FREEMASONRY
Blue Lodge, Scottish Rite & York Rite in Japan
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まあなんというか浦賀とか観音崎とか金沢区とかすごいローカルな話なんですが、どうも横浜、横須賀のフリーメイスンリーにとってはそういう非常にローカルな話は欠かせない話のようで、まあそもそもそういう横須賀や横浜出身者でフリーメイスンがどれだけ居たのって話になるわけですが、実際横浜出身者ではっきりしている最初のフリーメイスンは有名なブラザーミヤガワ・ヒラム・ヒロシではないかと思われます。ブラザーミヤガワはFar East Lodge No.1のホームページにも、檀原照和さんのホームページにも書かれている最初に日本語で儀式を行った方という事ですが、戦中もロッジが閉鎖になっている間もロッジのフリーメイスンリーの道具や書類を憲兵隊から守ったという方で、本当に横浜の現在の石川町辺りのローカルな方であったようです。

まあこのブログはそういう直接的なロッジの活動に関しての秘密ではない訳ですが、主にフリーメイスンリーのシンボルやキリスト教・ユダヤ教関連の秘密という事になるかと思われますが、そういう話の方がより身近なロータリークラブや、ライオンズクラブの活動とも関わって来るような、住人の方がフリーメイスンリーやそういう友愛団体というものが理解しやすいような内容となっているかと思います。
というわけでまあ私の地元大船観音の話ではないですが、金沢区も後々書くつもりの出身大学でもある横浜市立大学医学部との関係で10年近く居住していたので、大体のことは分かっていたつもりですが、フリーメイスンリーのシンボルについて初めて理解したのはもちろん金沢区で最も有名な八景島のピラミッドであったわけで、その横でほぼ毎日通っていた横浜市大医学部がソロモン宮殿の意味であったとはつゆほど考えもしなかったわけです。もちろん私が通っている間にカメリア(椿)ホールと言っていた医学部の講堂がブラザー林董の先生であったヘボンホールに名前が変わったり、学長が後にテンプル大学の学長になるブルース・ストロナク学長となったりと、恐らく彼もフリーメイスンと思われますが、私もなんとか色々ありながらもこの学長の元で卒業させてもらうなど色々あったわけですが、そういう様々な変化も身近で体験してきたのがこの金沢区でもありました。

金沢区のシンボルマークは青地のカモメのようです。
金沢区でロータリークラブの存在を感じるのは唯一金沢文庫駅の西口のロータリー周辺に看板などで認めるのみであったかと思います。(金沢区のロータリークラブ、ライオンズクラブも検索で出てきます。それぞれ産業振興センターや金沢八景駅前、能見台駅前が集会場所のようです。)前回の鎌倉の世界遺産申請の際にはなぜか朝比奈切り通しから称名寺までが鎌倉と一体で申請されていて、私はこの辺りを色々歩きまわった経験があるので大丈夫かなあと思っていましたが、案の定というか残念ながらというか落選となり、今後の動向が気になるところでもありますが、鎌倉に続いて芸能人ネタとしては、東北大学工学部建築学科卒業のオフコースのボーカルであった小田和正さんの実家の薬局が金沢文庫の前のすずらん通りにあるのが地元では有名であり、私は洗剤くらいしか買ったことありませんでしたが、最近近くに行くと二階がモダンな紅茶屋さんという感じの喫茶店になったようで、少し最近の観光地の傾向を取り入れたような雰囲気があって今後の展開がまた気になるところでもあります。(写真をお借りしたブログによると元々元町商店街で開いていた喫茶店友and愛が閉店後に移転してきたようです。色々経緯がありそうです。小田和正さんの会社はFar East Clubというそうで同名のアルバムもあったかと思いますが、Far East Lodgeとも縁がありそうです。聖光学院出身という事でフランス系のカトリックという事ですが、同じカトリックのイエズス会系の栄光学園と同じく有名国公立私立大学に多数卒業生を輩出していますが、根岸森林公園の近くでFar East Lodge No.1が2002年からある山手駅の近くから歩いてすぐのところなのですね。)


