを求めるかどちらかであったと描いています。第一章の副題の意訳とその後の文章から考えるに翻訳によって非常に日本側訳者の立場とブラザーデッカー司令長官の立場の違いがかなり鮮明に出てくるのではないかと思われます。この後もかなり意訳した形の副題が全ての小節についていますが、一応内容的にも独立してまとまっているので恐らく英文で出た際にもそのまま編集者が副題を付けたものかと思われます。まあ聖書の副題なんかもありますが、なんでも疑ってばかりいては切りがありませんのでこの貴重な訳書に全面的に依存していくこととします。
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次の小節の副題は米・中・ソの分割統治案です。日本が分割統治される可能性があったがそれをアメリカが阻止して、アメリカが占領を放棄しなかったため共産主義化を免れたという話です。面白いエピソードは当時の内山岩太郎神奈川県知事は「私は横須賀には一度も行ったことがない。」とブラザーデッカー司令官に告げたという話です。恐らく任官前で横須賀到着前にあったのだと思われますが、この言葉は衝撃的であったのではないでしょうか。内山氏がそう答えた理由として過去に日本海軍がそのように仕向け、日本海軍が全ての面で横須賀を支配し、三浦半島は完全に秘密に包まれていたからだとあります。外国人の出入りは許されず、工業も商業もなく、キリスト教は抑圧され、聖書は全て没収され、焼却されたと続いています。まあブラザーデッカー司令官の仕事が前任の司令長官が思わず捨て台詞を残してしまったほど困難であることを物語る話だと思われます。
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次の副題もなかなか衝撃的ですが基地爆破の提言とあります。もちろん話の上だけの言葉でしょうが、横須賀に到着して前任二人の司令官の提言として基地を爆破して全員を米国へ帰還させようと言う提言があったというまあ暴露かもしれません。その後も米海軍極東司令部の参謀長がドックをいつ爆破するのかと何度も聞いてきたとあり、それに対してブラザーデッカーは「命令書を受け取った時だ!」と答えたそうです。まあ完全にアメリカンジョークなわけですが、ブラザーデッカーが人生を挽回すべく着任し、撤退がありえない状況を理解した上でのそうしたものであったのかと思われます。実際ブラザーデッカーが着任後にアメリカの報道機関はブラザーマッカーサーに次いでブラザーデッカーが日本で有名人であると報じたり、全体の方向性の中で横須賀からの撤退はありえなかったわけです。ブラザーデッカーの持論で面白いのは徹底した反共主義と民主主義=キリスト教信仰というところでしょうか。反共主義は恐らく当時のアメリカの第二次世界大戦後の最大の風潮であり、冷戦状態を構築する上での必須の流行であったことと、民主主義=キリスト教信仰というのはフリーメイスンリーの彼にとっての理解であったのではないでしょうか。この後にカトリック系の聖ヨゼフ病院を横須賀の占領行政の中核に据える話があり、自身はプロテスタントでありながら母親が敬虔なクリスチャンでカトリックであったことからカトリックを非常に尊重する姿勢が認められ、恐らくブラザーデッカーの理解の中ではカトリックもプロテスタントもそれほど違いがない、要するにあまり聖書は読んでいないクリスチャンであったのだと思われます。しかしまあその後の彼の基地行政や態度を見るにつけこの母親の影響は非常に強かったのであろう事と、恐らく彼の行動パターンそのものは共産主義的であったようであり、それがまた彼自身が反共を強調する動機ともなっていたようでした。後半でソ連の兵士や将校とかなりウマがあって仲良くできると話しているところが認められ、恐らくこちらが本音なのではと思われました。
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次は副題が焼け野原の東京へです。文字通り空襲で焼け野原となった東京を視察するのですが、その描写は非常に細かく、特にその後も出てきますが戦前の日本に特徴的な農業用の肥料がなくいわゆる今で言う完全有機栽培の人糞でそれぞれの家が食料となる植物を栽培している様子を非常に嫌っており、この人糞の利用を徹底的にその後禁止するのがあります。奥さんへの手紙があるのですが、この日本の敗戦直後の貧困の状況は印象的であったらしく非常に日本に同情的であると同時に絶対に復讐されないようにとその後基地の防衛の海兵隊の訓練を充実させる様子などが認められます。またその時の表現として日本がヨーロッパの西暦500年頃の封建制の社会と同じであり、規律正しいが自由に慣れていないとしています。子供たちが友好的に挨拶してくる様子から、ブラザーマッカーサーの厚木飛行場でのパフォーマンスを模して公用車から赤ランプとサイレンを取り外したそうです。
