FREEMASONRY
Blue Lodge, Scottish Rite & York Rite in Japan
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まあシンボリズムでしょうか。湯河原に来てからあまりそういうこともなかったんですが、聖なる月の復活の8という事でカトリックに特異的な数字の記念日という事のようです。復活の8というのがテーマでもあります。


大浦天主堂です。内部は写真撮影禁止であったかと思います。ステンドグラスがあったかと思いますが、まああまり日本の教会を観光目的に訪問したこともないし、木造の教会というのはあまり見慣れていないので何とも不思議な感じでありました。まあ坂の町という感じでしょうか。教会前のお土産屋の列がいかにも日本という感じでそちらが印象深かったかと思います。ブラザーグラバー園が近いこともあり、カトリックというよりもプロテスタント的な印象でしょうか。

現在使われている教会堂が横にあります。これはいかにもカトリックの教会という形をしています。観光場所ではないので信者さんじゃないと入れない感じでした。


付属施設でしょうか。信徒発見の碑があります。長崎開港後の大浦天主堂建設後に浦上の住民が信仰告白を大浦天主堂のフランス人神父ベルナール・プティジャンに行ったそうです。最初に信仰告白したのはゆりという女性であったそうです。

内部の様子です。確かきれいだったと思いますが、まああまりカトリック的な印象ではありませんでした。セーヌ川のノートルダム寺院のような印象でしょうか。フリーメイスンリー化したカトリックというと良さそうです。




周囲の記念碑などです。何となく横須賀のヨゼフ病院のような印象でしょうか。フリーメイスンリー化したカトリックというのが最もしっくりくるのかもしれません。信徒発見というのも出島の活動やフリーメイスンリーについて知ってしまうとなんだかなあという感じもありますが、まあその辺がキリスト教です。


タクシーで移動した浦上地区の原爆資料館です。三角形の構造があるので撮ったのですね。まあいかにもなシンボリズムはありませんでした。浦上地区はあくまでキリスト教カトリック、隠れキリシタンがテーマであって、フリーメイスンリーはそれらをつなぐものとしてあまり表立ってはいないようです。あえて言うとすると原爆を落としたアメリカ側、ブラザートルーマンの側であり、完全に悪役であるようです。

被爆した浦上天主堂の像ですね。鷲のシンボリズムがあります。福音記者ヨハネの像です。

原爆資料館の隣の地下にある国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館です。荘厳な様子ですが、何とも無宗教というのもなかなか難しいなという感じでしょうか。明らかに日本のカトリックの聖地、隠れキリシタンという歴史、キリスト教と日本文化というテーマがある長崎であるがゆえに無宗教的な建築という意味でこのようになったのだと思われますが、まあなかなか何とも言い難いという感じでしょうか。12本の柱だと思いますが、そこに汎宗教性を込めたというところだと思います。


平和公園です。どう見ても聖母子像を意識した被爆者の像があります。被爆して破壊した浦上天主堂の一部が置かれています。浦上地区は完全に日本のカトリックの聖地なのですね。川を挟んだ谷戸の地形となり原爆投下自体が投下地点の過誤などではなく正確な聖地を目標とした8月15日の聖母被昇天の日の終戦に向けた決められたプロセスであると認識させる爆心地であるのです。爆心地自体がシンボリズムであるわけです。


漢字の八の形になっている噴水がありました。復活の8でしょうか。






いわゆる有名な長崎の平和祈念像です。横須賀の自由の女神の像で出た北村西望先生の作品ですね。北村西望先生は南島原市の出身で教員から美術学校に進学して、山縣有朋の騎馬像を制作して名声を得たそうです。戦後は東京のアトリエで制作して102歳で昭和62年まで生きたそうです。まあ陸軍という事でカトリックよりなんでしょうかね。平和祈念像の手の形はまさにイエスのよくある形だと思います。
平和公園のその他の寄贈された像は目立つものは共産圏からのものが多く、やはりフランス大東社でしょうか、日本の表現だと左翼となるのでしょうが、カトリックの影響だとグラントリアンという事だと思います。まあ原爆関連でそういうなかなか複雑な日本の開戦から焦土となっての敗戦の経緯そのものと関係する主要な理由がこの長崎にあるというのが実感されるわけで、その経緯ともいえる浦上崩れや大村崩れ、天草崩れといったキリシタンの弾圧については原爆関連の場所では見られないわけで、それらがあるのはもちろんカトリックの施設内でしょうから、原爆関連のものだけを見ても片側しか見ていないことと同じなわけで、そういうものが今後はもっと認められる方がよいのだと思われます。
信教の自由を理念としたフリーメイスンリーの国、アメリカがYa G Aloneや聖櫃を意味するboxを隠語とした飛行機から落とした、トリニティー実験の末のマンハッタン計画のプルトニウム原爆、ファットマンによって破壊された日本のカトリックの聖地浦上の奇跡は復活によってなされたわけですが、その歴史の教えを日本人はどう受け止めていくのでしょうか。



