2015-11-15 15:11 | カテゴリ:長崎
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
フランスが大変なことになっている2015年の聖なる月ですが皆さんいかがお過ごしでしょうか。
テロの語源がフランス革命にあることを知ると、第1共和政、パリコミューン、ナチスによるパリ占領と、フランスの歴史の中で、パリを舞台とした壮絶な血の歴史が分かり、さらにそれらの元にキリスト教化と十字軍の歴史、そしてフリーメイスンリーに最も関係するテンプル騎士団の十三日の金曜日の悲劇があることを知り、西欧の中心として常に時代の中心で暴力と革命、変革の先端の町であるという事が再認識されるのではないかと思われます。

さてブログの方は2015年11月15日のシンボリズムに合わせたまさに長崎の秘密、坂本国際墓地です。そもそも坂本国際墓地という場所の名前から言って坂本龍馬にかかっているのだと思いますが、長崎のフリーメイスンリーの歴史の中でブラザーグラバーと坂本龍馬による薩長同盟成立から倒幕、大政奉還から戊辰戦争、明治政府成立というのは一つの大きなトピックであり、それらはその後の三菱グループ、キリンといった日本を代表する企業や、長州出身の総理大臣といった現代までつながるわけではあります。現在は長崎にフリーメイスンリーロッジは無いわけですが、そのない理由の大きな原因の一つ、長崎のかつてのフリーメイスンリーロッジの活動のもう一つの大きなトピックとしておそらくあげられるのがロシア革命につながるロシアののちのニコライ二世、当時皇太子であったニコライの長崎訪問であるかと思われます。大津事件というと歴史をきちんと勉強した人は聞いたことがあるかと思いますが、当時ロシアと関係の良かった明治政府は皇帝即位前のロマノフ王朝最後の皇帝になるニコライ皇太子の世界周遊で歓待し、最初に上陸したのが長崎であり、その後に滋賀県大津を訪れた際に暴漢に襲われたのが大津事件でした。

三国干渉、三国協商、三国同盟なんていうのも明治大正の国際関係の歴史のキーワードであるかと思いますが、1893年日清戦争、1903年日露戦争と3の数字のまさに坂の上の雲のごとく日本はフリーメイスンリーをキーワードに坂を駆け上がっていったというのが日中戦争、太平洋戦争前の歴史であり、それらの大きな舞台となったのがフリーメイスンリーロッジのあった横浜、神戸、長崎であったという事なのだと思います。

ニコライ皇太子はロシアの啓蒙君主としてまさにフリーメイスンとして薫陶を受けていたという事で、しかしながらその際に強く蝶々夫人に認められるような日本女性=芸者観を持っていたという事であったようで、当時はまだブラザーグラバー存命中ですから、フランス人武官のピエール・ロティ、おそらくフリーメイスンでしょうが、彼の書いた「お菊さん」という小説に感化されていたという事です。まあそれがその後の神戸ロッジ管轄下での大津事件になり、そして皇帝ニコライの日本人観となり、日露戦争となりロシア革命となったという歴史であるようで、それらが独ソ戦から米ソの核の冷戦時代になり今日のポスト冷戦時代となると考えると、皇太子の芸者遊びは国を亡ぼすというまさにフリーメイスンリーのソロモンの知恵の話そのもののようです。

さてまあだいぶヤクザなかつてのフリーメイスンリーの活動の概観のような話は予備知識として、現在に残される坂本国際墓地の様子を見ていきましょう。長崎にはその他にも大浦国際墓地や稲佐悟真寺の国際墓地があるわけですが、私は見学する時間がなかったことでこのブラザーグラバーの墓がある坂本国際墓地のみを見学することとなりました。基本的に長崎出島の観光ショップで売っていた長崎に眠る西洋人を参照しています。

浦上地区から歩いていくと途中に一本柱鳥居で有名な山王神社があります。
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近くのおそらくロータリーの方なんでしょうが、ちょうど参拝していました。楠も有名な被爆から復活した楠だそうです。隠れキリシタンの改宗を行っていた神社という事もあり、倒壊した三の鳥居は原爆慰霊碑となりましたが、残存した一の鳥居はトラックが追突して撤去されたそうです。二の鳥居が有名な片足鳥居となって境内にあるそうですが、夕暮れで暗くなっている時間であったので坂本国際墓地に急ぎました。ホテルニュー山王なんてのもありましたが、山王というのも一つポイントでしょうか。
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まあ最初に坂本国際墓地に行って最初に目についたのがこのお墓であったわけです。そもそも長崎の国際墓地は稲佐山の悟真寺の国際墓地と大浦国際墓地とこの坂本国際墓地とあるわけですが、長崎に眠る西洋人の解説を概観すると稲佐山の悟真寺のものはオランダ人とロシア人のものがほとんどで、特にオランダ人のものは長崎の開港前のものが多く、いずれもまた無名の墓が多くフリーメイスンリーのシンボルがあるようなものはまれであるという事です。また大浦国際墓地は比較的若くして亡くなった方が多いようで、イギリスやアメリカの方ですが、まあこの後解説するようにいわゆるフリーメイスンリーのシンボルマークを入れてあるような墓は少ないようです。それで坂本国際墓地なわけですが、そもそもユダヤ人墓地があるおそらく日本唯一の場所であり、横浜の外国人墓地以上にフリーメイスンリーのシンボルマークがある、おそらく日本で一番フリーメイスンリーのシンボルマークがある墓地という事になります。その中でもブラザーグラバーらの墓がある方が新坂本国際墓地とされ、上記の写真の墓がある方なわけですが、まあいかにブラザーグラバーの誉が高いかという事を象徴しているわけですが、その一方でのこの折れたオベリスクなわけです。
ブラザージョージ・P・デンビーというそうで、スコットランド出身で後にロシアに帰化し、妻は日本人で、主に函館とウラジオストクと長崎を往復しながら、捕鯨技術などを伝えて、デンビー商会を立ち上げて事業を拡大したそうです。妻もキリスト教徒であったようですが、夫と娘がオーストラリアで過ごすために長崎を離れた1909年12月27日に脳卒中で亡くなったそうです。娘は1914年に函館の英国副領事と結婚し、その後夫がハワイ領事となったため夫と父親とともにハワイに移住したそうです。息子たち二人はロシアの女優姉妹と結婚したそうです。ブラザージョージ・P・デンビーはハワイ移住後すぐに1916年11月15日に心臓疾患のため亡くなったそうですが、娘も父親の死後すぐに子供を産んで9日後に亡くなられたそうです。社交界の花形であったそうで、テニスが上手かったようです。息子夫婦などが横浜の外国人墓地に葬られているとありましたが、私の持っている横浜外国人墓地の記録にはありませんでした。ブラザーデンビー一家が住んでいた南山手25番館は犬山の明治村にあるそうです。このあいだ訪問した際は確か改修予定であったようでした。
まあ一人ひとり書いていくとこれだけ長くなってしまうわけですが、あえてこの折れたオベリスクのフリーメイスンについてだけは書いたわけですがどうでしょうか。率直に言って最初にこの初めて見た折れたオベリスクのお墓を見て、誰かが原爆投下などの長崎の歴史から来る恨みで横からハンマーでぶち壊したのではないかと思いました。スコットランドのエディンバラのオールドカールトン墓地などの墓地を見てもわかるわけですが、いかに白亜の大理石のオベリスクの墓であることがフリーメイスンとしての栄誉かというところが、まあワシントン記念塔などからもあるわけですが、その中でもオベリスクが折れているという事はまあまずないわけで、初めて折れたそれもその墓地の中で一番立派であろうオベリスクが折れているわけで、これには最も困惑しました。
