FREEMASONRY
Blue Lodge, Scottish Rite & York Rite in Japan
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さてまあ謎だなんて大それたことをブチあげましたが、実際謎でも何でもないんですね。
セント・アンドルーズ聖堂の入場券を売っているお土産屋さんにこんなものがあったというだけの話です。

こちらはロスリン礼拝堂で沢山あったドルイド教のグリーンマンの彫刻ですね。非常に細かい作りなんですが、ちょっと怖い感じでしょうか。

で、これがその謎か秘密かというところなんですが、今年の夏に六本木の国立新美術館で展示してあったタペストリーの部分のレプリカですね。貴婦人と一角獣展という名前だったそうですが、五感を表すタペストリーと最後が幕屋の前で我が唯一の望みにといった謎めいた題名が付いたタペストリーで、ブラザージョルジュ・サンドがかつて見て感動したとかいう逸話があるフランス貴族が作らせたものであったかと思います。まあ一角獣なんでスコットランドにあって全然おかしくないわけですが、こんなところでそういう日本の美術展とリンクしていたかという感じでしょうか。3つの虹で三笠公園というのもあったわけですが、まあ世界は繋がっているんだなというのを強く感じる時でしょうか。検索するとまだ大阪で開催中のようです。まあフリーメイスンリーのシンボリズムなのだというところで貴重な機会に見学されると良いのではないでしょうか。

もう一枚お土産用の小さいのは他のタペストリーの複製で周りを塀に囲まれたものもあります。何か寓意なんでしょうがちょっと分かりませんね。お土産に食指が伸びたんですが、荷物が多いんでやめておきました。

こちらはスコットランドの古地図ですね。お土産用です。

色々専門書が売っています。セント・アンドルーズまで調べ出すと、イギリスの主要な各都市の歴史やフリーメイスンリーの歴史全てが対象となって来るかと思います。まあ実際そのロッジの歴史全てがまた実際のフリーメイスンリーの歴史そのものであるのが、実際のフリーメイスンリーであるわけですが、それはさすがに歴史学会のアブストラクト位で今のところはやめておきましょう。それすら難作業ですから。

ピクト人という言葉やグリーンマンがあったりと、ロスリン礼拝堂もそうですがやはりキリスト教伝播以前のドルイド教や太陽信仰の影響が大きいのだと思われます。それらの背景と宗教改革の土壌はリンクするのだと思われます。やはりアニミズムとユダヤ教は親和性が高く、そういうのが日本での神道とユダヤ教の親和性から日猶同祖論みたいな展開にもなっていることもあるのかなと思われます。まあそうは言ってもユダヤ教のエジプトから引き継いだ文字の文明文化を知るとそういった単純なアニミズムとは異なることが分かるわけですが、そういう小さな神々をひきつける作用が同時にキリスト教との強力な表裏一体関係で世界宗教へとなったというのもあるのだと思われます。




こちらが通常の展示のような雰囲気でした。ロスリン礼拝堂のようにやはりそういうドルイド教から繋がる元々ある石工の自然の象徴の細工が色々と彩っていたようでした。



こちらはまああまりフリーメイスンリーのシンボリズムみたいな感じはあまり強調していない感じでしょうか。

やはり司教が一番偉かったのだと思われます。







基本的に石棺の蓋なので先ほどと展示してあるものは一緒で、髑髏や鶴嘴とスコップのクロスなどのようないわゆるフリーメイスンリーを連想させるシンボリズムもあるようなのですが、展示の仕方次第でそういうシンボリズムを強調したものではないものとなっている感じでしょうか。このブログの市章の話と同じようなもので、同じようなものをいくつも並べて見ていくと、そういうシンボリズムが強調されていく結局は見せ方なんだという教訓のような展示かと思われます。


まあこういう地図を見ると、教会の建物部分と墓地の部分は昔から別になっているようです。カトリックの司教がいたスコットランドで一番大きな教会であったようですが、結局ドルイド教の神に当てられたんでしょうかね。神々の戦いというのは旧約聖書の時代から延々と続いているのが現実であるようです。

司教の蝋人形がありました。

塔に入れるコインを貰って行ったんですが、ちょうど出てくる人と同時になってしまってタイミング悪く登れないことになってしまいました。説明して再びコインを貰っても良かったんですが、面倒だったので登りませんでした。次の機会があれば登ってみたいと思います。

これはまあオベリスクみたいだったので撮ったのでしょうかね。

教会の内部部分でしょうかね。しかしいったいどんな経緯でこれだけの建築を破壊してしまったんでしょうね。日本でも仏教の寺は争いで消失してしまう事が多いですが、再建する事も非常に多いんですが、石造のものでこれだけ見事に破壊した建築というのもなかなか珍しいかと思われます。まさに戦争と宗教の請負人である石工職人が大活躍した土地であるという事なのでしょうね。
次はすぐ隣にあるセント・アンドルーズ城です。こちらも廃墟となっていますが、かつてはセント・アンドルーズ聖堂の司教が住んでいたそうです。幼い王を司教が養育したりしていたそうで、まさに王権と教会権力の象徴であったために、その後宗教改革によって廃墟となったものであるようです。
セント・アンドルーズ聖堂の入場券を売っているお土産屋さんにこんなものがあったというだけの話です。

