FREEMASONRY
Blue Lodge, Scottish Rite & York Rite in Japan
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クリスマスプレゼントというわけではありませんがクリスマスイブの記事は帰りにわずかに滞在したロンドンの前回回れなかったギルドホールとセントポール大聖堂周辺の写真です。

これはグランドロッジすぐそばの地理学会の設立を記念する碑です。11月13日でやはりシンボリズムを認めます。アメリカのナショナルジオグラフィックに相当するのでしょうかね。

これはちょうどあちらで英語版のインフェルノが出版されていたころだと思います。店の名前かもしれませんが、インフェルノの名前が掲揚されていました。ちょうどブラザーダン・ブラウンがグランドロッジで会見していたのもこのちょっと前あたりだと思います。

これはいわゆるテンプルバーのマーカーというそうですが、テンプル寺院の前にあるロンドンシティーの境界を示すかつて門があったところの上にこのブログでも使用したドラゴンの彫像があるものです。ヴィクトリア女王とその息子のエドワード7世の像が左右に彫られていますが、その左右に科学と芸術のモチーフとして描かれたシンボルにフリーメイスンリーのシンボルがあります。七分儀やコンパスや地図、天球儀や垂直儀や髑髏、カルケドゥスの杖、ハンマー、ルイス(吊り具)などが認められます。上部にはファスケスや王権を示す王杖や剣のクロス、バラの紋章なども認められます。

ヴィクトリア女王の像の周りも同じ彫刻があります。テンプル騎士団=フリーメイスンリーが明確に示されているのですね。

この時は夕刻でしたがかなり晴天のロンドンでした。ブラザークリストファー・レンによるセントポール大聖堂です。やはり世界のフリーメイスンリーの中心がここにあるようです。

セントポール大聖堂の横にある広場の羊飼いの彫像です。

Entered Apprenticeで学習する24インチ定規の教訓を連想させる言葉です。8時間ごとに生業とフリーメイスンリーの活動と余暇に振り分けるという、まあ実際そういう生活をするとどれだけ大変かとフリーメイスンが良く分かる教訓の言葉です。8時間の睡眠ではないところがポイントでしょうか。

これはギルドホールの近くの教会でしょうか。セントローレンスジュワリーという教会のようです。ジュワリーというのはユダヤ人街、ゲットーという意味だそうで、ブラザークリストファー・レンによってロンドン大火後に再建されたようです。

ギルドホールの前の広場ですね。時間が遅く変なカップルが一組いただけでその他には誰もいませんでした。

ギルドホールの全景です。中も検索で見ると相当きれいなようですね。この訪問の直後に安倍首相が首脳会談後に巡って演説をしていたようです。あまりその映像は日本の報道で見かけませんでしたが、かなりな栄誉のようです。前後で安倍首相の様子は変わったでしょうか?日本でも天皇陛下も一致協力してこういうフリーメイスンリーホールやオベリスクのシンボルを建築できないでしょうかねえ。

ブラザークリストファー・レンの胸像です。

シェイクスピアの胸像です。

これはクロムウェルの胸像です。

サミュエル・ピープスの胸像です。庶民からイギリス海軍の長官まで上り詰めた人だそうです。王立協会の会長も務めたそうです。ブラザークリストファー・レンと同時代の恐らくグランドロッジ結成前のフリーメイスンなんでしょうね。
その他にリチャード・フィッティングトン卿という14世紀にロンドン市長を長く務め、ギルドホールの建設にも多くの寄付をした貴族の胸像もあるそうです。

セントメアリー市会議員埋葬所というところのシェイクスピアを記念した胸像です。

再びセントポール大聖堂です。

以前は無かった紫のチューリップが並んでいました。こういうのも意味があるんでしょうね。

ブラザークリストファー・レンの傑作と称されるセントポール大聖堂です。フェニックス以外にも胸像にもそれぞれ意味が込められているのだと思います。



これは前回見過ごしてしまったP2事件で有名になったブラザーロベルト・カルヴィが吊るされていたというブラック・フライアーズ橋です。P2の主要メンバーであったブラザーリーチオ・ジェッリはまだご健在のようです。元ナチスのムッソリーニ救出作戦に関わったオットー・スコルツェニーなども関わっていたようです。鷲は舞い降りたという映画の元ネタとして有名だと思われます。アポロ11号の月面着陸時にもこの言葉が使われました。そういえばヘリコプターのシーホークが三浦に不時着する事件が最近ありましたね。

