2013-11-04 04:11 | カテゴリ:シンボリズム
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
まあこれはどうなんでしょう。
ちょっとオカルトめいて来ますが、恐らくそれほど間違っていはいないのではないでしょうか。
以前に日本の名前に認めるフリーメイスンリーのシンボルという事でで漢字の名前とフリーメイスンリーのシンボリズムの関連や、家紋とシンボリズムの関連については平成町のところで触れたわけですが、実際1549年8月15日にイエズス会のフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸して以降ヨーロッパ人は日本人と接触を保ち続けていたわけですが、その時代にはすでにダ・ヴィンチやデューラーの絵画に見るまでもなくルネサンス絵画の特徴としてシンボリズムの概念は普及していたので、当然当時のヨーロッパの最先端の知識をもつ立場にあるイエズス会創設者メンバーの一人であるザビエル以下日本に来た宣教師たちはそういう知識をもつエリートたちであったかと思われます。
となると単に1717年のいわゆる近代思索的フリーメイスンリー組織の出現を待つまでもなく、16世紀のカトリック宣教師たちはフリーメイスンリーと同じくシンボリズムについても相当造詣をもっていた事が考えられ、もしかするとすでに勃興していたプロテスタントと一体化していたフリーメイスンリーに対してテンプル騎士団などと同じく敵視していたことも考えられます。
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(イエズス会のシンボルIHSについては通常はIhsouz Xristozイエス・キリストのギリシア表記の最初の3文字と捉えられるそうですがその他に、Iesus Hominum Salvator人類の救い主イエスであったり、Iesum Habemus Sociumイエスは我らとともにありという意味とも取れるようです。その他にもエジプトの古代神話の神々であるIsis, Horus, Setというのもあるそうです。またHのところに十字があることでRoyal Arch Masonryのトリプルタウの形に近似になることももちろん、Templum Hierosolymエルサレム神殿の意味になることもあるかと思われます。要するにイエズス会は非常にフリーメイスンリーのキリスト教との共通部分に近似しているのですね。)

まあちょっと想像が進み過ぎていますが、実際その時期の日本での伝道に関してはフロイスの日本史が残されており、今後検討していくこととしますが、現時点で単純にシンボリズムで注目すると面白い三人の武将がいるかと思います。