今になってわかったことなんですが、結局長崎に眠る西洋人をよく読むと、原爆投下直後はかなり多くの墓石が倒壊して、それを長崎市や有志が立て直したんですね。爆風と熱線で鳥居が倒壊するくらいですから、オベリスクが折れてもおかしくないわけです。で、オベリスクが真ん中から折れているこの場合には修復は困難であるという事で横に置かれているわけです。その他にもオベリスクや高い墓石はあるわけですが、真ん中から折れているオベリスクはこの最も北側にある新坂本墓地のこのオベリスクだけであったと。まあ修復そのものにも山王神社の一の鳥居の倒壊の話ではないですが、いろいろあるのだと思いますが、いずれにしても明らかにフリーメイスンとわかるオベリスクであって、原爆投下による影響であれ、折れたまま残っているオベリスクというのはこのお墓だけくらいではないかと思われます。同時に原爆投下自体がオベリスクが折れることを計算した投下であったという事が言えるかと思います。その他の墓もかなりのものが倒壊したようですが、ユダヤ人墓地の門柱も倒壊しなかったようで、それは明らかに折れたオベリスクとユダヤ人墓地の被害との間には差があるわけで、その間はおよそ50メートルであり、高さは高低差がかなりあるので、まあ新坂本国際墓地のこのブラザーデンビーのオベリスクが倒れて、坂本国際墓地のユダヤ人墓地に被害を大きく出さない程度の投下地点という計算が成り立つのだと思われます。高度500メートルという設定もそれに従ったものでしょうし、それによって、浦上天主堂はほぼ全壊、長崎大学医学部を挟んで、坂本地区以南の長崎駅側が被害がある部分とない部分に分かれ、また山王神社はほぼ全壊するという緻密な計算が見えてくるかと思われます。まさにフリーメイスンリーの神の選択、アルベルト・アインシュタインいわく、「神はサイコロを振らない」、まさにそれがこのオベリスクなんだと思われます。

その後のロシアの命運を分けた、そして長崎の命運を分けた折れたオベリスクの象徴がブラザーデンビーのお墓でありました。ブラザーデンビーの亡くなった1916年11月15日のおよそ1年後のユリウス暦1917年11月3日グレゴリオ暦1917年11月16日に軍事革命委員会はソヴィエト権力の樹立を宣言したそうです。そして本日がブラザーデンビーが亡くなって99年のその日であるようです。
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まああとは長崎に眠る西洋人を参照して写真を見ていただければ問題ないわけですが、それではブログが成立しないので解説していきます。新坂本国際墓地で最も有名なブラザーグラバー家の墓です。その最も左の奥に明らかにラフアシュラーの墓石があるそうで、その方がブラザーオーガ・ルドウィグ・ジョーダンの墓だそうです。デンマーク人で勲三等旭日賞を受賞されているそうです。電気工学の専門家で電信会社の支社長をされていたそうです。奥さんがシンフォニー・オーケストラのちの長崎フィルハーモニックソサェティーを結成したそうです。その手前、最初に見える墓石がブラザーフラーンス・アルバート・カールソンの墓で、やはり電信社の社員でケーブル技師長であったそうです。スウェーデン人であったそうです。誕生日が1845年11月13日です。
その手前四角い段々の墓がブラザーリチャード・フォード・インマンの墓でホームリンガー商会の社員で、長崎ホテルの初代支配人をしていたそうです。長崎クラブの会長及び海外英国人愛国連盟の書記も歴任したそうです。サンフランシスコへの旅行途中心臓病で横浜で亡くなられたそうです。怖いですねえ。没日が1917年7月7日です。
その手前の墓石がジョージナ・マンスブリッジのもので、さらにその手前がブラザージョージ・スワットン・マンスブリッジのものです。手前が夫のものでアイルランド出身で三菱の造船所で潜水夫兼索具責任者として採用されたそうです。奥が中国人の妻のものだそうです。現在三菱の社屋がある飽の浦の高台に住んでいたそうで6人の子供がいたそうです。大浦丸という船の船長をしていて、沈没船の引き上げを73隻も行ったそうです。日露戦争中に瀬戸内海に機雷を敷設した功績が認められ、勲六等瑞宝章を授与されたそうです。ジョージナ・マンスブリッジの養父母はヘンリー・ミルズとエリザベスで坂本国際墓地に葬られているそうです。
で、やっとこブラザーグラバー家の墓ですが、奥が倉場家の墓と書いてあって、いわゆる倉場富三郎とその妻ワカの墓になるわけです。その手前に何やら基石だけあって、一番手前がブラザートーマス・ブレーク・グラバーの墓となるわけです。妻のツルも一緒だそうですが、分骨される前の太平寺にも墓があるそうです。
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こちらはブラザーグラバー家の墓の対面になる、手前からブラザーウィリアム・ヘンリー・D・D・ウェントワースの墓、ブラザーヒューバート・M・ラ・シャペルの墓、ブラザーハインリッヒ・ウィルヘルム・ラウトの墓、ブラザージョン・H・フィンドリーの墓、ブラザーF・R・ボリオニ一家の墓、ブラザーオーレスティ・デュッセルドープの墓、ブラザージョン・N・ウォードロップの墓、ブラザーアルバート・ラッセルの墓、ブラザーウゼニオ・ザノーニ・ヴォルピチェルリの墓だそうです。まあ新坂本国際墓地は全員フリーメイスンで、フリーメイスンリーの墓にしようとブラザーグラバーからこっちに区画を設けたんですね。それで、オベリスクは折れてるは、フリーメイスンリーのマークはないわとなっているわけです。いずれにしても長崎にあったフリーメイスンリーロッジはスコットランドグランドロッジ管轄下のNagasaki Lodge No.710となるそうで、オーストラリアのイタリア大使であったブラザーウゼニオ・ザノーニ・ヴォルピチェルリなどは仏教の研究もしたそうで、旧アメリカ領事館付近の自宅で死亡したそうで、原爆投下で墓石も損壊し1960年に長崎市によって修復されたそうで、おそらくこの人がブラザープッチーニの蝶々夫人の元ネタを提供したのではないでしょうか。
奥にも2か所墓石のない墓があり、それぞれ手前からブラザーアルフレッド・リンドゼー・マックレランとブラザーA・M・ハリガンだそうです。
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ブラザートーマス・ブレーク・グラバーとその妻のツルの墓です。まあフリーメイスンリーの謎になってないですが、頭頂部がオベリスクの三角形になっているのがわかるでしょうか。まあウィキペディアではないですが、ブラザーグラバーをフリーメイスンでないと言ってしまったら何もわからないでしょう。
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こちらが倉場富三郎の墓です。頭頂部が丸くなっています。彼は学習院からペンシルバニア大学に入学したそうです。ホームリンガー商会に入社し、内外クラブを創設などしたそうです。雲仙ゴルフ場の開設にも尽力したそうです。魚介類の図譜は有名だと思いますが、底引き網漁の実験を行ったそうです。戦時中はグラバー邸を売却し、ブラザージェームズ・ウォルターの娘の妻ワカが亡くなり、原爆投下から2週間経たない1945年8月26日に自殺しました。この坂本国際墓地にはこのタイプの頭頂部が丸くなったハスの花を思わせる飾りがある墓が多くあるのですが、どうも仏教に帰依している象徴であるようです。倉場富三郎氏をフリーメイスンであるというのはなかなか難しいのですが、ブラザーグラバーがあまりに高名すぎるので、その子であり、原爆投下後に自殺したという事であまり議論にはなることはありませんが、実際にはフリーメイスンとして育てられ、教育され、実質上フリーメイスンとしてあったという事は間違いないかと思います。もちろん、戦時中にどうやってフリーメイスンであったのかとか、仏教でなぜフリーメイスンなのかという事があるかと思いますが、まあその人生を知るにつけ、実質的なフリーメイスンであったというところになるのだと思います。またこの新坂本国際墓地に墓があるというのもその条件となり、ブラザー倉場富三郎となるのだと思われます。そのブラザー倉場富三郎と妻ワカの墓の隣の基石の意味ですが、これはどうもブラザー倉場富三郎の実母である加賀マキの墓か、それを置くつもりであったものであるようです。ツルは実母ではなかったようで、加賀マキという女性がその後どうなったのか不明ですが、ブラザーグラバーに子供が取り戻される際に首を切ろうとしたなんて話もあるとのことです。少なくともブラザーグラバーの長女でツルの子供である娘ハナはその後アメリカで結婚し、現在もその子孫がいるとのことです。
