2012-03-10 13:38 | カテゴリ:福岡
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
酒は呑め呑め 呑むならば 日本一(ひのもといち)のこの槍を 呑み取るほどに呑むならば これぞ真の黒田武士

ええと、福岡へは学会の後で単身赴任中の家族を見に行ったわけです。
観光旅行といえ大変でした。こんなところで報告する事になるとは夢にも思いませんでした。

福岡についてはこれまで行った事はなく初めてで、たいして基礎知識もありませんでした。
ただ一点、フリーメイスンリーに関してだけは注目していました。

一応黒田官兵衛については、最初はやはりゲームでしょうか、光栄(本社ビルが面白いらしいですが。)の「信長の野望」の世代なので、それで知っていたという所になるかと思います。軍師で優秀であったという印象を持っていた程度で、具体的に知ったというのはやはりウィキペディアだと思います。それでは再びウィキペディアを転載します。

今回はやめておきます。長いですからね。
ポイントだけをまとめます。播磨の出身で姫路城なども居城とした。裏切りの説得に行き土牢に閉じ込められたりして後遺症が残るほどのひどい目にあった。秀吉に仕え中国大返しを献策した。高山右近らと親しくなりキリシタンとなった。秀吉がバテレン追放を行った後はすぐに棄教した。小田原攻めでも北条氏の降伏を説得した。福岡に居城を持ち家康に恐れられた。
その他数多くの逸話に彩られていますが、結局武将から大名となり今日の福岡の基礎となる江戸時代の治世の元となった人物かと思います。
彼の人生の最大のポイントはキリスト教との出会いであり、キリスト教との出会いはまた茶人や茶の湯の文化との出会いでもありました。利休七哲、十哲(千利休の直弟子)のうちキリシタンであったのは、蒲生氏郷、高山右近、牧村利貞、織田有楽斎であり、細川忠興は妻ガラシャがキリシタンでした。また織田信長に謀反し、黒田官兵衛が交渉に行って土牢に閉じ込められた荒木村重も茶人としてこれに含まれます。この時代のキリシタン大名に多いのは九州地方であることと、やはり裏切りが非常に多いのと、支配地域での神社仏閣への迫害でしょうか。

茶の湯は後に千利休の切腹により大成され今日まで日本文化の伝統として天皇家や三井家とも密接につながる形で継続しています。イエス・キリストの磔とも相似のものがあるかと思います。
いずれにしても茶の湯は戦国から安土桃山にかけての戦乱と裏切り、下剋上の中で心の平穏を求める諸大名の求めで拡大隆盛し、江戸の安定の中で町人、商人の文化と共に明治維新を迎えることとなりました。黒船来航の狂歌「太平の眠りを覚ます上喜撰たった四はいで夜も寝られず」と歌われるほど茶の文化は浸透するのでした。もちろん茶の文化は中国が発祥で、後にイギリスでは紅茶の習慣となり、中国ではウーロン茶をはじめとした各種の茶が今でも盛んで、三国志の時代から茶は薬として珍重されていたようです。

フリーメイスンリーはもともと紅茶の普及が始まる前のコーヒーハウスで始まり、現在でも定例会ではコーヒーがふるまわれるのが通例となっています。コーヒーや紅茶の栽培や取引は各国の通商や経済を発達させる役割を通じて、世界の一体化や今日に至る各国の文化や習慣の共通化を果たしました。フランス革命後のナポレオン帝政期における大陸封鎖令によるイタリアでのコーヒー豆の供給不足からエスプレッソの方法が生まれ、今日ドトールコーヒーやスターバックスコーヒーなどのコーヒーチェーンの拡大で日本でもここ数年で急速にそうした習慣が生まれてきているかと思います。また英国の伝統である紅茶の習慣に関しても、アールグレイをはじめとした様々な銘柄を楽しむ習慣も近年極めて一般的に認めらるかと思います。ブラザーリプトン卿のティーバックは有名ですが、フォートナム・アンド・メイソンのような英国の老舗ブランドも日本に進出してきているようです。
アメリカ独立戦争では東インド会社の茶税の増税に対するボストン茶会事件をきっかけとして大きく独立運動として動き出しました。ボストン茶会事件をきっかけとしてアメリカではコーヒーを飲むのが主流となったそうです。ボストン茶会事件とフリーメイスンリーが直接関係した事はないようですが、その後に独立戦争ではボストンではブラザーポール・リビアが活躍しその名を留めています。私は個人的には紅茶は茶葉を中国から英国に運ぶ途中で発酵してしまうために、英国では普及したのではないかと思っていますが、これは非常に強く否定されます。紅茶も緑茶も抹茶もコーヒーも良く飲み好きですが、やはり日本人にとって抹茶を飲むとその爽快感は日本的な独特なものがあるかと思います。最近では先ほど挙げたチェーン店で抹茶ミルクの製品が多くなりましたので抹茶飲料を飲む機会も増えているかと思います。

日本人にとってのお茶は現在でも生活の中で密接に関わっていますが、日本の象徴としての天皇家とお茶の関係はまた天皇家とキリスト教の関係のように密接なものがあるかと思います。天皇家に限らずお茶会というものは正式な形からくだけた形のものまで様々に親交を深めたり情報を交換したりする機会であり、キリスト教のミサやフリーメイスンリーの会合のような役割があるかと思います。ウィキペディアでもあまり解説が無くなりましたが、東京にある有楽町という皇居前の地名は、いわゆる八重洲(ウィリアム・アダムスの同僚のヤン・ヨースデン由来)と似て、織田有楽斎の名前と関係しているそうですが、はっきりした根拠はないそうです。織田有楽斎は織田信長の兄弟でありながら武士から茶人に転じ、当時にしては長命したキリシタン大名で、茶人としても大成し明治まで続く織田家の家流と、有楽流という茶道の一派を残しました。

このように戦国末期の安土桃山時代の戦国大名たちにとってキリスト教と茶道というものは絶対に無視できない要素であり、そのうちの一方のキリスト教とかなり深く接触していたのが今回紹介する福岡・博多とかかわりの深い黒田官兵衛(如水)です。(当然黒田如水も相当に茶の湯に親しみ、千利休に師事していたそうです。)

次回以降この黒田官兵衛を一つのテーマとして福岡・博多にあるフリーメイスンリーのシンボルについて考察していきたいと思います。


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