FREEMASONRY
Blue Lodge, Scottish Rite & York Rite in Japan
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結論から言うとロスリン礼拝堂はフリーメイスンリーのいわゆる歴史的建築物の中で最も重要な建築であるようです。これまで見てきたセントポール大聖堂やギルドホール、クイーンズハウス、エッフェル塔やヴェルサイユ宮殿、ノートルダム寺院、ホワイトハウスやハウスオブザテンプル、アメリカ合衆国議事堂やワシントン記念塔、自由の女神などといったいわゆるフリーメイスンリーの建築物の中で最も重要な建築といえるのがこのロスリン礼拝堂であるという事が分かってきました。
ダヴィンチコードはそういう内容であったと思いますし、それを示した映画であったためあれだけの大ヒットとなったようです。
つまりこのロスリン礼拝堂の建築自体が実務的メイスンリーの思索的メイスンリーへの大きな転換の象徴であり、また当時の実務的メイスンリーが総力を結集して建築した建物であり、それらを統括した貴族のシンクレア家はテンプル騎士団の系譜を引く由緒正しい家系であり、スコットランド国王にも実務的メイスンリーのグランドマスターと認証されており、その書類も私がいくことができなかったエディンバラのNo.1ロッジ、セイントメアリーズチャペルロッジにきちんと残されており、それはそのまま1717年のイングランドグランドロッジの結成後の1736年のスコットランドグランドロッジの結成の際にもシンクレア家からグランドマスターが選出されるという形で引き継がれているという事のようです。
確かに内部の印象はドルイド教とキリスト教の融合であるようでしたが、それはまだ十分に練られていなかった実務的メイスンリーの時代のフリーメイスンリーのロッジの表現であり、確実にこの礼拝堂の建築意図は思索的メイスンリーにおけるソロモン宮殿の象徴となるフリーメイスンリーロッジの建築であり、現存する最古のフリーメイスンリーロッジがこのロスリン礼拝堂という事でした。
直接的にこの礼拝堂がフリーメイスンリーロッジとして設計されているという確信を得たのは他の日本語のロスリン礼拝堂の謎に関するブログで認められた以下の図からでした。

いわゆるダヴィンチコードのローズラインといった際物の流れからこじつけだよと考えてしまっていましたが、どうもトリプルタウの表記にしても三笠公園のアーチもそうですが、やはりスコットランドでキリスト教の宗教改革から思索的メイスンリーに繋がる歴史と、この印象的な漢字の円の形の配置が様々に繋がり、また20世紀に定義されたそうですが黄金比の記号であるφとτの表記からのこのタウ十字のシンボル、またトリプルタウのTHの意味がTemplum Hierosolym, the Temple of Jerusalemエルサレム神殿を意味するというシンボリズムの定義などからも、徒弟と親方の柱のヤキンとボアズの柱との一致、十字に建設する設計であったのが途中で西の壁を象徴的に残していわゆるロッジの形の長方形、ソロモン宮殿の形に仕上げていること、六芒星の配置ははっきりとはわかりませんが恐らくあるのではないかと思いますが、いずれにしても礼拝堂全体がそのままタウ十字の形となり、半分完成された残りが形而上的に建設を予期させる構成となっている意図が読み取れる、まさに実務的メイスンリーから思索的メイスンリーへの転換をそのまま象徴する象徴的ロッジの構成となっているのは間違いないかと思います。
この形を考えると通常は二本の柱がある東側が礼拝堂の正面という構成になっていますが、どうもヤキンとボアズの柱と考えると入口がそちらであり、そこから広い空間とパイプオルガンのある方が正面であり、十字で言えば中心の方角となるようです。そういう位置関係が対称の反転する構成になっているのも徒弟と親方の柱の教訓と似ていて、教訓的な意味がありそうです。また建築途中の形になっている象徴的な西の壁は明らかにエルサレムのソロモン宮殿の残された嘆きの壁を象徴しているものと思われます。全体を十字ではなくタウ十字の構成にしたのもそういう意味だと思われ、そのために柱の配置の円の形のトリプルタウの配置の信ぴょう性が増すかと思われます。トリプルタウについてはSymbolDictionaryの解説が分かりやすいかと思います。
円の配置のトリプルタウの形についてはあとで日銀本店の建物の形との関連で触れようかと思っています。
まあというわけで現地に行った際にはいっさいそんな事を思わなかったロスリン礼拝堂でしたが、日本の賢明なダヴィンチコードからロスリン礼拝堂に興味を持たれた方々のブログの解説のおかげと、前述のダヴィンチコードの元ネタとなった本を書かれたイングランドグランドロッジの役員を務められていたブラザーの書いたテンプル騎士団とフリーメイスンリーを繋ぐ解説をした本との重ね合わせでようやくロスリン礼拝堂の真の意味が理解されてきました。たんなるドルイド教とキリスト教の折衷ではなく、宗教的寛容を含んだエルサレム神殿としての建築を隠された真の目的とした明らかに最初のフリーメイスンリーのロッジの建築であったという事だと思われます。
(どうもローズラインというのも子午線を象徴的にそう語っているだけのようで、いわゆるフリーメイスンリーの子午線のシンボリズムを象徴しているようです。基本的にはダヴィンチコードの内容はヨーロッパの英仏フリーメイスンリーの協力で作成されている、フリーメイスンリーの教えや考え方に則った話の流れのものであるようです。ダヴィンチコードとロスリン礼拝堂について非常に参考になったブログがありました。ローズラインというのはロスリンの語源のようです。ルーズベルトやロスチャイルドの薔薇の野原や薔薇の楯といった語源と同じく、ロスリンの語源が薔薇の線、すなわち薔薇十字や薔薇戦争に認める貴族、王族の血統という事のようです。つまりダヴィンチコードで語られるローズラインやキリストの血筋というのはそういう貴族や王族の血統、一族の誇りというようなものの象徴かと思われます。)
なかなか検索しても良い写真が見つからなかったのですが、YouTubeの方の動画に加えているロスリン礼拝堂とカバラの生命の樹を重ね合わせる動画があると思うのですが、その動画でロスリン礼拝堂の外の彫刻で四福音書のそれぞれ福音書記マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの像とそれぞれの動物が対応してあるようです。

