2012-03-11 10:05 | カテゴリ:福岡
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
黒田官兵衛こと黒田孝高(よしたか)は洗礼名をドン・シメオンと言い、高山右近の勧めで洗礼を受けましたが、秀吉のバテレン追放令によってすぐに棄教し、その後すぐに隠居し家督を息子に譲り自らは如水と号しました。

この如水という号ですが二重の意味が掛かっています。

一つは老子道徳経の八章にある「上善如水」という老子の思想を端的に示した一節からの引用です。その部分を転載します。

上善若水。水善利萬物而不爭、處衆人之所惡。故幾於道。居善地、心善淵、與善仁、言善信、正善治、事善能、動善時。夫唯不爭、故無尤。

上善は水の若し。水は善く万物を利して而も争わず、衆人の悪む所に処る。故に道に幾し。居には地が善く、心には淵が善く、与には仁が善く、言には信が善く、正(政)には治が善く、事には能が善く、動には時が善し。それ唯だ争わず、故に尤め無し。

最上の善とはたとえば水の様なものである。水は万物に恵みを与えながら万物と争わず、自然と低い場所に集まる。その有り様は「道」に近いものだ。住居は地面の上が善く、心は奥深いのが善く、人付き合いは情け深いのが善く、言葉には信義があるのが善く、政治は治まるのが善く、事業は能率が高いのが善く、行動は時節に適っているのが善い。水の様に争わないでおれば、間違いなど起こらないものだ。(訳文は他のブログからのコピペです。)

上善如水という日本酒の銘柄があったかと思います。老子の表現としては最も良い生き方は孔子のいうような徳が高いという生き方ではなく、人々の中で自然のままに争わず無理せず流れに逆らわず生きる生き方であるという事となります。もちろん老子自体実在が怪しい存在であり、老子の思想自体がアンチ儒教、いわゆるキリスト教に対するグノーシス主義の様な存在であり、聖人君子の様な生き方を理想とするのではなく、あくまで自然に大衆の中で生きる事こそ実は真に知恵のある生き方であるという、矛盾に満ちた表現の中に生き方の指針を提示する内容となっているかと思います。
もちろん黒田如水が老子の思想を良しとしたかどうかは別として、その人生を見るにつけ、特にキリスト教と出会って後の主君によるバテレン追放という大いなる矛盾、多くの戦地を戦い生き抜きながらも裏切りと主従や同胞との関係の中で、自らも傷つきながらさらに秀吉による日本統一と衰えぬ欲望の働きを目の前にし、これらが彼をして水のごとく流れのまま生きるのを良しとする、英語にすればlet it beでしょうが、一つの諦観の中で隠居し一歩引いた状況で今後の人生に対応しようという心構えがこの如水という号に認められるのではないかと思います。

また一方でキリスト教棄教後でありながらも如水にはもう一つの意味、旧約聖書でモーゼ後の指導者としてのジョシュアの意味が込められているようです。洗礼名のドン・シメオンも原義は「聞く、耳を傾ける」という意味で黒田如水が宣教師とよく話をして聖書の内容に耳を傾けた様子が想像されます。新約聖書以降では複数の聖人がこの名前ですが、旧約聖書ではヤコブの二番目の子供シメオンが有名です。シメオンは他民族の若者による妹への乱暴に対して、割礼にかこつけて集落の絶滅を行うという一つの聖絶の例があり、またジョシュアもカナンの地を攻めのぼる過程でのいわゆる典型的な聖絶の中心的な人物であり、どちらも共通するのが他民族や敵を徹底的に滅ぼしつくす戦略家という一面があるようです。

ヨシュア記(ジョシュア記)は圧倒的に旧約聖書の中でも内容が日本人では知らない人が多いかと思いますのでヤコブの子シメオンの部分も合わせて、聖書本文ではなく若干読みやすい内容にまとめてあるウィキペディアの文をコピペします。

