2012-03-07 16:10 | カテゴリ:全国の市章
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
本日はタウ十字をやりますが、このタウ十字というシンボル、わたしが初めて知ったというか、自覚したのはやはり最初に神戸に行った直後です。
既に聖書のエゼキエル書は読んでいたので該当のタウ十字の項目は読んでいたのですが、確認したところ新共同訳の口語訳では印を付けよ。となっているだけなのでタウ十字は知らなかったものとなります。

神戸が横浜と同じく日本におけるフリーメイスンリーの発祥の地になる事を知っており、最初に六甲山に登ってシンボルが新築されたのを認め、その直後に蜂の巣である事を知ったわけで、すでにそのときに碇がフリーメイスンリーのシンボルである事を知っていましたので、これはどう考えても夜景にライトアップされる神戸の市章は何らかのシンボルに違いないと考えて出てきたのがやはり最初はエジプト十字でした。で十字について少しウィキペディアなどで知るようになって初めてタウ十字の存在を知るにいたったというわけです。
そういうわけなのでインターネットの無かった時代に本や口伝でこういう秘密を知ろうとしていた人たちは大変だったんだと思うわけで、当然インターネットも同様ですが、こういう秘密は教えようと思う他に伝わる方法はないのです。つまり聖書を読む機会を増やそうというルターやカルバンの試みというのはカトリックの内部から言っても積極的な智恵の伝道であり、それらの日本でのザビエルやその他の伝道師らの活動はこういう智恵の伝道の最たるものであり、現在やはりそれらの最も効率のいいやり方がテレビやインターネットなどのメディアになるのだと思います。
打てば響くとか、求めよさらば与えられんなどそういう教えは多いですが、フリーメイスンリーでは2be1ask1という標語があり、これはTo be one, ask one.という意味で、フリーメイスンになりたいと思うのであればフリーメイスンに尋ねよという意味で、これは智恵の話と一緒で、知りたい、学びたいと思うからこそ知る機会を得、学ぶ機会を得るという単純明快な教えなのだと思います。論語でいうと子曰、「学而時習之。不亦説乎。有朋自遠方来。不亦楽乎。人不知而不慍。不亦君子乎。」となるかと思います。
さてそういうわけでタウ十字の話になるわけですが、タウ十字に関して神戸の市章は非常にシンボリックなものになるかと思います。

市章の表情というかそういう印象が非常にまたぬけぬけとしている感じで非常にまたフリーメイスンリー的であるかもしれません。(3/8追記:神戸市の市章を始め、この形をタウ十字として説明していますが、さらにうまい説明が見つかりました。キリストを魚として表現する方法としてイクトゥス(ΙΧΘΥΣ)というものがミラノ勅令前のキリスト教弾圧時代に十字架以前のキリスト教のシンボルとしてあったようです。

お互いをキリスト教徒として確認するための符牒としても使われたようです。
この形の転倒であればタウ十字よりもさらにキリスト教信仰の象徴になるものと思われます。恐らく採用している市はやはりキリスト教を意識しておらず元の神戸市の市章をまねしているためかと思います。それでTの字よりも神戸市の市章に近い形が引き継がれていっている理由がわかりました。タウ十字にさらにこのイクトゥスが重ねて隠されていたと考えるのが最も正しいようです。)
こういうひっかけるような感じはYou Tubeなどでもアップされていますが、フリーメイスンを見抜く方法といったBBCの動画にコミカルに表現されています。郵便のマークやTSUTAYAのマークなどもそういう一つの重要なメディアとしての現れであると思われ、タウ十字の象徴的な使用かと思われます。東京都の都章にも使用され、銀杏の葉はそのまま東大やその他の国立大の徽章ともなっています。