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次は副題は長官官舎はホワイトハウスとあります。田戸台の有名な現在は自衛隊の司令官が使用している長官宿舎の話になります。かつては横須賀鎮守府司令長官官舎として野村吉三郎、山本英輔、永野修身、米内光政らが使用し、さらに彼らが恐らくブラザーデッカーが密かに尊敬していた節がある、以前に巡洋艦「アストリア」で齊藤博元駐米大使の遺骨を帰国させるので来日した昭和14年に出会っている人々という事でした。まあそういうことを抜きにして恐らくその長官官舎の富士山が見えたり、1万3000平方メートルという当時の広大な敷地と21の部屋があるという規模に満足している様子です。米内光政のその当時の挨拶の話などあるのですが、まあこの辺りは海軍という特殊な職業の一種のフェアプレーやスポーツ感覚といった部分ではないでしょうか。いずれにしてもアメリカ海軍が真珠湾攻撃も含めて当時の日本海軍に対して非常な敬意を払っていた部分が垣間見えます。長官官舎が戦時色のカムフラージュ柄であったのを白いペンキに統一して塗り直し、日本人の料理人に好みの味付けにするよう変更させたエピソードが描かれています。まあこのブログでも日本海軍のフリーメイスンリー説など書きましたが、もちろん戦前の紳士協定で日本人が日本でフリーメイスンリーになることはあり得ませんでしたが、戦前のアメリカや諸外国を良く知る海軍軍人や外務省関連の日本人は実質的なフリーメイスンとして扱われていたことがこの辺りのエピソードからも良くわかります。
yoko_089.jpg田戸台官舎
次は副題は大根と椿油は大嫌いとありますが、実際は引き続き田戸台の長官官舎の整備の話です。大根料理と鬢付け油の椿油といったその当時の日本の風習が特に匂いが合わないということでやめさせたという話です。後は長官官舎の内装の変更や来客用のトイレが実際は機能していないことや、暖房器具が欧米の暖房器具のようにいわゆる煙突が外に繋がる形ではなく囲炉裏のような炭を燃やして屋根をいぶす形になっているという、いわゆる日本の和魂洋才的な中途半端な見せかけだけの洋館の設備を酷評しています。ただし戦後であってもそれらの改修に半年はかかったというエピソードが語られます。白米を基地から盗んで食べていた女性が脚気になったという相変わらずの話も語られます。まあこう言った話は現在でも単なる旅行者でも枚挙にいとまがない話だと思われます。
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次は副題は菜園のホウレンソウは最高です。実際どんな英文であったのか興味深いところですが、人糞をやめさせて化学肥料で作ったホウレンソウは最高であったという話です。実際はどんな野菜も人糞で作ったものも含めておいしかったということなのだと思います。要は食べる時綺麗であれば構わないという話かと思われます。後は今でも地下壕のある建物が田戸台にはありますが、ここに星条旗を毎日掲揚したら感謝する市民の代表団が来たという珍エピソードが語られます。まあ横須賀らしい話です。後はこの後も沢山アメリカ軍人の名前が出ますが、この中でやはりブラザーデッカーがかなり肩入れしていたり仲良くしている人は大概フリーメイスンなのでその当時の占領軍のフリーメイスンリーの繋がりが垣間見えます。
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副題は日本海軍の旧友と再会とあり、横山一郎、野村吉三郎、米内光政ら海軍軍人との交友が語られます。ここから察するに野村吉三郎氏はほぼフリーメイスンとして遇されていますが、米内光政氏は戦後特に冷遇され、彼の戦前の判断ミスをマイナスに評価しているような印象でしょうか。日本の評価とはやはり異なります。横山一郎氏に関しては手紙など挙げられていますが、ウィキペディアで経歴を見ると横須賀出身であり、母親がクリスチャンで後に本人も洗礼を受け伝道師となり、アメリカの石油会社に就職しており、恐らくフリーメイスンとなっていたのではないかと思われます。まあ戦前の海軍軍人で戦後に明らかにフリーメイスンとなっていそうな人物というのはこの方くらいではないでしょうか。ブラザーデッカーはブラザーマッカーサーとのつながりからも米陸軍との繋がりも大事にしていて、その後も何度も名前が認められる米第八軍司令官ロバート・アイケルバーガー陸軍中将との交流が挙げられています。恐らくフリーメイスン繋がりだと思われます。最初に挙げた内山岩太郎氏もそうですが、いわゆる海外の赴任地でのフリーメイスンの標準的な行動パターンとして現地のフリーメイスンかそれに準ずる人物と交流を深めるというその通りなのだと思われます。
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次の副題はパーティーですが、この本の四分の一くらいはパーティーかその関連の話です。田戸台でパーティーを行う時の様子が毎回お決まりの様子として描かれています。パーティーをいかに円滑に楽しく様々な人を招いて行うことがその後の仕事の上でいかに重要であるかが解説され、その反例として前任者がソ連の客を招いて酷い目に会い胃潰瘍を作って辞めた話が挙げられています。まあ恐らく前任者はフリーメイスンではなかったのでしょうね。直近の上司のグリフィン中将と食事をして仲良くなったことが挙げられていますが、恐らくというかもちろん上司もフリーメイスンであったのでしょう。まあフリーメイスンリー的に考えると当時のソ連もほぼフリーメイスンリーのシステムに完璧に則って動いていたということなのだと思われます。