浦上天主堂です。非常に立派です。左のさらに立派な建物は長崎大司教館だそうです。もちろん内部には信者だけが見られるような展示もあるのでしょうが、そういうのはやはりカトリックでしょうね。下に見下ろすように普通の住宅地があり、公園があるのがまあイタリアのような配置なんでしょうか。よくできていると感心してしまいます。


被爆した浦上天主堂の遺構があります。左の建物はカトリックセンターというユースホステルのような巡礼者のための宿泊所だそうで、一泊2000円で泊まれるそうです。まあ立派な教会で完全に復活のテーマなわけです。内部はさらに立派で、これまで見た日本のどの教会より立派です。小学生のツアーが見学していました。まあ長崎の観光地としてもっともの見どころでした。

少しオベリスクっぽい記念碑です。原爆関連でしょうか。

第二の原爆ドームになるなんて話もあったらしいですが、取り壊して再建されました。もちろんこのブログを読むような人にはわかるかと思いますが、それらがすべてフリーメイスンリーの教え、カトリックの教えと歴史に沿ったものであるという事がわかるかと思います。広島の原爆ドームの設計者のチェコ人の話なんかもここ数年であったかと思います。

浦上地区の交差点の投光器があったのでしょうかね。まあ何となく撮った写真です。まあ何とも雰囲気のある爆心地の町でした。
ちなみに大浦天主堂と浦上天主堂で共通のウラの言葉ですが、聖書では一か所歴代誌に表れるユダヤ人の12氏族の末裔の一人の名前で、前後のつながりがはっきりしないですが、アシェル族の一人とされるようです。
(2015/12/27追記:Ur(ウル)でアブラハムがカナンに移住する前にいたメソポタミア地方のシュメールの、現在のイラクの都市の名前となるようです。都市の最初の設立者の名前から名付けられたと伝承されるようです。また近くにUraという都市もあるという事で、UraとUrで混同があるという議論もあるようです。いずれにしてもアッカドのサルゴン大王に代表されるシュメール王朝の主要な都市がウルクやウルという都市であり、それがその後エジプトに移住するユダヤ人の祖であるアブラハムの出身都市であったという事が、いわゆる旧約聖書を読みこんだフリーメイスンとしてのクリスチャンにとっての興味の対象であったという事のようです。)
浦上は 復活の8 アシェルの民


大浦天主堂です。内部は写真撮影禁止であったかと思います。ステンドグラスがあったかと思いますが、まああまり日本の教会を観光目的に訪問したこともないし、木造の教会というのはあまり見慣れていないので何とも不思議な感じでありました。まあ坂の町という感じでしょうか。教会前のお土産屋の列がいかにも日本という感じでそちらが印象深かったかと思います。ブラザーグラバー園が近いこともあり、カトリックというよりもプロテスタント的な印象でしょうか。

現在使われている教会堂が横にあります。これはいかにもカトリックの教会という形をしています。観光場所ではないので信者さんじゃないと入れない感じでした。


付属施設でしょうか。信徒発見の碑があります。長崎開港後の大浦天主堂建設後に浦上の住民が信仰告白を大浦天主堂のフランス人神父ベルナール・プティジャンに行ったそうです。最初に信仰告白したのはゆりという女性であったそうです。

内部の様子です。確かきれいだったと思いますが、まああまりカトリック的な印象ではありませんでした。セーヌ川のノートルダム寺院のような印象でしょうか。フリーメイスンリー化したカトリックというと良さそうです。




周囲の記念碑などです。何となく横須賀のヨゼフ病院のような印象でしょうか。フリーメイスンリー化したカトリックというのが最もしっくりくるのかもしれません。信徒発見というのも出島の活動やフリーメイスンリーについて知ってしまうとなんだかなあという感じもありますが、まあその辺がキリスト教です。


タクシーで移動した浦上地区の原爆資料館です。三角形の構造があるので撮ったのですね。まあいかにもなシンボリズムはありませんでした。浦上地区はあくまでキリスト教カトリック、隠れキリシタンがテーマであって、フリーメイスンリーはそれらをつなぐものとしてあまり表立ってはいないようです。あえて言うとすると原爆を落としたアメリカ側、ブラザートルーマンの側であり、完全に悪役であるようです。

被爆した浦上天主堂の像ですね。鷲のシンボリズムがあります。福音記者ヨハネの像です。

原爆資料館の隣の地下にある国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館です。荘厳な様子ですが、何とも無宗教というのもなかなか難しいなという感じでしょうか。明らかに日本のカトリックの聖地、隠れキリシタンという歴史、キリスト教と日本文化というテーマがある長崎であるがゆえに無宗教的な建築という意味でこのようになったのだと思われますが、まあなかなか何とも言い難いという感じでしょうか。12本の柱だと思いますが、そこに汎宗教性を込めたというところだと思います。