タウ十字自体はヘブライ語のアルファベットの最後の並びになるそうで、原典となるエゼキエル書などもちょうどバビロン捕囚の旧約聖書では恨みつらみの多い暗いところであり、その鬱積した暗さを謎の多い預言で発散するような印象があり、後に比較されやすい新約聖書のヨハネの黙示録などと良く対比されますが、やはり旧約聖書はユダヤ的に良く戦略が練られている感じで、時代背景も異なるので是非読まれる事をお勧めします。
キリスト教的には聖フランシスコ会が十字として採用しているそうで、これもやはりカトリックの聖書研究の結実なのだと思いますが、恐らく旧約聖書を読みこんで十字のシンボルの成り立ちを研究して辿りついたシンボリズムの結果なのだと思います。(サンフランシスコはこの聖フランシスコが名前の元になったそうです。サンフランシスコは日本人街やサンフランシスコ講和条約など日本人とも関わりの深い土地です。サンフランシスコ大地震などもありました。サンフランシスコの市章は羽を広げた鷲の図柄でどうもタウ十字を表しているようです。)(2013/11/9追記:鷲ではなくフェニックスですね。十字ではなくタウ十字に掛けられて復活するキリストを象徴しているようです。)

サンフランシスコ市章

フリーメイスンリーでは三笠公園の項でとりあげましたが、ブラザージョージ・ワシントンも加入していたYork Riteの内の団体であるRoyal Arch Masonryのシンボルマークのトリプルタウで採用されており、これについてはまだ詳しくないので由来する教えなどについてはわかりません。


さてではタウ十字と認められる市章について見ていきましょう。

羽曳野市 大阪ですね。鳥の羽ばたきにもかかっているそうですが、葡萄の生産地のようです。古墳も多いようです。葡萄はエゼキエル書でもよく出てくるキリスト教のシンボルで、フリーメイスンリーでもワインは象徴的です。有島武郎の一房の葡萄などもキリスト教のシンボルかと思いますが、この市章も色なども葡萄をイメージしているものかと思われます。最近ではダルビッシュの出身地のようです。(3/8追記:ダルビッシュの移籍先のテキサスレンジャーズのシンボルマークのTはそのままタウ十字ですね。活躍が期待されます。羽曳野市は梅酒のCHOYAの本社があるようです。ワインとつながるでしょうか。イクトゥスとも関連はあるかと思います。)

土佐市 高知ですね。Gにもかかっているようです。比較的神戸の市章に近い形となります。どうしてもタウ十字の恐らく日本での最初のわかる使用が神戸の市章だったためだと思われます。タウ十字の市章での表記は前回のアンクの造形を除けば神戸市の市章の形の模倣を越えない形になります。やはり市章でのシンボリズムはエゼキエル書やキリスト教信仰などから来るものではなく、ダイレクトにフリーメイスンリーのシンボリズムの模倣という形が日本の市町村では一般的であるのだと理解される一つのわかりやすい例がこのタウ十字なのだと思います。それは昨今の市町村合併で異常に月と太陽が多く認められたり、3の強調が多く認められたりする話ともつながっていて、それらはシンボルの教えの理解とはかけ離れたものであるとわかるわけです。それは明治大正期の市章にAll Seeing Eyeが異常に多かったり、非常に小さな規模の市町村の方がGのシンボルをそのまま使用しているなどの傾向とも重なります。横須賀のフリーメイスンリーのシンボルの多用とも重なる非常に悲しい日本のフリーメイスンリーの現実かと思われます。(3/8追記:まさにイクトゥスの形になっています。キリスト教信仰が盛んとは思えません。)

旧砺波市 富山です。現在はです。以前のものは典型的なタウ十字にGのシンボルの転倒でした。これもアンクの形と近く市章で非常に多い形です。最近の市町村合併で三色で川の流れのようなGlory後光を伴ったタウ十字の変形となりました。北陸は浄土真宗が強いのでしょうか。この川の流れのような形は市章でもある一定数認められ、恐らくフリーメイスンリー的には後光Gloryとして認められるのでしょうが、最も近いのはコメント欄でも若干話題に上った笹川良一氏のボートレース協会のシンボルマークで認めます。恐らくボートレース協会側では独自のシンボルと認識されているのだと思いますが、フリーメイスンリー的には後光Gloryなのだと思います。島津の十文字と近い話だと思います。シンボリズムは著作権の話とも近く、フリーメイスンリーの友愛のベースともなるのですが、基本的にアダムとイブの創造から始まって、人間にオリジナルはないと、全て神の模倣であり、オリジナルは神の世界にしかないという、まあいわばネオプラトニズムが徹底している感じでしょうか。そういうわけで、日本のものでオリジナルのものがあるとかいう発想はあまりないのではないでしょうか。そうは言っても日本独特というのは良く強調される話なので、聖書を読んだりして海外の考えと自らのものを相対化する作業が大事になるのではないかと思います。笹川氏や大体有名になる活動家はそういう活動がもっぱら盛んだと思います。(3/8追記:イクトゥスで良いと思います。)