これももちろんこのブログでも取り上げたイングランドグランドロッジの紋章と同じく、新約聖書のそれぞれの解釈を意味しているのかと思いますし、むしろこれがそののちの紋章となったと考えられます。またこの礼拝堂のメインのステンドグラスのキリストの像も違和感があったのですが、どうも上の参考にしたブログによると最後のテンプル騎士団団長のジャックデモレーの火あぶりの状況を写しているのではないかという事でしたが、どうも整合性がとれますのでそのようです。(地下の聖具室のステンドグラスのようで、1954年に新しく入れられたそうです。)イエスの磔はそういうわけですが、ジャックデモレーの火あぶりは史実とされていますから。フリーメイスンリーの青少年の育成機関の名前がデモレーというのはそういうロスリン礼拝堂の建築に繋がる実務的メイスンリーの源流がそうしたテンプル騎士団にあるという事を象徴しているのですね。まだ思索的メイスンリーになる前の実務的メイスンリーのさらに前のテンプル騎士団から後に繋がるという事なのですね。
とまあほとんど他のブログの内容や本のままな訳ですが、いずれにしてもこの礼拝堂が単なる地域の礼拝堂として建てられたわけではなく、そういう後々に世界に広がる近代フリーメイスンリーの発祥の象徴となる建築という事が間違いないというわけなのです。まあ実感としていわゆるフリーメイスンリーの建築というのが恐らく思索的フリーメイスンリーの時代のものと異なるのでしょう、そういうものが無かったので未だに頭では分かっていてもそこまで腑に落ちた感じにはなりませんでしたが、未完成であるとされる意味と西の壁の印象、その外側にまたスコットランドの美しい桜があったことなどが何となく500年前の本当に最初のロッジの教訓として少し感じられた気がしました。
それでは実際に撮って来た地下の部屋や徒弟の柱の写真、他のブログから持ってきた親方の柱の写真、その他の実際に撮った写真を混ぜて解説していきましょう。しかし副題の二重らせんもさえませんね。明らかにエルサレム神殿が適当であったと今は思っています。

納骨堂と呼ばれている地下室への入り口ですね。様々に言われていて地下調査が何度も行われたそうですが、特に他の謎の地下室はないようです。

暗くて写真がとりづらい状況であるわけですが、とにかく天使が聖書を持っているのですね。聖書を読んで天使のようになろうと、天使とは神の使いですね。フリーメイスンリー的に訳すと勉強してフリーメイスンになろうだと思います。

何を持っているんでしょうね。全ての像に意味が込められているのだと思います。

これも良く出てきますがどういう意味なんでしょうね。大鎌とドクロは死の象徴でしょうが、不安定な輪か樽の上に乗った人間は生命の不安定さの象徴なんでしょうか。人生のカリカチュアといった感じでしょうか。

建材のようなものがあります。補修用でしょうか。



この辺はなかなか写真が厳しいですね。フラッシュはたけない状況だしなかなか厳しいです。ちゃんとしたカメラで絞りを最大にしないと駄目でしょうね。

階段を下から見るとこんな感じです。

それでこれがメインとなっている徒弟の柱、アプレンティスピラーです。これは立派ですねえ。正直現地ではこれ以外見る価値があるとは思えないと思うほどでした。

まあ端的に言って四重らせんなんですね。二重らせんの副題は何にも掛っていないことになります。

徒弟が作ったという事はないのでしょうが、この柱が異常に立派で目立つことは明らかですね。調和を壊していると言えるかもしれませんが、造形美という点ではこの柱が素晴らしいですね。やはり私はこの礼拝堂の象徴はこの螺旋の柱であるかと思いました。それはまた自由の象徴でもあるのでしょうね。

これは他のブログから頂いてきた親方の柱、メイスンズピラーですね。弟子と親方の経緯についてはそれを彫刻したものがオルガンの側の右手に彫られているそうです。このブログを参考としました。

これも他のブログのものです。徒弟の柱の方が存在感があるのですね。なかなかフリーメイスンというものの本質に関わる彫刻かもしれません。目立っちゃうのはもうフリーメイスンとして駄目なんですね。ヤキンとボアズの柱の意味もあるのでしょうね。実は通常のこう言う見方ではなく反対から見るのが正しいエルサレム神殿としての通路になるのだと思われます。

メイスンズピラーです。四つの柱を強調しているのでしょうか。四元徳に繋がるのかと思われます。

これも他のブログからのものです。こうして見るとねじれた心をまっすぐにするとかそういう意味もあるのでしょうね。真ん中の柱は他の柱と同じ形です。3本という概念はこの時代あまりなかったのかもしれません。ピラミッドの形やAll Seeing Eyeのような象徴はむしろフランス系カトリックの内部から伝達されたのかもしれません。4の数が四元徳や四元素などから聖数とする発想は実はギリシア時代からあり古いのですね。恐らくこの礼拝堂はそちらのネオプラトニズムの系統の多神教的なギリシアの影響が強いのかと思われます。四福音書記者の像や天使の配列などがそれらの象徴だと思われます。


