2013-07-30 10:45 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
基本的にこの話は販売されている本を元にして単に要約に解説を加えているだけなので、面白いとか内容に興味をもたれた方は本を手にされて御自分で読まれることをお勧めします。
スコットランドの話はしかしどう逆立ちしても単純にフリーメイスンリーやスコットランドに興味のある人以外興味が持ちようがない話であるようですが、やはり横須賀関連の話は既に本が売られていて有名であるにも関わらず内容を理解しているかというと聖書と同じでなかなかそうはいかないというところが現実であって、テレビやラジオ、新聞などのいわゆるマスメディアでワンフレーズで繰り返し単純な一面的な情報を送るのと違って、それなりの書籍というのは重要な情報であればある程どんなに出版され何年と経とうと一般大衆に理解されるということはないというのがまあ人類の歴史の一つの普遍的な法則ともいえるわけで、その法則に基づいたのがユダヤ教でありキリスト教でありその法則をそれこそマスメディアや啓蒙運動で変えようとする考え方がまさにフリーメイスンリーと言えるのかと思いますが、まあ常に低きに流れる人類普遍の法則を明らかにしてその流れ自体を高みに向かって流れるように変えてしまおうというのが人類に知性が存在してからの唯一の目的であるのかもしれません。

まあそんなわけで多少横須賀に反響がありそうなブラザーデッカー司令官の回想録の要約と解説を続けることとします。

第二章の副題は家族を呼び寄せるです。とりあえず任地横須賀で状況を確認して、過去の司令官とは違う本腰を入れて基地機能の回復と米軍の統治を確立する道筋を立て始めたブラザーデッカーですが、アメリカ軍の基本的な政策でもある家族とともに出来る限り通常の生活を送るようにするという方針に則ってこの場合は家族として妻エドウィーナが来日するエピソードが語られます。まあこういうのはアメリカやヨーロッパでは極めて当たり前なんですが日本ではまだまだそれほど当たり前ではないのは要するにそういう海外赴任の際のコストとリターンの評価が確立していないからなんでしょうか。
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最初の小節の副題は米軍家族用住宅事情です。現在も米軍住宅の設備や恵まれた環境は良く占領統治の継続としてやり玉に挙げられるところですが、まあそれがなければ基本的に本国に帰って違う仕事をやりたいというのが彼らの本音な訳で、真珠湾攻撃を嵌められて始めたとは言え現代では考えられないような対米戦争を行ったツケとしては当然なところなのだと思われます。この辺りに文句を言いだすとこの本を読むことはできません。奥さんを迎えるにあたって世話係として英語が堪能な高岡夫妻を指名し、近くに住まわせるようにします。
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次の副題はパスポートです。妻のエドウィーナがもう嬉しくてしょうがないという感じで喜んでサンディエゴから来るわけですが色々と表面上の問題が生じます。まああまり浮かれるなというそういう戒めなのでしょうが、まあ非常に楽しい感じで日本で夢のような生活が待っているという感じが伝わってきます。一応陸軍と家族の来日で競ったりしたそうですが、まあなんとも戦勝国の楽しい時間です。ここで唯一面白いのがエドウィーナ夫人がブラザーデッカーと再会する場面ですが、これは恐らく奥さんがきちんと著したいと考えて書いたのでしょうが、ブラザーデッカーには同伴する3人の着物の日本女性がいます。妻のエドウィーナが書くところには征服者の妻たちとして上陸し、彼女たちに申し訳なく感じましたが笑顔で応じましたということだそうです。まあ現代とは時代が違うのでしょうが、まあそういう基地司令長官として奥さんが来日するまでの現地妻として3人の女性がいたという事なのでしょうね。なかなかすさまじい描写ですが、ブラザーデッカー夫妻自体にはその後あまりそのことは影響がないようで、ブラザーデッカーは84歳まで生き、奥さんは何と97歳まで長生きしたそうです。まあそう考えるとやはりこの夫婦は奥さんの懐が深いのが実はこの本に書かれていない横須賀での任務の成功の秘訣であったのかと思われます。ちなみにその関係かどうかはわかりませんが、共に軍人であった二人の息子の長男は岩国基地で飛行機の墜落で亡くなり、次男は除隊後に膵臓癌で亡くなったそうです。この時の事が関係あるかはわかりませんが、まあ戦中戦後の事は色々あるという事かと思います。再会のキスをするところで「ニュース映画のために、もう一度」と再度ポーズをとらされましたという記述がなかなか当時が良くわかります。
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副題は横須賀夫人会4万人がデッカー夫人を歓迎で、神奈川新聞の記事のままです。馬淵夫人という横須賀市婦人会会長の方が挨拶する様子が描かれています。その後の占領政策でこの横須賀市婦人会というのが非常に重要な役割を与えられて、ブラザーデッカーが高く評価するわけですが、その辺りの経緯が恐らく前述のエドウィーナ夫人のいない期間にブラザーデッカーのお世話をした日本女性に対する信頼と評価から成立しているのではないかというのが私の推測です。そしてそれは蝶々夫人のオペラにも認められるようなフリーメイスンリーの中での日本女性に対する定まった評価とその利用であったのではないかと考えられました。まあこれが前の章で触れた種明かしな訳ですが恐らく正しいのではないでしょうか。横須賀の子供たちにチョコレートやキャンディー、パンなどの食料が配られる様子が描かれています。