トーラーによると、シケムという名のカナン人によってシメオンの妹のディナが強姦された際、シメオンと彼の兄弟のレビは町の住人を騙して割礼させ、割礼の傷で弱っている間に町の男性全員を剣で殺害するという激しい報復を行った。
古典的なラビ文学においては、シメオンは非常に怖いもの知らずであるが著しく妬み深く、そしてヤコブのお気に入りであるヨセフに対しては常に敵対的で悪意を抱いていたとされる。セーフェル・ハイ=ヤーシャールでは、創世記第37章でヨセフが羊を飼っている兄弟たちの後を追ってドタンの町に来た際に、ヨセフを殺さなければならないと主張したのはシメオンであるとしている。また、他の古典的なラビ文学では、シメオンはヨセフを荒野の穴に落とし、ユダがヨセフを殺さずにイシュマエル人の商隊に売ったと分かった際に激怒したとしている。古典的なラビ文学によれば、シメオンはこの残忍さに対する神の罰によって右手が萎えて苦しんだが、彼が後悔したため手は1週間後に回復したとされる。

エジプト脱出時に20歳を超えていた者のうち、ヨルダン川を渡ることを許されたのはヨシュアとカレブの2人だけである。モーセはヨルダン川を渡ることを許されなかった。また、ルベン、ガド、マナセの半部族はヨルダン川東岸に定住することを決めるが、仲間を助けるためにヨルダン川西岸に渡って共に戦うことをモーセに確約する。
モーセの死後、神はヨシュアにヨルダン川を渡るよう命令する。ヨシュアは民に準備を促す。二人の斥候がエリコに派遣される。エリコの王は斥候を捕らえようと探索するが、ラハブは斥候たちを匿う。斥候たちに対し、ラハブは、自分と親族の身の安全を保障してくれるよう請願する。斥候たちは身を守る方法をラハブに伝え、ヨシュアの元に帰って報告する。三日目に、ヨシュアはヨルダン川の手前で宿営を張る。その翌日、ヨシュアは神の命令通り、契約の箱を携えた祭司たちをヨルダン川に入らせる。川の上流で水が堰き止められてヨルダン川が干上がり、その間に全員が川を渡る。ルベン、ガド、マナセの半部族のうち、四万人の戦士も共にヨルダン川を渡る。神はギルガルに記念碑を建てるよう命じる。ヨシュアはギルガルとヨルダン川の祭司たちが立っている場所に、それぞれ記念碑を建てさせる。民はヨシュアがモーセの後継者であることを認めるようになる。ギルガルに宿営が張られる。神は民に割礼を施すようヨシュアに命じる。民はギルガルで過越を祝う。過越の翌日、マナの供給が終わる。ヨシュアは聖なる所へと足を踏み入れてしまい、サンダルを脱ぐよう「主の軍の将軍」に命令される。神はヨシュアに詳細な指示を出す。民がその指示通りに行動すると、エリコの城壁が崩れる。エリコの住民と家畜は、ラハブに属するものを除き、すべて滅ぼされる。ヨシュアはエリコに対する呪いの言葉を語る。
アカンはエリコの戦利品を隠し持つ。ヨシュアは斥候の提案に従いアイに三千の兵を差し向けるが、派遣隊は敗北し、民は動揺する。神はヨシュアに、エリコの戦利品を隠し持つ者がいることを告げる。アカンが選び出され、彼は罪を認める。アカンとその家族、および彼の所有する家畜に至るまで石打ちにされる。神は再びアイを攻めるよう、また、都市の背後に伏兵を配置するようヨシュアに命じる。ヨシュアは三万の兵を夜のうちに送り出し、自らは敗走を装う兵を指揮する。アイの兵は都市を出てヨシュアを追撃するが、挟撃されて全滅する。王も捕虜となり殺され、住民も皆殺しにされる。アイは焼かれ、ヨシュアたちは神に命じられた通りアイの町の家畜と分捕り品を自分たちのために奪い取った。ヨシュアはモーセによって命令された通り、エバル山に祭壇を築き、犠牲を捧げる。ヨシュアはその祭壇にモーセの律法の写しを記す。民はエバル山とゲリジム山の前に集められ、彼らの前で律法の全ての言葉が朗読される。