こちらはロスリン礼拝堂で沢山あったドルイド教のグリーンマンの彫刻ですね。非常に細かい作りなんですが、ちょっと怖い感じでしょうか。

で、これがその謎か秘密かというところなんですが、今年の夏に六本木の国立新美術館で展示してあったタペストリーの部分のレプリカですね。貴婦人と一角獣展という名前だったそうですが、五感を表すタペストリーと最後が幕屋の前で我が唯一の望みにといった謎めいた題名が付いたタペストリーで、ブラザージョルジュ・サンドがかつて見て感動したとかいう逸話があるフランス貴族が作らせたものであったかと思います。まあ一角獣なんでスコットランドにあって全然おかしくないわけですが、こんなところでそういう日本の美術展とリンクしていたかという感じでしょうか。3つの虹で三笠公園というのもあったわけですが、まあ世界は繋がっているんだなというのを強く感じる時でしょうか。検索するとまだ大阪で開催中のようです。まあフリーメイスンリーのシンボリズムなのだというところで貴重な機会に見学されると良いのではないでしょうか。

もう一枚お土産用の小さいのは他のタペストリーの複製で周りを塀に囲まれたものもあります。何か寓意なんでしょうがちょっと分かりませんね。お土産に食指が伸びたんですが、荷物が多いんでやめておきました。

こちらはスコットランドの古地図ですね。お土産用です。

色々専門書が売っています。セント・アンドルーズまで調べ出すと、イギリスの主要な各都市の歴史やフリーメイスンリーの歴史全てが対象となって来るかと思います。まあ実際そのロッジの歴史全てがまた実際のフリーメイスンリーの歴史そのものであるのが、実際のフリーメイスンリーであるわけですが、それはさすがに歴史学会のアブストラクト位で今のところはやめておきましょう。それすら難作業ですから。

ピクト人という言葉やグリーンマンがあったりと、ロスリン礼拝堂もそうですがやはりキリスト教伝播以前のドルイド教や太陽信仰の影響が大きいのだと思われます。それらの背景と宗教改革の土壌はリンクするのだと思われます。やはりアニミズムとユダヤ教は親和性が高く、そういうのが日本での神道とユダヤ教の親和性から日猶同祖論みたいな展開にもなっていることもあるのかなと思われます。まあそうは言ってもユダヤ教のエジプトから引き継いだ文字の文明文化を知るとそういった単純なアニミズムとは異なることが分かるわけですが、そういう小さな神々をひきつける作用が同時にキリスト教との強力な表裏一体関係で世界宗教へとなったというのもあるのだと思われます。




こちらが通常の展示のような雰囲気でした。ロスリン礼拝堂のようにやはりそういうドルイド教から繋がる元々ある石工の自然の象徴の細工が色々と彩っていたようでした。



こちらはまああまりフリーメイスンリーのシンボリズムみたいな感じはあまり強調していない感じでしょうか。

やはり司教が一番偉かったのだと思われます。







基本的に石棺の蓋なので先ほどと展示してあるものは一緒で、髑髏や鶴嘴とスコップのクロスなどのようないわゆるフリーメイスンリーを連想させるシンボリズムもあるようなのですが、展示の仕方次第でそういうシンボリズムを強調したものではないものとなっている感じでしょうか。このブログの市章の話と同じようなもので、同じようなものをいくつも並べて見ていくと、そういうシンボリズムが強調されていく結局は見せ方なんだという教訓のような展示かと思われます。


まあこういう地図を見ると、教会の建物部分と墓地の部分は昔から別になっているようです。カトリックの司教がいたスコットランドで一番大きな教会であったようですが、結局ドルイド教の神に当てられたんでしょうかね。神々の戦いというのは旧約聖書の時代から延々と続いているのが現実であるようです。

司教の蝋人形がありました。

塔に入れるコインを貰って行ったんですが、ちょうど出てくる人と同時になってしまってタイミング悪く登れないことになってしまいました。説明して再びコインを貰っても良かったんですが、面倒だったので登りませんでした。次の機会があれば登ってみたいと思います。

これはまあオベリスクみたいだったので撮ったのでしょうかね。

教会の内部部分でしょうかね。しかしいったいどんな経緯でこれだけの建築を破壊してしまったんでしょうね。日本でも仏教の寺は争いで消失してしまう事が多いですが、再建する事も非常に多いんですが、石造のものでこれだけ見事に破壊した建築というのもなかなか珍しいかと思われます。まさに戦争と宗教の請負人である石工職人が大活躍した土地であるという事なのでしょうね。
次はすぐ隣にあるセント・アンドルーズ城です。こちらも廃墟となっていますが、かつてはセント・アンドルーズ聖堂の司教が住んでいたそうです。幼い王を司教が養育したりしていたそうで、まさに王権と教会権力の象徴であったために、その後宗教改革によって廃墟となったものであるようです。
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