2013-07-31 20:32 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
まあ色々と難しい内容が続くかと思いますが、その中ではスコットランドの旅の内容は息抜きになるのかと思います。今回のロスリン礼拝堂なのですが、なぜか私はダヴィンチコードも読んでいなければほとんどロスリン礼拝堂の予備知識も持っておらず、まあエディンバラにせっかく来たしロスリン礼拝堂とセントアンドリュースには近いし行っとかないと、学会といっても英語だけでチンプンカンプンだろうしもったいないから行っとこうという感じであったわけです。
それでまあブログにしないといけないと思って写真だけはたくさん撮ったのですが、いかんせん予備知識がほとんどなくて、ダヴィンチコードの映画で最後のシーンがここだったなという事だけと、その後の何か映像の特集でマスターの柱だとか徒弟の柱だとかそういうのをぼんやりと聞いていただけなので、実際マスターの柱の方は写真を撮り損ねてしまいました。
そういうわけで現在ロスリン礼拝堂で検索して他の方のブログや旅の記録などを見させていただいて、基本的なところを勉強しているわけですが、どうもほとんどの方が熱心なダヴィンチコードファンでその関連の知識をお持ちのようで、どうもそういう流行ものと一線を画すのを常としてきた私としてはなんとも感心するやら自分の欠点を確認したようで反省の一つとなっているようであります。
そういうわけで今更ながらダヴィンチコードの概要をたどるわけですが、どうもその元ネタとなった本がテンプル騎士団関連で手にしたこの本のようです。(追記:元ネタとなったレンヌ・ル・シャトーの謎という本を1980年代に書いた方によるその後を色々整理した本のようです。最新の研究知見をくわえて、フィクションの要素を排除したものかと思われます。詳しいことは分かりませんが、色々フリーメイスンリーの関連の話も流行があるのだと思います。研究などと一緒です。主著のブラザーマイケル・ベイジェントはイングランドグランドロッジの役員を務めていたそうですが、2013年6月13日に65歳で亡くなったそうです。また第二著者のリチャード・リーという方も2007年11月21日に64歳で亡くなられているそうです。下記の本は1989年に出版された本の訳本だそうです。まだ私も一部しか読んでいませんが、テンプル騎士団とフリーメイスンリーをなんとか結びつけようという熱意に満ちたフリーメイスンリーの紹介本です。ダヴィンチコードもそうですがその過程で様々なセンセーショナルなフィクションが多くあり物議を醸していたようです。明治天皇すり替え説や日猶同祖論、フルベッキ写真、熊沢天皇や果てはイスキリの墓など日本でもこう言った話は枚挙に暇がありませんし、それらがベストセラーの出版やセンセーショナルな町おこしと結びつくと話がおかしな方向に行ってしまいます。)

テンプル騎士団とフリーメーソン―アメリカ建国に到る西欧秘儀結社の知られざる系譜テンプル騎士団とフリーメーソン―アメリカ建国に到る西欧秘儀結社の知られざる系譜
(2006/05)
マイケル ベイジェント、リチャード リー 他

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テンプル騎士団=フリーメイスンリー起源説はよく言われる近代フリーメイスンリーの数多くあるオカルト的な起源説の一つではありますが、テンプル騎士団の最後の団長のジャック・デモレーはその名前をフリーメイスンリーの青少年育成組織の名前に残しており、何らかの関連はあるのではないかとは考えていましたが、ブラザーナポレオンがマルタ島で儀式に参加してフリーメイスンとなったとか、ロンドンのテンプル教会がセントポール大聖堂のすぐ前にあって、いわゆるフリーメイスンリーのシンボリズムが認められるなどそれぞれぽつりぽつりと知識が増えてくると、何となくそれらがもぞもぞと関連づいてきて、どうもオカルトで言われるようなそういう謎めいた飛躍ではなく当時の中世からルネサンスの時代にかけて生きた人々の考え、思考の中で十字軍やその後のネットワークと宗教改革や石造建築が繋がっていくのではないかと思われるようになってきましたが、上述の本にそれらについて非常に詳しく、イギリス人の目線でテンプル騎士団とフリーメイスンリーとの関連が解説されていました。
ほとんどの日本人にとってはフリーメイスンリーとはどこから始まったかよりも、いったい何をやっているのかというところが興味の対象になるのだと思いますが、イギリスやフランスなどのかつてフリーメイスンリーが数多く革命や政治活動や経済活動に盛んに関わって現在では王室や政府も含めて当たり前の存在になってしまったところでは、興味の対象が宗教や信仰心とも関わって起源がどこにあるのかとか、どの時点でフリーメイスンリーの源流が認められるかというところになっているようです。