まあ私としては金沢区の観光地のお勧めはまさに上述した朝比奈切り通しから大道、称名寺へと続く鎌倉時代の街道ではありますが、その他にはもちろん上述の横浜市と西武グループの開発による八景島シーパラダイスであり、最近は地元漁協の協力による生簀での釣りや小柴漁港における季節限定のバーベキュー小屋のようなものもできているようでこれらもお勧めだと思われます。(小柴にはほとんど漁師さんしか来ないような海水を使った入浴施設もあります。誰でも利用可能ですが、まあ外から人が来るのはめったに見たことありません。)アメリカ方式の大型スーパーマーケットのコストコ等もありますが、当時のこの幸浦、福浦地域の埋め立て事業はみなとみらい地区と同様に後に社会党委員長となる飛鳥田一雄市長時代に決められたという事で、三菱重工の工場のシンボルとなる三菱マークの風車のシンボルも最近できたりしていますが、その他にはゴミ処理場とシーサイドライン位の極めてシンプルであまり特徴のない感じの近代的な構成となっているかと思われます。
明らかにフリーメイスンリーのシンボルと思われるのは何度もあげている八景島のピラミッドとそれに対応したオベリスクのような展望塔があるのみで、埋立地の方はそういう雰囲気が無いわけですが、かつては小柴のあたりには米軍の弾薬庫があった関係で未だに一部土地が使われずに残ったりしている部分もあったりしますが、まあ基本的には小泉又次郎さんの出身地であり、小泉家の菩提寺もある大道周辺は、小泉又次郎さんの記念碑もあり、横須賀地域との関係性が横浜の中でも最も強い地域であり、伊藤博文の愛人が経営していたという料亭と並んであって小泉又次郎さんが晩年を過ごしたという、現在まで残る料亭千代本等もありますが、プロテスタント系の関東学院もぎりぎり金沢区に存在し、その近くには数多く教会もあり、カトリックのヨゼフ教会などもあり、まあ明らかに横浜の中では横須賀と並んで開港と戦後のアメリカの影響の中でフリーメイスンリー、キリスト教の影響が感じられる土地ではないかと思われます。(そういえば最近も追浜のかなり歴史のある雷神社の目の前に関東学院の関連のキリスト教関連施設ができたようです。その後追浜でハロウィンが盛大に行われたり、花火大会が豪華になったりと色々あるようです。ヨゼフ病院のような神社と寺とキリスト教の重ね合わせのような事かと思われます。)






まあちょっと話がローカルすぎて、フリーメイスンリーとどう関係あるのというところなのだと思いますが、一応以前汐入の話で当てた気になっていますので、今回も話としてはそれとほとんど同じ話です。
また名前のダジャレですね。そうです金沢区です。金沢八景、金沢文庫の名前からとられた金沢区ですが、どうも神奈川県と「かな」の部分が一緒ですね。またまたローマ字にするとKANAです。地元では神奈中バスが思い浮かぶでしょうか。
もちろんフリーメイスンリーではKANAといえばカナン、英語ではCanaanと表記するそうですが、約束の地カナンですね。シオンとほぼ一緒です。もちろん観音崎のカンノンとも共通する響きでしょうか。旭日大綬章を受章した前経団連会長の会社もCanonでほぼ一緒です。森元首相の出身地の県庁所在地も石川県金沢市です。そんな馬鹿なというなかれ、聖書にはそう書いてあるのです。まあ何でもかんでも約束の地では申し訳ありませんが、全くの異文化に触れた際に道しるべとなるのが言葉のみであり、その時に音が似ている場所や名前だけを頼りとしたり、現在もそのまま続いているというのがまあフリーメイスンリーというかユダヤ教なのですね。
それでそれにプラスして先ほどの小柴や柴町ですが、こちらも私は住んでいたりしたのですがもちろん東京タワーの建つ横の芝公園と同じくシバの女王と同音となります。カナンとシバ、これは旧約聖書では必須の単語となります。さらにこの辺りの有名な神社と言えば瀬戸神社という事で、これは聖書にもアベルとカインとセトの兄弟という事で、エジプト神話でもジャッカルや土豚の顔をしたセト神としてイシス、オシリス、ホルスとともに有名な神であるわけですが、その名前の神社が信仰の対象という事で、こういうのがあると何となく小泉又次郎さんの命名したと思われる三春町に繋がる伝説の人生もこうして色々と繋がって来るのかなというところでしょうか。(瀬戸の花嫁なんてありますが、まあクリスチャンでない日本人は通常は関連を思いませんね。)(金沢だとカナンは良いとして下のザワは何になるのと思う人もいるかと思います。ザウアーだとドイツ語のザウアークラフトが有名で、酢漬けの意味になりますが、まあシンボルなんで上だけの意味で良いのだと思われます。同様に横須賀でスカの意味はなかなか厳しいですが、York Skyと多少いじればなんとかなるかと思います。神奈川もガウアーというとドイツ系の名前であるようですが、まあこれもやはり無理やり意味はないかと思います。シンボルは受け手へのインパクト重視なんですね。)