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歓迎昼食会です。妻エドウィーナの視点から歓迎されて目にする横須賀基地の様子が描かれます。ブラザーデッカーの言葉として日本人ウェートレスについて「これらすべての女性たちは”立ち入り禁止”、見て眺めるだけでノータッチ!占領軍は食べ物を扱うすべての女性に毎月一回身体検査を受けさせていた。担当医から、ここの女性は全員が処女だという報告を聞き、そんな検査はやめさせた」とあるのですが、まあ良く戦中戦後の状況がわかる言葉です。lをrと発音する話や、人力車や人々の様子の話が語られます。
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さいか屋には商品が少ない。これはまあ主婦の目線なのでしょうね。デパートの品ぞろえが気になるという事のようです。まあ戦後すぐの状況ですからソ連より酷かったことでしょう。街の様子の描写などはブラザーキップリングの日本紀行などとも共通するものがあります。
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「長官官舎」に入る。ブラザーデッカーが整備した長官官舎が綺麗に奥さんを出迎える状況であることが描写されます。執事として中国人の人がいるのですが、どうもブラザーデッカーとは古い縁のようで、日本軍に捕虜として苛酷な待遇を受けた中国人を執事としているなどなかなか軍人としての周到さが感じられます。色々とエドウィーナ夫人による内装の細かい描写が語られるわけですが、この辺はいかに日本で良い暮らしをしたかという見栄なのでしょうね。良くわかりませんが、アメリカ本土で暮らす人々にはどうしてそこまでして日本で日本人の対応をする仕事などするのかという説明が必要なのだと思われます。まあいずれにしてもブラザーデッカー夫妻にとって非常に印象的で魅惑的な時であったのではないかと思われます。もちろんパーティーが開かれます。
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兵舎を探索。ここの章はとりあえずエドウィーナ夫人の記述で続きます。このエドウィーナ夫人は良くわかりませんがとにかく廃品回収が大好きで、旅行とパーティー以外の時は大体廃品回収に本人が出かけ、そこでいかに自分の機知で良さそうとされるものを選んでもってきたかに自己満足を得るという事があります。その言いわけではないですがこんな言葉があります。「私はスコットランド系、倹約を旨とする血筋…」高岡夫人や馬淵夫人と会話して高岡夫人が英語が話せて米国経験が長い事が語られます。その後も非常にこのメンバーは交流が盛んなようです。
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富士屋ホテル。この辺りから本格的に旅行とパーティーざんまいという感じになってきます。箱根の富士屋ホテルに行く間の様子なども描かれるのですが、ブラザーデッカーが戦前の昭和14年に齋藤元駐米大使の遺骨を礼送する際にも箱根の富士屋ホテルで美人ダンサーが接待した話が語られます。戦前の接待は色々右翼が騒いで午後11時には散会になったそうです。この辺りもまあフリーメイスンの暴露なのでしょうが、ここで何か違ったらその後の歴史も違うのかもしれませんね。まあとにかくそれを奥さんが表記するのがアメリカという感じでしょうか。ホテルの調度の描写が延々と描かれます。天皇の間に泊まったとか、その後もそうですが、とにかく皇室と同じ待遇を受けたというところに拘るところが認められていきます。評価基準がないのでとにかく皇室と同じであれば最高の待遇でこれ以上はないという事なのだと思われます。まあ色々評価して書かれていますが、率直に異様なお面があったとかそういう表記もあります。
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長尾峠。富士山が見える長尾峠へ行ったところ痩せた日本人の子供と、たまたま日本で戦中戦後を過ごして敗戦後にドイツ本国へ送られる事になったドイツ人と接触した話です。何なんでしょうね。昭和17年11月30日に横浜港でドイツ戦艦3隻が爆発したというので、シンボリズムがあるのでフリーメイスンが入っているのでしょうね。箱根温泉に戦中に5年もいたというのは楽しいことではないでしょう。
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横浜―東京へ。東京の空襲の様子を見て、米海軍極東司令部を訪ね、ブラザーデッカーが海軍軍楽隊を横須賀に欲しいという話を上司が嫌味に断る話が語られます。なかなかアメリカ軍の上官同士の交渉というのも面白い感じです。その後は相変わらずのパーティーです。ほぼ毎日パーティーだという感じでしょうか。いちいち評価してその返礼としてまたパーティーをやるのですが、この辺りはトルストイや、ドストエフスキーの小説の世界を参考とした感じでしょうか。