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ブラザーF・R・ボリオニ一家の墓です。イタリア人で韓国、中国で働いていたようです。1920年7月11日に長崎で亡くなられたそうです。妻は日本人で1949年11月15日に亡くなられ、火葬されたそうです。お墓は明らかに丸の形の上に十字が載っています。娘は父親の死後すぐに11月30日に亡くなられたそうです。息子は韓国で働いていたとのことでそちらの子孫がいるのかもしれません。
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メアリー・E・メルトンの墓です。メソジスト監督協会の婦人外国伝道協会派遣宣教師で、活水女学校で神学部主任であったそうです。活水の宣教師として長崎の国際墓地に埋葬されたのはメルトン女史ただ一人であるそうです。女性の実質的なフリーメイスンという事のようです。
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山田スマの墓のようです。洗礼名がJosephinaであるようです。夫がフランス人のルソーといい、娘が二人いて、山田ミツとヤーナ・マデェイラで一緒に埋葬されているようです。さらに本田ツネという女性も一緒であるようです。イエズス会系のシンボルがあるので、イエズス会所属の信徒という事で埋葬されているようです。
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ブラザーフレデリック・A・A・コフォードの墓です。デンマーク人で三菱造船所の船舶の船長を務めていたそうです。ナガサキクラブのメンバーであったようで、ナガサキクラブというのが実質日本人の加盟が禁止されていた時代のほぼイコールのNagasaki Lodgeなのでしょうね。妻のために女の都(めのと)というところに色々建築を施したそうで、そこにあるおたけ公園の名前はこの妻の名前に由来するそうです。
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ブラザーペーター・グーズワードの折れた列柱の形の墓です。63歳で亡くなられたそうですが、まあ夭逝なんでしょうね。オランダ人だそうです。ライジングサン石油会社の長崎支社長であったそうです。内縁の子をブラザーフルベッキのひ孫と新聞で報じられたが確証がないとのことです。ライジングサンの名前からすると、現在もあるUGLE麾下の神戸のRising Sun Lodge No.1401関連であるようです。
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ブラザーアルミロ・ケルビン・ザ・ソーザとその息子の墓です。1921年11月1日に亡くなられたそうです。ポルトガル人で、ブラザーアルミロの父親がポルトガル人でマカオから長崎に来てアメリカ領事館で通訳兼事務官をしていたそうです。ブラザーアルミロは海星学園を卒業し、香港上海銀行の社員となり、長崎支店勤務となったそうです。子供が8人いたそうです。相続に関してブラザーピニャテールが妻も相続できるように差配したそうです。現在ブラザーアルミロの居住地跡にはアルミロと名付けられた喫茶店が出来ているそうです。墓の周囲の天使はブラザーアルミロのミドルネームであるケルビムです。
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新坂本国際墓地のユダヤ人区域であるようです。手前からブラザークルリアンスキー・ニコラジェウスキーの墓、ブラザーロバート・ロスの墓、ブラザージョゼフ・サミュエル・スタインハードの墓です。ブラザークルリアンスキー・ニコラジェウスキーはロシア人で1910年1月14日亡くなられたそうです。ブラザーロバート・ロスはアメリカ人で横浜生まれだそうですが、避暑のため来た雲仙で1922年6月24日亡くなられたそうです。ブラザージョゼフ・サミュエル・スタインハードはアメリカ人で63歳で1909年12月12日亡くなられたそうです。新坂本国際墓地は最初にこのユダヤ人墓地のブラザーフリーダ・ブランクの墓が最初に埋葬されたそうです。結果的には5基のみが建てられたという事で、日猶同祖論なども含めて、日本におけるユダヤ人史は実は日本におけるフリーメイスンリーの秘密中の秘密で実際には明治維新以降のすべての日本の歴史かもしれませんね。

新坂本国際墓地にはこの他にもブラザーカルロ・F・ウルソ、ブラザーカール・ポール・ハインリッヒ・スクリバ、ブラザービィクトール・L・ピニャテール、ブラザーハーバート・スピア、といったシンボリズムと興味深い人生のフリーメイスンの墓があり、それらは写真を撮らなかったので上のように解説はしませんが、いずれも長崎に眠る西洋人を参照してください。
ブラザーウルソはイタリア人で1849年4月1日生まれだそうです。子供を16人もうけたそうですが、8人は幼児期に亡くなり、戦後に全員長崎を去ったそうです。ウルソはラテン語で熊の意味だそうです。お墓には息子たちなど10人の名前があるそうです。長崎にはいなかったがお墓は長崎であるようです。
ブラザースクリバの息子は松下幸之助社長の通訳兼秘書として活躍していたそうです。ブラザースクリバ家の家紋はいわゆる蝶々夫人で有名な蝶の家紋にしているそうです。ドイツ人ですが、スクリバはラテン語で書記の意味だそうです。ブラザースクリバは1869年2月22日生まれだそうです。
ブラザーピニャテールはフランスリヨン出身だそうで、大浦天主堂建築の際に資材を輸入したそうです。遊女正木と恋に落ち、その後遊女が死んでから形見を大事にして再婚しなかったそうです。出島に家があったようですが、始末屋と呼ばれるような仕事をしていて、西洋バンゾ(乞食)といわれていたそうです。亡くなってから斎藤茂吉に歌に詠まれたそうで、「寝所には括枕のかたはらに朱の筥枕置きつつあわれ」「長崎の港の岸を歩みいるピナテールこそあはれなりしか」「年老いてただひとりなるピナテール寂かなるごとくなほも起臥す」とあります。

どうも長崎に眠る西洋人の著者の方は長崎市役所に長く務められていた木下さんという方で、海星中学高校出身で、相当長崎の事情通であるようです。

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坂本国際墓地の入り口です。新坂本国際墓地とは道を挟んで、永井隆博士の墓を挟んであります。日本人の墓が突然あるので違和感がありますが、まあ最後にウィキペディアの項目を解説することとします。坂本国際墓地は端的に言ってそれほど保護されているわけでもないわけですが、端的に言って草がたくさん生えているわけでもなく、墓石が皆倒壊しているわけでもなく、住宅地の中で普通にうっとうしがられている墓地という感じでしょうか。まあ日本史的には横浜の外国人墓地以上に貴重な存在であるわけですが、そういう意味は解説が伴わないと誰もわからないでしょうね。
