FREEMASONRY
Blue Lodge, Scottish Rite & York Rite in Japan
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1774年 「解体新書」小田野直武による付図の扉絵
まあ何とも世間が神妙な6116の日であったわけですが616だと陰謀論で有名な666の獣の数字の実は元は616だったなんて説もあったりなんかする、まああんまり6とかの数秘術的な意味になると全く分からなくなってくるんですが、聖書の文脈と内容的には獣の数字は皇帝ネロを指すのでいいのだと思いますが、まあ日付の数秘術と様々なキリスト教やユダヤ教の解釈を組み合わせるのも難しいのでつきるところそういうのは個々人のものなんだと思います。
で本題なんですが、ネットで検索すると相当以前よりさまざまに注目を浴びてきた版図という事で、知っている人には今更かという事になるのかもしれませんが(追記:検索するとYahoo知恵袋がヒットします。まあ日本の情報の最先端はYahoo知恵袋なんでしょうか。)、日本史的にも有名な歴史の教科書に必ず載っている杉田玄白の「解体新書」の扉絵です。いわゆるオランダの解剖学書の「ターヘルアナトミア」を翻訳したものとして知られますが、ターヘルアナトミア自体が和製外国語という事で、オランダ語とラテン語の造語で解剖表という訳になるそうで、そもそもはクルムスというドイツ人医師が作った解剖学書のオランダ語版という事だそうで、それ以外にも様々なヨーロッパの当時の解剖学書を参考にしているという事で、まあ単純に言って実際にはターヘルアナトミアしか持っていなくて、それをオランダ語がほとんど読めない人たちが翻訳したという色々無理があるわけですが、結論としては扉絵はワルエルダ解剖書の以下の表紙を参考としたものという事だそうです。

これを参考にして上のが書けるかというと、まあ相当無理があるわけですが、まあ書いた人が平賀源内の弟子の小田野直武という人だというとどうも怪しいという感じになってくるのでしょうか。まあどちらの人も怪死だそうで、怖い時代ですが解剖もない時代に死因の特定もないという事で、特に問題はないようです。
まあ要するにコンパスが表紙に書いてあって、長崎出島のオランダ商館の商館長、通称カピタンのフリーメイスンが書かせた解剖学書という事のようです。佐世保の日本ロッジのホームページに日本に来た最初のフリーメイスンとしてブラザーイサーク・ティチングの名前が挙がっていましたが、それ以前の話であり、要は代々のカピタンはほぼフリーメイスンであり、フリーメイスンリーの活動を延々と続けていたという事なのでしょう。ちなみに杉田玄白も隠れキリシタンであった可能性が高いようで、ホームページで解説がありました。ここでの解説によると、この扉絵は「ギリシャ的円柱・基礎をもとにエケレジャ〔教会〕を背景として、中央上部に王冠〔神・生命〕を描き、その下にハート〔心、心臓、生命〕をかたどり、その中に2匹の魚〔神の子イエス・キリスト〕が宝剣〔正義〕を口にしている。中央両側に右に男〔アダム〕と左に女〔イブ〕が裸体で立ち、男は禁断の果実を手にしている。下段には南蛮の男の顔〔キリスト〕を描き、その下に天眞楼と書いている。その下にドクロ〔死〕と一匹の蛇〔智慧〕を写し出している。」とのことで、まあもちろんキリスト教的解釈で、それにコンパスが入るとフリーメイスンリー的解釈が入るのだという事です。
これらは江戸東京博物館に展示してあった解体新書の図から思いついたものであり、本日から江戸東京博物館ではこのブログのヘッダーにも使用している、レオナルド・ダ・ヴィンチ画とされるスコットランド国立美術館蔵の糸車の聖母が来日して展示されています。東京都立博物館としてはあまり評判が芳しくないかと思われる江戸東京博物館ですがどうぞ行ってみてください。

写楽の浮世絵の歌舞伎役者の目をデザインしたものだそうです。江戸時代も戦国からこの方大体フリーメイスンリーですね。
(2016/5/6追記:左右の男女が立っている基壇のところに羽を広げた双頭の鷲が認められました。オランダも歴史的にハプスブルク家の統治を受けており、その影響ではないかと思われます。時期的にはヨーロッパではすでに多段階位が発生している時代であり、スコティッシュライトの意味があるのかもしれませんね。)
(2016/11/19追記:このブログによると1566年アントワープのChristophono Platini出版のもので、「Imaginas Partium Corporis Humani」著者はスペインの解剖学者のJuan Valvelde de Amuscoでラテン語で書かれたものの表紙絵が原図とあります。また九州産業大学図書館にある木森圭一郎氏の博士論文)によると、ワルエルダ解剖学書のオランダ語訳が原図とされていますが、コンパスや双頭の鷲は認めません。ルネサンス時代のカトリック圏の本であって、コンパスと双頭の鷲があるというのが正解なのでしょうか。なかなかそもそもの解剖学書の出版の衝撃がそのまま日本でもおよそ200-300年遅れで同じに認められるというのが史実のようです。

さらに検索するとベルギーのアントワープのプランタン=モレトゥスの家屋・工房・博物館複合体という博物館のデジタル・アーカイブスにありました。1566年の解剖学書でコンパスがあるという事で、まさにイギリスでのエリザベス朝時代、ジェームズ一世が生誕した年という事で、ルターの宗教改革からわずか50年あまりの時代にすでにコンパスを象徴とする科学のシンボリズムがあったという事になるようです。デューラーのメランコリアが1514年なのでルターの宗教改革も相まってさらに明確にルネサンスが科学を推し進めた証左と考えられます。)
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