ロスリン礼拝堂の検索で最初に出てくるブログからお借りしています。このロスリン礼拝堂の検索で出てくるブログも非常に個性的なものが多いのですが、まあダヴィンチコードの流行った時代というかそういうのがとても良く反映されていてなんというかどのブログも読んでしまうというか、明らかにフリーメイスンであったりフリーメイスンリーを強く意識したものはビジネス系の方が多いようですが、やはりロンドンやニューヨークといった英米の大都市でビジネスや生活をしているのが長い方はフリーメイスンリーを意識する事が非常に普通であるようです。で、上記の写真は七つの大罪と七つの徳を一つ取り違えて表記しているというものなのですが、意味はどうなんでしょう。CharityとGreedが取り違えているという事で、まあ良くあることなんじゃないでしょうか。強欲と慈悲は裏腹であるという教訓なんじゃないでしょうか。ロスリン礼拝堂にわざわざ礼拝に来るようなお金持ちのビジネスマンには非常に印象的なものとなるのではないでしょうか。美徳と罪は分かち難しみたいなもんで、あれは誤訳でしたか美徳と死は分かち難しなんてのもそういう意味もあるのかもしれません。
さて良い写真が他のブログに多いのでそれを利用させて頂いていますが、この後は外側です。

これも他のブログのものです。私が訪問した時はこちら側を補修していました。中心がシンクレア家のギザギザのついた十字のようです。周囲が四福音書の聖書記者とその他はちょっとわかりません。良く見ると三段重ねのピラミッドがありました。ここが唯一フリーメイスンリーっぽい所でしょうか。この部分は西側なのですが恐らく増設部分なんだと思われます。

以前はこうして外構部分を見学するように足場が据えられていたのですね。まあそれほど貴重な感じではなく地方の大事なおらが村の礼拝堂であったというところでその補修保存のために一生懸命開放して見えるように公開していたのですね。ダヴィンチコードブーム前後の推移が分かります。全体を見ると明らかに東側から旧約聖書部分のエルサレム神殿となっていて、その最後が西壁の嘆きの壁になっていて、増築部分に四福音書記者とフリーメイスンリーを示すピラミッドとまさに聖書そのものの構成になっていることが印象されるのではないでしょうか。

嘆きの壁を模したような形が非常に良く分かるかと思います。そこに十字と四福音書とピラミッドがあるというまさにフリーメイスンリーの教えをそのまま聖書の通読に求める建物自体が聖書のストーリーそのものを象徴的に示している、テンプル騎士団と宗教改革の源流となるスコットランドの独立貴族の守り伝えた精神の核を象徴した建築なのだと思われます。

これは外構ではなく内部の写真で、英語版ウィキペディアのロスリン礼拝堂にある写真で、いわゆるテンプル騎士団がコロンブスの新大陸発見前にアメリカ大陸に行きついてトウモロコシを発見していたという証拠とされる、maizeとイギリス英語では表現されるようですがそういう植物の形をした装飾です。まあどうなんでしょうね。恐らくシンクレア家がそういうのであればそうなのでしょう。テンプル騎士団とフリーメイスンリーについて書いた本によればシンクレア家の血気あふれる相続者がグリーンランドまで冒険した記録はあるそうですし、それ以上にメキシコ辺りまで行ったという伝承もあるそうです。もしかすると冒険者の中心的な貴族は途中で引き返してもそれ以外の元気な随行者がアメリカ大陸までいってその後ジョン万次郎のように密かに帰国して概要を貴族や司祭を通してカトリックのネットワークなどで情報を伝達していたという事実はあるかもしれません。大航海時代とはそういう時代であったのだと思います。そもそもコロンブスもポーランドなどの王族の御落胤であったこともかなり信ぴょう性があるようですし、コロンブスの行動自体も月探査や日本の開国のように相当のバックグラウンドの情報を持っていて行われたと考えるのは当然なのだと思われます。まあその後のアメリカの歴史を考えても、まさにフリーメイスンリーの発祥の地にふさわしい彫刻であるかもしれません。

これは私が写真を撮って来たものですね。良い天気ですね。桜を配置しているんですが、まあいまいちですね。

外構のピラミッドが強調されているのですね。足場があるときはそれを強調していたのだと思われます。まあなかなか難しいですね。

これは西側の壁でしょうか。見るからに嘆きの壁の形ですね。十字にする途中でタウ十字の形で終わる教会は他にないでしょうし、西側に壁をこれだけもつものもそれだけないでしょうね。

これも桜と芝ですが、まあちょっといまいちですね。十字の半分がこちらになるわけです。自然主義でしょうかねえ。思索的メイスンリーです。

まあ桜も芝も綺麗でした。このロスリン礼拝堂のすぐ近くにロスリン城の跡があるそうですが、私は行きそびれてしまいました。ちょうど高齢者の集団が恐らくそのロスリン城の方向から来たのですが、私は結局バス停の場所を聞いてバス停の方に戻ってしまいました。シンクレア家の関係の管理者が住んでいるそうですが、そういう色々なあれもあるのかもしれません。シンクレア家も3人ほどスコットランドグランドロッジのグランドマスターを務めているそうですし、それだけの名家ですからなかなか色々あるようです。エリザベス女王でも最近になってフリーメイスンリーの女性団体の看護を受けた位な訳ですしまあイングランドフリーメイスンリーはまさに清教徒革命、名誉革命の成果を現代に引き継いでいるわけですので深いです。

シンクレア家の記念碑だそうです。

この部分を補修しているのも意味があるのでしょうね。

まあ十字の足りない部分に樹木があるのもまさにユダヤ教そのものかと思われます。樹木の記念日もそういう意味です。

これだけ勉強してからこの解説も読むと面白いのでしょうが、この当時はとにかく閉館間際で写真だけさっさと撮っていこうと撮ったのですね。スコットランドグランドロッジでもロスリン礼拝堂の設計図を売っていたのですが、今なら欲しいですね。

面白いですねえ。これだけ勉強してからこう言う解説を読むと非常に面白いです。

いいですねえ。ミニチュアが欲しくなります。

石の形で音響が生じる波紋と同じなどとして音楽を作ったりしたようです。良く分からずにイメージソングかと思ってCDを買ったりしてしまいましたが、解説した動画がありました。参照してください。この写真とは直接関係はありませんね。