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最初にユダヤ人墓地がありこれには感動します。なかなか日本での日常生活でヘブライ文字は巡り合わないわけで、フリーメイスンリーを知ってからそのほとんどがヘブライ文字に行き着く内容であるわけで、まさにフリーメイスンリー的には日本の聖地であるわけです。まあつまり端的に言ってそれが原爆投下の理由でもあるわけでしょう。
正面の胸像があるお墓がブラザージークムント・D・レスナーのものです。特にフリーメイスンリーのシンボルはないようですが、1859年1月13日生まれの、左手前から二つ目のお墓のユダヤ教のラビであったブラザーレオ・レスナーの息子さんだそうで、忌日も1920年2月24日となっています。ブラザーレオ・レスナーはライオンの名前で、Leo Lessnerとライオンズクラブのような名前の方で、長崎ユダヤ教博愛協会の名誉会員およびベス・ユダヤ教会のラビであったそうで、88歳まで長生きされたという事で、おそらく長崎のユダヤ人社会の中心的人物、現在の日本のライオンズクラブのもととなっているのかもしれない人物ではないでしょうか。おそらくブラザーフルベッキなども一目置くような人物であるかと思います。いずれにしてもユダヤ教のラビの方の墓というのは日本ではここくらいだと思われます。息子さんはユダヤ人墓地やユダヤ教会堂を建設した実業家であったそうですが、オーストリア人であったことで第一次世界大戦の際に営業停止をされて、戦争が終わって営業再開する際に急死されたそうです。
右列の一番手前のものと三番目のものがそれぞれ両手の中指と薬指の間を開いて、さらに両人差し指と両親指で三角形の形を作る、いわゆる陰謀論でフリーメイスンリーの形とされる三角形を指で作る形を描いています。またその中には右の一番手前のものは Peh Nun (פנ)のヘブライ文字が描かれ、その意味は‘Here Lies’ここに眠るという意味であるそうです。ユダヤ人の墓としては最も一般的なシンボルであるという事です。ユダヤ人の墓のシンボリズムについて格好のブログがありましたのでリンクしておきます。ベルギーのユダヤ人の方のブログのようです。またこのブログによると、この中指と薬指を開ける手の形はユダヤ教の大祭司が祈りの際に示す指の形だそうです。これもユダヤ人の墓のシンボリズムとして一般的であるそうですが、三角形の形を作るところがおそらくフリーメイスンリーを象徴しているわけで、ユダヤ人の独自性を加味したフリーメイスンリーのシンボリズムという事のようです。おそらくあまり他ではない形式であるかもしれません。それでお墓の方ですが、右の一番手前がブラザーファニー・サリターという女性のようで、飲食店を経営されていたようです。1907年2月19日忌日でアメリカの方という事で墓石のシンボリズム以外は特にこれといったことはありません。右側三番目の墓の方はブラザーウイリアム・グルンサイドという方で、墓石はオベリスクで、居酒屋を経営されていて、忌日は1898年12月21日とシンボリズムを認めます。オーストリア出身という事です。
その他の方では夭逝を意味する折れた石柱の方はいますが、どうも経営するホテルの火事で亡くなられたそうで、まさにその通りのシンボリズムのようで、あまりフリーメイスンリーを意味するようなシンボリズムのお墓の方はいないようです。
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ブラザーファニー・サリターのお墓です。まあ実物を見られるのがよいかと思います。陰謀論が吹っ飛ぶんじゃないでしょうか。ローマ字綴りではFanny Saliterとなり、そのままでおかしなサルタイアーという意味に英語の語呂でなりますので、ユダヤ人としてしかも当時のレギュラーロッジとしては女性の加盟はないわけですが、まさにユダヤ人という事でフリーメイスンリーの何たるかを示すという事で、何とも素晴らしいフリーメイスンとなるのがこのブラザーファニー・サリターという事になるようです。梅ヶ埼11番地で飲食店を経営されていて、夫と子供が残されたという事で、ブラザーウィリアム・グルンサイドも同じシンボルで居酒屋を経営されていたという事で、何とも現在の東京の新宿や渋谷、港区などのコスモポリタンを思わせる当時の長崎の様子が想像される、コスモポリタニズムの人、ユダヤ人でありアメリカ人であり女性でありフリーメイスンであるおかしなサルタイアーのお墓でした。Saliterはドイツのバイエルン州の町の名前で、石工の石膏レンガの意味のようです。Fannyは語源がフランシスからきているそうで、英語では尻の意味もある女性の名前とのことです。エダ・グレーフという女性とともにあるそうです。
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ちょっと日本の紅葉が入ったユダヤ人墓地の写真です。一番右列の手前からハスカル・ゴールデンブルク、グリシャ・ルーベンスタイン、レオン・ハーブスタイン、二つ墓石がなく、一番奥がエルネスティーナ・グリュンベルグです。真ん中列は夭逝した幼児のお墓です。左列はブラザーファニー・サリターの後ろがアーロン・カプロン、ブラザーウィリアム・グルンサイド、アドルフ・D・レヴィー、マリー・S・ナデッキー、そして幼児のお墓だそうです。
ハスカル・ゴールデンブルグは1898年11月7日に59歳で亡くなられたそうで、限りなくフリーメイスンなんでしょうが、妻が日本人でカトリックであったという事だそうです。ドイツ、ルーマニア出身とのことです。やはり酒場「Flag of AllNations」と旅館を経営されていたという事で、長崎のユダヤ人は酒場や飲食店の経営が多かったようです。商会の経営がスコットランド人が多いようでしたのでそういうヨーロッパでの職業別のようなすみわけがあったようです。妻は夫の死後日本人と再婚し、その子供たちはアメリカで成長してその子孫がお墓参りをしているそうです。まあ完全にフリーメイスンでしょうねえ。ちなみにハスカルはイディッシュ語のエゼキエルの意味で、ゴールデンブルグは金の山の意味だと思われます。お金持ちであったそうです。まあユダヤ人のどこをとってフリーメイスンであるというかというのは、フリーメイスンリーそのものの根幹にかかわる問いであり、ユダヤ人のフリーメイスンリー加入に関する成書がありますので、それを取り上げる際に解説していければと思います。
グリシャ・ルーベンスタインは1900年7月3日に25歳で亡くなられたそうです。ドイツ、ロシアの出身とのことです。写真ではわかりづらいですがオベリスク型をしています。まあフリーメイスンという事だと思われます。指揮者でもルーベンスタインといますが、赤い石という意味で、アシュケナジーユダヤ人の名前という事で、ルビーがとれるドイツの町の名前という事です。GrishaはGregoryのロシアでの変形であるようですが、Gregory自体がWatchful, to watchよく見る、観察するという意味だそうで、まさにAll Seeing Eyeの意味であるようです。ブラザーグレゴリー・ペックが有名です。暦だと教皇のグレゴリウス暦が有名です。おそらくその変形のGrishaで芸者Geishaとかかっているのだと思われます。
レオン・ハーブスタインは1900年9月28日亡くなられたそうです。船の衝突事故により溺死したそうです。ルーマニア出身とのことです。ハーブスタインはドイツのヘッセン州の都市の名前だそうで、温泉があり薬湯とされるそうです。やはりオベリスク型をしています。
