2013-10-17 20:04 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてどうもまた再び台風が来そうな日本列島ですが、今年は秋の台風の当たり年といえるかと思います。ヴェルニー公園の薔薇はかわいそうなことに潮で激しく痛めつけられていますが、わずかに咲いた状態で10月20日頃に秋のローズフェスタはなんとか行われるようです。同時にベースの開放でもあるみこしパレードも行われる予定であり、興味のある方は是非台風来襲前の横須賀におこしになってみてください。

ブログの方は再び合言葉で視聴制限中ですが、スコットランドのセント・アンドルーズの旅を続けています。
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セント・アンドルーズ聖堂から歩いて5分ほどのところにセント・アンドルーズ城跡があります。王権の象徴かと思いきやセント・アンドルーズ聖堂の司教の住まいであったというから驚きます。ウィキペディアの該当する項目をコピペします。

セント・アンドルーズ城は現在廃墟となっており、海に浸食された岩だらけの岬の上にある。ロジャー司教は13世紀初め、司教の住居として強固に要塞化した最初の石造りの城を立てた。イングランドから侵攻した軍にしばしば占領され、1336年にスコットランド摂政を務めていたアンドリュー・マレーによって再度取り替えされ、彼は二度と敵の手に城が落ちぬよう破壊を命じた。トレイル司教の代に南と西の堀がめぐらされ、その中にどっしりとした建物が再建された。ジェームズ1世は幼年時代をウォードロー司教のもとでこの城で暮らし、1445年にジェームズ3世はこの城で誕生した。 城の窓から、ビートン枢機卿は、醜聞の罪で1546年にプロテスタント改革者ジョージ・ウィシャートが火炙りにされるのを目撃し、同年にビートンはプロテスタント改革者の一派に城内で殺害された。

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城と聖堂の位置関係を表した模式図が途中に置かれています。ウィキペディアの内容と同じような内容が書いてあるものと思われます。
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これは城の門のところですね。堀がある形になっています。ロスリン城もあったらしいのでそれも行くとこんな感じであったのだと思われます。
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城の道を挟んだ反対側には別荘ではないと思われますが、この様に蔦をまとった雰囲気のある石造りの家が並んでいます。さすがに城よりは新しいのだと思いますが、100年ほどは歴史を感じさせる様子でしょうか。
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城を意識してか城のような家もあります。本当に住んでいるんでしょうか。
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入場料は城と聖堂セットで7ポンド20ペンスだそうです。展示は相変わらずのフリーメイスンリーのシンボリズムです。まあ石工の仕事を見せているわけだから当たり前なわけです。鶴嘴と鑿と木槌と鏝になります。柱頭はコリント式か複合式ですかね。パーフェクトアシュラーからの切り出しになります。
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まあ上述のように司教が依頼して石工職人が設計して作られた事が書いてあるのだと思われます。
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司教が住んでいた事を示しているのでしょうか。
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悪そうなカトリックの司教な感じですね。
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これは過激な蝋人形でした。地名ともなっている最初にカトリックの司教が聖遺物を持ちこんだという十二使徒の聖アンデレの斜め磔の像を頭に来た宗教改革の時の民衆が破壊する瞬間の像です。そういうもの壊しちゃいかんだろうと思いますが、実際壊し途中でさらしものにしたのがこの城と前回の聖堂なわけです。聖アンデレの聖遺物も聖書の伝道の話も作り話と知ったからという事なんでしょうが、一種の催眠術が解けたときの効果みたいなものでしょうかね。フリーメイスンリーに対する幻想も似たようなものだと思われます。しかしまあ十字架の磔や斜め十字の磔といった話を作った人はまさにシンボリズムの達人としか思われません。
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展示を抜けると先ほどの堀の先の門の部分です。
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まあしかしエディンバラ城にしてもこのセント・アンドルーズ城にしても本格的な石造りの城がいくつもある位イングランドとスコットランドの宗教と王権の争いはすさまじかったのですね。日本で約100年続いた戦国時代を1000年近く行っていた感じでしょうか。
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門を抜けた先に突端があります。

再びブログは三分割です。
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