ギブオン周辺に住むヒビ人たちは、侵攻して来たイスラエル人を欺いて協定を結ばせることに成功し、殺されることを免れる。しかし、その策略はすぐに発覚し、彼らは祭壇の「柴刈りまた水くみ」をする者としてイスラエル人に仕えることになる。「アモリ人の五人の王」がギブオンを攻め、ギブオン人はヨシュアに助けを求める。イスラエル人は夜を徹して行軍し、アモリ人を急襲する。敗走するアモリ人を雹が襲う。ヨシュアが太陽と月に命令すると、太陽と月は「まる一日」静止する。五人の王は捕虜となり処刑される。ヨシュアはヨルダン川西岸の都市ギルガルから地中海沿岸の都市ガザに至るまで、また、その南方に広がる荒野に至るまでの地域に点在する諸都市を滅ぼし家畜などを奪っていく。ハツォルの王ヤビンを盟主とする大軍がメロムの水場に集結する。ヨシュアはこれを急襲し、敗走する敵を追撃して全滅させる。ヨシュアはハツォルを滅ぼして都市を燃やす。また、他の都市も滅ぼすが、ハツォル以外の都市は燃やさなかった。北方は、ヘルモン山の麓の都市、バアル・ガドに至るまでのヨルダン川沿いの地域を攻略する。
モーセの占領したヨルダン川東岸の地域。ヨシュアの占領したヨルダン川西岸の地域と王の一覧。神は高齢となったヨシュアに、未征服地を含んだヨルダン川西岸の土地を、九部族とマナセの半部族との間で分配するよう命じる。ヨルダン川東岸の地を相続した二部族と半部族、およびレビ族が相続地を持たないことについての解説。相続地を決めるために「くじ」が用いられる。カレブはヘブロンの相続を求め、許可される。
ユダ族の相続地。カレブによるヘブロン攻略。マナセ族とエフライム族の相続地。相続地が少ないことに対する不満と、それに対するヨシュアの助言。ヨシュアはまだ相続地の決まっていない七部族に対して未征服地の調査を命じ、その調査記録を基に土地を配分する。ベニヤミン族の相続地。シメオン族の相続地。ゼブルン族の相続地。イサカル族の相続地。アシェル族の相続地。ナフタリ族の相続地。ダン族の相続地。ヨシュアはティムナト・セラを相続地として受け取る。
神はヨシュアに逃れの町を定めるよう命令し、六つの都市が定められる。相続地のないレビ族に対し、各部族の相続地から居住のための都市が与えられる。
ヨシュアはルベン、ガド、マナセの半部族の戦士たちを郷里へと帰らせるが、彼らがヨルダン川のほとりに大きな祭壇を築いたことが伝えられ、ヨルダン川東岸の部族に対する軍事行動が検討される。ピネハスらが派遣され、彼らにヨルダン川西岸へと移住するよう勧めるが、彼らの説明する祭壇を築いた目的は好ましいものであったため、軍事行動は起こされなかった。ヨシュアは長老たちを呼び、モーセの律法を守り行うよう諭す。ヨシュアは全イスラエルをシケムに集め、彼らに神の言葉を伝える。民はヤハヴェに仕え続けることを誓い、その証拠として大きな石が立てられる。ヨシュアの死と埋葬。エジプトから運ばれてきたヨセフの骨はシケムに埋葬される。エレアザルの死と埋葬。