まあ悪い冗談の連続のような話ですが、それもこれもいわゆる聖書でフリーメイスンリーで開くように指定されているページ、ヨハネ福音書の冒頭の
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」
があるからであり、内容からはすでに指摘した通り洗礼者ヨハネが実在して洗礼を初めて行った人物でありながら危険人物とみなされてすぐに殺されてしまって、その後ローマ帝国によって滅亡に追い込まれるユダヤ王国での後のディアスポラ離散に繋がる政治的な判断ミスを嘆くような内容でもあるわけですが、いずれにしても言葉に重きを置くユダヤ教、フリーメイスンリーの根本的な判断基準となる言葉の基本となる単語の音の近似や掛け言葉のようなものは、日猶同祖論ではないですが、今日まで繋がるフリーメイスンリーの判断基準の一つである事は間違いないのかと思われました。
上記の部分はまた後のカトリックの三位一体説の中心となる部分でもあるかと思われます。すなわち論理学の基本となる文章でもあるのかなと考えられるかと思います。
推測ですが、恐らく明治期にこれらの日本語と聖書の名前の近似やシンボリズムを判断していたのは旧約聖書を最初に日本語訳したという佐賀県で教鞭をとったオランダから来た改宗ユダヤ人のブラザーフルベッキが中心にしていたのではないかと思われます。その後は戦後は恐らくアメリカ軍と行動を共にしたアメリカ軍専従のラビかイエズス会のヘブライ語やギリシア語、ラテン語に精通した宣教師ではないかと思われます。フリーメイスンリーの基本的知識にエジプトの神聖文字やヘブライ語、ギリシア語、ラテン語、英語の基礎は必須になって来るのかと思われます。
いずれまたブラザーフルベッキについても青山霊園のオベリスクの墓や青山霊園のその他のフリーメイスンリー関連の方の話など機会があれば書こうかと思っています。

さて色々ローカルな話題からエッセンスまで行き着くわけですが納得されたでしょうか。
余談ですが横浜、横須賀でヨークライトのヨーク伝説という、テンプル騎士団伝説と双璧をなすフリーメイスンリーの発祥伝説のスコティッシュライトと並ぶヨークライトのヨーク部分との関連は以前に触れたところですが、横浜市では洋光台というまた微妙にシンボリズムを踏襲している地名があります。これも英語にするとYork or dieとなり極めて不吉な文章となるのですがまあ、これは極めて余談の話となります。
フリーメイスンリーではキリスト教とユダヤ教に関する知識は必須という事になるのでしょうね。宗教的寛容もなかなか厳しいものです。
直近で台風が近づいた際に川合玉堂の別宅が火災で焼けたなどあったかと思います。私は訪問した事はありませんでしたが、恐らく金沢区で残る日本建築の旧家の貴重なものであったのではないでしょうか。再建するのかどうかわかりませんが、それ以前に大磯の吉田茂邸が火災にあって、現在修復してバラ園などとともにかなり綺麗になって公開される予定のようですし色々関連があるのかもしれません。様々な歴史のある場所もあるかと思い、その他には金沢区にはハイキングコースや赤井温泉という鎌倉時代より続く温泉などもあります。横須賀や鎌倉とセットで楽しめるのではないかと思います。横浜の方では三渓園や根岸森林公園なども開港の歴史と繋がるフリーメイスンリーとも関係が深い土地であります。様々に訪問されると開国開港の地を体感する事ができるのではないかと、非常な手前味噌ではありますがお勧めします。
汐入と同じく反響は大きなものとなると思われますが、まあ色々説得力はあるのかと思われます。ちなみに私は上記の千代本で一回食べたことがありますがなかなかの値段(夕食2万円)ではありますがいわゆる懐石料理として今話題の和食としては最高級の素材と調理であったと思います。翌日におしっこがダシの匂いがするような強烈な元気が出る料理でありました。まあ戦時中に晩年の小泉又次郎さんが逗留したという事でなんとも複雑な気持ちにはなりますが、現在も細々と営業中かと思われますので、機会があれば利用してみてください。横須賀には山本五十六司令長官が常連であったという料亭小松もありますが、こちらはわたしは利用したことが無いのでなんとも言えません。こうした記事を今更ながら書くのもあれなのですが、小泉純一郎さんも含めて様々な情勢が変化しているためだと思われます。
その他紹介しきれませんでしたが野島公園でのベーべキューや展望台、以前も紹介した伊藤博文別邸や夕照橋からの富士山の夕景、海の公園での夏の花火や潮干狩り、金沢動物園などもあり富岡八幡宮などもあります。まあ私も全部行って知っているわけではありませんが、横須賀に劣らず色々歴史もあり発展を続けている場所だと思います。ぜひ横須賀や鎌倉と合わせて訪問してみてください。