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印刷インク。基地内で見つけたインクの原料を「リーダーズ・ダイジェスト」誌の日本語版のインク不足解消に使うという話でした。この後もマスメディアの話は良く出てきます。ブラザーデッカーも非常に基地司令官として気にする事になります。
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独立記念日のパレード。今年は雨で花火が中止となった7月4日のパレードの話です。横浜、東京、横須賀と1日中パレードと花火です。占領直後はとにかく独立記念日のパレードはすごかったようです。もちろんこのブログの読者は独立記念日がブラザージェファーソンが起草した独立宣言が採択された日と知っているかと思います。
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帝国ホテル。帝国ホテルであった2度の晩さん会の様子が語られます。非常にエドウィーナ夫人は帝国ホテルについて酷評していますが、どうも唯一日本で残っていた明治大正の建築で石造であったためそれが気に入らなかったようです。やはりパーティーの評価が書いてあります。後にうつ病で自殺するジェームズ・V・フォレスタル海軍長官の様子が神妙であり横須賀を訪問せず世界旅行を続けたことが語られます。海軍の空母建造をすすめた海軍長官が後に東西冷戦の初期の時代に世界秩序の構築から取り残されて自殺に追いやられてしまうポイントかもしれません。
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塀の取り壊し式。日本海軍が戦時中に横須賀基地を取り囲むように建てていた塀を取り壊す式が行われた様子が書かれます。日米の軍隊の基地運営の基本方針の違いを見せつけるものであったのでしょうね。いまだに自衛隊と米軍の差であるかもしれません。臨海公園なんて謎の公園が未だにあるとかネットにはあったりします。
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友情の樹。臨海公園、今のヴェルニー公園のところで横須賀市長とともに行われた植樹式の様子が描かれます。この木は現在どの木になるのでしょうか。興味深いところです。ペリー提督の黒船の山車とかつらをした白い水兵姿の日本人の様子が印象的に描かれています。ついこの前の久里浜ペリー祭の様子を見ると、未だにこの時代となんら変わっていないようです。平和の象徴の鳩が描かれます。ヴェルニー公園に鳩がとまった事がこのブログでも以前ありました。
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パラボラ型ミラー。これは定期的に出てくる主にエドウィーナ夫人による廃品利用の話です。パラボラアンテナをパーティーのテーブルの左右において花をいっぱい水に浮かせて綺麗に飾った話です。その他も電池槽などの日本軍の廃品をパーティーの小道具に工夫して利用した話です。まあ工夫して楽しく過ごし好評であったという話だと思います。なかなか面白い夫妻です。
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海軍カレー。日本海軍の海軍カレーをパーティーに出した話です。その他にも映画や音楽や肖像画でパーティーの趣向を凝らした話が挙げられています。ここでもブラザーロバート・アイケルバーガーの賛辞が挙げられています。
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セミ取り。夏の暑い日に近くの寺の境内に散策して子供がセミ取りしている様子を見た事が描かれています。日本の季節感を感じたのでしょうか。
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真珠湾の秘話。真珠湾攻撃の際の太平洋艦隊司令長官の話として、本当は艦隊の海上訓練を続けようとしたのに財界人と政治家が湾内にとどまるように望んだという話でした。後任のキンメル提督はいたしかたなく湾内に戦艦を置き、攻撃を受けて責任をとって降格させられたという事です。まあ今でこそ日本でも当たり前の話ですが、昭和の時代はちょっとタブーな話でしょうか。この本も東北大震災後に出たわけですが、これについてもいつかタブーが破られるかと思います。
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東京裁判(極東国際軍事裁判 1946~1948年)。東京裁判を傍聴した様子です。エドウィーナ夫人によって書かれているのがちょっと奇妙な感じですが、東京裁判の評価は非常に難しいからということではないでしょうか。実際に戦って、戦後に統治したアメリカ軍人にしてみれば敵対したとはいえ先ほどの真珠湾の経緯も理解していて、国を守るために戦った軍人たちが裁かれるのは少なくともブラザーデッカーは支持も反対もしないという立場であったようです。エドウィーナ夫人は様々な事実が明らかにされるのは良いことと書いています。ブラザーデッカーが横須賀統治に利用した豊田大将の横須賀時代の資料の関係で豊田大将は無罪になったと書かれています。
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日光旅行は特別列車。後に飛行機事故で亡くなるアッチンソン米国大使の邸宅でのパーティーから始まります。その後日光旅行に外交団列車と呼ばれる特別専用列車でいく様子が描かれます。いろは坂や華厳の滝、ケーブルカー、日光東照宮や輪王寺の様子が描かれます。