ナショナルジオグラフィックの動画もあったと思いますが、テンプル騎士団からフリーメイスンリーへと繋がる流れは、いわゆる石工のギルドや宗教改革の流れの中からの近代フリーメイスンリーの成立という定説とされるようなものよりもはるかにキリスト教徒的にロマンチックで受け入れやすいものであるようです。非キリスト教徒である我々日本人から通常に考えて、宗教的な理想や情熱に駆られて行動してかなり無益な戦いや冒険を行った人々、またはそれらを継承した人々がその後さらにカトリック教会や様々な政治的組織の弾圧を受けて、逃れ逃れて地方の貴族や郷士となって石工組織をまとめてシンボルとなる教会を建てるなどというのはなかなか想像しがたいわけですが、現実に日々キリスト教の様々な宗派や民族、イスラム教やその他の異民族の宗教と接しながら世界の最先端の科学や哲学の世界に接してそれらの伝統をまた保持している社会からすると、そういう宗教的情熱や異端と正統の入れ替わりのような展開は極めて受け入れやすくまたありがちな話であるのかもしれません。まあ少なくとも人の移動が制限されていた中世において聖書に書かれた土地がどのようなものであるのか、神とされるキリストの存在がその地で感じ取れるのかという事は信じる者にとっては重大な問題であったのだと思われますし、それを現地で確認して帰ってきたものが、それを体験してない文字や伝聞の知識だけのものとは、信仰や宗教観そのものも異なることが容易に想像できますし、またそうした体験することで得られた知識や信念はそれ以前の想像して保持していた慣習や生活などとは質の違う確固たるものであったのではないかと思われます。

ナショナルジオグラフィックのテンプル騎士団の最新の動画のようです。
テンプル騎士団が直接的にフリーメイスンリーと繋がったとか、イルミナティのように並列した組織であったとかそういう内容は読んだことがありませんが、少なくとも今回訪れるロスリン礼拝堂のような中世のスコットランド、イングランド、北方ドイツなどのその後の宗教改革で中心となるキリスト教社会の辺縁となる地域では、断絶したテンプル騎士団のような異端派の末裔がシンクレア家のような貴族や郷士との血縁で継続して、カトリック中心の社会とは一線を画し、その後のフリーメイスンリーの教えに継承されるような様々な秘儀や幾何学の継承を行い、その中にはテンプル騎士団の十字軍の遠征で得られた数々の中世ヨーロッパではありえない常識外の知識が数多くあった事はありうるのではないかと思われます。それら知識の継承がそもそもフリーメイスンリーの核であるとすればエジプト社会の宗教から続くユダヤ教、キリスト教、ミトラ教、ゾロアスター教などそういうすべてがフリーメイスンリーの核であると言えるわけで、一つのその表現がこのロスリン礼拝堂における二本の柱のような表現に現れていると考えられるのかもしれませんが、そうした考えが特別なものではなく普遍的なものであると考えれば必ずしもフリーメイスンリーとつなげる必要はないのだと考えられます。いずれにしてもこのロスリン礼拝堂が、恐らく近代フリーメイスンリーの発祥の原点となったいわゆるオペレイティブメイスンリー、石工職人の組織の組合の盛んであったスコットランド、エディンバラの近郊であり、例えばストーンヘンジとウィンザー城の建築を直接結びつけることはナンセンスだとしても、さらに時代の近いロスリン礼拝堂とエディンバラ城の建築を結びつける事はそれほど困難ではなく、そこにテンプル騎士団とフリーメイスンリーとの関連性を見いだすことはそれほど飛躍ではないのだと思われます。ちなみにシンクレアの語源となるセントクレアはアッシジの聖フランチェスコ修道会の修道女で、アッシジの聖フランチェスコといえばタウ十字を象徴とした聖人で、いわゆる清貧や奉仕を旨として現代に繋がる修道会を創設した方でありイエズス会などと同じく規律を旨として今なお全世界で活動する団体であるようです。ダヴィンチコードでも出てきたオブスデイもそういうカトリック系の団体という事で名前が挙がっているのかもしれません。
ちなみにダヴィンチコードはヨーロッパ大陸の特にカトリック全盛の時代のルネッサンスから宗教改革前夜の様々な科学的知識に繋がる異端思想のような様々なオカルトチックな知識をちりばめて、それらを繋げるような示唆を与える展開であったかと思うのですが、その中でも中核となるレオナルド・ダヴィンチが最後の晩餐に込めたメッセージについて、四福音書の解説なども行っていますので私個人の意見というところをそれほど熱心に知識を集めたわけではないのですが、絵画の印象から述べてみようかと思います。私はレオナルド・ダヴィンチがどの程度聖書の知識を持っていたとか、その他聖書時代や考古学の知識を持っていた、科学的知識を持っていたかについて正確なところを持ち合わせていないのですが、ルーヴル美術館などで実物に触れたり、その他の様々な展覧会や昨今のいわゆるダヴィンチブームの中での情報に触れた内容を総合すると、恐らくダヴィンチ自身は旧約聖書を読んではいなかったし、もちろんユダヤ古代誌なども知ってはいなかったが、絵画を制作する上で十分にカトリックの最新の研究の知識を得ていたであろうと考えられ、また同時に解剖学や建築学、数学などの知識を様々な機会で得ることでそれらをまた宗教的表現に反映していたと考えられます。そこで題名のダヴィンチコードとなるわけですが、小説では聖杯聖杯として、キリストの末裔の話にされていたようですが、恐らく私が考える最後の晩餐の絵画のダヴィンチコードはこうではないかと思います。