鹿嶋市 茨木ですね。鹿島臨海工業地帯、鹿島神宮、鹿島アントラーズの鹿島ですね。市名表記は鹿嶋になるようです。住友系の工場のようですね。反転したGも認めます。緑色なところも神戸市章に似た感じです。(3/8追記:イクトゥスで良いと思います。)

天童市 山形ですね。将棋の町です。Gも認めます。天童のひらがなの「て」らしいですが恐らくTからこの形になったのではないでしょうか。(3/8追記:イクトゥスですね。)

長門市 山口です。安倍晋三元首相の選挙区です。タウ十字でいいと思いますが3かもしれません。どっちつかずのかなりぼんやりしたものです。

むつ市 青森です。大湊があるようです。脇野沢庁舎という所の写真ではピラミッドが見えます。(3/8追記:これもイクトゥスの形ですね。)

大府市 愛知です。やはり愛知は個性的ですね。小文字のgにもかかっていそうです。(3/8追記:イクトゥスですね。)

旧平戸市 長崎です。アンクで出たかと思います。タウ十字に非常に近い形ですが、なぜかアンクに変更になっています。やはりそれだけタウ十字はフリーメイスンリーのシンボリズムで重要なのではないでしょうか。

川崎市高津区 神奈川です。高津のTと思います。タウ十字のはっきりした形は市では少ないようです。

京都市山科区 京都です。Yをかたどっているようです。市町村ではないのであまり関係ないかと思います。

京都市下京区 京都です。明らかにTですがこれもやはり市町村ではありません。東本願寺、西本願寺があるようです。京都タワーもあるようです。面白いですね。

相生市 兵庫です。タウ十字とも取れますが、結三つ柏の反転のようでもあります。兵庫はやはりタウ十字への関心が高いようです。かつてのIHIの城下町のようですが人口は減っているようです。

大川市 福岡です。3本線は三の強調でしょうか。ちょっと上に出ていますがアンクとは認めづらいと思います。

和泉市 大阪です。自然が多いようです。タウ十字とアンクの市章はあまり発展と関係ないのでしょうか。神戸のものとはやはり異なるのでしょう。

市原市 千葉です。市をモチーフとするのも多いようですが、この場合はかなり明確なタウ十字になるようです。神戸の市章ともそっくりです。ゴルフ場の数が日本一のようです。神戸ゴルフ倶楽部と関連しているのでしょうか。(3/8追記:イクトゥスですね。)

旧加須市 埼玉です。現在のものはAll Seeing Eye、アンク、月と太陽のもののようです。やはり市章の流行そのものを感じさせる流れです。旧章はAll Seeing Eye、Gの転倒、タウ十字が平等に入れ込んである印象でしょうか。人口は非常に増えているようです。

北区 東京23区です。タウ十字とういうよりはAll Seeing Eyeでしょうが、タウ十字が少ないのでこちらに入っています。赤羽があるのでしょうか。

湖南市 滋賀ですね。琵琶湖の南のようです。甲賀郡の甲の字からタウ十字にかけているのかもしれません。人口は増えているようです。

文京区 東京23区です。タウ十字の転倒で良いと思います。JRの駅はひとつもないようです。大学や学校が多いようです。タウ十字については教わるのでしょうか。(3/8追記:イクトゥスですね。)

