2012-03-24 08:20 | カテゴリ:全国の市章
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
これらも基本的には東アジアの伝統のシンボルになるかと思います。
三笠公園の箇所でもありましたが、陰陽を表す太極旗の中心の形は太極図と言い、陰と陽の魚に例えられるようですが、これも基本的にはフリーメイスンリーの白黒のモザイクや、ヤキンとボアズの2柱の二元論に表されるような全ての事は陰と陽の二元論で表現され、陽から陰が生じ、陰から陽が生じそれは永遠に繰り返すという意味となるようです。ウィキペディアを抜粋します。

白黒の勾玉を組み合わせたような意匠となっており、中国ではこれを魚の形に見立て、陰陽魚と呼んでいる。黒色は陰を表し右側で下降する気を意味し、白色は陽を表し左側で上昇する気を意味する。魚尾から魚頭に向かって領域が広がっていくのは、それぞれの気が生まれ、徐々に盛んになっていく様子を表し、やがて陰は陽を飲み込もうとし、陽は陰を飲み込もうとする。陰が極まれば、陽に変じ、陽が極まれば陰に変ず。陰の中央にある魚眼のような白色の点は陰中の陽を示し、いくら陰が強くなっても陰の中に陽があり、後に陽に転じることを表す。陽の中央の点は同じように陽中の陰を示し、いくら陽が強くなっても陽の中に陰があり、後に陰に転じる。太極図は、これを永遠に繰り返すことを表している。

まあまさにヤキンとボアズ、白黒のモザイクと同じことを言っているかと思います。円周で閉じられた空間の中で永遠に継続する事を示し、図形的な展開が違うのが広がりという点で東アジアの特徴なのかもしれません。基本的には道教を表す形となるようですが、道教は老子の思想、すなわちキリスト教におけるグノーシス思想と極めて似ており、フリーメイスンリーの考え方に包含されうるものであるかと思われます。

また卍に関しては以前にブラザーリンドバーグの大西洋単独無着陸飛行のスピリット・オブ・セントルイス号の先端部分に記されていたのを出したかと思いますが、そもそもインドで認められ、仏教のシンボルや幸運のシンボルとして東アジア、ヨーロッパでも普及しましたが、トロイの遺跡で認められた事からインド・アーリア語族の共通のシンボルとして十字架の一つの形としてナチス・ドイツに採用され、反ユダヤの象徴として現在ではあまり認められなくなりました。ほとんどの日本人にとっては卍は寺や仏教のマークとして認識されているかと思いますが、最近では京都の市章の所でもとりあげましたが、法輪という車輪のマークをシンボルとして示しているようです。これはまたロータリークラブのシンボルでもとりあげましたが、イクトゥスホイールという形とも似てきており、宗教に関してもシンボルの共通化、相互の交流が広まっている表れではないかと考えられます。

さてまあ能書きもその位にして市章の紹介に移りましょう。
この辺のマイナーなものは能書きも大事なんですが、いかんせんフリーメイスンリーのシンボルそのものではないので、どうしてもまわりくどい関係あるのかないのかという説明になってしまいますが、それが実際そういう意図でつけられた市章の意味そのものになるのかと思います。ご推察ください。

伊勢崎市 群馬です。2005年です。伊勢崎神社が市の名前の由来で、やはり伊勢神宮に由来する様です。勾玉をデザインしているようですが、ウィキペディアにはあまり関連は書かれていません。原料でもとれたのでしょうか。ひらがなのいの形もあるようです。いずれにしても太極図そのままです。人口は増えています。

明石市 兵庫です。1911年です。明の字を図案化したもののようです。太極図より半円になっています。タコやタイで有名です。

北見市 北海道です。北の字の図案化と分銅で公平にという意味をかけたそうです。分銅で天秤を意味すれば、公平にという事でJustice正義というフリーメイスンリーの7元徳、4つの徳の一つを表現するものとなります。欧米の裁判所では正義の女神が天秤を手にしている像があるのが一般的です。太極図からはだいぶ遠い図柄となっています。2006年です。

豊明市 愛知です。人口は増えています。かつての桶狭間古戦場跡があるようです。カタカナのトヨのようです。月と太陽にも若干かかっているようです。

伊勢市 三重です。半円とは言い難い形ですがここに含めました。三本線で3の強調にもなるようです。2005年です。伊勢神宮があります。以前の市章はマルタ十字を中心に認める日本の伝統的な何か植物をモチーフとした幾何学的な家紋の形でした。現在のものは青を強調しているようです。陰陽の形とは言い難いですが、円の分割としてここに含めました。