完全にピンボケで読めませんね。

何度も同じ解説を写真に撮っているのですね。

資金難かどうかはわかりませんが、確かに十字に建築しようとしていたようです。しかしなかなか大した建築ですねえ。十字の規模になっていたらセントポール大聖堂以上の建築かもしれませんね。

これは外の写真ですね。もしかすると入館前に撮ったのかもしれません。

この横の建物がかつての巡礼者の宿であったようです。通路を撮っているのですかね。

外から撮ったロスリン礼拝堂です。そんなに重要なもんじゃないですよね。

これは他のブログにもたくさん出てますが、最新の状況のチケット売り場とお土産屋、カフェの併設した建物です。まさにスタバみたいですが、パーフェクトアシュラーの形の植木鉢や三段の形になった壁、直角定規の形の屋根などシンボリズムは踏襲しているようです。まあとにかく天気でよかったというところでしょうか。このお土産屋さんは前回触れたように沢山のお土産が売っているのですが、一番驚いたのがフリーメイスンリーのシンボルのキーホルダーを売っているところでした。インターネットでも買えますが、古今東西で教会で観光地の場所でフリーメイスンリーのシンボルのキーホルダーを売っているところはここだけかと思います。実質的なスコットランド、イギリス、世界中のフリーメイスンリーの最初のロッジであり、最初のグランドロッジである場所かと思い、恐らくそういう場所はここだけなのだと思われます。キーホルダーを買えたらフリーメイスンの認証かもしれませんね。

3が消えて4が出ているところがこの時代の実務的メイスンリーを象徴しているのかもしれません。これだけだといわゆる実務的メイスンリーの認証は出来るが思索的メイスンリーの認証ではないと。まあそんな感じじゃないでしょうか。

かつての旅人の宿舎であったらしい小屋です。1660だと微妙にそれっぽくないですが、恐らく番地なんでしょうね。

宿舎の解説ですが、ブラザーロバート・バーンズやブラザーウォルター・スコットの名前も出ているようです。スコットランドのフリーメイスンが必ず訪問する隠れグランドロッジのような存在なのではないでしょうか。

どうもこの先にあるのがロスリン城のようですが、この時はもう帰る事ばかり考えていて城を見る時間はあったのですが見損なってしまいました。なかなか一日以上は掛けてゆっくりと堪能するのがロスリンの正しい訪問の仕方のようです。

こちらはほとんどバス停のT字路にある休業中のホテルです。恐らくダヴィンチコードバブルの時は繁盛したのでしょうね。何ともさびしい感じですが、大ヒットの余波は大体こういうものです。

ここから後がこのブログの真骨頂でしょうかね。T字路のところに二軒ホテルがありますが一軒しか営業していません。

バス停のところに貼ってあった告知です。何やらロスリンの文化が感じられます。

これはちょっとT字路から離れた教会近くの売家です。なかなか良いお宅です。管理が大変そうです。

コンドミニアムみたいな感じなんでしょうか。横須賀で言うと馬堀海岸の連なった家のようです。

そしてこれが注目のカトリック教会です。ロスリン礼拝堂より明らかに立派で人々が日曜礼拝に参列する姿が目に浮かぶ地域の信頼厚い教会という感じです。どうもロスリン礼拝堂でダヴィンチコードで町おこししたお金はカトリック教会の整備に使われていそうな雰囲気です。三位一体の形やピラミッドの形など明らかにロスリン礼拝堂を意識していながらそれよりもキリスト教的な整然とした対称的な形が印象的です。

ここは十字架が何のケレンミもなく象徴としてあります。実際英王室も半分くらいはカトリックに改宗していたりと、英国王にしても英国国教会の首長であってもやはりキリスト教界の序列ではカトリックの教皇がトップでありやはりキリスト教といえばカトリックなのですね。こういうところが宗教とは異なるフリーメイスンリーで宗教的な寛容が特徴であっても、キリスト教カトリックの例えばイエズス会に象徴されるような宗教としての信仰心の篤さや組織の固さはやはりカトリックなのだと思わされます。前教皇のベネディクト16世はヒトラーユーゲント出身でありましたが、現在の教皇フランシスコはフリーメイスンリーの盛んなアルゼンチンの出身であり、フリーメイスンリーロッジを訪問する姿もフェイスブックの写真であったりとカトリックとしてもフリーメイスンリーの活動に寛容であるようですがまた一方ではこうしたフリーメイスンリーの本場のスコットランドでもこうした教会の人気があったりします。なかなか時代は変わっていきます。

バス停の近くのお土産屋さんはロスリン礼拝堂の観光客を目当てにしているのか、様々な石や六芒星のようなシンボル、仏像のような様々な印象的なお土産を置いていました。

バス停のすぐ先にフリーメイスンリーのロッジがありました。

こちらにもやはりイベントの告知がありました。誰も人がいなかったのでフリーメイスンと直接会う事はありませんでした。

バスは30分に一本くらいだったでしょうか。これは帰りにバスから撮ったエディンバラ大学のロスリン研究所です。クローン羊のドリーを作成して世界的に話題になった場所です。副題ともしましたが人類の遺伝子の二重らせんを引き継ぐ永劫の取り組みは現代でも変わることなく行われ、それを象徴するのがこのロスリンの地、ローズラインの地という事で良いのかと思います。生命科学の研究者や臨床医学、基礎医学に携わる人は是非一度訪問して生命倫理、我々が引き継いで受け渡していく生命の繋がりを今一度考える機会の場としたら良いのではないかと思ったりしました。科学と宗教が一致した中心、GodとGeometryのGを中心に据えたフリーメイスンリーのシンボルの土地はそんな現代の諸問題の原点に立ち戻ることができる土地かもしれません。