エルネスティーナ・グリュンベルグは1902年2月9日に44歳で亡くなったそうです。ルーマニア出身でオリエンタルホテルとテンプル・バー・インを経営されたとのことです。そのままグラントリアンと、スコティッシュライトにかかっているのでしょうね。まあハウスオブザテンプルのできる前です。Ernestineは真剣な、真面目な、熱情家という意味の女性名という事で、ブラザーオスカー・ワイルドの真面目が肝心という喜劇でもあるそうです。Grunbergは緑の山という意味だそうです。
アーロン・カプロンは1903年3月19日に70歳で亡くなったという事で、ブラザーレオ・レスナーの1904年10月4日の88歳の少し手前でこのユダヤ人墓地で二番目の長寿という事のようです。長崎に眠る西洋人では被爆直後の6分割して転倒している写真が載っています。現在は完全に修復されています。ロシア出身とのことです。下り松36番地の自宅で死亡されたとのことです。名前はAaronは旧約聖書の有名なモーゼの兄でユダヤ人の祭司のルーツとされる人物でありKaplunはそのもの大祭司の意味であるようです。コペルニクスの語源とも同じようで、チャペルの綴りのもとにもなっているようです。トルコでは虎の意味になるそうです。ライオンと虎の格闘がこの長崎のユダヤ人街であったという名残でしょう。
アドルフ・D・レヴィーは1851年3月22日生まれ、1893年1月28日に41歳で亡くなられたとのことです。ルーマニア人であったそうで、温和な性格の人だったが、心臓病のため亡くなったそうです。レヴィーはそのままユダヤ教の司祭であるレヴィ族の意味です。アドルフというとヒトラーが有名ですが、高貴な狼の意味で、ユダヤ教ではヤコブの12人の子供の末弟ベニヤミンの意味だそうです。

創世記/ 49章 27節
ベニヤミンはかみ裂く狼 朝には獲物に食らいつき 夕には奪ったものを分け合う。

アドルフ・ヒトラーも父親がアロイス・ヒトラー、もともとアロイス・シックルグルーバーと言い、シックルグルーバーSchicklgruberの意味は商人とか、盆地に住む人といった意味で、ヒトラーは川沿いの人という意味だとされていますが、まあフリーメイスンリー的にはシックルグルーバーは鎌を持つ人、鎌を操る人でしょうね。アロイス・ヒトラーの生没年は1837年6月7日~1903年1月3日でまあ父親のわからない私生児ですが、おそらく父親がユダヤ人のフリーメイスンとなるのだと思われます。ヒトラーの変名前の名前Hiedlerは水の流れのない川のそばの意味と、戦う人の意味とあり、またHuttlerやHutterの語源となるHüttlerは大工の意味だそうで、小屋に住む人という意味であるようです。リンガーハットともかかっているのでしょうね。まあ現代から見ればアドルフ・ヒトラーが明らかにその後のイスラエル建国の原因となり、米ソ冷戦の時代を作った役割のまさに共産主義、社会主義をドイツフリーメイスンリーのもとで完成させる役割を担ったことは間違いないかと思われます。ヒトラーに関しては日本では赤間剛氏のヒトラーの秘密にかなり詳しく書かれていたと思いますが、私は基本的には最近に保存映像などから晩年のパーキンソン病が診断されていますが、そもそも20代でホームレス収容所、ドヤ街で暮らしていた美術学校時代に娼婦により梅毒に感染したのだと思っています。横須賀の秘密などもそうですが、当時の梅毒感染はかなりの頻度であり、当時の時代情勢を説明するのに相当影響していたかと思われます。ペスト、コレラ、梅毒、インフルエンザ、HIVと現代に続く感染症とユダヤ教とは切り離せない存在であります。
ユダヤ墓地 赤く成りぬる 日本の葉
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整然としたユダヤ墓地の様子です。明らかに日本の鳥居を意識した門柱かと思われます。
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オベリスクとなっていますが、夭逝された方だそうです。
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左列のブラザーレオ・レスナーの後ろが、その妻のハンナ・S・レスナー、その後ろがクララ・スパント、その後ろがジュセッピ・シラー、最奥が折れた列柱のメアリー・フェルドスタインです。
ハンナという名前はよくありますが、日本だとハナと同じになり、ブラザーグラバーの妻の名前になるのだと思います。旧約聖書サムエル記の母親の名前で恵みという意味になるそうです。ミドルネームのSはサラで、これもまたよくある名前ですが、日本人でもよくある名前になるかと思います。旧約聖書創世記の太祖アブラハムの正妻の名前で、エジプト逗留の際には美貌から妹と称したり、不妊であったのが高齢で出産し、後のイサクの燔祭につながる話は創世記のアブラハムの話のピークであるかと思います。ヘブライ語では王女の意味であり、サンスクリット語で本質という意味になるそうです。サライという表現もあるそうです。このユダヤ人墓地の立派な墓の3つが親子で占められているというのが、ユダヤ教においてラビの立場というのが絶対的であるという事がわかるかと思います。ハンナ・S・レスナーは1894年2月11日に66歳で亡くなられたそうです。ロシア出身とのことです。
クララ・スパントは1902年8月3日に59歳で亡くなられたオーストリア出身とのことです。隣にあるサラ・デボラ・スパントの妹ではないかとのことです。
ジュセッピ・シラーは1898年4月13日に60歳で亡くなられたロシア出身のアメリカに帰化された方とのことです。そもそも船員として長崎に来て3年ほど商売をしていて、インドに行って戻ってきて、再び仕立て屋を開業して過労死したとのことです。妻のバーサ・R・シラーの墓が隣にあり、Peh Nun (פנ)があります。三角形の手は無いようです。妻は1907年2月12日に60歳で亡くなられたとのことです。Giuseppeはヨセフの変形で、Schillerはゲーテの友人の第九の歌詞で有名ですが、意味は鉛色の虹色の光沢とあり、金属の光沢の意味のようです。有名なブラザーシラーは11月10日生まれで、宗教改革のルターと同じ誕生日であるようです。
メアリー・フェルドスタインは1897年8月20日に35歳で亡くなられたとのことで、夫が1892年7月13日に急病で亡くなった後に下宿屋を開業し、ヴィラ・ホテルとしたそうです。姪と甥が火遊びをしていて引火して本人にも火がついて亡くなったとのことです。同じ墓にウルフ・ガットガルフという方も埋葬されているそうです。1903年12月3日に亡くなられたそうです。ロシア出身との事です。Maryはユダヤ教ではモーゼの姉のミリアムとなるのだと思います。Feldsteinは平原の石の意味のようです。
胸像のあるブラザージークムント・デヴィッド・レスナーの後ろがサラ・デボラ・スパント、バーサ・R・シラー、ベリル・スロトポルスキーの墓です。ジークムントはドイツ語の勝利の保護者という意味だそうです。サラ・デボラ・スパントは1904年1月28日に62歳で亡くなられたそうです。夫は1888年60歳で長崎を離れ、翌年にアレキサンドリアで亡くなられたそうです。
ベリル・スロトポルスキーという方は1906年4月1日56歳で亡くなられたそうです。ロシア出身ですが、ハルビン出身となっています。Berilの意味は明るい緑色の宝石という意味だそうで、由来はギリシア語で、さらにインド語源となっています。Slotopolskyというのは意味は分かりませんが、どうもSlotとかかっているようで、博打の要素があるようです。墓は珍しく上に墓石のない平石のタイプです。エイプリルフールに亡くなられ、日露戦争直後というのは、まさに日本海海戦の地である長崎としては歴史そのものであるかと思われます。