最後の晩餐
まあ聖アンドリューの磔の話ではないですが、新約聖書の登場人物の様々なシンボリズムや込められた謎、そういうものすべてを恐らく研究した中世のカトリックの僧侶たちが出した結論を絵としたものなのではないでしょうか。∨と∧の結びつきで六芒星となる、ヨハネは女性として描かれているのでしょうし、ヨハネ福音書と繋がるのが女性というのも一つ象徴的なシンボルなのでしょうし、男性と女性の結びつきで六芒星のユダヤの星となるのも一つのシンボリズムの中心の教えとなるのだと思われます。その他やはりダヴィンチは洗礼者ヨハネや聖母子像が有名ですが、これもやはりユダヤ古代誌や当時のユダヤ王国の記録やローマ帝国の記録に丹念に触れることができたカトリックの僧侶たちの要請で一方でキリストのモデルとなったであろう洗礼者ヨハネの姿とカトリックの教えの真髄であるマリア信仰を両立するよう描いたのだと思われます。恐らく洗礼者ヨハネが結婚して子供がいたとしても当時のユダヤ社会の事ですからヨハネとともに処刑されるか無残な処置をされて歴史からは抹消されるのが当然で、そこに神の末裔であるなどとの発想は意味を成さないものかと思われます。ダヴィンチコード自体そういう意味を敷衍した小説であったと理解しています。

さてまあ相変わらずの単なる旅のブログではないフリーメイスンリーのブログな訳ですが、まあこの辺りまではロスト・シンボルの前作の世界的大ヒットとなったダヴィンチ・コードの話からほぼ常識に近いところであるかもしれないのでこの後は実際のロスリン礼拝堂の写真とフリーメイスンリー的視点からの文章としたいのですが、どうも事前に検索した他の方のロスリン礼拝堂見学のブログの方が細かくて内容も豊富であり、明らかにダヴィンチ・コードブームに乗り遅れた私としては拍子抜けで未だに消化不良の感が否めないわけです。それでまあ一部では挙げられていましたが副題にも挙げたとおりロスリン礼拝堂の主要な建築である螺旋の柱と、礼拝堂に行く途中にあるエディンバラ大学のロスリン研究所の世界的に有名なクローン羊のドリーの話と絡めて、DNAの二重らせんと建築の絶妙な一致の話をいわゆるクローン人間など生命科学の倫理の問題としてこのロスリン礼拝堂のブログの回の秘密としたいと思います。と言っても何が秘密というわけではなく、それらが単に絶妙な一致を見せたというだけの話であって、私は専門的には免疫学、医学であり、クローンやiPSなどの再生医学はまた少し分野が異なるわけですが、まあ基本的にはそれらに関しても一応かじっているわけでして、そういうところでまああまりフリーメイスンリーと関係あるかというとなかなか難しいところなのですが、まあ現代ではロスリン礼拝堂はテンプル騎士団のシンボルというよりもクローン羊のドリーの誕生から、DNAの二重らせんのシンボルではないかという想像の飛躍ができるのではないかというところでした。

では写真です。
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これはロスリン礼拝堂へ行く途中でスコットランド国立銀行があってなぜか撮ったのですね。シンボルが印象的であったのかもしれません。他のブログでもよく書かれていますが、ロスリン礼拝堂へ行くには15番のバスに乗るのですが、地球の歩き方に書いてあるセントアンドリュースクエアのバスステーションからは発車していません。プリンスィズストリートの乗車場で待つしかありませんが、そこで乗っても40分近くかかって、いったいどこが降り場なのか全くわかりません。iPhoneのGPSもあてになりませんので、バスの運転手に教えてもらうか、誰かに聞くのが一番だと思います。とにかく世界的な観光地で後で出ますがあまりに人が来すぎて有名になって観光地化が激しいのでそこに来る人は一種のキリスト教、フリーメイスンリーの巡礼者みたいなもので、近所の人も皆慣れて自然に注目している感じなので、そんなに準備しなくて周りに聞きまくってたどり着くのが一番いいようです。バスの中でエディンバラ近郊の普通の人の暮らしを観るのもまたワシントンD.C.のバスのようで興味深いかと思います。
