2012-01-09 08:54 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
引き続き横須賀のらせん階段の続きです

前回触れたのはらせん階段の象徴としての意味と、おそらく最も新しい建物であり1-2-3階と続く形の白と黒にコントラストされた典型的なフリーメイスンリーの象徴である横須賀美術館のらせん階段についてでした。

横須賀にはこの他にもらせん階段があり、おそらくライオンズクラブかロータリークラブの中で何か語り継がれているものがあるのではないかと推測されるような、極めて強いこのシンボルへのこだわりがあります。

横須賀にはいくつかシンボリックな山があります。
最も象徴的なのは衣笠山でしょうか。春には桜並木が満開となり花見客や出店で賑わう、三浦氏の往時の居城であり数々の伝説が残されています。

私はここは春に一回訪問しただけで、桜以外には海軍海堡の建築にかかわる明治頃の記念碑が認められるだけでこれといったフリーメイスンリーのシンボルを認めることはできませんでした。(Google Earthで確認したところ展望台が3階層になっていて、一番上に羅針盤の形の方位があるようでした。十分フリーメイスンリーのシンボルですね。)

横須賀にはフリーメイスンリーと直接関係ない形でも展望台や公園などのシンボリックな公共の建築物が多く、武山という低い山にも頂上に見晴らしの良いアザレアハウスという展望台があります。武山不動もあり鐘を突くこともできますが、アザレア=ツツジはフリーメイスンリーのシンボルではなく、アザレアで検索するとその名前のロッジが認められました。

さてらせん階段なのですが、ここまで来れば横須賀在住の方はすぐにわかるわけなのですが、横須賀の最も高い山である大楠山の山頂にそれはあります。

大楠山山頂
ホームページより無断借用です。問題あれば連絡ください。
かなり変形のらせん階段です。途中の分岐が3つあり、2階の展望デッキにもつながっており、形としては3階層でしょうか。軸が二本ある形になっているようです。この軸が二本というのも実は日本にかかった一つの象徴の形だと思われます。これは実は日本=二本=ツインタワーというすごいところにも繋がるのですが。。。。 ここまで来るとさすがに普通の人はどん引きですね。
ここでは日中必ず車で上がって番をしているおじさんがいて、カップヌードルや缶ジュースを売っています。そのおじさんに聞いたところ築50年程経っているそうで、かなりさびていて登るのはかなり恐ろしいです。頂上からの富士山の光景は絶景ですが、風をかなり感じるので天候状態により登るのを検討したほうがよいかと思われます。

大楠山からの富士山
大楠山から富士山

大楠山からの葉山方面
葉山方面

なかなかの絶景ですが、登り口から頂上まで徒歩で約40分はかかり、登り口までバスくらいしか移動手段がありません。頂上には駐車場もあり車で登ることもできますが途中はかなりの急勾配で一台しか通れない道が続いています。天気の良い日でも100~200人程度しか登らないと思われます。

大楠山の頂上にも方位を示すものはありましたが、特にコンパスや羅針盤の形はしていなかったと思います。まあこれだけらせんにこだわった展望台は日本全国他にないと思います。

さて大楠山なのですが実は最近下からこの山を見ていてある事に気付きました。

大楠山遠景
矢印は後から加工したものです。青矢印が気象庁のレーダー、白矢印がらせんの展望台、赤矢印がNTTドコモの電波塔です。らせんの展望台を中心としてきれいな対称を成しているのがわかるでしょうか。これは実はある建物から撮った写真なのですが、これも後に説明します。

この図を出すとフリーメイスンリーに詳しい方であればすぐに気付くと思われます。


フリーメイスンリーのEMBLEMATIC CHART
フリーメイスンリーのシンボルを図柄として配置しそれぞれの意味を確認する目的で作成されたポスターです。この図の中での左右の柱はヤキンとボアズといい聖書の中でソロモン宮殿を作った際に神殿の入り口の左右に配置した象徴的な柱とされています。