まあこのブログはそういう直接的なロッジの活動に関しての秘密ではない訳ですが、主にフリーメイスンリーのシンボルやキリスト教・ユダヤ教関連の秘密という事になるかと思われますが、そういう話の方がより身近なロータリークラブや、ライオンズクラブの活動とも関わって来るような、住人の方がフリーメイスンリーやそういう友愛団体というものが理解しやすいような内容となっているかと思います。
というわけでまあ私の地元大船観音の話ではないですが、金沢区も後々書くつもりの出身大学でもある横浜市立大学医学部との関係で10年近く居住していたので、大体のことは分かっていたつもりですが、フリーメイスンリーのシンボルについて初めて理解したのはもちろん金沢区で最も有名な八景島のピラミッドであったわけで、その横でほぼ毎日通っていた横浜市大医学部がソロモン宮殿の意味であったとはつゆほど考えもしなかったわけです。もちろん私が通っている間にカメリア(椿)ホールと言っていた医学部の講堂がブラザー林董の先生であったヘボンホールに名前が変わったり、学長が後にテンプル大学の学長になるブルース・ストロナク学長となったりと、恐らく彼もフリーメイスンと思われますが、私もなんとか色々ありながらもこの学長の元で卒業させてもらうなど色々あったわけですが、そういう様々な変化も身近で体験してきたのがこの金沢区でもありました。

金沢区のシンボルマークは青地のカモメのようです。
金沢区でロータリークラブの存在を感じるのは唯一金沢文庫駅の西口のロータリー周辺に看板などで認めるのみであったかと思います。(金沢区のロータリークラブ、ライオンズクラブも検索で出てきます。それぞれ産業振興センターや金沢八景駅前、能見台駅前が集会場所のようです。)前回の鎌倉の世界遺産申請の際にはなぜか朝比奈切り通しから称名寺までが鎌倉と一体で申請されていて、私はこの辺りを色々歩きまわった経験があるので大丈夫かなあと思っていましたが、案の定というか残念ながらというか落選となり、今後の動向が気になるところでもありますが、鎌倉に続いて芸能人ネタとしては、東北大学工学部建築学科卒業のオフコースのボーカルであった小田和正さんの実家の薬局が金沢文庫の前のすずらん通りにあるのが地元では有名であり、私は洗剤くらいしか買ったことありませんでしたが、最近近くに行くと二階がモダンな紅茶屋さんという感じの喫茶店になったようで、少し最近の観光地の傾向を取り入れたような雰囲気があって今後の展開がまた気になるところでもあります。(写真をお借りしたブログによると元々元町商店街で開いていた喫茶店友and愛が閉店後に移転してきたようです。色々経緯がありそうです。小田和正さんの会社はFar East Clubというそうで同名のアルバムもあったかと思いますが、Far East Lodgeとも縁がありそうです。聖光学院出身という事でフランス系のカトリックという事ですが、同じカトリックのイエズス会系の栄光学園と同じく有名国公立私立大学に多数卒業生を輩出していますが、根岸森林公園の近くでFar East Lodge No.1が2002年からある山手駅の近くから歩いてすぐのところなのですね。)