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よく見ると看板にROSSLYNと書いてあったりしますが、ほとんど良くわかりません。とにかく主要なT字路です。他がほとんどロータリーになっているところで、唯一ロスリン礼拝堂のバス停留所だけT字路のところです。恐らくタウ十字にかけているのではないかと思いますが、その他にもいわゆるVesica Piscisの形のCrescentと呼ばれる地形がたくさんありますが、T字路のところと覚えておけば間違いありません。ちょうど行った時は閉館となる直前の午後5時近くであったので周囲には地元の人以外は人っ子一人いない状態で、降りたのも私一人でした。基本的に市街を離れると残りはエディンバラ大学の学生くらいしか利用しないバス路線で、通常の昼間に行くと恐らく海外からのロスリン礼拝堂に向かう観光客ばかりなのではないでしょうか。
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まあいい天気でした。訪問後に一雨降ったりしました。キリスト教の寺院はやはり気を使います。
若干雲の形が文字のようでもあったりしますが、まださすがにそこまでのは見たことありません。
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エディンバラから離れたところにあるので開館時間の情報は重要です。土日もやっているというところが、それだけ世の中に沢山見せたいというところなのだと思われます。また世界中からやってきて見れない日があったりして色々問題があったせいかもしれません。
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入場料は大人8ポンドのようです。1200円位でしょうか。まあとにかくびっくりするのがテレビやダヴィンチコードの映画で見たような礼拝堂がポツンとあるようなところではなく、とんでもないスターバックスの繁盛店みたいな立派なチケット売り場とカフェとおみやげ屋を兼ねた現代建築の建物が隣にあるというところでしょうか。後で写真が出ますが、それが一番びっくりします。周りにそんな雰囲気が一切ない所で、これだけの現代建築を観ると正直びっくりします。帰ろうかと思っちゃうくらいです。あとは中に入るとウィンザー城とかバッキンガム宮殿と一緒でいわゆるイギリスの観光地のシステムが同じにあるところでしょうか。おみやげもあきれるほど大量に売っていましたし、結構いい値段なのです。まあ運よく見られた勢いで見学後に5000円くらい購入してしまったわけですが、そういう人が多いのではないでしょうか。ダヴィンチコードバブルが実感できる場所だと思います。
外から見るとどうなんでしょう。セントポール大聖堂やウェストミンスター寺院で慣らされてしまったイギリスの観光客からするとかなり拍子外れなんだと思います。ガーゴイルが象徴的なんですが、さすがに革命を経過したノートルダム寺院とはそのインパクトが異なります。とにかく私の印象としてはまさにドルイド教とキリスト教のミックスであり、日本人にとっては極めて自然な神仏習合や、インドの神や中国の神や日本の神やアイヌの神のミックスした本当によくある日本的な折衷宗教の形だと思います。恐らく純粋なカトリック的キリスト教を当たり前だと思っている欧米人にとっては目新しいのだと思います。フリーメイスンリー的という印象はほぼ無いですね。インドの寺院や東南アジアの寺院、日本の仏像がたくさん並ぶ百羅漢とかそういう印象でしょうか。まあ要は宗教的寛容、キリスト教以外の宗教の認容、表現の利用なのだと思います。
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まあこのガーゴイルが後にノートルダム寺院に付け加えられたのだと思いますが、まあ色々修復やら後世の付加やらとにかく色々あるでしょうからよくわかりませんが、とにかく雰囲気がいわゆるキリスト教の礼拝堂のシンプルさがなく、ゴテゴテと付け加えられていて、要するにドルイド教の影響なんだと思います。それがテンプル騎士団の末裔であるこの礼拝堂の建築を支援したシンクレア家の方針なのか何なのかよくわかりませんが、宗教改革の過程を観ても、そもそもキリスト教が伝道した過程を観ても、まあそもそもそういうドルイド教のようなものが元からあって、それはそもそも土地柄石造建築とも関係していて、それがそもそもそういう形で発露したというのが正直なところなのだと思います。結果としてフリーメイスンリーという組織化されたり目に見える形で成立した時にあああれはそういうモノの原型であったのだねと注目される結果となったのだという事だと思います。
