FREEMASONRY
Blue Lodge, Scottish Rite & York Rite in Japan
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さてのんきな旅ブログなんですが、回るのは主に教会が多く、それも日本人には縁遠い宗教改革やら何やらという事で、まあ日本の神社や寺めぐりとはちょっと若干異なる、西欧の血塗られたキリスト教の歴史の実地見学であり、特に生活の中でキリスト教を感じたことが無かった典型的日本人としてはフリーメイスンリーの眼鏡を通してキリスト教を見てみても、どうもまたなかなか腑に落ちないというか人ごとというかそういう感じの、いわゆる日本人の観光でしょうか。
日本でもキリスト教布教の最大の死没地である島原や、その後の原爆投下もあった長崎などはそういう因襲を感じる土地となるのかもしれませんが、日本において本質的な意味での宗教改革は本格的にプロテスタントが伝わって来た明治維新後という事になるかと思い、結果的にその後の最大の戦役による死は東京大空襲を始めとした第二次世界大戦の死であり、戦後にフリーメイスンリーが普及するわけですが、それが真に日本人に宗教改革の波として捉えられてきたかは疑問であります。
まあおよそ500年前に主に北ドイツのルターやカルバンを始祖として始まったプロテスタント運動なわけですが、そのバックグラウンドとしてもちろん十字軍運動やイスラム教との接触、モンゴル人の襲来などがあるわけで、それにプラス大航海時代のマルコポーロやスペインやポルトガルのバスコ・ダ・ガマやイエズス会の活動、コロンブスの新大陸の発見などがあるわけで、これにはテンプル騎士団なども関係あるという事も言われていたりなど、とにかくキリスト教会のネットワークを中心として様々ないわゆる異教徒世界との接触を通して信仰における聖書解釈の自然回帰が図られた結果であるわけです。ルターも生年月日がもちろんユリウス歴ですが1483年11月10日 - 1546年2月18日という事で、その後各地で数多くの宗教対立による死者を出した宗教改革であってもその始原からカトリックによる明確なシンボリズムが存在する事になるのだと思われます。ロスト・シンボルでも扱われていたデューラーのメランコリアにしてもまさにこの時期の北ドイツのルネサンスを代表する作品であり、フリーメイスンリーで現在扱われる数多くのシンボリズムが描かれたものであり、またダ・ヴィンチ・コードでも出てくるダ・ヴィンチの作品の多くもまさにこの宗教改革の前提となる時代のカトリック中枢の司教達の依頼で描かれた作品ばかりであり、当時のカトリック中枢でのイエス・キリスト、ローマカトリック信仰の理解を示したものであるかと思われます。
この様に例え表面上は新しい思想と古い思想の対立のように思われる宗教対立であっても、本質的には情報の伝播、当時の情報の中心地であるローマカトリックからの情報の分散化、真実の拡散というのが宗教改革と呼ばれるものの実体であり、それはまさに現在も進行中である情報革命と同じ情報の共有化、真実の拡散であるのかと思われます。
日本においても明治維新において廃仏毀釈のような出来事があり、また戦前戦後においては神道の改革や上述の長崎への原爆投下のような事がありましたが、実際には横須賀のような重点地域を別としてキリスト教の布教のような形はそれほど浸透せず、むしろ情報革命に認められるようなマスメディアを中心とした宗教的影響の排除を表面上の動きとしたフリーメイスンリーの浸透という政策が取られたものかと思われます。そして真空状態となった日本人の心の中に上述のような情報化社会の糧としてダ・ヴィンチ・コードやロスト・シンボルのような西欧の宗教改革を瞬時にもたらすエッセンスがもたらされているのかと思います。日本人にとってキリスト教の伝播やフリーメイスンリーを体感する事は地理的要素からも飛行機で一日で変わる世界を見聞きしてすぐに体に理解できる類のものではないものかと思われます。1000年以上に渡って日本人が育んできた宗教観、神道や仏教に基づいた生活は建国以来の災禍があったとしても依然日本人の生活の基盤を成すものであり、どんなにテレビや新聞が新しい考えを普及させる事に熱心だとしても実際にキリスト教が生活に影響する事は多くなく、それはまさに英語が日本に浸透しないことに近いかと思われます。しかしながら特にインターネットを中心とした双方向メディアの出現は急速に今日の国際化社会を醸し出し、フリーメイスンリーの考え方の広がりと、その根底にあるユダヤ教とキリスト教の考え方の接近を可能にしている事かと考えます。それはまた同時に旧来の日本的生活や社会との齟齬を明らかに生じるものでもあるわけですが、それをどのように可能にするかというのがまさにこのブログの命題といえるところであるかと思います。情報が十分に与えられたとしてそれをどのように生活に活かすかというのはまさに個々人の判断であり、個々人の資質になるのかと思います。誰もがフリーメイスンになる可能性がありながらも誰もが成れるわけではないというのはまさにこのことを示していると思います。
聖書はキリスト教、ユダヤ教における聖典であり、それは仏教においては仏典、神道においては祝詞やその他の宗教行事等全てとなるわけですが、そうした宗教的教えを生活の中で知恵として活かしていくことそのものがフリーメイスンリーの教えであり、知恵となるわけです。宗教改革はまさにこの聖書を読んで原典に触れ、そこに書かれた意味をそれぞれの個人の解釈に委ねるというのがまさにカトリックが火を付けた宗教改革の原点であり、それは本質的な意味での今日における情報の開示、秘密の暴露というものかと思われ、今日の日本においてこうした情報の開示、秘密の暴露というものが十分に行われているかというと相当な疑問であるかと思います。まさに今年のブームであった伊勢神宮の遷宮にしても、今日の日本の行政府にしても、仏典や宗教団体に関する活動にしても日本においてこうした宗教改革に匹敵する情報の公開や秘密の暴露といったものが行われているとは思われません。そういうわけで日本に500年前の西欧でルネサンスを巻き起こし、その後の科学思考の発達を促した宗教改革の精神はまだ到達していないと思われます。それはこうしたインターネットを中心とした情報革命が可能にするかもしれませんが、第一には単純に西欧の宗教改革と同じく聖書を通読してそれを体験して同じ勉強法を行うという事が最大の近道であるのだと思われます。
まさにフリーメイスンリーとはそうした勉強法であり、そうしたキリスト教やユダヤ教の知恵であるのだと思われます。
さてではまたまた能書きが長くなりましたが旅ブログのセント・アンドルーズの訪問記です。