クローンではない羊も沢山いました。実はクローンかもしれませんね。やはりハギスは日本ではなかなか食べられなさそうです。

帰りに驟雨がひとしきりありました。ノアの洪水なのかもしれませんが、もちろんその後また虹を三度見ることになります。
ダヴィンチコードはそういう内容であったと思いますし、それを示した映画であったためあれだけの大ヒットとなったようです。
つまりこのロスリン礼拝堂の建築自体が実務的メイスンリーの思索的メイスンリーへの大きな転換の象徴であり、また当時の実務的メイスンリーが総力を結集して建築した建物であり、それらを統括した貴族のシンクレア家はテンプル騎士団の系譜を引く由緒正しい家系であり、スコットランド国王にも実務的メイスンリーのグランドマスターと認証されており、その書類も私がいくことができなかったエディンバラのNo.1ロッジ、セイントメアリーズチャペルロッジにきちんと残されており、それはそのまま1717年のイングランドグランドロッジの結成後の1736年のスコットランドグランドロッジの結成の際にもシンクレア家からグランドマスターが選出されるという形で引き継がれているという事のようです。
確かに内部の印象はドルイド教とキリスト教の融合であるようでしたが、それはまだ十分に練られていなかった実務的メイスンリーの時代のフリーメイスンリーのロッジの表現であり、確実にこの礼拝堂の建築意図は思索的メイスンリーにおけるソロモン宮殿の象徴となるフリーメイスンリーロッジの建築であり、現存する最古のフリーメイスンリーロッジがこのロスリン礼拝堂という事でした。
直接的にこの礼拝堂がフリーメイスンリーロッジとして設計されているという確信を得たのは他の日本語のロスリン礼拝堂の謎に関するブログで認められた以下の図からでした。

いわゆるダヴィンチコードのローズラインといった際物の流れからこじつけだよと考えてしまっていましたが、どうもトリプルタウの表記にしても三笠公園のアーチもそうですが、やはりスコットランドでキリスト教の宗教改革から思索的メイスンリーに繋がる歴史と、この印象的な漢字の円の形の配置が様々に繋がり、また20世紀に定義されたそうですが黄金比の記号であるφとτの表記からのこのタウ十字のシンボル、またトリプルタウのTHの意味がTemplum Hierosolym, the Temple of Jerusalemエルサレム神殿を意味するというシンボリズムの定義などからも、徒弟と親方の柱のヤキンとボアズの柱との一致、十字に建設する設計であったのが途中で西の壁を象徴的に残していわゆるロッジの形の長方形、ソロモン宮殿の形に仕上げていること、六芒星の配置ははっきりとはわかりませんが恐らくあるのではないかと思いますが、いずれにしても礼拝堂全体がそのままタウ十字の形となり、半分完成された残りが形而上的に建設を予期させる構成となっている意図が読み取れる、まさに実務的メイスンリーから思索的メイスンリーへの転換をそのまま象徴する象徴的ロッジの構成となっているのは間違いないかと思います。
この形を考えると通常は二本の柱がある東側が礼拝堂の正面という構成になっていますが、どうもヤキンとボアズの柱と考えると入口がそちらであり、そこから広い空間とパイプオルガンのある方が正面であり、十字で言えば中心の方角となるようです。そういう位置関係が対称の反転する構成になっているのも徒弟と親方の柱の教訓と似ていて、教訓的な意味がありそうです。また建築途中の形になっている象徴的な西の壁は明らかにエルサレムのソロモン宮殿の残された嘆きの壁を象徴しているものと思われます。全体を十字ではなくタウ十字の構成にしたのもそういう意味だと思われ、そのために柱の配置の円の形のトリプルタウの配置の信ぴょう性が増すかと思われます。トリプルタウについてはSymbolDictionaryの解説が分かりやすいかと思います。
円の配置のトリプルタウの形についてはあとで日銀本店の建物の形との関連で触れようかと思っています。
まあというわけで現地に行った際にはいっさいそんな事を思わなかったロスリン礼拝堂でしたが、日本の賢明なダヴィンチコードからロスリン礼拝堂に興味を持たれた方々のブログの解説のおかげと、前述のダヴィンチコードの元ネタとなった本を書かれたイングランドグランドロッジの役員を務められていたブラザーの書いたテンプル騎士団とフリーメイスンリーを繋ぐ解説をした本との重ね合わせでようやくロスリン礼拝堂の真の意味が理解されてきました。たんなるドルイド教とキリスト教の折衷ではなく、宗教的寛容を含んだエルサレム神殿としての建築を隠された真の目的とした明らかに最初のフリーメイスンリーのロッジの建築であったという事だと思われます。
(どうもローズラインというのも子午線を象徴的にそう語っているだけのようで、いわゆるフリーメイスンリーの子午線のシンボリズムを象徴しているようです。基本的にはダヴィンチコードの内容はヨーロッパの英仏フリーメイスンリーの協力で作成されている、フリーメイスンリーの教えや考え方に則った話の流れのものであるようです。ダヴィンチコードとロスリン礼拝堂について非常に参考になったブログがありました。ローズラインというのはロスリンの語源のようです。ルーズベルトやロスチャイルドの薔薇の野原や薔薇の楯といった語源と同じく、ロスリンの語源が薔薇の線、すなわち薔薇十字や薔薇戦争に認める貴族、王族の血統という事のようです。つまりダヴィンチコードで語られるローズラインやキリストの血筋というのはそういう貴族や王族の血統、一族の誇りというようなものの象徴かと思われます。)
なかなか検索しても良い写真が見つからなかったのですが、YouTubeの方の動画に加えているロスリン礼拝堂とカバラの生命の樹を重ね合わせる動画があると思うのですが、その動画でロスリン礼拝堂の外の彫刻で四福音書のそれぞれ福音書記マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの像とそれぞれの動物が対応してあるようです。