平和公園です。どう見ても聖母子像を意識した被爆者の像があります。被爆して破壊した浦上天主堂の一部が置かれています。浦上地区は完全に日本のカトリックの聖地なのですね。川を挟んだ谷戸の地形となり原爆投下自体が投下地点の過誤などではなく正確な聖地を目標とした8月15日の聖母被昇天の日の終戦に向けた決められたプロセスであると認識させる爆心地であるのです。爆心地自体がシンボリズムであるわけです。


漢字の八の形になっている噴水がありました。復活の8でしょうか。






いわゆる有名な長崎の平和祈念像です。横須賀の自由の女神の像で出た北村西望先生の作品ですね。北村西望先生は南島原市の出身で教員から美術学校に進学して、山縣有朋の騎馬像を制作して名声を得たそうです。戦後は東京のアトリエで制作して102歳で昭和62年まで生きたそうです。まあ陸軍という事でカトリックよりなんでしょうかね。平和祈念像の手の形はまさにイエスのよくある形だと思います。
平和公園のその他の寄贈された像は目立つものは共産圏からのものが多く、やはりフランス大東社でしょうか、日本の表現だと左翼となるのでしょうが、カトリックの影響だとグラントリアンという事だと思います。まあ原爆関連でそういうなかなか複雑な日本の開戦から焦土となっての敗戦の経緯そのものと関係する主要な理由がこの長崎にあるというのが実感されるわけで、その経緯ともいえる浦上崩れや大村崩れ、天草崩れといったキリシタンの弾圧については原爆関連の場所では見られないわけで、それらがあるのはもちろんカトリックの施設内でしょうから、原爆関連のものだけを見ても片側しか見ていないことと同じなわけで、そういうものが今後はもっと認められる方がよいのだと思われます。
信教の自由を理念としたフリーメイスンリーの国、アメリカがYa G Aloneや聖櫃を意味するboxを隠語とした飛行機から落とした、トリニティー実験の末のマンハッタン計画のプルトニウム原爆、ファットマンによって破壊された日本のカトリックの聖地浦上の奇跡は復活によってなされたわけですが、その歴史の教えを日本人はどう受け止めていくのでしょうか。



浦上天主堂です。非常に立派です。左のさらに立派な建物は長崎大司教館だそうです。もちろん内部には信者だけが見られるような展示もあるのでしょうが、そういうのはやはりカトリックでしょうね。下に見下ろすように普通の住宅地があり、公園があるのがまあイタリアのような配置なんでしょうか。よくできていると感心してしまいます。


被爆した浦上天主堂の遺構があります。左の建物はカトリックセンターというユースホステルのような巡礼者のための宿泊所だそうで、一泊2000円で泊まれるそうです。まあ立派な教会で完全に復活のテーマなわけです。内部はさらに立派で、これまで見た日本のどの教会より立派です。小学生のツアーが見学していました。まあ長崎の観光地としてもっともの見どころでした。

少しオベリスクっぽい記念碑です。原爆関連でしょうか。

第二の原爆ドームになるなんて話もあったらしいですが、取り壊して再建されました。もちろんこのブログを読むような人にはわかるかと思いますが、それらがすべてフリーメイスンリーの教え、カトリックの教えと歴史に沿ったものであるという事がわかるかと思います。広島の原爆ドームの設計者のチェコ人の話なんかもここ数年であったかと思います。

浦上地区の交差点の投光器があったのでしょうかね。まあ何となく撮った写真です。まあ何とも雰囲気のある爆心地の町でした。
ちなみに大浦天主堂と浦上天主堂で共通のウラの言葉ですが、聖書では一か所歴代誌に表れるユダヤ人の12氏族の末裔の一人の名前で、前後のつながりがはっきりしないですが、アシェル族の一人とされるようです。
(2015/12/27追記:Ur(ウル)でアブラハムがカナンに移住する前にいたメソポタミア地方のシュメールの、現在のイラクの都市の名前となるようです。都市の最初の設立者の名前から名付けられたと伝承されるようです。また近くにUraという都市もあるという事で、UraとUrで混同があるという議論もあるようです。いずれにしてもアッカドのサルゴン大王に代表されるシュメール王朝の主要な都市がウルクやウルという都市であり、それがその後エジプトに移住するユダヤ人の祖であるアブラハムの出身都市であったという事が、いわゆる旧約聖書を読みこんだフリーメイスンとしてのクリスチャンにとっての興味の対象であったという事のようです。)
浦上は 復活の8 アシェルの民
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