2014-12-27 12:27 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
ヨハネによる福音書 1章1節から18節 新共同訳
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。

再びフリーメイスンリーでの金科玉条であるヨハネの福音書第1章の冒頭部分です。本日2014年12月27日はいわゆるUGLE United Grand Lodge of Englandが結成されて201年目ということで、まあもちろん去年が200年目の記念日であったわけですが、去年はGパンの秘密なんて記事を書いていたころで、まあ一応ロンドンからの帰国の途を書いていたりしたのでそういう感じでもあったわけですが、そういうささやかな古代派と現代派で分裂したものがふたたび統合して現代に繋がった日という事で、Wikipediaでもその日については諸説入り乱れていて表記が異なるのですが、確かUGLEの公式ホームページはこの日になっていたと思うので、いわゆる近代フリーメイスンリー結成の洗礼者ヨハネの日に対応する、福音記者ヨハネの日という事でフリーメイスンリーのシンボルとなるのだと思います。

あらためてヨハネの福音書冒頭を読んでみると、すなわちここで言う言(ことば)とは文字、もしくはフリーメイスンリーではすなわちシンボルであり、シンボルが神であり人間の神性の表現であり、知性の光であるという事になるのだと思います。それがヨハネ、まあこのブログの流れで行くと洗礼者ヨハネに行き着くわけであり、混沌としたローマ帝国時代のユダヤ王国では知恵の結集が洗礼者ヨハネであったという事であり、それがその後のラビアキバの実際的なユダヤ教の大成に繋がったのだという表現なのだと思われます。またそれは同時にキリスト教の成立とローマ帝国での国教化への流れと表裏一体であり、それらはカトリックとプロテスタント、フリーメイスンリーの流れへと繋がるわけです。
法律も人間性も個人の関係も集団の関係も全て言葉において成立するという近代社会の源を表現したのがまたこのヨハネの福音書の言葉であり、それはそのままユダヤ教の知恵であり、キリスト教の知恵でもあります。

フリーメイスンリーにおいてシンボルが重要となり、またそのシンボルについてきちんとした歴史的考察と徹底したユダヤ教、キリスト教の教えの歴史が裏打ちされるのがシンボリズムでもあり、それらにインドなどを経由して日本の仏教などの教えと共有されるものがあるというのがまた日本におけるフリーメイスンリーでもあります。

シンボリズムについてはこのブログで一貫して解説してきたものでありますが、全体があって個があり、個があって全体があるというのがまさにグノーシスの教えそのものでもありますが、それはまたシンボリズムの要諦でもあり、福音記者ヨハネの日にあってヨハネの福音書の冒頭を読みシンボリズム全体を俯瞰するというのもまたフリーメイスンリーではないかと思われます。
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