次の副題は司令官に就任です。色々引き継ぎがあって実際司令官になったということだと思われます。まず港の船や流木、ブイの整備から始めた様子が描かれています。放置してあった上陸用舟艇などを改修し整備した様子が書かれています。

次の副題は横須賀クリーンアップ作戦です。色々オフィスを綺麗にしていく様子が書かれています。とにかく強姦が多いのでそれらを早く処理して兵士を本国に送還する態勢としたこと、会議を有効なものとするためにバーの飲み物をタダにしたことなどちょっとずつの工夫が挙げられていきます。やはり基地の廃棄物やゴミの多さが語られるのですが、前任者が恐らく対処できなかった兵士が連れ込む日本女性の話も挙げられています。また本国に帰還する兵士がほとんど全てをそのままにして帰還する様子やとにかく帰還するために必死になる兵士たちの様子が書かれており、一方ではまた憂さ晴らしに日本人をいたぶる行為をしたりする兵士を教育したりと一般的な兵士の法令順守を徹底する経過があります。いわゆるこのブログでも最初にフリーメイスンリーのシンボルとして挙げたヴェルニー公園、かつての臨海公園の場所がかつての横須賀線の海軍工廠への貨車の引き込み線であり、そこにあった列車が米兵の日本人女性の連れ込み宿と化していた事が挙げられて、日本へ返還する事でそれらを解消したと書かれています。

次の副題は1ドル15円で、今でも横須賀で良く問題とされるドル円相場の話が出てきます。当初15円であったそうですが、それでは闇レートから非現実的であったのが最終的に360円とされた話でした。たばこの相場が闇市との10倍以上もあり、兵士達が盛んに基地の物資を持ちだして闇市でさばくのが流行し、それらを処分していく様子が描かれています。

次はにせダイヤ事件です。これはブラザージョージ・アイ・パーディーの話でも有名な日銀地下の財宝の話と被るのだと思いますが、恐らくフリーメイスンリーの話とも関わる話ではないかと思われます。にせダイヤが何やら給料以上の報酬として横領の手段として使われたという話で、恐らくダイヤの鑑定自体が専門家でないと難しいことを利用した一つのトリックではないでしょうか。占領下の日本でひと儲けをたくらんでそれらをダイヤで行った方が結果的に不名誉除隊の烙印のみを残して生活する事例があったものかと思われます。なかなかアメリカ軍の規律維持のやり方は尋常ではありません。

米兵の銀行強盗事件はそのままです。とんでもない海兵隊員が横浜で銀行強盗をしてさらに捕まった後逃亡したという話ですが、面白い事に海兵隊に外出禁止令を出したところ2日で基地に戻って来たということです。その他ブラザーデッカーにも様々な誘い文句での誘惑や、それ自体がまたブラザーデッカーの周辺人物への疑惑をもたらすための工作である仕掛けが多数あったということです。占領当初の混乱期、そもそも意図的に混乱を引き起こしていた時代が垣間見えます。海兵隊という組織のアメリカ軍での役割や立場というのも書かれています。

追浜飛行場の廃止。海軍の占領した飛行場や港の基地を整理統合する過程が書かれます。中国の青島基地を確保する話がありますが、結局中国の共産党によって撤退を余儀なくされブラザーデッカーの主張する佐世保基地に後退した話が挙げられています。まあなかなかこの辺りの大局観とフリーメイスンリーのブラザーマッカーサーや共産系との繋がりの話はフリーメイスンリーを理解しないとわかりづらい話なのでしょうね。

ペニシリン、良い軍医がフィリピンから着任してペニシリンを使用する医療が普及する過程が描かれています。その中で前任の悪い軍医として悪性のウイルスに感染して去っていく者もいたと書かれています。この時の病院は基地内の旧日本海軍病院であると思われます。後に朝鮮戦争の際に後方病院として役に立ったようです。ペニシリン自体特に戦後に量産化に成功したフリーメイスンリーが直接的な関与した近代の科学の象徴ですが、それをもたらしたこの軍医もフリーメイスンであったと考えられます。

ハラキリ、日本軍人が切腹して死んだという話が挙げられます。悲惨な状況にあった日本軍人を救済する処置を行ったことが挙げられています。その代わりとして基地の警備などに当たらせて実績を挙げたと書かれています。