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そろそろこのユダヤ人墓地の重要性が理解されてきたでしょうか?アドルフ・D・レヴィーの墓の後ろがマリー・S・ナデッキーの墓で4歳で夭逝された、アブラハム・ナデッキーの娘だそうです。マラリアのため死亡したそうです。ロシア人であったようです。
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ブラザージークムント・D・レスナーの墓標です。
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ブラザーウィリアム・グルンサイドの墓です。Grunseidは検索してもあまり出てきませんがおそらく緑の場所の意味かと思われます。手の三角形が認められるかと思います。ユダヤ教だと色に対応したセフィロトのセフィラに当たり、ネツァク(Netzach、勝利と訳される)第7のセフィラ。数字は7、色は緑、金属は銅、宝石はエメラルド、惑星は金星を象徴する。全裸の女性で表される。神名はアドナイ・ツァバオト。守護天使はハニエル。だそうです。グリーンスパン議長なんていたかと思います。
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ブラザーヨハン・クリヴィッヒというオーストリア人のお墓だそうです。別名「ジョン・アンダーソン」とあります。サン・ペーターズブルク・ホテルを開設し、のちにユニバァーサル・サルーンと改名しその後売却したそうです。71歳まで生きて1828.4.29~1898.11.21という事です。フリーメイスンかどうかは微妙ですが、おそらくロッジには参加はしていなかったものと思われます。アンダーソンという別名が微妙ですが、まあ生没年など見ると限りなくフリーメイスンのようですが、何とも決定的なものがない感じでしょうか。もしかするとスコティッシュライトの十全会かもしれません。墓の形、生没年、生前の活動を見るとおそらくその可能性が高いものと思われます。
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ブラザーアルバート・ロビンソンのお墓です。27歳で亡くなった天津出身のイギリス人だそうです。横浜から入港して船内の事故で亡くなったそうです。お墓の作りの三角形と、碇の記章、左右の二本の柱、貝の紋章などからフリーメイスンと判断しました。いわゆる典型的なクリスチャンのお墓ではないと思われます。
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ブラザーウィリアム・T・ヴィガリーのお墓です。やはり仁川から入港したイギリス軍艦の水兵だそうです。1898年2月2日に18歳で亡くなったという事で、成人男子でもないのでフリーメイスンかどうか非常に微妙ですが、まあ軍隊ロッジばかりでしょうからオベリスク型なのはそういういことなのでしょう。明治期の日本に来るイギリス軍艦では相当のフリーメイスンリーがらみのドラマがあったのではないでしょうか。
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(ここから2016/5/17以降の加筆です。一気に書けなかった理由は具体的には書けませんが、まあなかなかそういう気分ではなかったというところでしょうか。)
手前の夭逝の折れた列柱はブラザーフランク・エプスのものです。アメリカ人の見習い水兵で1879.4.18~1897.12.12(19才)とあり、喧嘩で亡くなったそうですが、立派なお墓でありフリーメイスンと認められるのだと思われます。まあ墓の様子を見ても、いかに当時アジアに来るのが大冒険であったかというのがよくわかるかと思われます。
二番目の三段の方形方形三角錐の墓は、ブラザージェームズ・フランシス・マックウィーニーの墓でこれもやはりブラザーフランク・エプスと同じくオリンピア号という船の船員で、こちらも似たような生年月日と忌日で、1868.4.15~1897.11.20(29才)とあります。お墓の形から明らかにフリーメイスンリーを意識したものとなっており、忌日も近いことからフリーメイスンリーでの繋がりがあって、この場所に葬られ、師弟の関係のようなものがあったのかもしれません。死因については書いてありませんが、二等水兵であったそうです。
さらにその後ろの小さい墓がブラザークリスチャン・アークサルソンの墓で、1863.9.4~1899.3.11(35才)とあり、やはりアメリカ人ですが、結核で亡くなったとあります。忌日からもフリーメイスンで良いのかと思われます。
さらにその後ろがマーティン・C・カールセンの墓で51才で日本人の上杉ソモという人と結婚した人だそうで、この二人はデンマーク人でアメリカ経由で来られたようです。やはり結核で亡くなったようです。
その後ろのこの坂本墓地で特徴的な3つの山があるフリーメイスンリーのシンボルマークの入った墓はブラザーピーター・ドールの墓で、1842.2.14~1895.4.2(53才)という事で、ブラザーハリー・パークスの護衛のため来日し、長崎で勤務していた警察官だそうです。イギリス公使の一行が全体全てフリーメイスンであったという事が分かります。
さらにその奥に同じ3つの山の形のブラザージョン・D・マックファーソンの墓があります。ロシアの軍艦の機関長であったというイギリス人だそうです。長崎はロシア絡みの中心であったことは間違いないようです。
その横の上に十字が載った墓が、イライザ・グッドオールの墓で、イギリス人のアルフレッド・テニスンの姪という事で、まあ男爵であるそうですが、漱石の引用でくらいでしか知らないわけで、ブラザーフルベッキの旧宅に住んでいたそうです。聖公会の伝道師として長崎に残り、出島教会に勤務し、長崎女学校を開校したそうです。
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ブラザージョン・D・リーシーの墓です。わかりやすいオベリスク型です。アメリカ人でイギリス郵船のチーフ船室係だったそうです。1896.8.14(46才)が忌日だそうです。
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右側が上述のブラザーピーター・ドールの墓です。坂本国際墓地では形のそろったこの墓の形をフリーメイスンの墓として作った時期があったようです。
左の白い夭逝の折れた列柱はスミス一族の墓だそうで、ブラザーユージーン・S・スミスの名前が代表として書かれています。ジョン・U・スミスを始めとして、夫婦と長男長女、次女の5人が埋葬されているそうです。アメリカ人のメーン州から一族でやってきて、ホテルや水先案内人、商会員として働いていたそうですが、一族全員が亡くなり、この墓といくつかの他の墓に埋葬されているそうです。事故や病気で亡くなったそうです。
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ブラザーピーター・ドールの墓の近影です。左右の二重丸はやはり日の丸や目のシンボルを意識した形なのでしょうか。エジプトの石板をまねたデザインのようでもあります。おそらく日本の国旗の原型を立案したという長崎ロッジの自負が表れているのではないでしょうか。
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こちらも上述のブラザージョン・D・マックファーソンの墓です。我々に何を伝えようとしていたのでしょうか。
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イライザ・グッドオールの十字が載った墓の後ろの十字の墓が、アリス・K・マーストンの墓です。医療宣教師を務めたイギリス人の女性で、義和団事件で北京から国外追放となり長崎で亡くなられたそうです。