袋井市 静岡です。2005年です。人口は増えているようです。Fをモチーフとしているようです。白抜き部分を除くとGにもなるようです。陰陽、半円とするよりもそちらの方が近いかもしれません。ただ羽根ペンが二つ交差する形はロッジのセクレタリーのジュエルでもあります。

出雲市 島根です。出雲大社があります。出の形をモチーフとしています。2005年です。以前のものは直角定規を二つ重ねた形であったようです。半円が二つですが、特に陰陽の形になっているとは認められません。分類はここで良いかと思います。伊勢神宮と出雲大社の市が両方ここに分類されるのはきっと理由があるのだと思います。

伊東市 静岡です。ひらがなのいが10個のようです。これは分割した円が10個です。伊東は温泉があります。All Seeing Eyeはちょっとどうでしょうか。半円で陰陽を示すとして良いかと思います。

弘前市 青森です。津軽藩の紋章であったようです。アイヌと対峙していた藩であり、仏教はひとつの象徴であったのだと思います。明治33年制定です。

飯田市 長野です。ひらがなのいと田のようです。1957年です。これは島津の十字の形の太陽十字に近くなります。向きとしてはハーケンクロイツと一緒です。街並みがきれいなようです。

宇陀市 奈良です。2006年です。Gにはなっていないようですが、月と太陽は近いと思います。ひらがなのうのようです。卍の形としては左回りでハーケンクロイツと一緒になります。神社が多いようです。

花巻市 岩手です。2006年です。以前の市章もやはり卍であったようです。宮沢賢治ゆかりの地です。All Seeing Eyeもかかっているかと思います。

やはり伊勢神宮と出雲大社の土地をそれぞれ半円、円の分割の市章であるのが特徴かと思います。Gや月と太陽、十字などではないという事でしょうか。やはりフリーメイスンリーを語るのに宗教に関連した要素は抜きにできないものがあると思われます。そういう点では太極図や卍はそれぞれ道教や仏教の象徴でもあり、日本の伝統宗教、思想の反映であるかと思われます。二元論やグノーシス思想、卍と十字の関係などフリーメイスンリーと直接つながる部分も多くありますが、やはりキリスト教やユダヤ教のシンボリズムが大勢を占めるフリーメイスンリーに関係が深いと思われる市章においては少数派になるものかと思われます。ただこういう少数派の市章を見ることで、逆にいかにGやAll Seeing Eyeや月と太陽をモチーフとした市章が多いかという事も実感でき、市章の中でのフリーメイスンリーのシンボルの位置づけ、それらの実際的な意味がわかるという事になるかとも思います。

道教や仏教は皆中国大陸から朝鮮半島を介したり直接に日本に渡ってきたものですが、現在その中国自体は清教徒革命での理想主義やロンドン、パリでの工業化に伴う資本主義に対する修正として生まれた共産主義、社会主義を一応国是として掲げる国となっています。中国人民に道教や、仏教の思想が大きく影響し続けているという事はあるにしても、今後それらの考え方がマイナーなものであり続けるという予想は市章に認めるシンボリズムでも恐らく十分に多数の同意を得られる事実なのではないかなと思います。
伝統宗教の影響が薄れてきているのは世界中どの国でも認められることなのではないかと思います。その中でフリーメイスンリーの与える影響はますます拡大し人々の考え方を自然と変えていっているかと思います。そういうときに変化を自覚し、自らの生活や習慣の中の伝統宗教を改めて見直す事と同時にフリーメイスンリーの正しい知識を確認する事で、さらに一歩進んだ宗教と科学が合致した無駄や間違いがない生活をすることが可能になるのではないかと思われます。何が真実で何が不真実であるのかが分かりづらくなりがちな現代社会ではありますが、その際に多くのヒントや智恵を与えてくれるのがフリーメイスンリーの最大のメリットかと思います。フリーメイスンリーそのものが実利に直接結び付くわけではありませんが、それらの知識や兄弟たちとの繋がりが必ず内面を伴った豊かな人生に結び付くきっかけとなるかと思われます。

シンボリズムの勉強や知識はそういったフリーメイスンリーへとつながる一つのきっかけとなる大事な分野かと思います。

次回は市章シリーズのほぼ最後になるかと思いますが伝統の文様で菱についてやります。


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