様々な現代建築ラッシュであるロンドンでありました。2013年に集中していたのでしょうね。

テムズ川越しのロンドンアイです。天気が良いと写真も良いです。

これはテンプル教会のインナーテンプルだと思います。テンプル教会は教会とともに法曹院として弁護士や裁判官の育成を行っているようです。日本の弁護士会のような組織のようです。4つある法曹院のうち2つはここのインナーテンプルとミドルテンプルにあるそうで、すなわちイングランドの法曹界の半分はテンプル騎士団の系譜を引いているという事でしょうか。

これはアウターテンプルのところでしょうか。ちょうどセントポール大聖堂の前の通りのフリートストリートに面した門の上の紋章です。ロイズ保険組合と法曹院が同居しているのでしょうかね。ロイズ保険組合というのは日本では漫画のマスターキートンというもので有名かもしれません。もちろんマスターメイスンをもじっている漫画なんですね。もちろん中心の蜂の巣はフリーメイスンリーのシンボルで工業や集団で協働して作業する事のシンボルです。

アウターテンプルの住所だと思われます。222のシンボリズムのようです。スコットランドの王立協会もこのシンボリズムでしたので、2.11とは異なる222のシンボリズムも666のシンボリズムと同様に重要な意味があるようです。

テンプル騎士団のシンボルの羊が十字架を背負っているシンボルです。フリーメイスンリーのシンボルの中では一二を競うかわいいシンボルだと思われます。神の子羊として騎士団以前よりキリスト教のシンボルとして良く認められているようです。騎士団の印章として使用されていたようです。

悪魔の食堂という名前の有名なパブがあったそうです。詳細はウィキペディアを参照してください。

再びグランドロッジの光景です。この日は夕食は食べませんでしたかね。確か休日で混んでいたせいと、あまりロンドンでどこがおいしいのか分からなかったためでしょうか。なかなか旅行というよりは出張といった感じのイギリス旅行でした。

これはグランドロッジすぐそばの地理学会の設立を記念する碑です。11月13日でやはりシンボリズムを認めます。アメリカのナショナルジオグラフィックに相当するのでしょうかね。

これはちょうどあちらで英語版のインフェルノが出版されていたころだと思います。店の名前かもしれませんが、インフェルノの名前が掲揚されていました。ちょうどブラザーダン・ブラウンがグランドロッジで会見していたのもこのちょっと前あたりだと思います。

これはいわゆるテンプルバーのマーカーというそうですが、テンプル寺院の前にあるロンドンシティーの境界を示すかつて門があったところの上にこのブログでも使用したドラゴンの彫像があるものです。ヴィクトリア女王とその息子のエドワード7世の像が左右に彫られていますが、その左右に科学と芸術のモチーフとして描かれたシンボルにフリーメイスンリーのシンボルがあります。七分儀やコンパスや地図、天球儀や垂直儀や髑髏、カルケドゥスの杖、ハンマー、ルイス(吊り具)などが認められます。上部にはファスケスや王権を示す王杖や剣のクロス、バラの紋章なども認められます。

ヴィクトリア女王の像の周りも同じ彫刻があります。テンプル騎士団=フリーメイスンリーが明確に示されているのですね。

この時は夕刻でしたがかなり晴天のロンドンでした。ブラザークリストファー・レンによるセントポール大聖堂です。やはり世界のフリーメイスンリーの中心がここにあるようです。

セントポール大聖堂の横にある広場の羊飼いの彫像です。

Entered Apprenticeで学習する24インチ定規の教訓を連想させる言葉です。8時間ごとに生業とフリーメイスンリーの活動と余暇に振り分けるという、まあ実際そういう生活をするとどれだけ大変かとフリーメイスンが良く分かる教訓の言葉です。8時間の睡眠ではないところがポイントでしょうか。