まあ私としては金沢区の観光地のお勧めはまさに上述した朝比奈切り通しから大道、称名寺へと続く鎌倉時代の街道ではありますが、その他にはもちろん上述の横浜市と西武グループの開発による八景島シーパラダイスであり、最近は地元漁協の協力による生簀での釣りや小柴漁港における季節限定のバーベキュー小屋のようなものもできているようでこれらもお勧めだと思われます。(小柴にはほとんど漁師さんしか来ないような海水を使った入浴施設もあります。誰でも利用可能ですが、まあ外から人が来るのはめったに見たことありません。)アメリカ方式の大型スーパーマーケットのコストコ等もありますが、当時のこの幸浦、福浦地域の埋め立て事業はみなとみらい地区と同様に後に社会党委員長となる飛鳥田一雄市長時代に決められたという事で、三菱重工の工場のシンボルとなる三菱マークの風車のシンボルも最近できたりしていますが、その他にはゴミ処理場とシーサイドライン位の極めてシンプルであまり特徴のない感じの近代的な構成となっているかと思われます。
明らかにフリーメイスンリーのシンボルと思われるのは何度もあげている八景島のピラミッドとそれに対応したオベリスクのような展望塔があるのみで、埋立地の方はそういう雰囲気が無いわけですが、かつては小柴のあたりには米軍の弾薬庫があった関係で未だに一部土地が使われずに残ったりしている部分もあったりしますが、まあ基本的には小泉又次郎さんの出身地であり、小泉家の菩提寺もある大道周辺は、小泉又次郎さんの記念碑もあり、横須賀地域との関係性が横浜の中でも最も強い地域であり、伊藤博文の愛人が経営していたという料亭と並んであって小泉又次郎さんが晩年を過ごしたという、現在まで残る料亭千代本等もありますが、プロテスタント系の関東学院もぎりぎり金沢区に存在し、その近くには数多く教会もあり、カトリックのヨゼフ教会などもあり、まあ明らかに横浜の中では横須賀と並んで開港と戦後のアメリカの影響の中でフリーメイスンリー、キリスト教の影響が感じられる土地ではないかと思われます。(そういえば最近も追浜のかなり歴史のある雷神社の目の前に関東学院の関連のキリスト教関連施設ができたようです。その後追浜でハロウィンが盛大に行われたり、花火大会が豪華になったりと色々あるようです。ヨゼフ病院のような神社と寺とキリスト教の重ね合わせのような事かと思われます。)






まあちょっと話がローカルすぎて、フリーメイスンリーとどう関係あるのというところなのだと思いますが、一応以前汐入の話で当てた気になっていますので、今回も話としてはそれとほとんど同じ話です。
また名前のダジャレですね。そうです金沢区です。金沢八景、金沢文庫の名前からとられた金沢区ですが、どうも神奈川県と「かな」の部分が一緒ですね。またまたローマ字にするとKANAです。地元では神奈中バスが思い浮かぶでしょうか。
もちろんフリーメイスンリーではKANAといえばカナン、英語ではCanaanと表記するそうですが、約束の地カナンですね。シオンとほぼ一緒です。もちろん観音崎のカンノンとも共通する響きでしょうか。旭日大綬章を受章した前経団連会長の会社もCanonでほぼ一緒です。森元首相の出身地の県庁所在地も石川県金沢市です。そんな馬鹿なというなかれ、聖書にはそう書いてあるのです。まあ何でもかんでも約束の地では申し訳ありませんが、全くの異文化に触れた際に道しるべとなるのが言葉のみであり、その時に音が似ている場所や名前だけを頼りとしたり、現在もそのまま続いているというのがまあフリーメイスンリーというかユダヤ教なのですね。
それでそれにプラスして先ほどの小柴や柴町ですが、こちらも私は住んでいたりしたのですがもちろん東京タワーの建つ横の芝公園と同じくシバの女王と同音となります。カナンとシバ、これは旧約聖書では必須の単語となります。さらにこの辺りの有名な神社と言えば瀬戸神社という事で、これは聖書にもアベルとカインとセトの兄弟という事で、エジプト神話でもジャッカルや土豚の顔をしたセト神としてイシス、オシリス、ホルスとともに有名な神であるわけですが、その名前の神社が信仰の対象という事で、こういうのがあると何となく小泉又次郎さんの命名したと思われる三春町に繋がる伝説の人生もこうして色々と繋がって来るのかなというところでしょうか。(瀬戸の花嫁なんてありますが、まあクリスチャンでない日本人は通常は関連を思いませんね。)(金沢だとカナンは良いとして下のザワは何になるのと思う人もいるかと思います。ザウアーだとドイツ語のザウアークラフトが有名で、酢漬けの意味になりますが、まあシンボルなんで上だけの意味で良いのだと思われます。同様に横須賀でスカの意味はなかなか厳しいですが、York Skyと多少いじればなんとかなるかと思います。神奈川もガウアーというとドイツ系の名前であるようですが、まあこれもやはり無理やり意味はないかと思います。シンボルは受け手へのインパクト重視なんですね。)