白いオベリスクがブラザーI・A・コックの墓で、日本人妻の吉岡ヒデとともに埋葬されているそうです。ドイツ人の船長で、領事館付き書記官であったそうです。
アリス・K・マーストンの墓の後ろが、2005年に長崎市によって倒れていたのを復旧されたオベリスク型の墓で、ブラザーウィリアム・B・ラッセルの墓です。イギリス人で、中国から病気休暇でアメリカに帰国の途中で聖ベルナルド病院で死亡されたそうです。
その左側の黒い石が白い石に載っている墓が、ブラザーデイヴィソン夫妻の墓で、プロテスタントの宣教師の夫婦で出島メソジスト教会を建立し、活水女学校と加伯利英和学の二校を開校するために大いに尽力されたそうです。なかなか亡くなる様子も様々であったようですが、墓石は2004年活水学院によって回収されたそうです。白と黒のシンボリズムと思われます。
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上述のドイツ人のブラザーI・A・コックの墓です。
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ブラザーウィリアム・B・ラッセルの墓です
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一番手前がキャリー・B・ランターマンの墓です。1862.3.12~1892.9.10(30才)とあります。アメリカ、ニュージャージー州出身とのことです。長崎のスタージーズ女学校で英語と体操の教師をしていましたが、校長になってすぐに自宅で亡くなられたそうです。日本で最初のルーテル教会宣教師の墓だそうです。
その奥のオベリスクがブラザーフランツ・マイヤーの墓です。ドイツ人で45年間船長として世界中を航行して、長崎で出島岸壁の階段の足を踏み外し、頭部挫傷により亡くなられたそうです。当時の長崎が海千山千のフリーメイスンがとんだハプニングで亡くなるほどの状況であったという事のようです。
オベリスクの後ろの白い船型で十字の刻まれた墓が、ブラザーグスターフ・スヴェンセンの墓です。スウェーデン人だそうです。中国寧波の帝国海事税関に37年間勤務して、病気療養のため長崎に来て2か月後に肝臓病で亡くなられたそうです。忌日や墓石もフリーメイスンを表すものは何もありませんが、スウェーデン人という事でフリーメイスンとなるようです。
オベリスクの向こう側の二基の坂本墓地特有のフリーメイスンリー型の墓はそれぞれ、ブラザージェームズ・W・ドナルドとブラザーハミルトン・ガードナーの墓です。どちらもイギリス人でブラザードナルドはスコットランド出身で妻が日本人で、4人の子供がいたそうです。縫帆工で横浜にもいたそうです。ブラウン商会に勤めていたそうです。ブラザーガードナーはやはり妻が日本人で、ブラザードナルドの妻と姉妹であったそうです。琵琶湖に汽船を走らせるために奔走したり、石炭積み下ろし業をあっせんしたそうです。やはりブラウン商会に勤めていたそうです。
その奥の円柱型のオベリスクが、ブラザージョージ・サットンの墓です。円柱型のオベリスクでフリーメイスンというのも他でないのかもしれませんが、まあ国旗の日の丸の制定から、円のシンボリズムを強く感じさせるこの坂本墓地での必然性であるのだと思われます。45歳で亡くなられ、隣にある同じ円柱型のオベリスクの墓のブラザーチャールズ・サットンと兄弟であるそうです。貿易商社M・アダムズ商会を共同経営していたそうです。
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ブラザーフランツ・マイヤーの墓とブラザーグスターフ・スヴェンセンの墓です。
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ブラザージェームズ・W・ドナルドの墓とブラザーハミルトン・ガードナーの墓です。
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手前がブラザーヘンリー・スネルの墓です。22才で1901.4.10に亡くなったそうです。バーでフランス水兵たちと喧嘩になって、仕込み杖で刺されたそうです。お墓の形としては十全会の形なんでしょうかね。スコティッシュライトという事でしょうか。
その後ろの舟形のお墓がブラザーアルフレッド・メトカーフの墓です。42才で1903.11.22に亡くなったそうです。日本郵船の乗組員で、神戸から長崎の行程で心臓麻痺で亡くなられたそうです。どちらもイギリス人の方です。
その隣の上部が丸い饅頭型の、ブラザー倉場富三郎と同じ形の墓が、ブラザーマイケル・バンクスの墓です。イギリス、アイルランドのベルファスト出身で、アメリカの南北戦争でも南軍巡洋艦「アラバマ号」のキャビンボーイで参加したそうです。三菱汽船で働き、その後M・C・アダムス商会で働いたそうです。日本人妻とその養女と暮らしていたそうですが、その養女がイギリス船船長と結婚して香港へ行ってしまった日の2日後に自宅で急性気管支炎のため死亡したそうです。墓の横の双眼鏡、望遠鏡、舵輪はその日本人妻が、職業を象徴するものを浮き彫りに刻んだとのことです。まあおそらく本人の希望なんでしょうが、ユダヤ教、キリスト教、仏教の象徴でしょうか。上部が丸いのとつながるのかもしれません。この人がこの形の始まりなのかもしれません。その後のロータリークラブのシンボリズムにもつながるものでしょうし、この坂本墓地のシンボリズムは日本でのスコティッシュライトなどにつながるシンボリズムの進展、発展を認められる場所かもしれません。
奥の同じ形の墓はブラザーロッドニー・H・パワーズとブラザージョン・R・パワーズとその二人の日本人妻の墓です。二人の日本人妻はそれぞれお寺に改葬されているそうです。ブラザーロッドニーは戒名を持ち、寺に分骨されているそうです。1836.5.5~1909.8.9(73才)で、アメリカ、ニューヨーク出身の水兵であったそうです。パワーズ商会を設立し、パン屋も経営し、自転車の普及のために多大に尽力したそうです。舟木さととの間にブラザージョンを、飯田ナカとの間に政子をもうけたそうです。ブラザージョン・R・パワーズは1870.3~1907.11.12(37才)で、息子の死後に父親も亡くなったそうです。娘の飯田政子は活水女学院を卒業後アメリカに留学し、帰国後国会議員の中山福蔵と結婚し、1947年に衆議院議員になり、1960年に女性初の厚生大臣になった中山マサだそうです。お孫さんの中山泰秀衆議院議員が日本グランドロッジのアニューアルコミュニケーション(新年会)でホテルニュー山王に来ていたようです。
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書き始めたのが2015年11月15日で、横須賀でヴェルニーの横須賀製鉄所起工150年の式典をやっていた時だったんですが、パリでの同時多発テロの直後で、現在は7月も半ばを過ぎて、半年以上たってしまったんですが、どうもこの11月15日というのが、ザビエルが1551年11月15日に日本の布教を終えてゴアに旅立った日であったようで、まあちょうどその間の半年ほどに私も各地の隠れキリシタンの痕跡巡りをして、そのイエズス会の偉業を確認する期間であったようです。長崎といえばキリスト教伝道の土地であり、隠れキリシタンの聖地であり、それはすなわちイエズス会のキリスト教伝道の土地であるわけです。
さてまあ続きを書きだしますと、ブラザーマイケル・バンクスのお墓の浮かし彫りを写しているのですね。浮かし彫りはReliefとなり、そのままでフリーメイスンリーの理念そのものに掛かる表現となります。