これももちろんこのブログでも取り上げたイングランドグランドロッジの紋章と同じく、新約聖書のそれぞれの解釈を意味しているのかと思いますし、むしろこれがそののちの紋章となったと考えられます。またこの礼拝堂のメインのステンドグラスのキリストの像も違和感があったのですが、どうも上の参考にしたブログによると最後のテンプル騎士団団長のジャックデモレーの火あぶりの状況を写しているのではないかという事でしたが、どうも整合性がとれますのでそのようです。(地下の聖具室のステンドグラスのようで、1954年に新しく入れられたそうです。)イエスの磔はそういうわけですが、ジャックデモレーの火あぶりは史実とされていますから。フリーメイスンリーの青少年の育成機関の名前がデモレーというのはそういうロスリン礼拝堂の建築に繋がる実務的メイスンリーの源流がそうしたテンプル騎士団にあるという事を象徴しているのですね。まだ思索的メイスンリーになる前の実務的メイスンリーのさらに前のテンプル騎士団から後に繋がるという事なのですね。
とまあほとんど他のブログの内容や本のままな訳ですが、いずれにしてもこの礼拝堂が単なる地域の礼拝堂として建てられたわけではなく、そういう後々に世界に広がる近代フリーメイスンリーの発祥の象徴となる建築という事が間違いないというわけなのです。まあ実感としていわゆるフリーメイスンリーの建築というのが恐らく思索的フリーメイスンリーの時代のものと異なるのでしょう、そういうものが無かったので未だに頭では分かっていてもそこまで腑に落ちた感じにはなりませんでしたが、未完成であるとされる意味と西の壁の印象、その外側にまたスコットランドの美しい桜があったことなどが何となく500年前の本当に最初のロッジの教訓として少し感じられた気がしました。
それでは実際に撮って来た地下の部屋や徒弟の柱の写真、他のブログから持ってきた親方の柱の写真、その他の実際に撮った写真を混ぜて解説していきましょう。しかし副題の二重らせんもさえませんね。明らかにエルサレム神殿が適当であったと今は思っています。

納骨堂と呼ばれている地下室への入り口ですね。様々に言われていて地下調査が何度も行われたそうですが、特に他の謎の地下室はないようです。

暗くて写真がとりづらい状況であるわけですが、とにかく天使が聖書を持っているのですね。聖書を読んで天使のようになろうと、天使とは神の使いですね。フリーメイスンリー的に訳すと勉強してフリーメイスンになろうだと思います。

何を持っているんでしょうね。全ての像に意味が込められているのだと思います。

これも良く出てきますがどういう意味なんでしょうね。大鎌とドクロは死の象徴でしょうが、不安定な輪か樽の上に乗った人間は生命の不安定さの象徴なんでしょうか。人生のカリカチュアといった感じでしょうか。

建材のようなものがあります。補修用でしょうか。



この辺はなかなか写真が厳しいですね。フラッシュはたけない状況だしなかなか厳しいです。ちゃんとしたカメラで絞りを最大にしないと駄目でしょうね。

階段を下から見るとこんな感じです。

それでこれがメインとなっている徒弟の柱、アプレンティスピラーです。これは立派ですねえ。正直現地ではこれ以外見る価値があるとは思えないと思うほどでした。

まあ端的に言って四重らせんなんですね。二重らせんの副題は何にも掛っていないことになります。

徒弟が作ったという事はないのでしょうが、この柱が異常に立派で目立つことは明らかですね。調和を壊していると言えるかもしれませんが、造形美という点ではこの柱が素晴らしいですね。やはり私はこの礼拝堂の象徴はこの螺旋の柱であるかと思いました。それはまた自由の象徴でもあるのでしょうね。

これは他のブログから頂いてきた親方の柱、メイスンズピラーですね。弟子と親方の経緯についてはそれを彫刻したものがオルガンの側の右手に彫られているそうです。このブログを参考としました。

これも他のブログのものです。徒弟の柱の方が存在感があるのですね。なかなかフリーメイスンというものの本質に関わる彫刻かもしれません。目立っちゃうのはもうフリーメイスンとして駄目なんですね。ヤキンとボアズの柱の意味もあるのでしょうね。実は通常のこう言う見方ではなく反対から見るのが正しいエルサレム神殿としての通路になるのだと思われます。

メイスンズピラーです。四つの柱を強調しているのでしょうか。四元徳に繋がるのかと思われます。

これも他のブログからのものです。こうして見るとねじれた心をまっすぐにするとかそういう意味もあるのでしょうね。真ん中の柱は他の柱と同じ形です。3本という概念はこの時代あまりなかったのかもしれません。ピラミッドの形やAll Seeing Eyeのような象徴はむしろフランス系カトリックの内部から伝達されたのかもしれません。4の数が四元徳や四元素などから聖数とする発想は実はギリシア時代からあり古いのですね。恐らくこの礼拝堂はそちらのネオプラトニズムの系統の多神教的なギリシアの影響が強いのかと思われます。四福音書記者の像や天使の配列などがそれらの象徴だと思われます。


ロスリン礼拝堂の検索で最初に出てくるブログからお借りしています。このロスリン礼拝堂の検索で出てくるブログも非常に個性的なものが多いのですが、まあダヴィンチコードの流行った時代というかそういうのがとても良く反映されていてなんというかどのブログも読んでしまうというか、明らかにフリーメイスンであったりフリーメイスンリーを強く意識したものはビジネス系の方が多いようですが、やはりロンドンやニューヨークといった英米の大都市でビジネスや生活をしているのが長い方はフリーメイスンリーを意識する事が非常に普通であるようです。で、上記の写真は七つの大罪と七つの徳を一つ取り違えて表記しているというものなのですが、意味はどうなんでしょう。CharityとGreedが取り違えているという事で、まあ良くあることなんじゃないでしょうか。強欲と慈悲は裏腹であるという教訓なんじゃないでしょうか。ロスリン礼拝堂にわざわざ礼拝に来るようなお金持ちのビジネスマンには非常に印象的なものとなるのではないでしょうか。美徳と罪は分かち難しみたいなもんで、あれは誤訳でしたか美徳と死は分かち難しなんてのもそういう意味もあるのかもしれません。
さて良い写真が他のブログに多いのでそれを利用させて頂いていますが、この後は外側です。