鉄道はその後のロンドンへの移動でも乗ったような同じような車両でしょうか。ウィンザー城に移動で使ったものとは異なるかと思います。日本で日立が作っていると宣伝しているような形であったと思います。日本で言うと成田エクスプレスみたいな感じでしょうか。この写真は沿線にあった運動用のスタジアムのようで、地図で調べるとラグビー用のスタジアムのようです。エディンバラからルーカス駅までは片道13.10ポンドとイギリス国立鉄道のホームページは出ていました。ちょうど1時間3分となっています。



これはあんまり考えていなかったのですが、エディンバラ近郊のかなり有名な絶景スポットであるフォースブリッジの上を列車で通過したのですね。他の場所からこの橋を見るのが美しいとされる風景であるそうです。参考にいくつか写真をおきます。





まあなかなか美しい橋のようですが、いきなり列車で越えてしまうと見る事は出来ませんね。Wikipediaの該当ページをリンクしておきます。もちろん設計者はそれぞれフリーメイスンかと思われます。




美しい海岸線です。日本で特に神奈川県にいるとこういう美しい海岸線があると誰も人がいないのが不思議でなりません。明らかに旅客船が優雅に北海を移動しています。なかなか悲しい習性というところでしょうか。誰も人がいないのが不思議でなりません。

家も綺麗に並んでいます。気候は冬なんかは厳しいんでしょうが、いったいどんな家族が暮らしているのか想像もできないような感じでしょうか。


馬や羊がのんびりと草を食べています。まさに英国という感じでしょうかねえ。



一時間ほどで着きましたが、なんとセント・アンドルーズに最も近い駅のルーカスは予想外に無人駅でした。観光客もほとんどいないような雰囲気で、地元の人が普通に使っている感じでしょうか。バスが確かエディンバラより高く4-5ポンドだったと思いますが、タクシーだったら10ポンド以上かかると言われてバスにします。オールドコースに行くバスに乗ると皆同じセント・アンドルーズのバスターミナルに行きます。バスは20‐30分でしょうか。ちょっと不安ですが、景色が非常にのんびりしているのでまあなごみます。まさにあのミステリーサークルの舞台な感じでしょうか。

バスターミナルのすぐ近くにある教会はちょうど改修中でした。どうもなんかイギリスの建物は皆一斉に改修中のような印象でしょうか。ロンドン五輪から引き続いたダヴィンチ・コードバブルやこのブログのような影響で観光による資本が一斉に充実している感じでしょうか。まあ街の中心にある教会なのでプロテスタント系で六芒星が認められるようです。ピラミッドと六芒星が特徴でしょうか。




