2012-03-15 15:36 | カテゴリ:全国の市章
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さて市章シリーズもだいぶ煮詰まってきた感じですが、今回は少数派の碇やコンパス(筆記具)の形を含んだ市章を紹介します。
この形はフリーメイスンリーのシンボルとしては非常に特有のもので、特にコンパスの形はフリーメイスンリーに特異的なものになるかと思います。ただ図形的には二本の線で角度を構成するだけなので装飾を入れなければあまり意識しない事になるかと思います。
碇についてはキリスト教のシンボルと共通ですが、シンボリズムを知らなければ、特に碇のシンボルとしての意味を知らなければ、よくあるシンボルだと思うだけになるかと思います。

ではそれぞれ市章について紹介する前に、一般的な商標やシンボルマークについて、そこに認められる碇とコンパスのシンボルについてご紹介します。

海上自衛隊 帝国海軍でもほとんど変わらないでしょうが各国の海軍はほとんどが碇のマークをシンボルとしているかと思います。もちろん各国の海軍の創設にフリーメイスンが関与しているかというと恐らくそうだからシンボルに入っているという事になるかと思います。ここがシンボリズムの非常に大事な部分です。日本の場合はそれは特に当然なのです。これは帝国陸軍の徽章についても同じ事になるかと思われます。それだけ特にイギリス、フランス、アメリカでは軍人にフリーメイスンは非常に多いわけです。

アメリカ海軍 鷲はアメリカ合衆国の象徴です。碇はアメリカの州章にも船と共に数多く認められるシンボルで、ノアの箱舟のシンボリズムと同じく地に足のついた希望、充実した生活を意味します。日本の海上自衛隊の基地前にも米海軍の基地前にも碇がシンボルとして置いてありますが、あれは共に地に足のついた希望、充実した生活を意味するフリーメイスンリーのシンボルとしての意味になるかと思います。

シトロエン フランスの自動車メーカーです。創業者がフリーメイスンであり、コンパスを意味すると思われます。ダブルシェブロンというそうです。紋章学におけるシェブロンは、「保護」と「信頼できる働きを成した建築家その他の者」を意味するそうです。まさにフリーメイスンを意味するかと思います。現在では直角定規の形に近く太くなっています。直角定規だとロッジではWorshipful Masterの象徴となり、Master Masonの道具となります。
ウィキペディアではシトロエンのエンブレムは2つのクサビ形を重ねたもので「ドゥブル・シュヴロン(double chevron)」または「ダブルヘリカルギア」と呼ばれる。これはアンドレ・シトロエンが経営者としてスタートするきっかけになった歯車「シェブロン・ギア(やまば歯車)」の歯形をモチーフとしたものであるとあります。

ダンロップ イギリスのタイヤメーカーです。創業者がやはりフリーメイスンです。コンパスを意味すると思われます。

このように今回のシンボルのテーマである碇とコンパスは日常的によく見る形でありながら実は非常に特異的にフリーメイスンリーのシンボルとされるものです。こうした事がフリーメイスンリーの秘密と称される部分になるかと思いますが、また同時にフリーメイスンリーの普遍性であり、Free and AcceptedのAccepted(受容された)の部分になるものかと思われます。

では市章の碇、コンパスのシンボルのものについて見ていきましょう。

山鹿市 熊本です。お祭りでの頭に付ける灯籠をイメージしているそうです。旧市章が非常にニューヨークのロックフェラーセンタービルのシンボルマークと似ています。碇をシンボライズしているものと思われます。2005年です。

足立区 東京23区です。足の字を模していますが明らかに碇です。日暮里・舎人ライナーができたようです。北野武の出身地です。昭和33年制定です。別にあるシンボルマークは三角形のピラミッド型です。

指宿市 鹿児島です。指宿温泉が有名です。iとUで碇の形になっています。湯気三本で3を強調しているようです。蝶の形が入っていて変わった市章です。2006年です。

逗子市 神奈川です。逗の字を示しているようです。碇とも箱舟の形とも取れると思います。石原都知事の出身地です。池子の米軍基地が問題となっていました。碇も箱舟もシンボルとしての意味は同じとされますのでシンボリズムに詳しい事が感じられます。米軍基地住宅もありフリーメイスンリーも盛んだと思います。1950年です。

網走市 北海道です。刑務所で有名でしょうか。1940年制定だそうです。碇そのもののようですが、軍国主義の時代にもあまり碇のシンボリズムは有名ではなかった事がわかります。御殿場型のGのシンボルにも近い形です。
これで碇は終了です。
ここからはコンパスの形になります。