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ブラザーロッドニー・H・パワーズの墓です。確かに日本人の墓でもこういう座布団型の墓は戦国~江戸時代頃に五輪塔の形とともに流行った時代があったようです。蓮の花なんでしょうが、禅宗の隆盛などでしょうかね。シンボリズムの影響なんだと思います。
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左がブラザージョージ・サットンの墓で、右がブラザーチャールズ・サットンの墓です。兄弟で右のブラザーチャールズ・サットンが兄で、ナガサキクラブの設立メンバーであったようです。1864年4月1日に大浦居留地で背後から刀で切りつけられて、日本人の犯人は不明であったそうですが、外交問題となったそうです。新聞社を設立して「ライジングサン&ナガサキエキスプレス」といったそうです。障害が残ったそうです。円柱型のオベリスクというのもここだけで認められる日本にいたフリーメイスンの表現なんでしょうね。それがまた主要なメンバーであった表れかと思われます。弟のブラザージョージ・サットンはM・アダムス商会を共同経営していたそうです。
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フランス海軍区域の横にある右の十字架がブラザーフランツ・ホフマンの墓で、左のVesica piscisがあるのがブラザーディヴィッド・マックマーレーの墓です。それぞれ、ドイツ人とイギリス人だそうです。キリスト教を強調したいわゆるヨーロッパ人としては普通の墓となっています。フランス人区域に葬られている理由もその辺りであるようです。極めてカトリック的なのでしょう。ブラザーフランツ・ホフマンは1866年6月21日生まれだそうです。
写真には写っていませんが、ブラザーディヴィッド・マックマーレーの墓の後ろに小さな3段基壇の上の柱状の墓があり、それがブラザーD・マッカーサーの墓だそうです。21歳で夭逝されたイギリスの方だそうですが、亡くなられたのが1899年11月1日という事で、戦艦三笠がまさに建造中という事で、三笠の命名に関係した方かも知れません。日露戦争から戦後のGHQ統治とフリーメイスンリーの復興につながるきっかけの方でしょうか。
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フランス海軍区域です。同じ形の墓標で、代表してキリスト教を象徴する十字を中心においています。水兵で若い方が多いようですが、生没年は非常に特徴的で、フランス革命後のフランス国が、国としてフリーメイスンリーを構成していたことがよくわかる表現となっています。十字の形の吹き抜けのレンガ積みであるのも、十字軍の伝統やイエズス会の発祥地としての意味付けなんだと思われます。
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こちらはおもにアメリカ人の墓の改葬後の跡地の墓標です。改葬後も墓標がおかれたという事が、この墓地に一旦は葬られたという事の意味が重要であることを意味しています。
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坂本墓地の南側になります。改葬された人が多いようです。
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ブラザージェームズ・マックミランの墓です。この西側に純白の十字架のブラザーロバート・ウォーカーJr.夫妻の墓があるそうですが、写真は撮っていません。ブラザージェームズ・マックミランはスコットランド出身、ブラザーロバート・ウォーカーJr.はイギリス出身で日本に帰化したそうです。R・N・ウォーカー商会を経営して、バンザイ炭酸飲料紹介を設立して、ラムネを製造販売したそうです。奥さんも日本のハーフであったようで、奥さんは1996年12月3日に92歳で亡くなったそうです。グラバー園内にウォーカーJr.邸が残されています。
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一番右手前から、ブラザーアルフレッド・B・グラバー、ブラザートーマス・グラバーの弟で7男だそうです。その隣がブラザートーマス・B・グラバー、ブラザートーマス・グラバーの兄の子供だそうです。インドのカルカッタにあった商社「バルマー・ローリー商会」に勤務していたそうですが、帰郷するために立ち寄った横浜で亡くなったそうです。その隣がマーサ・A・ジョージでトーマス・ブレーク・グラバーの妹だそうで、ブラザーグラバーの娘である、ハナの家庭教師のために来日したそうです。グラバー邸に住んでいたそうです。その隣がブラザーオウギュスト・L・ゴールデュの墓で、フランス人だそうです。もともと写真店を横浜でやっていて、長崎移転後はパン屋を開店したそうです。その隣の左端がブラザーアンリー・E・M・ゴールデュとその妻の墓で、ブラザーオウギュスト・L・ゴールデュの兄だそうです。パン屋を開店してすぐになくなられたようです。
後列の一番右がブラザーイヴス・M・ユゥーオン、フランス人の墓です。居酒屋兼ホテルを経営していたそうです。日本人と結婚していたそうです。後列右から二番目がオーギュスティーン・C・ラボーレの墓で大浦33番地Aの「フランスホテル」の経営者の妻だそうです。後列左端の十字がなく横になった石棺の蓋のみのものが、坂本国際墓地の唯一のフランス人カトリック神父のブラザーフェリシス・D・ティシェのものだそうです。被爆した浦上教会の設計をしたそうです。いわゆるフランス人が多い、キリスト教の十字を示したスコティッシュライトの区分でしょうか。いずれにしても、十字にしても置き石が無いタイプのものもそれぞれ生前のその人を象徴する墓となっているようです。
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手前左からピーター・ブラスの墓です。イギリス人でGlenartney号の船長でコレラにかかり長崎で亡くなられたそうです。1891年9月8日に43歳で亡くなられたそうです。微妙に回文数となっています。フリーメイスンでしょうね。その右がトーガー・ニールセンの墓です。1853年3月3日生まれで1894年1月28日に4か月間長崎滞在後天然痘で亡くなられたそうです。サミュエル・サミュエル商会の技師で、石油タンク建設を監督したそうです。フリーメイスンのようです。ノルウェー人だそうです。まるで火星に基地を作る作業のようですが、死屍累々といった感じでしょうか。左から3番目の十字架があるのがゴドフリー・L・スウィナートンの墓で1891年8月15日に38歳でコレラで亡くなられたそうです。イギリス人でLennox号の船長であったそうです。十字架があるのと聖母昇天祭の日の忌日とは関係がありそうです。一番右がカール・ラーソンの墓です。イギリス、スウェーデンの方だそうで、25歳という若さで1904年6月15日に亡くなられています。ベニスから入港したSaintkilda号の火夫であったそうです。ラーソンで検索するとスウェーデンの著名な陶芸家が出てきます。スウェーデンの名前のようです。
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ここから2017年12月からの加筆になります。大丈夫でしょうか。旅してから3年経ってますので、さすがにそのうちもう一度九州の地を踏もうかと思ったりしています。
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龍馬死す ユダヤの羊の 坂本なり
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