あまりにぎわっているとは言い難い商店街のようなメインロードを抜けるとセント・アンドルーズ聖堂、正確には聖堂跡があります。この時に雹のようなものがわずかに降ったりしましたが、すぐに晴れてきました。なかなか北海沿岸という事でゴルフコースとしても難易度が高いことが有名ですが、いわゆるロンドンの天気なんかよりもさらに天候が変わりやすく、通り雨が多い気候であるようです。町並みは地中海のイタリアの古い町のように歴史を感じさせるのですが、とにかく車社会なのか駐車してある車が多い印象です。また古本屋とカフェが大学があるせいか多い印象でした。普通に生活がしやすそうな感じは全くない感じでしょうか。大学とゴルフだけの町というのが実際だと思います。それ以外は漁業と農業くらいしかないのだと思われます。街中にも明らかなフリーメイスンリーのシンボリズムは認めませんでした。この長老派教会の太陽十字のシンボルがそれというところでしょうか。







残念ながらというか、ウィキペディアの写真そのものの光景が広がっています。天気も良く、海沿いという事もあって風もそれなりに強く、まあなんというか期待通りというかそのままというか、まさに廃墟という感じでした。かつての司教座があったスコットランド最大の教会であったのが宗教改革の過程でプロテスタントの指導者を司教が火あぶりの刑にした結果その後破壊されたというまさに宗教改革の象徴の廃墟であるためか、その後墓地として利用されてもフリーメイスンリーを象徴するオベリスクなどのシンボリズムは少ないようです。

海もビックリするほどきれいというわけではなく、岸壁沿いは潮の関係か濁っています。波はそれほど強くありませんが、風が強いので飛沫が強く、海を見て落ち着くという感じではありません。魚や鳥がいて活動しているという感じでもありません。海の感じも違うんですね。



かつての教会の内部なんですが、青空の墓地となっています。まあそもそもウェストミンスター寺院でもほぼ墓地となっているので、あちらの宗教観としても教会が廃墟となっていても墓地が一緒になっているのは特に大きな齟齬は無いようです。単に教会が廃墟となっているのは宗教改革の象徴なのでしょうね。

まあカトリックの教会というわけではないんですが、実際フリーメイスンリーのシンボルは少ないのでわずかにあるオベリスクの墓を撮っていきます。


建物はまあこんな感じです。

薔薇ですかね。

夭逝を表す折れた石柱でしょうか。ロスリン礼拝堂の螺旋の柱のようなデザインでしょうか。恐らくフリーメイスンなんでしょうね。

オールドカールトン墓地とはだいぶ雰囲気が違いますね。完全にフリーメイスンの方が少数派の感じでしょうか。




オベリスクもいくつかありますが非常に申し訳なさそうな感じであります。

ざっと見てもオベリスクや太陽十字は少ない印象でしょうか。なかなか宗教改革の実際というところでしょうか。

折れた石柱も何個かありました。ブラザーモーツァルトの墓もそうですが、カトリックのフリーメイスンの象徴なのかもしれません。


大天使の形の墓もありますが、やはりカトリックなのでしょうね。ちょうどカモメが飛んできたので撮りました。

こちらはゴルフプレイヤーで近代ゴルフの父とも称されるトム・モリス親子の墓だそうです。シンボリズムが無いのでフリーメイスンではなさそうですが、栄光の後に数奇な人生をたどったそうで、フリーメイスンリーとは近かったことは確かなようです。