東広島市 広島です。ひの字を二つ重ねたようです。広島大学、エルピーダメモリがあるようです。タウ十字を二つ重ねたとも無理すれば見えますが、鳥の形のようです。二つ重ねるのは日本の象徴になるのかと思います。

上越市 新潟です。上の字のようです。タウ十字の転倒ととりました。月ともとりがたいしそれくらいしかないかと思います。春日山城があるのでしょうか。

香南市 高知です。これをタウ十字とするのはかなり無理があります。Kをモチーフとしているようです。五芒星は良いかと思います。青い部分を斜めのタウ十字ととりました。月と太陽もないのでその代わりに五芒星なのでしょうか。反転のGも無理やりなんとか見えるかもしれません。

アンクとタウ十字はあまり市の状況を見ても何か発展や文化・産業と関連してる傾向は薄いようです。ただ特にタウ十字については神戸市の市章の影響が感じ取れるかと思います。最初のフリーメイスンリーの地である事から市章の意義は深いのだと思います。横浜市の市章についてもそっくりのものがかつては他の市町村でやはり認められたようです。
アンク、タウ十字に限らず十字全般で見るとやはり九州地方は十字が市章に隠されているようです。私も色々抜けているものがあるようですし、市章の表記をヤフー検索で最初に出るホームページに頼っているので、町村について全く抜けている事から、かなり多くの市町村章についてもっと明らかなフリーメイスンリーのシンボルが入ったものについて抜けているようです。
最終的には関連したと私が見て思われるものは全て載せるつもりですが、抜けてしまうものもあるようです。ご了承ください。この市章シリーズの要点は市章にそういうフリーメイスンリーのシンボルが数多く認められ、それらが市章作成過程で恐らく意識され、またそれらが現実の市の文化や民主主義、工業の発展と関連しているように思われるという私個人の意見を裏打ちできればと連載しているもので、確実などこかの情報に基づいているものではありません。まさにテレビでのフリーメイスンリーの都市伝説のフレーズ、信じるか信じないかはあなた次第というものです。
ですがここまで全部読んでいて信じない人はいないでしょう。まあ全部読めればの話ですが。

タウ十字は旧約聖書に起源があり、キリスト教信仰やフリーメイスンリーの考え方と密接に関わっているものであり、それらと関係なく市章に使われる事はやはり本質的に間違っているのかと思います。神戸がフリーメイスンリーで特別な地である事をまず理解し、その上でタウ十字の市章について理解することが最初に必要なのだと思います。またタウ十字より古いものとして安易なアンクの持ち上げは非常に危険だと思います。エジプト学の基本はやはり聖書や文献を基本とした古代文明の研究であり、聖書が荒唐無稽だとして最初から理解しないでエジプト文明を理解しようとする事は非常に危険です。もちろんフリーメイスンリーの歴史が聖書やキリスト教の絶対主義からの解脱であったとしてもです。フリーメイスンリーでも聖書の通読が必須ではありませんが、より深い理解には絶対必要だと私は考えます。シンボルの使用もやはりそういうものだと思います。そこにつながりを認めないようでは理解できないのではないかと思います。
論語読みの論語知らず、そのような言葉が言われて儒教はすたれていっているかと思います。要は同じことで、世の中にキリスト教の教えやフリーメイスンリーの考えが普及すればするほど原典を知る人は少なくなるという事はあるかと思いますし、それを最初から考えてユダヤ教は作られています。なんでもオリジナルに当たれ、原典の真偽を大事にしろという所は科学的思考やフリーメイスンリーの基本的な態度であり生きていくのに大事なことだと考えます。
(2015/1/24追記:非常にシンボリズムのところで、重要であり基本的なところであり、全国のロータリークラブやライオンズクラブと関わる所でもあるのですが、このタウ十字の部分の項目で取り上げた市章の中に有翼日輪とかぶさったものが数多くあるようです。いずれにしてもシンボリズムに関してはそれだけで大学が一つできる程の内容かと思いますので今後も精査していきますので歴史的な資料としてこのまま残していこうかと思います。)

次回現在話題になっている大阪市の澪つくし、ラバルムの市章についてです。


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