水先案内人は10万円。これはなかなか複雑な話です。ブラザーマッカーサーが統治していた日本の、東京湾を管轄していた水先案内人が陸軍の管轄で、給料が当時の日本の首相の給料より高い10万円であって、それが非常に非効率であったことから日本の旧海軍軍人を担当として普通の給料にしたという話です。まあいわゆるブラザーマッカーサーに関わる利権ですがなかなか危うい話です。この後もブラザーマッカーサーにも絡んでいわゆるアメリカの陸軍と海軍という派閥の話が出てきますが、基本的にはフリーメイスンリーの繋がりがある際には順調に話が進むのですが、それ以外だといわゆる日本の陸海軍のような派閥争いが顕著に出ます。またその後の話が赤十字の話なのですが、Lovelyという変わった名前の男性職員の話から、赤十字の女性職員を特にその後の横須賀市政と基地行政とを繋ぐ中核であるEMクラブの運営に関わらせたいとの話で、やはりパーティーを開いて交渉したという話が出てきます。また官舎から双眼鏡で町の様子を見て色々と楽しんだという話があります。いずれも基地、横須賀市行政と絡めたいわゆる陸軍や赤十字といった違うフリーメイスンリーの系列組織の話と実際の公明正大な運営という話かと思われます。この後出てきますがエディンバラのカメラ・オブスキュラの話のようなものでしょうか。こういう情報網や要所の把握が実際の行政や組織運営には必須ということだと思われます。現在で言うと警察や消防を押さえるような感じでしょうか。もちろんそれだけでは駄目でヤクザもみなければ片手落ちになる。そんな例えになるかもしれません。

EMクラブ。EMクラブは色々な話を聞いたり、本を読むと当時の一般市民にとって非常に象徴的な場所であったようです。そもそも日本人の下士官・兵集会所であったそうですが、恐らく戦後のEMクラブとしての利用を想定した建築であったのではないかと考えられます。戦前の時点でも蝶々夫人を上演したなどなかなかのフリーメイスンリーの関係が見てとれるかと思います。聖ヨゼフ病院もそうですが、旧海軍のこれらの建築はどうも戦後のそうした占領軍の基地行政への円滑な移行が想定されていた節があります。それはブラザーヴェルニーの横須賀造船所から始まって一連のフリーメイスンリーの建築の一環であったようです。ここで赤十字から派遣された陽気な献身的な女性達が兵士の士気向上に役立つ働きをしてくれたことが描かれています。兵士たちを安易に日本の風俗に置かずに管理する事で衛生管理や風紀の管理を行った事がわかります。どうもこういう基本的な事も現代の日本人も知らないというのが昨今の話でもわかる所でしょうか。もちろん例外は多数あったのだとは思いますが。
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「三笠」ここだけ副題がカッコ付きになっています。恐らく訳者の方が強調したかったのではないでしょうか。まあ色々翻訳の経緯を見てもあまり完璧な客観的な翻訳ではないということはわかるかと思いますが、それはそれでなかなか面白いかと思います。記念艦三笠に対する色々な処置が描かれています。どうも色々これを巡ってその後も紛糾があったことを配慮したような文章となっています。当初破壊されていて、それに対して警備員を海兵隊が置いていたそうですが、その仕事自体がブラザーデッカーは容認できないものとして警備をやめさせたそうです。そして代わりに記念碑を破壊するように命ぜられていたので艦橋、マストなど三笠の主要部分を破壊して水族館と公園にしたそうです。まあなんか言い訳みたいなどこかに隠されて保存されていることを切に願ったという言葉がありますが真意はどうなんでしょうか。まあ当時の情勢として特に問題はなかったのだと思いますが、日露戦争の経緯や三笠がイギリスのヴィッカース社製のものであったことなど、フリーメイスンリー的に色々あったのだと思います。そういや安倍首相もなんかこの辺り積極的に訪英時に語っていたような。水族館にするというのも良くあるフリーメイスンリーの象徴ですから、まあシンボリズム的に相当おかしなことがあるわけではないです。またその後には横須賀市内の主要なビルなどの返還やそれに関わる工作機械や廃棄物の処分の話があります。単に基地内だけではなく戦時中は主要な建物が海軍の管轄になっていたので、それらが廃墟となって残っていたものと思われます。ブラザーデッカーが就任する事で一挙にそれらをかたずけて行った様子が描かれています。それらを片づけてようやく基地らしくなって来たところで家族が来日するという御褒美が告げられてきます。アメリカ軍やフリーメイスンリーの非常にわかりやすい所でしょうか。
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これで第一章が終わりです。
画像はイメージしやすいように検索で出てきたものを貼っています。無断使用なので問題があれば連絡ください。
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