まあヨセフのエジプトでの出世の話とモーゼの出エジプトとヨシュアのカナン攻略のあたりは常識として日本の義務教育でも教えた方が良いのではないかと思いますが、なかなか宗教の絡みもあり難しいのだと思います。ヨセフの物語がユダヤ人の伝統としての人間の深層意識の表れとしての夢占いの知恵、そしてそれらの最大の罪としての性欲、いわゆるフロイト心理学の原型となるというか、恐らくオリジナルで現代心理学より高等なのかもしれませんが、そういうものが旧約聖書のエピソードとしてあり、その後のモーゼの出エジプトは奇跡による大衆の誘導の方法であり、さらにヨシュア記に至っては東洋では恐らく孫子の兵法に匹敵し、さらにそれらの具体的な戦術書としての意味がある、宗教的指導者としてよりは軍略家としてのヨシュアが描かれ、また具体的知略としての宗教の知恵が示されているかと思います。ヨシュアのカナン攻略とその後のイスラエル王国の統治体制を見ると明らかに共産主義、社会主義の一つの理想形、それらの発想の原型が見てとれるかと思います。とにかくこのブログの一つのテーマでもある聖書を実際に読むことを勧める事になるのかと思います。

黒田如水が聖書を実際に読んだのかどうかはわかりませんし、その当時に日本語訳の聖書があったとは思われませんが、彼の洗礼名、隠居後の号を考えるにつけ、彼と洗礼に関わった宣教師たちが濃密に接触し、旧約聖書について十分理解していた宣教師によって、彼が自らのこれまでの人生を反映する聖書中の人物、さらにその人物の所業や聖書での描写をある程度伝えられて、その上でそれらの名前を選択した過程が推測されます。つまり黒田如水が聖書に描かれた物語をかなりリアルな過去の見知らぬ土地での人間達の所業か、それに近いものとして受け止め、つまり聖書の内容について漠然とながらも物語として理解しながら、洗礼を受け、さらに主君の禁教令の後も教訓として心に刻んでいた事が見てとれるわけです。
また黒田如水は他のキリシタン大名たちとは異なり宣教師たちの意向に沿うような所領の神社仏閣を迫害するような所業は一切行わなかったようで、そういう意味でキリスト教の教えを部分ながらも聖書の内容のレベルで理解していて、これは実は聖書を実際に読む事で生じた宗教改革、その後にさらにプロテスタントの文化の中で生まれたフリーメイスンリーの宗教的寛容にも通じるものでもあるのではないかと、戦国時代の武将という点を差し引いて過大に評価できるかと思います。またそういう理解していた聖書の部分が旧約聖書の重要な部分であったであろうことも他のキリシタン大名たちとは異なるものではないかと思います。
また逆に言うとそう思われる部分が今日の黒田官兵衛伝説とも言われるような様々な逸話、天下取りの野望や虚々実々の駆け引きの逸話を残す事になっているというのも事実ではないかと思います。実際このブログでも登場した明治憲法草案作成に関わり、ブラザーエドマンド・バーグを抄訳して明治帝に献上した、福岡黒田藩出身の金子堅太郎氏はこれら黒田如水にまつわる多くの野心的な逸話を創作した張本人であるようです。金子堅太郎氏は黒田藩からハーバード大学に留学し、彼の地でブラザーセオドア・ルーズベルトとの知己を得、またブラザービスマルクとの面会を果たし、帰国後に明治帝にブラザーエドマンド・バーグの「フランス革命の省察」の抄訳を献上し、さらに日露戦争後に自らの出自である福岡藩の藩祖である黒田如水について「黒田如水傳」を記し、その後の吉川英治や司馬遼太郎の黒田如水像に繋がる伝説の元となったようです。しかしそこには確かに誇張があったかもしれませんが、実際その理解は旧約聖書の理解と合わせて藩士にとっても非常に納得されるような部分があったために、そのような伝記を作る動機となったのではないかと想像されます。

以上私自身による黒田如水とキリスト教との接点の解説でしたが、私自身黒田如水については上述した吉川英治の著作や司馬遼太郎の著作など読んだことは無く、黒田如水傳についても全く知りませんので、全てウィキペディアの内容をもとにした推測となっており、一切責任は持ちませんのでご了承ください。

ヨシュア記の聖絶のエピソードで出てきた神によって禁止されていた略奪を行っていた人物の名前がアカンというのも、なにやら最近のテレビ番組で「アカン、アカン」と音が鳴るのと同じで面白いですね。これと似た話では、ユダヤ教の教えを大成したラビの名前としてアキバというラビがおり、これが現在の秋元康プロデュースのアイドルグループAKB48の名前と一致するのもこれまた面白い話かと思います。
旧約聖書の内容は非常に多岐にわたり、登場人物も複雑で、相当のエネルギーを注がないと読みこなすことは難しいと思いますが、読めば読んだなりに現実に反映する何かはあるかと思いますので、多くの日本人の方が読まれる事を期待します。内容の理解はフリーメイスンリーと一緒で全ての人が出来るものでは無いかと思います。全ての人はフリーメイスンになる可能性をもっているが、全ての人がフリーメイスンに成れるわけではないという標語の様な言葉がありました。

さて黒田如水に戻りますが、黒田如水がフリーメイスンに近いような存在であった事が伝わったでしょうか。
現在の福岡・博多にそういう黒田如水の存在の反映は認められるでしょうか。
それは博多の駅前にあります。もちろん横須賀と同じく地元のライオンズクラブやロータリークラブの方々が当然そういう藩祖の逸話など詳しく知って、その上でそういう考えの象徴として建設されたものかと思います。


筑紫口の方なので人通りが少なく、地元の方もあまり意識していないようです。
博多山笠の祭りの様子を表しているようです。黒い部分はちょんまげでしょうか。実はこちら側出口には都ホテルがあり、ここが実はフリーメイスンリーと関係しているようです。

次回黒田如水の建築物である福岡城周辺を探索します。


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