塔を色々な角度からとっています。

フリーメイスンらしい墓はこれ位でしょうか。



カモメが飛んだり歩いたりしていました。回廊の様子がかつての教会の威容を現していましたが、それだけの建築を破壊して放置してしまうとはすごいエネルギーであったのでしょうね。しかしフリーメイスンリーの墓がそれほどなく、恐らくカトリックの方の墓が多いことはその宗教改革の反動も大きかったという事なのでしょう。後の清教徒革命や名誉革命に生かされ、結果としてフランス革命の際のブラザーエドマンド・バーグによる「フランス革命の省察」へと繋がるのかと思われます。宗教改革と教会による布教や影響力は表裏一体であり、それは現代のフリーメイスンリーの影響とも関係しているのだと思われます。宗教的自由と宗教による影響は表裏一体であり、無宗教と宗教的生活も実は非常に密接なものだという事が感じ取れるようなものでしょうか。いわゆるフリーメイスンリーでは白黒のモザイクや二元論のヤキンとボアズで示されるものかと思われます。
一応分割して3つに構成しようかと思っていますが、2つになるかもしれません。まあいずれにしてもゴルフにしても大学にしても宗教改革にしても聖地である事は確かなのだと思われます。
日本でもキリスト教布教の最大の死没地である島原や、その後の原爆投下もあった長崎などはそういう因襲を感じる土地となるのかもしれませんが、日本において本質的な意味での宗教改革は本格的にプロテスタントが伝わって来た明治維新後という事になるかと思い、結果的にその後の最大の戦役による死は東京大空襲を始めとした第二次世界大戦の死であり、戦後にフリーメイスンリーが普及するわけですが、それが真に日本人に宗教改革の波として捉えられてきたかは疑問であります。
まあおよそ500年前に主に北ドイツのルターやカルバンを始祖として始まったプロテスタント運動なわけですが、そのバックグラウンドとしてもちろん十字軍運動やイスラム教との接触、モンゴル人の襲来などがあるわけで、それにプラス大航海時代のマルコポーロやスペインやポルトガルのバスコ・ダ・ガマやイエズス会の活動、コロンブスの新大陸の発見などがあるわけで、これにはテンプル騎士団なども関係あるという事も言われていたりなど、とにかくキリスト教会のネットワークを中心として様々ないわゆる異教徒世界との接触を通して信仰における聖書解釈の自然回帰が図られた結果であるわけです。ルターも生年月日がもちろんユリウス歴ですが1483年11月10日 - 1546年2月18日という事で、その後各地で数多くの宗教対立による死者を出した宗教改革であってもその始原からカトリックによる明確なシンボリズムが存在する事になるのだと思われます。ロスト・シンボルでも扱われていたデューラーのメランコリアにしてもまさにこの時期の北ドイツのルネサンスを代表する作品であり、フリーメイスンリーで現在扱われる数多くのシンボリズムが描かれたものであり、またダ・ヴィンチ・コードでも出てくるダ・ヴィンチの作品の多くもまさにこの宗教改革の前提となる時代のカトリック中枢の司教達の依頼で描かれた作品ばかりであり、当時のカトリック中枢でのイエス・キリスト、ローマカトリック信仰の理解を示したものであるかと思われます。
この様に例え表面上は新しい思想と古い思想の対立のように思われる宗教対立であっても、本質的には情報の伝播、当時の情報の中心地であるローマカトリックからの情報の分散化、真実の拡散というのが宗教改革と呼ばれるものの実体であり、それはまさに現在も進行中である情報革命と同じ情報の共有化、真実の拡散であるのかと思われます。
日本においても明治維新において廃仏毀釈のような出来事があり、また戦前戦後においては神道の改革や上述の長崎への原爆投下のような事がありましたが、実際には横須賀のような重点地域を別としてキリスト教の布教のような形はそれほど浸透せず、むしろ情報革命に認められるようなマスメディアを中心とした宗教的影響の排除を表面上の動きとしたフリーメイスンリーの浸透という政策が取られたものかと思われます。そして真空状態となった日本人の心の中に上述のような情報化社会の糧としてダ・ヴィンチ・コードやロスト・シンボルのような西欧の宗教改革を瞬時にもたらすエッセンスがもたらされているのかと思います。日本人にとってキリスト教の伝播やフリーメイスンリーを体感する事は地理的要素からも飛行機で一日で変わる世界を見聞きしてすぐに体に理解できる類のものではないものかと思われます。1000年以上に渡って日本人が育んできた宗教観、神道や仏教に基づいた生活は建国以来の災禍があったとしても依然日本人の生活の基盤を成すものであり、どんなにテレビや新聞が新しい考えを普及させる事に熱心だとしても実際にキリスト教が生活に影響する事は多くなく、それはまさに英語が日本に浸透しないことに近いかと思われます。しかしながら特にインターネットを中心とした双方向メディアの出現は急速に今日の国際化社会を醸し出し、フリーメイスンリーの考え方の広がりと、その根底にあるユダヤ教とキリスト教の考え方の接近を可能にしている事かと考えます。それはまた同時に旧来の日本的生活や社会との齟齬を明らかに生じるものでもあるわけですが、それをどのように可能にするかというのがまさにこのブログの命題といえるところであるかと思います。情報が十分に与えられたとしてそれをどのように生活に活かすかというのはまさに個々人の判断であり、個々人の資質になるのかと思います。誰もがフリーメイスンになる可能性がありながらも誰もが成れるわけではないというのはまさにこのことを示していると思います。
聖書はキリスト教、ユダヤ教における聖典であり、それは仏教においては仏典、神道においては祝詞やその他の宗教行事等全てとなるわけですが、そうした宗教的教えを生活の中で知恵として活かしていくことそのものがフリーメイスンリーの教えであり、知恵となるわけです。宗教改革はまさにこの聖書を読んで原典に触れ、そこに書かれた意味をそれぞれの個人の解釈に委ねるというのがまさにカトリックが火を付けた宗教改革の原点であり、それは本質的な意味での今日における情報の開示、秘密の暴露というものかと思われ、今日の日本においてこうした情報の開示、秘密の暴露というものが十分に行われているかというと相当な疑問であるかと思います。まさに今年のブームであった伊勢神宮の遷宮にしても、今日の日本の行政府にしても、仏典や宗教団体に関する活動にしても日本においてこうした宗教改革に匹敵する情報の公開や秘密の暴露といったものが行われているとは思われません。そういうわけで日本に500年前の西欧でルネサンスを巻き起こし、その後の科学思考の発達を促した宗教改革の精神はまだ到達していないと思われます。それはこうしたインターネットを中心とした情報革命が可能にするかもしれませんが、第一には単純に西欧の宗教改革と同じく聖書を通読してそれを体験して同じ勉強法を行うという事が最大の近道であるのだと思われます。
まさにフリーメイスンリーとはそうした勉強法であり、そうしたキリスト教やユダヤ教の知恵であるのだと思われます。
さてではまたまた能書きが長くなりましたが旅ブログのセント・アンドルーズの訪問記です。