これはギルドホールの近くの教会でしょうか。セントローレンスジュワリーという教会のようです。ジュワリーというのはユダヤ人街、ゲットーという意味だそうで、ブラザークリストファー・レンによってロンドン大火後に再建されたようです。

ギルドホールの前の広場ですね。時間が遅く変なカップルが一組いただけでその他には誰もいませんでした。

ギルドホールの全景です。中も検索で見ると相当きれいなようですね。この訪問の直後に安倍首相が首脳会談後に巡って演説をしていたようです。あまりその映像は日本の報道で見かけませんでしたが、かなりな栄誉のようです。前後で安倍首相の様子は変わったでしょうか?日本でも天皇陛下も一致協力してこういうフリーメイスンリーホールやオベリスクのシンボルを建築できないでしょうかねえ。

ブラザークリストファー・レンの胸像です。

シェイクスピアの胸像です。

これはクロムウェルの胸像です。

サミュエル・ピープスの胸像です。庶民からイギリス海軍の長官まで上り詰めた人だそうです。王立協会の会長も務めたそうです。ブラザークリストファー・レンと同時代の恐らくグランドロッジ結成前のフリーメイスンなんでしょうね。
その他にリチャード・フィッティングトン卿という14世紀にロンドン市長を長く務め、ギルドホールの建設にも多くの寄付をした貴族の胸像もあるそうです。

セントメアリー市会議員埋葬所というところのシェイクスピアを記念した胸像です。

再びセントポール大聖堂です。

以前は無かった紫のチューリップが並んでいました。こういうのも意味があるんでしょうね。

ブラザークリストファー・レンの傑作と称されるセントポール大聖堂です。フェニックス以外にも胸像にもそれぞれ意味が込められているのだと思います。



これは前回見過ごしてしまったP2事件で有名になったブラザーロベルト・カルヴィが吊るされていたというブラック・フライアーズ橋です。P2の主要メンバーであったブラザーリーチオ・ジェッリはまだご健在のようです。元ナチスのムッソリーニ救出作戦に関わったオットー・スコルツェニーなども関わっていたようです。鷲は舞い降りたという映画の元ネタとして有名だと思われます。アポロ11号の月面着陸時にもこの言葉が使われました。そういえばヘリコプターのシーホークが三浦に不時着する事件が最近ありましたね。

様々な現代建築ラッシュであるロンドンでありました。2013年に集中していたのでしょうね。

テムズ川越しのロンドンアイです。天気が良いと写真も良いです。

これはテンプル教会のインナーテンプルだと思います。テンプル教会は教会とともに法曹院として弁護士や裁判官の育成を行っているようです。日本の弁護士会のような組織のようです。4つある法曹院のうち2つはここのインナーテンプルとミドルテンプルにあるそうで、すなわちイングランドの法曹界の半分はテンプル騎士団の系譜を引いているという事でしょうか。

これはアウターテンプルのところでしょうか。ちょうどセントポール大聖堂の前の通りのフリートストリートに面した門の上の紋章です。ロイズ保険組合と法曹院が同居しているのでしょうかね。ロイズ保険組合というのは日本では漫画のマスターキートンというもので有名かもしれません。もちろんマスターメイスンをもじっている漫画なんですね。もちろん中心の蜂の巣はフリーメイスンリーのシンボルで工業や集団で協働して作業する事のシンボルです。

アウターテンプルの住所だと思われます。222のシンボリズムのようです。スコットランドの王立協会もこのシンボリズムでしたので、2.11とは異なる222のシンボリズムも666のシンボリズムと同様に重要な意味があるようです。

テンプル騎士団のシンボルの羊が十字架を背負っているシンボルです。フリーメイスンリーのシンボルの中では一二を競うかわいいシンボルだと思われます。神の子羊として騎士団以前よりキリスト教のシンボルとして良く認められているようです。騎士団の印章として使用されていたようです。

悪魔の食堂という名前の有名なパブがあったそうです。詳細はウィキペディアを参照してください。

再びグランドロッジの光景です。この日は夕食は食べませんでしたかね。確か休日で混んでいたせいと、あまりロンドンでどこがおいしいのか分からなかったためでしょうか。なかなか旅行というよりは出張といった感じのイギリス旅行でした。
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