これも他のブログのものです。私が訪問した時はこちら側を補修していました。中心がシンクレア家のギザギザのついた十字のようです。周囲が四福音書の聖書記者とその他はちょっとわかりません。良く見ると三段重ねのピラミッドがありました。ここが唯一フリーメイスンリーっぽい所でしょうか。この部分は西側なのですが恐らく増設部分なんだと思われます。

以前はこうして外構部分を見学するように足場が据えられていたのですね。まあそれほど貴重な感じではなく地方の大事なおらが村の礼拝堂であったというところでその補修保存のために一生懸命開放して見えるように公開していたのですね。ダヴィンチコードブーム前後の推移が分かります。全体を見ると明らかに東側から旧約聖書部分のエルサレム神殿となっていて、その最後が西壁の嘆きの壁になっていて、増築部分に四福音書記者とフリーメイスンリーを示すピラミッドとまさに聖書そのものの構成になっていることが印象されるのではないでしょうか。

嘆きの壁を模したような形が非常に良く分かるかと思います。そこに十字と四福音書とピラミッドがあるというまさにフリーメイスンリーの教えをそのまま聖書の通読に求める建物自体が聖書のストーリーそのものを象徴的に示している、テンプル騎士団と宗教改革の源流となるスコットランドの独立貴族の守り伝えた精神の核を象徴した建築なのだと思われます。

これは外構ではなく内部の写真で、英語版ウィキペディアのロスリン礼拝堂にある写真で、いわゆるテンプル騎士団がコロンブスの新大陸発見前にアメリカ大陸に行きついてトウモロコシを発見していたという証拠とされる、maizeとイギリス英語では表現されるようですがそういう植物の形をした装飾です。まあどうなんでしょうね。恐らくシンクレア家がそういうのであればそうなのでしょう。テンプル騎士団とフリーメイスンリーについて書いた本によればシンクレア家の血気あふれる相続者がグリーンランドまで冒険した記録はあるそうですし、それ以上にメキシコ辺りまで行ったという伝承もあるそうです。もしかすると冒険者の中心的な貴族は途中で引き返してもそれ以外の元気な随行者がアメリカ大陸までいってその後ジョン万次郎のように密かに帰国して概要を貴族や司祭を通してカトリックのネットワークなどで情報を伝達していたという事実はあるかもしれません。大航海時代とはそういう時代であったのだと思います。そもそもコロンブスもポーランドなどの王族の御落胤であったこともかなり信ぴょう性があるようですし、コロンブスの行動自体も月探査や日本の開国のように相当のバックグラウンドの情報を持っていて行われたと考えるのは当然なのだと思われます。まあその後のアメリカの歴史を考えても、まさにフリーメイスンリーの発祥の地にふさわしい彫刻であるかもしれません。

これは私が写真を撮って来たものですね。良い天気ですね。桜を配置しているんですが、まあいまいちですね。

外構のピラミッドが強調されているのですね。足場があるときはそれを強調していたのだと思われます。まあなかなか難しいですね。

これは西側の壁でしょうか。見るからに嘆きの壁の形ですね。十字にする途中でタウ十字の形で終わる教会は他にないでしょうし、西側に壁をこれだけもつものもそれだけないでしょうね。

これも桜と芝ですが、まあちょっといまいちですね。十字の半分がこちらになるわけです。自然主義でしょうかねえ。思索的メイスンリーです。

まあ桜も芝も綺麗でした。このロスリン礼拝堂のすぐ近くにロスリン城の跡があるそうですが、私は行きそびれてしまいました。ちょうど高齢者の集団が恐らくそのロスリン城の方向から来たのですが、私は結局バス停の場所を聞いてバス停の方に戻ってしまいました。シンクレア家の関係の管理者が住んでいるそうですが、そういう色々なあれもあるのかもしれません。シンクレア家も3人ほどスコットランドグランドロッジのグランドマスターを務めているそうですし、それだけの名家ですからなかなか色々あるようです。エリザベス女王でも最近になってフリーメイスンリーの女性団体の看護を受けた位な訳ですしまあイングランドフリーメイスンリーはまさに清教徒革命、名誉革命の成果を現代に引き継いでいるわけですので深いです。

シンクレア家の記念碑だそうです。

この部分を補修しているのも意味があるのでしょうね。

まあ十字の足りない部分に樹木があるのもまさにユダヤ教そのものかと思われます。樹木の記念日もそういう意味です。

これだけ勉強してからこの解説も読むと面白いのでしょうが、この当時はとにかく閉館間際で写真だけさっさと撮っていこうと撮ったのですね。スコットランドグランドロッジでもロスリン礼拝堂の設計図を売っていたのですが、今なら欲しいですね。

面白いですねえ。これだけ勉強してからこう言う解説を読むと非常に面白いです。

いいですねえ。ミニチュアが欲しくなります。

石の形で音響が生じる波紋と同じなどとして音楽を作ったりしたようです。良く分からずにイメージソングかと思ってCDを買ったりしてしまいましたが、解説した動画がありました。参照してください。この写真とは直接関係はありませんね。

完全にピンボケで読めませんね。

何度も同じ解説を写真に撮っているのですね。

資金難かどうかはわかりませんが、確かに十字に建築しようとしていたようです。しかしなかなか大した建築ですねえ。十字の規模になっていたらセントポール大聖堂以上の建築かもしれませんね。