鉄道はその後のロンドンへの移動でも乗ったような同じような車両でしょうか。ウィンザー城に移動で使ったものとは異なるかと思います。日本で日立が作っていると宣伝しているような形であったと思います。日本で言うと成田エクスプレスみたいな感じでしょうか。この写真は沿線にあった運動用のスタジアムのようで、地図で調べるとラグビー用のスタジアムのようです。エディンバラからルーカス駅までは片道13.10ポンドとイギリス国立鉄道のホームページは出ていました。ちょうど1時間3分となっています。



これはあんまり考えていなかったのですが、エディンバラ近郊のかなり有名な絶景スポットであるフォースブリッジの上を列車で通過したのですね。他の場所からこの橋を見るのが美しいとされる風景であるそうです。参考にいくつか写真をおきます。





まあなかなか美しい橋のようですが、いきなり列車で越えてしまうと見る事は出来ませんね。Wikipediaの該当ページをリンクしておきます。もちろん設計者はそれぞれフリーメイスンかと思われます。




美しい海岸線です。日本で特に神奈川県にいるとこういう美しい海岸線があると誰も人がいないのが不思議でなりません。明らかに旅客船が優雅に北海を移動しています。なかなか悲しい習性というところでしょうか。誰も人がいないのが不思議でなりません。

家も綺麗に並んでいます。気候は冬なんかは厳しいんでしょうが、いったいどんな家族が暮らしているのか想像もできないような感じでしょうか。


馬や羊がのんびりと草を食べています。まさに英国という感じでしょうかねえ。



一時間ほどで着きましたが、なんとセント・アンドルーズに最も近い駅のルーカスは予想外に無人駅でした。観光客もほとんどいないような雰囲気で、地元の人が普通に使っている感じでしょうか。バスが確かエディンバラより高く4-5ポンドだったと思いますが、タクシーだったら10ポンド以上かかると言われてバスにします。オールドコースに行くバスに乗ると皆同じセント・アンドルーズのバスターミナルに行きます。バスは20‐30分でしょうか。ちょっと不安ですが、景色が非常にのんびりしているのでまあなごみます。まさにあのミステリーサークルの舞台な感じでしょうか。

バスターミナルのすぐ近くにある教会はちょうど改修中でした。どうもなんかイギリスの建物は皆一斉に改修中のような印象でしょうか。ロンドン五輪から引き続いたダヴィンチ・コードバブルやこのブログのような影響で観光による資本が一斉に充実している感じでしょうか。まあ街の中心にある教会なのでプロテスタント系で六芒星が認められるようです。ピラミッドと六芒星が特徴でしょうか。