まあ悪い冗談の連続のような話ですが、それもこれもいわゆる聖書でフリーメイスンリーで開くように指定されているページ、ヨハネ福音書の冒頭の
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」
があるからであり、内容からはすでに指摘した通り洗礼者ヨハネが実在して洗礼を初めて行った人物でありながら危険人物とみなされてすぐに殺されてしまって、その後ローマ帝国によって滅亡に追い込まれるユダヤ王国での後のディアスポラ離散に繋がる政治的な判断ミスを嘆くような内容でもあるわけですが、いずれにしても言葉に重きを置くユダヤ教、フリーメイスンリーの根本的な判断基準となる言葉の基本となる単語の音の近似や掛け言葉のようなものは、日猶同祖論ではないですが、今日まで繋がるフリーメイスンリーの判断基準の一つである事は間違いないのかと思われました。
上記の部分はまた後のカトリックの三位一体説の中心となる部分でもあるかと思われます。すなわち論理学の基本となる文章でもあるのかなと考えられるかと思います。
推測ですが、恐らく明治期にこれらの日本語と聖書の名前の近似やシンボリズムを判断していたのは旧約聖書を最初に日本語訳したという佐賀県で教鞭をとったオランダから来た改宗ユダヤ人のブラザーフルベッキが中心にしていたのではないかと思われます。その後は戦後は恐らくアメリカ軍と行動を共にしたアメリカ軍専従のラビかイエズス会のヘブライ語やギリシア語、ラテン語に精通した宣教師ではないかと思われます。フリーメイスンリーの基本的知識にエジプトの神聖文字やヘブライ語、ギリシア語、ラテン語、英語の基礎は必須になって来るのかと思われます。
いずれまたブラザーフルベッキについても青山霊園のオベリスクの墓や青山霊園のその他のフリーメイスンリー関連の方の話など機会があれば書こうかと思っています。

さて色々ローカルな話題からエッセンスまで行き着くわけですが納得されたでしょうか。
余談ですが横浜、横須賀でヨークライトのヨーク伝説という、テンプル騎士団伝説と双璧をなすフリーメイスンリーの発祥伝説のスコティッシュライトと並ぶヨークライトのヨーク部分との関連は以前に触れたところですが、横浜市では洋光台というまた微妙にシンボリズムを踏襲している地名があります。これも英語にするとYork or dieとなり極めて不吉な文章となるのですがまあ、これは極めて余談の話となります。
フリーメイスンリーではキリスト教とユダヤ教に関する知識は必須という事になるのでしょうね。宗教的寛容もなかなか厳しいものです。
直近で台風が近づいた際に川合玉堂の別宅が火災で焼けたなどあったかと思います。私は訪問した事はありませんでしたが、恐らく金沢区で残る日本建築の旧家の貴重なものであったのではないでしょうか。再建するのかどうかわかりませんが、それ以前に大磯の吉田茂邸が火災にあって、現在修復してバラ園などとともにかなり綺麗になって公開される予定のようですし色々関連があるのかもしれません。様々な歴史のある場所もあるかと思い、その他には金沢区にはハイキングコースや赤井温泉という鎌倉時代より続く温泉などもあります。横須賀や鎌倉とセットで楽しめるのではないかと思います。横浜の方では三渓園や根岸森林公園なども開港の歴史と繋がるフリーメイスンリーとも関係が深い土地であります。様々に訪問されると開国開港の地を体感する事ができるのではないかと、非常な手前味噌ではありますがお勧めします。
汐入と同じく反響は大きなものとなると思われますが、まあ色々説得力はあるのかと思われます。ちなみに私は上記の千代本で一回食べたことがありますがなかなかの値段(夕食2万円)ではありますがいわゆる懐石料理として今話題の和食としては最高級の素材と調理であったと思います。翌日におしっこがダシの匂いがするような強烈な元気が出る料理でありました。まあ戦時中に晩年の小泉又次郎さんが逗留したという事でなんとも複雑な気持ちにはなりますが、現在も細々と営業中かと思われますので、機会があれば利用してみてください。横須賀には山本五十六司令長官が常連であったという料亭小松もありますが、こちらはわたしは利用したことが無いのでなんとも言えません。こうした記事を今更ながら書くのもあれなのですが、小泉純一郎さんも含めて様々な情勢が変化しているためだと思われます。
その他紹介しきれませんでしたが野島公園でのベーべキューや展望台、以前も紹介した伊藤博文別邸や夕照橋からの富士山の夕景、海の公園での夏の花火や潮干狩り、金沢動物園などもあり富岡八幡宮などもあります。まあ私も全部行って知っているわけではありませんが、横須賀に劣らず色々歴史もあり発展を続けている場所だと思います。ぜひ横須賀や鎌倉と合わせて訪問してみてください。
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