一人は明智光秀であり、もう一人は木下藤吉郎改め豊臣秀吉であり、最後の一人は以前も触れた石田三成です。
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まずシンボリズムについては基本的には理解される所かと思われます。太陽と月の対称で明であり、知恵の智、光はそのままであるというまあ基本的にはキリスト教とフリーメイスンリーに共通するシンボリズムと思われ、その他多くの武将と比較してもシンボリズムでやはり目立っています。次の豊臣秀吉はやはり改名前の木下姓がいわゆる十字とタウ十字の組み合わせに繋がり恐らくイエズス会の修道士にとっては非常に注目されるものであったかと思われます。最後の石田三成は解説するまでもなく明らかにフリーメイスンリーを象徴するようなシンボリズムの名前であり、太陽十字の形になる漢字となる田は同時代の織田信長にも共通する漢字であり、どちらも最後を非業の死で終えるという共通項があったりします。次の大河ドラマの主人公である黒田如水もキリシタン大名といえ名字はいわゆるフリーメイスンリーのシンボリズムに則っており、外様大名として同様に丸十字の家紋をもつ島津家と同じく九州に置かれるのも法則があるのかもしれません。明治維新後に黒田家出身者に活躍が広がるのも歴史の必然かもしれません。石田三成と対峙した徳川家康も三河の国出身であり三つ葉葵の家紋で旧姓の松平元康だと平にタウ十字と十字のシンボリズムを認めますが、それでいくとやはり三代将軍の徳川家光が注目され、その時代に天草の乱でキリスト教禁止と鎖国が成立するのもまた歴史の妙なのだと思われます。明らかに意識し意識されたそういうものがあったのかと思われます。(2014/3/21追記:徳川家康の名前そのものもイエズス会のイエズスそのものと音が似ていることがあるようです。そうなると石田三成のフリーメイスンリー側と、徳川家康のイエズス会側という構図が関ヶ原の合戦には見えてくるようでもあります。)
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当時はザビエルによりキリスト教とともに火縄銃や最新のヨーロッパの考え方が盛んに導入された時代であり、シンボリズムに関してもキリシタンが多く存在しスペイン語やポルトガル語の名前で洗礼名を付けた時代ですから、宣教師が光や三や十字について良いものであると選んだりすれば周囲の日本人は右に倣えで良いものであると考えたのではないでしょうか。その中でも恐らく宣教師が結果的に十分に布教して増えたキリシタン達のネットワークを通して様々な政治情勢を把握し、判断をくわえていた可能性は多々存在し、それが例えば明智光秀の謀反やその後の秀吉の中国大返しで機能した可能性は高いですし、また秀吉が三角形が三つ重なった家紋の後北条氏を石垣山城の建築で攻略し統一を果たした事や、それにカトリックと繋がりのあった伊達氏が遅れて到着するなどもカトリックとフリーメイスンリーのシンボリズムと実際の関係の微妙な絡みと見てとることができるのではないでしょうか。豊臣秀吉はその後宣教師の情報等を参考として大陸出兵を考えたとも想像できますし、その途上でキリシタン弾圧に乗り出して死に至るという経過も何となく主君であった織田信長の最後とも似ているところがあるのかもしれません。本能寺の変は安土城の建築をもって織田信長のキリスト教への改宗が困難と予想しての出来事であったのかもしれません。関ヶ原の戦いにおける徳川家康と石田三成の戦いも三つ星の家紋の毛利家が西軍の総大将であり、一方の徳川家康は三つ葵の家紋で東軍の総大将であり、すでにウィリアム・アダムスなど新教国のイギリスとの接触もある頃であり、海上の覇権を握りつつあった彼らがまさに極東の天下分け目の決戦前に後の勝者の側にたどり着くのは必然であったのかもしれません。
北条氏家紋毛利氏家紋徳川家家紋
まあいずれにしてもかなり想像をたくましくしましたが、ヨーロッパで普遍的に存在したカトリックとプロテスタントの対立、またその中でカトリックの側の改革派として海外にも積極的に布教したイエズス会の存在、そしてそれらとまた異なる集団や概念として広がりつつあったフリーメイスンリー、それらが概念上は共通の言語となりうるシンボリズムの表現を通して、キリスト教が布教され始めていた日本において時には勝者の側の象徴となり、また一方では敵役の象徴として様々に現れては消えしていた事があるのではないかと思われます。明確なフリーメイスンリーのシンボリズムを呈した石田三成の西軍が敗退し東軍にイギリスからの人物が漂着し、その後の豊臣家攻略に繋がるのも何やら裏ではカトリックとフリーメイスンリーの壮大な駆け引きがあったのではないかと考えたりします。その後の1666年の驚異の年に向けた、その前の明暦の大火や長崎出島のオランダの通商など極東においてその後も永続的に活動が続けられたのは事実かと思われます。

またこの三人以外にも戦国時代に現代に繋がる皇室のお庭番ともいえる組織を作り上げた茶道の大家千利休においても堺の商人出身でもちろん宣教師との関係も濃く弟子にもキリシタン大名が多く、その名にも十字が認められるのは明確なシンボリズムと考えられます。茶道のスタイル自体もまさにコーヒーを茶に変えた如くフリーメイスンリーかキリスト教のミサのごとき黙想と談笑の会であり、情報交換と和睦の重要なツールであったかと思われます。
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(三浦按針に関して横須賀のガリバーファンタジーを企画している横須賀未来塾という団体の関係者と思われる方が書いているらしいホームページがあり(幹事の元横須賀市職員の桐ケ谷良之さんと思われます。)、色々調べている事の一部が書かれていました。浦賀にはカトリックの神父が神の奇跡を三浦按針に見せようと水渡りの奇跡を見せた逸話もあるらしく、なかなかフリーメイスンリーの儀式のようで極東の地におけるカトリックとプロテスタントの交流という事で非常に興味深い話です。恐らく上記の戦国大名の話の一部裏付けともなるのではないでしょうか。イエズス会会員というのが英語ではJesuit、陰謀家とも言われるほどであり、それらの仕事を新教国のイギリスやオランダに引き継いでいったという事も考えられるのかと思われます。)
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