これは外の写真ですね。もしかすると入館前に撮ったのかもしれません。

この横の建物がかつての巡礼者の宿であったようです。通路を撮っているのですかね。

外から撮ったロスリン礼拝堂です。そんなに重要なもんじゃないですよね。

これは他のブログにもたくさん出てますが、最新の状況のチケット売り場とお土産屋、カフェの併設した建物です。まさにスタバみたいですが、パーフェクトアシュラーの形の植木鉢や三段の形になった壁、直角定規の形の屋根などシンボリズムは踏襲しているようです。まあとにかく天気でよかったというところでしょうか。このお土産屋さんは前回触れたように沢山のお土産が売っているのですが、一番驚いたのがフリーメイスンリーのシンボルのキーホルダーを売っているところでした。インターネットでも買えますが、古今東西で教会で観光地の場所でフリーメイスンリーのシンボルのキーホルダーを売っているところはここだけかと思います。実質的なスコットランド、イギリス、世界中のフリーメイスンリーの最初のロッジであり、最初のグランドロッジである場所かと思い、恐らくそういう場所はここだけなのだと思われます。キーホルダーを買えたらフリーメイスンの認証かもしれませんね。

3が消えて4が出ているところがこの時代の実務的メイスンリーを象徴しているのかもしれません。これだけだといわゆる実務的メイスンリーの認証は出来るが思索的メイスンリーの認証ではないと。まあそんな感じじゃないでしょうか。

かつての旅人の宿舎であったらしい小屋です。1660だと微妙にそれっぽくないですが、恐らく番地なんでしょうね。

宿舎の解説ですが、ブラザーロバート・バーンズやブラザーウォルター・スコットの名前も出ているようです。スコットランドのフリーメイスンが必ず訪問する隠れグランドロッジのような存在なのではないでしょうか。

どうもこの先にあるのがロスリン城のようですが、この時はもう帰る事ばかり考えていて城を見る時間はあったのですが見損なってしまいました。なかなか一日以上は掛けてゆっくりと堪能するのがロスリンの正しい訪問の仕方のようです。

こちらはほとんどバス停のT字路にある休業中のホテルです。恐らくダヴィンチコードバブルの時は繁盛したのでしょうね。何ともさびしい感じですが、大ヒットの余波は大体こういうものです。

ここから後がこのブログの真骨頂でしょうかね。T字路のところに二軒ホテルがありますが一軒しか営業していません。

バス停のところに貼ってあった告知です。何やらロスリンの文化が感じられます。

これはちょっとT字路から離れた教会近くの売家です。なかなか良いお宅です。管理が大変そうです。

コンドミニアムみたいな感じなんでしょうか。横須賀で言うと馬堀海岸の連なった家のようです。

そしてこれが注目のカトリック教会です。ロスリン礼拝堂より明らかに立派で人々が日曜礼拝に参列する姿が目に浮かぶ地域の信頼厚い教会という感じです。どうもロスリン礼拝堂でダヴィンチコードで町おこししたお金はカトリック教会の整備に使われていそうな雰囲気です。三位一体の形やピラミッドの形など明らかにロスリン礼拝堂を意識していながらそれよりもキリスト教的な整然とした対称的な形が印象的です。

ここは十字架が何のケレンミもなく象徴としてあります。実際英王室も半分くらいはカトリックに改宗していたりと、英国王にしても英国国教会の首長であってもやはりキリスト教界の序列ではカトリックの教皇がトップでありやはりキリスト教といえばカトリックなのですね。こういうところが宗教とは異なるフリーメイスンリーで宗教的な寛容が特徴であっても、キリスト教カトリックの例えばイエズス会に象徴されるような宗教としての信仰心の篤さや組織の固さはやはりカトリックなのだと思わされます。前教皇のベネディクト16世はヒトラーユーゲント出身でありましたが、現在の教皇フランシスコはフリーメイスンリーの盛んなアルゼンチンの出身であり、フリーメイスンリーロッジを訪問する姿もフェイスブックの写真であったりとカトリックとしてもフリーメイスンリーの活動に寛容であるようですがまた一方ではこうしたフリーメイスンリーの本場のスコットランドでもこうした教会の人気があったりします。なかなか時代は変わっていきます。

バス停の近くのお土産屋さんはロスリン礼拝堂の観光客を目当てにしているのか、様々な石や六芒星のようなシンボル、仏像のような様々な印象的なお土産を置いていました。

バス停のすぐ先にフリーメイスンリーのロッジがありました。

こちらにもやはりイベントの告知がありました。誰も人がいなかったのでフリーメイスンと直接会う事はありませんでした。

バスは30分に一本くらいだったでしょうか。これは帰りにバスから撮ったエディンバラ大学のロスリン研究所です。クローン羊のドリーを作成して世界的に話題になった場所です。副題ともしましたが人類の遺伝子の二重らせんを引き継ぐ永劫の取り組みは現代でも変わることなく行われ、それを象徴するのがこのロスリンの地、ローズラインの地という事で良いのかと思います。生命科学の研究者や臨床医学、基礎医学に携わる人は是非一度訪問して生命倫理、我々が引き継いで受け渡していく生命の繋がりを今一度考える機会の場としたら良いのではないかと思ったりしました。科学と宗教が一致した中心、GodとGeometryのGを中心に据えたフリーメイスンリーのシンボルの土地はそんな現代の諸問題の原点に立ち戻ることができる土地かもしれません。

クローンではない羊も沢山いました。実はクローンかもしれませんね。やはりハギスは日本ではなかなか食べられなさそうです。

帰りに驟雨がひとしきりありました。ノアの洪水なのかもしれませんが、もちろんその後また虹を三度見ることになります。
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