2015-03-07 10:08 | カテゴリ:シンボリズム
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
スターバックスについてはこのブログを検索すると17回出てきているようですが、最初から横須賀のスターバックスもヴェルニー公園のところで象徴的に取り上げながらも商標でも触れていないというなかなか現代日本の最も象徴的なフリーメイスンリー、アメリカのチェーン店ということになるようです。
スターバックスstarbucks_logo_original2.jpg
自分で書いたブログながら、さすがに長くなってきて細かいところまで覚えてはいないので、検索して調べると、どうもインディアナポリス州の州章のところで多少スターバックスのロゴについて触れていました。その他にも大英博物館の夜の女王のレリーフのところでも触れていました。

まあなぜここであえてこれほどまでにフリーメイスンリーの企業としてこのブログでも当然としてきたスターバックスを取り上げるのかというと、結局湯河原に来て身の回りにあるいかにもフリーメイスンリーというものがスターバックスであったという結論だからなのだと思います。
まあそんなもんなんですね。グノーシスではないですが、在りて在るもの、神は遍在するという、コーヒーハウスで始まったフリーメイスンリーなわけですが、そういう人々が望むもの、それこそがフリーメイスンリーであるということかと思われます。横須賀でもブログの最初に取り上げたとおり、そういう現代日本においてもっともフリーメイスンリーを感じさせてくれる空間、ロッジに近い静寂が商業としてあのコーヒーチェーンにあるということなのかと思われます。

まあそういうわけで大体内容は終わってしまうわけですが、謎っぽい話でいうとあのスターバックスの普通と違うボリューム表記でしょうか。VentiとかGrandeとかあの耳慣れない感じは何なんでしょうか。おそらく頭文字をシンボリズムとして入れたいだけなんだと思います。解説を読むとイタリア語らしいですが、まあそんな感じがフリーメイスンリーでしょうか。

興味深いのはやはり白鯨の話で、まあ私もこの長編小説を読んだわけですが、なかなかキリスト教と自然主義の対立、神なる自然と人間との闘争という感じのテーマではあるわけですが、ブラザーペリー来航の直接の動機も捕鯨の補給基地としての日本の開港であったわけで、当時のアメリカの捕鯨文化を知る上では非常に貴重な文学であり、また捕鯨文化の残るアジア、日本のキリスト教文化との対峙とも捉えられるところもあるわけで、私も最初にスターバックスに行ったのが鎌倉の旧横山隆一邸のものであったわけですが、東と西の対峙というフリーメイスンリー、スコティッシュライトの永遠のテーマを感じる、二本の尾をもった人魚の女神という双頭の鷲とはまた対極のシンボルを持つ世界的なコーヒーチェーン店を改めて記事としてみました。

まあ結局豆が良いとおいしいのですが、それは変動するんですね。人生は流転する。それをコーヒーを飲みながら感じるのがフリーメイスンリーでしょうか。
(追記:人生は流転するは、万物は流転するの言葉のオマージュでしょうかね。ヘラクレイトスの言葉とされるようですが、実際にはわからないようです。まさにネオプラトニズム、グノーシスでしょうか。)
関連記事
秘密

トラックバックURL
→http://freemasonry.jp/tb.php/624-a38a2d20