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恐らく石の材質やら加工の仕方とか技術的な面で色々あるのだと思いますが、浸食しているのだと思います。だから一見して素晴らしい建築だという感じよりもとにかくなんだかはっきりとしっかりと彫刻してあるというよりもとにかくできるだけ限られた資源と面積の中でやたらと削りたいだけ削っているという感じでしょうか。それがキリスト教的情熱という感じよりもいわゆるドルイド教的土着宗教の表現の自由という印象で作り上げられているという印象でしょうか。まあそれだけいわゆるスコットランドの宗教改革やフリーメイスンリーの成立の過程にはそういう土着宗教から起因する自然観、自然崇拝の背景が強くあるという事なのではないでしょうか。とにかく私は日本の神仏習合と非常によく似た印象を持ち、理屈抜きでああこれはこっちでは珍しいのだろうけど、日本だとお恥ずかしながら当たり前なんだなというまあいわゆる東と西の違いを感じました。
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だから日本の地元の神社や寺の立派な鬼瓦とガーゴイルは完全に一致なんですね。まあそりゃそうだって事になってしまうわけです。
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これは何でしょうね。印象的に撮ろうとしたのでしょうか。太陽信仰と十字を重ねたのでしょうかね。
まあ逆光にこだわった写真の一環と思われます。まあこれだけ立派な建物は日本の神社や寺には無いですが、敷地や地域の規模から言うと走水神社や横須賀の諏訪神社と変わらないと思います。まあそれを世界的観光地に変えてしまうのですからフリーメイスンリーの謎は魅力的な訳です。
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謎の改修を続けていますが、どのような改修、補修かは見当もつきません。少なくとも隣の建物は立派でした。
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まあノートルダム寺院のガーゴイルよりもここのガーゴイルの方が結局信仰がこもっているのでしょうね。理性的な反キリストなのではないのだと思います。最も印象的な最もかわいい感じのいわゆるまあ何度も繰り返しになりますが日本の神仏習合のああいうやつです。愛嬌のある布袋様とかマリアと観音がくっついた申し訳なさそうなそれでいて堂々としたそういうやつです。かわいければいい、造型として製作者が満足できればいい、そういう日本の最近のゆるキャラにも近いものがあるのかもしれません。
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まあダヴィンチコードブームがないとあんま見に来ないでしょうね。
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インドとかだと似たような寺院とか沢山ありそうです。日本だとやはり木造になってしまうかと思います。
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これはその立派な施設の出口のところでしょうかね。とにかくその立派な施設の方が目立ちます。
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まあとにかく一生懸命撮影するのですがポイントがぼやけるのですね。大谷石みたいな素材なんでしょうか。いわゆる大理石のカチッとした彫刻とは異なります。
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まあ要するに費用がそれほど高くないのだと思います。基本的にはそういう独立貴族がキリスト教のカトリックとは異なる独自のドルイド教を混ぜたような解釈のほぼ異端の教会を建築できた環境風土がその後のフリーメイスンリーの宗教とは異なる科学や理性の崇拝に繋がっていくのだと思われます。
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これだけ見るとインドの寺みたいですね。
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まあ結果としてフリーメイスンリーは世界的に広がり、これだけ世界から人を呼び寄せる力を持ったわけで、そういう土着の異端とされるような文化を保護するために少し利用しようというのがロスリン礼拝堂の謎であったのだと思われます。

とそんなこと言っては身も蓋もないわけで、この後もロスリン礼拝堂の秘密を探ります。やはり3つに構成する予定です。
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