あまりにぎわっているとは言い難い商店街のようなメインロードを抜けるとセント・アンドルーズ聖堂、正確には聖堂跡があります。この時に雹のようなものがわずかに降ったりしましたが、すぐに晴れてきました。なかなか北海沿岸という事でゴルフコースとしても難易度が高いことが有名ですが、いわゆるロンドンの天気なんかよりもさらに天候が変わりやすく、通り雨が多い気候であるようです。町並みは地中海のイタリアの古い町のように歴史を感じさせるのですが、とにかく車社会なのか駐車してある車が多い印象です。また古本屋とカフェが大学があるせいか多い印象でした。普通に生活がしやすそうな感じは全くない感じでしょうか。大学とゴルフだけの町というのが実際だと思います。それ以外は漁業と農業くらいしかないのだと思われます。街中にも明らかなフリーメイスンリーのシンボリズムは認めませんでした。この長老派教会の太陽十字のシンボルがそれというところでしょうか。







残念ながらというか、ウィキペディアの写真そのものの光景が広がっています。天気も良く、海沿いという事もあって風もそれなりに強く、まあなんというか期待通りというかそのままというか、まさに廃墟という感じでした。かつての司教座があったスコットランド最大の教会であったのが宗教改革の過程でプロテスタントの指導者を司教が火あぶりの刑にした結果その後破壊されたというまさに宗教改革の象徴の廃墟であるためか、その後墓地として利用されてもフリーメイスンリーを象徴するオベリスクなどのシンボリズムは少ないようです。

海もビックリするほどきれいというわけではなく、岸壁沿いは潮の関係か濁っています。波はそれほど強くありませんが、風が強いので飛沫が強く、海を見て落ち着くという感じではありません。魚や鳥がいて活動しているという感じでもありません。海の感じも違うんですね。



かつての教会の内部なんですが、青空の墓地となっています。まあそもそもウェストミンスター寺院でもほぼ墓地となっているので、あちらの宗教観としても教会が廃墟となっていても墓地が一緒になっているのは特に大きな齟齬は無いようです。単に教会が廃墟となっているのは宗教改革の象徴なのでしょうね。

まあカトリックの教会というわけではないんですが、実際フリーメイスンリーのシンボルは少ないのでわずかにあるオベリスクの墓を撮っていきます。


建物はまあこんな感じです。

薔薇ですかね。

夭逝を表す折れた石柱でしょうか。ロスリン礼拝堂の螺旋の柱のようなデザインでしょうか。恐らくフリーメイスンなんでしょうね。

オールドカールトン墓地とはだいぶ雰囲気が違いますね。完全にフリーメイスンの方が少数派の感じでしょうか。




オベリスクもいくつかありますが非常に申し訳なさそうな感じであります。

ざっと見てもオベリスクや太陽十字は少ない印象でしょうか。なかなか宗教改革の実際というところでしょうか。

折れた石柱も何個かありました。ブラザーモーツァルトの墓もそうですが、カトリックのフリーメイスンの象徴なのかもしれません。


大天使の形の墓もありますが、やはりカトリックなのでしょうね。ちょうどカモメが飛んできたので撮りました。

こちらはゴルフプレイヤーで近代ゴルフの父とも称されるトム・モリス親子の墓だそうです。シンボリズムが無いのでフリーメイスンではなさそうですが、栄光の後に数奇な人生をたどったそうで、フリーメイスンリーとは近かったことは確かなようです。

塔を色々な角度からとっています。

フリーメイスンらしい墓はこれ位でしょうか。



カモメが飛んだり歩いたりしていました。回廊の様子がかつての教会の威容を現していましたが、それだけの建築を破壊して放置してしまうとはすごいエネルギーであったのでしょうね。しかしフリーメイスンリーの墓がそれほどなく、恐らくカトリックの方の墓が多いことはその宗教改革の反動も大きかったという事なのでしょう。後の清教徒革命や名誉革命に生かされ、結果としてフランス革命の際のブラザーエドマンド・バーグによる「フランス革命の省察」へと繋がるのかと思われます。宗教改革と教会による布教や影響力は表裏一体であり、それは現代のフリーメイスンリーの影響とも関係しているのだと思われます。宗教的自由と宗教による影響は表裏一体であり、無宗教と宗教的生活も実は非常に密接なものだという事が感じ取れるようなものでしょうか。いわゆるフリーメイスンリーでは白黒のモザイクや二元論のヤキンとボアズで示されるものかと思われます。
一応分割して3つに構成しようかと思っていますが、2つになるかもしれません。まあいずれにしてもゴルフにしても大学にしても宗教改革にしても聖地である事は確かなのだと思われます。
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