2013-07-28 10:22 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
おまえたちよ、ジャコバイトという名の者たちよ、よく聞け、心して聞け。
 おまえたちよ、ジャコバイトという名の者たちよ、よく聞くのだぞ。
  おまえたちよ、ジャコバイトという名の者たちよ、
   おまえたちの過ちをわたしは明らかに示し、
    おまえたちの信条をわたしは非難しなければならない、
     さあ、聞かせてやろう。

法とは、法とはだな、何が正しくって、何が間違っているかだ。
 法とは、何が正しくって、何が間違っているかだ。
  何が正しくって、何が間違っているかだ。
   短い剣と長い剣、
    弱い腕と強い腕、
     戦うためさ。

遠くで名高く、遠くで名高い英雄の戦いを何が引き起こすのか。
 遠くで名高く、英雄の戦いを何が引き起こすのか。
  英雄の戦いを何が引き起こすのか。
   暗殺者の短剣を研いだり、
    あるいは親の命を狙う、
     血まみれの戦争だ。

それからおまえたたちの計画を放棄せよ、そのままで、そのままで、
 それからおまえたちの計画を放棄せよ、そのままで、
  それからおまえたちの計画を放棄せよ、
   昇りゆく太陽をあがめて、
    そして一人の男は落ちぶれたままにしておけ、
     彼の運命に従って。

Ye Jacobites By Name

Tune--" Ye Jacobites by name. "

["Ye Jacobites by name." appeared for the first time in the Museum: it was sent in the handwriting of Burns.]

Ye Jacobites by name, give an ear, give an ear,
Ye Jacobites by name, give an ear,
Ye Jacobites by name,
Your fautes I will proclaim,
Your doctrines I maun blame,
You shall hear.

What is Right, and What is Wrang, by the law, by
the law?
What is Right and what is Wrang by the law?
What is Right, and what is Wrang?
A short sword, and a lang,
A weak arm and a strang,
For to draw.

What makes heroic strife, famed afar, famed afar?
What makes heroic strife famed afar?
What makes heroic strife?
To whet th' assassin's knife,
Or hunt a Parent's life,
Wi' bluidy war?

Then let your schemes alone, in the state, in the state,
Then let your schemes alone in the state.
Then let your schemes alone,
Adore the rising sun,
And leave a man undone,
To his fate.

感想:詩というよりは檄文に近い印象ですが、ジャコバイトという勢力がスコットランドで最も過激な政治活動勢力であり、スコットランドのフリーメイスンリーのテンプル騎士団と同じく根底の勢力となり続けたという話を知っているとなかなかすさまじい詩のようであります。現代マスコミとは違い小部数の詩集や口伝えの詩であってもわずかな短文で一国の運命や政治外交を影響しえた時代に、この様な詩は精強な軍隊による奇襲やテロ行為よりも強力な力を持ち得たのではないでしょうか。

参考にウィキペディアのジャコバイトによる1745年の反乱の項目のコピペを置きます。

1745年の反乱

1745年の反乱は、一面においてはジャコバイトの最後の挑戦であったが、むしろ主要な側面は、当時イギリスと交戦していたフランスによる、ジャコバイトとジェームズ老僣王の息子チャールズ若僭王を利用した工作であったという点である。この反乱の失敗によって、ステュアート家とそれを支持するジャコバイトは完全に政治的命脈を絶たれ、以降ジャコバイトは歴史の表舞台から姿を消すことになった。
「ウォルポールの平和」が1739年のジェンキンスの耳の戦争(オーストリア継承戦争、1740年)で破られ、ウォルポール自身も1742年に辞任に追い込まれた。政権はウィルミントン伯スペンサー・コンプトン(病気のため実質的指導者はジョン・カートレット)に移ったが、翌1743年にコンプトンが死去してヘンリー・ペラムに移行、ペラムを支持するウォルポールの政治的影響力は健在であり、国王ジョージ2世の信任は篤くなかったがなんとか政権運営を可能にしていた。ところが1745年3月18日、ウォルポールが死亡してペラムの政治的地位が危うくなったところに、この反乱が起こった。

ルイ15世の助力を得て同年7月にチャールズ・エドワードはスコットランドに上陸すると、ハイランドの氏族を糾合し「the 'Forty-Five」と呼ばれる内戦を起こした。いまだジャコバイトの多いスコットランドでこそチャールズの軍は優勢だったが、イングランドでは民衆の支持を得られず、12月6日に至り、反乱軍はスコットランドに退いた。それ以降も政府軍とジャコバイト反乱軍との戦いは続いたが、1746年4月16日、カロデンの戦いで反乱軍は致命的敗北を喫し、チャールズもフランスへ逃走した。この戦いにおいて、負傷して動けない者まで皆殺しにした指揮官のカンバーランド公ウィリアム・オーガスタス(ジョージ2世の3男)は「屠殺業者」(Butcher)との異名を得た。
イギリス政府はこの反乱を重く見て、諸立法によってスコットランドの氏族(クラン)制度を解体した。またチャールズはフランスを追われて、放蕩生活に身をやつしていった。この評判が広まって、ジャコバイトの支持は失われていった。ジャコバイトのステュアート朝再興の夢は、その核を失って完全に絶たれた。
Jacobite.jpgjacobite-1.jpgthe_battle_of_culloden3.jpgCulloden456.jpg

それらはそのまま反対にフランス革命へと繋がっていくようであります。
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