沼津市 静岡です。これは最初の方で市章の話で出しました。逆さの松の葉のようですが、明らかにコンパスと直角定規を逆さまにした形となっています。スルガ銀行があるのでした。菱の形でフリーメイスンリーのコンパスと直角定規を形作るのも一つの形ですが、ここの市章はそれ以上に最も近い形かと思います。(8/12追記:他のブログで何やら澪標のように見えると書いてありましたが、ΧΡも含まれるかと思います。どうぞ気づかれたことがありましたら忌憚なくコメントに書き込むようにしてください。内容は極めてフリーメイスンリー全体にまつわるような内容となっていますが、基本的には極めて個人的なブログです。)

瑞穂市 岐阜です。人口は急増しているようです。かなり鋭角のコンパスの形となっています。2003年です。

有田市 和歌山です。有田みかんで有名です。みかんの葉っぱのようです。コンパスよりも直角定規に近いかもしれません。1956年です。

橋本市 和歌山です。高野山への参詣口のようです。カタカナのハシのようです。コンパスで良いかと思います。ベッドタウンのようです。1955年です。

坂出市 香川県です。カモメを形作っているようです。シトロエンの商標と良く似ています。臨海工業地帯があるようです。1942年です。いろいろあります。
コンパスはここで終わりです。
一応おまけです。

大館市 秋田です。米作りが盛んで、秋田犬で有名な土地のようです。大の字を広げたと書いてありますが、これは垂直儀を圧縮したように見えます。
フリーメイスンリーでは垂直儀、下げ振り、錘のついた長方形の板をJunior Wardenの象徴とします。Junior WardenはロッジでWorshipful Master, Senior Wardenの次の序列で、年一回の選挙で選ばれ、日本語だと副監督官となるかと思います。また第二階級Fellow Craftの使う道具でもあるようです。

垂直儀 下げ振り Plumb
Plumbだけだと錘という意味にもなり、九州大学のキャンパスにあったフーコーの振り子の錘もそれに当たるかと思いますが、あくまでフリーメイスンリーの象徴として認められるのはこの形の垂直儀になると思います。フリーメイスンのまっすぐな姿勢の振舞いを象徴しているものとされます。水平儀が平等である事、公平であることの象徴であるのに対して、垂直儀は自らの行動が真実に照らし合わせて正しいかどうか、自らの姿勢が曲がったものでないかを確認するための道具として象徴されます。
この市章では垂直儀が上下に圧縮されたような形となり、それは垂直儀として機能しないのでシンボルとしての価値は無くなるのだと思います。ピラミッドが逆さまみたいな感じではないでしょうか。どうしてそんな形が入り込んだのかはよくわかりません。わざわざ楯の形を示しており、紋章学についてある程度知っているがゆえに生じた特異な例だと思います。逆さまのピラミッドやラフアシュラーの例で認められるような何やらフリーメイスンリーについて十分な知識を持たないながら、シンボリズムについての知識があるような場合にあるのではないでしょうか。
以上個人的な推測であり、この市章が垂直儀を形どっている根拠は一切ない上でのお話です。御理解いただきたく思います。

今回はこれで終わりです。特殊な形の市章は少なく、かといってその市が特にすごく変わっている訳でもない事が多いです。市章のシンボリズムにおいては当初にあげたGの形がかなりはっきりしている総理大臣の選挙区などと関係があるようなものが最も面白いかと思います。基本的にはフリーメイスンリーのシンボリズムは全て道徳的な教訓を含んだものなので、それらが自治体の発展や特徴と関係するという事そのものがナンセンスであり、それらが市章に多く認める事の意味も良くわからないのですが、現実問題として多くの場合には発展や進歩と結び付けられてシンボルに取り込まれているようです。

多くの場合にはシンボルに込められた意味や歴史を知らないと、単なる言葉遊びと変わらない意味不明なもどきになってしまいます。奇妙な珍品を数多く後代に残さないよう、伝えられているものを恥ずかしくないようにきちんと理解して伝えていくようにしていきたいですね。

えーコンパスのシンボルとしての意味を書いていなかったので一応載せます。さすがに本などで勉強してほしいと思いますが。コンパスは神が円周を描く形で描かれますが、自らの欲望や情熱の範囲を神が決定する、限界を決めて矩を越えないという事を示しているとされます。具体的にはフリーメイスンは欲望や欲求を神が決めた範囲にとどめるようにするというかなり重要な項目になります。これは友愛の前提として、社会契約説などと同じで権利の範囲を示すことで非常に大事な事かと思います。実際これは普通の人は権利の範囲は自分が決定する様に勘違いしがちですが、フリーメイスンリーでは厳密に神が決定するという事になります。それがまた民主主義の前提であり、ユダヤ教などの律法主義のいわゆる法の精神になるのかと思います。近代国家における三権分立を唱えたブラザーモンテスキューもフリーメイスンでした。欲望に限界を設けなければ逆に言うと個人の自由は成り立たない、欲望を理性でコントロールすることが本当の自由に至る道であるという教えだと思います。


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