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家の補修。就任時より補修を頼んでいてもなかなか進まない職人の仕事ぶりに苛立って職人を叱責する行動をした結果、職人がようやく仕事を仕上げた話が挙げられています。まあこの辺から横須賀らしい話が増えてきます。ブラザーデッカーが盛んに長官宿舎の改修に拘るので、一番拘っているところで遅滞して嫌がらせするのですね。まあこの後もそんな話ばかりです。マスコミの記者を接待する様子があります。
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鎌倉の八幡宮。鎌倉の鶴岡八幡宮をブラザーデッカー夫妻が観光した時の様子です。特に評価はなく淡々と観光案内のように表記しています。恐らく慣れて来たというのもあるのでしょうが、鎌倉は数回訪問したのかもしれません。
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長谷の大仏。鎌倉の大仏の表記です。大きさや重さの表現が認められます。素直に観光している内容でしょうか。
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長谷観音。なんだか詳しく書かれています。鎌倉に関しては色々書かれないバックグラウンドがありそうです。
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吉田茂首相と会う。鎌倉観光と関係しているのかもしれませんがその後か前田侯爵の未亡人とその令嬢、吉田茂首相とパーティーで会った様子が描かれます。確か前田侯爵の娘さんは鎌倉の文学館の前に住んでいるんではなかったでしょうか。吉田茂首相の印象が書かれています。その後ネイヴィーデーの三笠教会と海軍基地での祝賀式典が描かれます。
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(写真は吉田茂首相と簗瀬次郎氏です。フリーメイスンだと思われます。)(追記:父親の簗瀬長太郎氏はフリーメイスンのようですが、息子の簗瀬次郎氏はそうではないようです。)
ペリー提督の黒船。同じくネイヴィーデーに久里浜に移動してペリー上陸記念碑に花輪をささげる儀式が描かれます。ペリー上陸の過程も簡潔に述べられています。日米両国旗が交差されている様子や、黒船という歌の歌詞についてそれぞれ恐らく新聞紙の特派員と思われる人物が文句をつけるのをブラザーデッカーが冷静に戦争は終わったのだと対応する様子があります。
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指輪の贈呈式。ウェーク島で日本軍の捕虜になったブラザーデッカーの同級生の指輪が日本人の家から発見され返還する式典が行われたという話です。どうも話の流れからいくとこれらは同じネイヴィーデ―に久里浜のペリー上陸記念碑の前辺りで行われたようです。恐らく関係者は皆フリーメイスンだと思われます。捕虜となった同級生のカニンガム大佐が上海の捕虜収容所から脱走する際にお世話になった日本人女性がたかろうとしていた話が挙げられます。上海といえばシニムロッジなのでまあ色々あったのでしょうね。その後久里浜ホールというところでダンスと黒船の歌という合唱を鑑賞します。この詩は印象的に書き連ねられていますので転載します。

風雨の暗夜に 黒船は航行する 不気味に動く未知なるもの 灰色の海原を渡り
船倉で働く者の 真っ黒な顔の恐ろしや はたまた、白人の顔 砲を構え 赤衣をまとった険しい何百もの顔、顔、顔
毛深いあごひげに頬は半ば隠れ その目は波を凝視する わが太陽の地を求め 艦長の胸底に秘めたる重い命令に従い
声張り上げてきたる――轟く太鼓の音 奇妙なわめき声 肉と薬草をたくわえて 悠然と彼方へ進み 黒船の波――あちらこちらと揺れる

まあちょっとブラザーデッカー夫妻がこの歌を聞いてどのような感想を抱いたかはわかりませんが、その後の久里浜のペリー祭の式典の様子などを観ても、非常に感慨深く印象的で日本人が客観的に欧米人をどのように見ていたかということが伝わるものであったということが想像されます。
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みんなが来たがる横須賀。ネイヴィーデーの最後は司令長官官邸で東京裁判の首席検察官、次席検察官、コカ・コーラの極東代表、アイケルバーガー陸軍中将夫妻、当時の米国大使のジョージ・アッチンソン(その後飛行機事故で死亡)、フランス大使のペシコフ将軍、陸軍の少将、中将、米領事夫妻などが参加したパーティーで名前が挙げられているのみです。ブラザーペリーとブラザーデッカー、さらにウィリアム・チェース少将が皆ロードアイランド出身であると挙げられています。このことは現在の横須賀ロッジにも引き継がれているようです。恐らくこの会は実質フリーメイスンリーの会合であったのだと思われ、全員がフリーメイスンだと思われます。(ジョージ・アッチンソンの項目についてはなぜか日本語のウィキペディアの項目のみあります。英語では検索しても一切出てきません。現代も続く情報戦の一端でしょうか。)
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