聖書の該当部分を引用してみましょう。列王記上7章より

ソロモンは十三年の年月をかけて宮殿を築き、その宮殿のすべてを完成させた。彼の建てた「レバノンの森の家」は、奥行きが百アンマ、間口が五十アンマ、高さが三十アンマで、レバノン杉の柱を四列に並べ、その柱の上にレバノン杉の角材を渡した。各列十五本、計四十五本の柱の上にある脇廊の上にもレバノン杉で天井を造った。三列の窓枠にはめられて、窓が三段に向かい合っていた。すべての扉と枠組みの柱は四角形であり、窓は三段に向かい合っていた。彼の建てた柱廊は奥行きが五十アンマ、間口が三十アンマであり、その前にも前廊があり、柱とひさしがあった。また、彼が裁きを行う所として造った「王座の広間」「裁きの広間」には、床全面にレバノン杉の板が張り詰められていた。彼が住居とした建物は、この広間の後方の別の庭にあり、これと同じ造りであった。またソロモンは妻に迎えたファラオの娘のために、この広間と同じ建物を造った。これらの建物はすべて内側も外側も、土台から軒まで、また外庭から大庭まで、寸法を合わせて石のみで切り整えられた貴重な石で出来ていた。土台には八アンマ、十アンマもある貴重で大きな石が用いられ、その上には、寸法に合わせて切り整えられた貴重な石とレバノン杉が用いられた。大庭の周囲にも、主の神殿の内庭や前廊と同様に、切り石を三列、レバノン杉の角材を一列重ねて据えた。ソロモンは人を遣わしてティルスからヒラムを連れて来させた。その母はナフタリ族出身でやもめであった。父はティルス人で青銅工芸の職人であった。ヒラムは智恵と洞察力と知識に満ち、青銅にかけてはどんな仕事にも通じていた。彼はソロモン王のもとに来て、ゆだねられたあらゆる仕事をした。彼は青銅の柱を二本作り上げた。一つの柱の高さは十八アンマ、周囲は十二アンマ、もう一つの柱の周囲も同様であった。柱の頂には、青銅を鋳て作った柱頭を据えた。一方の柱頭の高さが五アンマ、もう一方の柱頭の高さも五アンマであった。柱の頂にある柱頭に格子模様の浮き彫りを作り、網目模様の房を一方の柱頭に七つ付け、もう一方の柱頭にも七つ付けた。このように彼は柱を作ったが、柱の頂にある柱頭を覆う一方の格子模様の浮き彫りの周りにざくろを二列に並べた。もう一方の柱頭にも同じようにした。前廊の柱の頂にある柱頭はゆりの花の形になっていて、四アンマあった。二本の柱の上にある柱頭には、格子模様の浮き彫りの側面の膨らみより上にも、二百個のざくろが列をなして取り巻いていた。もう一つの柱頭も同様であった。この柱は外陣の前廊の前に立てられた。一本は南側に立てられて、ヤキンと名付けられ、もう一本は北側に立てられて、ボアズと名付けられた。ゆりの花の形が柱の頂に出来上がって、柱の製作は完了した。彼は鋳物の「海」を作った。直径十アンマの円形で、高さは五アンマ、周囲は縄で測ると三十アンマであった。縁の下をひょうたん模様が取り巻いていた。すなわち、「海」の周囲には、「海」と共に鋳造されたひょうたん模様が、一アンマにつき十の割合で二列に並べられていた。「海」は十二頭の牛の像の上に据えられていた。三頭は北を向き、三頭は西を向き、三頭は南を向き、三頭は東を向いて「海」を背負い、牛の後部はすべて内側を向いていた。「海」は厚さが一トファ、その縁は、ゆりの花がかたどって、杯の縁のように作られた。その容量は二千バトもあった。彼はまた青銅で十台の台車を作った。各台車の長さは四アンマ、幅は四アンマ、高さは三アンマであった。その構造は次のとおりである。台車には枠の横木の間に鏡板があり、その横木の間の鏡板には獅子と牛とケルビムが描かれ、上の横木にもそうされていた。また獅子と牛の下には唐草模様が彫りこまれていた。一つの台車に四つの青銅の車輪が付いており、車軸も青銅であった。また四つの脚があり、支えがそれに付いていて、支えは唐草模様の傍らで洗盤の下に鋳込まれていた。その口は冠の内にあって、そこから一アンマ高く出ており、その口は円形で同様の作りで一アンマ半であった。口の上にも彫刻がなされていた。鏡板は四角であって丸くはなかった。鏡板の下に四つの車輪があり、車軸が台車に取り付けられていた。車輪の高さはそれぞれ一アンマ半であった。車輪は戦車の車輪と同じ作りで、車軸も縁も輻も轂もすべて鋳物であった。それぞれの台車の四隅にある支えは台車と一体になっていた。台車の頂に高さ半アンマの輪があって、台車の頂でその支柱と鏡板は一体となっていた。その支柱の表面と鏡板にはケルビムと獅子となつめやしが、そのそれぞれに空間があれば周りに唐草模様が彫りこまれた。彼はこのように同じ鋳型で、同じ寸法、同じ形に台車十台を作った。彼はまた青銅の洗盤を十作った。容量はそれぞれ四十バト、直径は四アンマ。十台の台車それぞれに洗盤が一つずつ載せられていた。五台は神殿の右側に、五台は左側に配置し、「海」は神殿の右側、すなわち南東の方向に置いた。ヒラムは洗盤、十能、鉢を作って、ソロモン王のために主の神殿でしようとしたすべての仕事を終えた。彼の作ったものは、二本の柱、柱の頂にある柱頭の玉二つ、柱の頂にある柱頭の玉を覆う格子模様の浮き彫り二つ、格子模様の浮き彫り二つに付けるざくろの実四百、そのざくろの実は、柱の頂にある二つの柱頭の玉を覆う格子模様の浮き彫りのそれぞれに、二列に並べられていた。台車十台、台車に載せる洗盤十、「海」一つ、それを支える十二の牛の像、壺、十能、鉢。ソロモン王のためにヒラムが主の神殿で製作したこのすべての祭具は青銅製で、磨き上げられていた。王は、ヨルダンの低地、スコトとツァレタンの間の粘土の豊かな所でこれらを鋳造した。ソロモンがこの祭具のすべてを並べると、それはあまりにも多く、その青銅の重さは量ることができないほどであった。ソロモンは主の神殿に置くためのあらゆる祭具を作った‐‐金の祭壇、供えのパンを載せる金の聖卓、内陣の前に左右に五つずつ置かれる純金の燭台、金の花、ともし火皿、火ばし、純金の皿、芯切り鋏、鉢、柄杓、火皿、また神殿の奥の間すなわち至聖所の扉と外陣の扉のための金のちょうつがい。ソロモン王は、主の神殿で行われてきた仕事がすべて完了すると、父ダビデが聖別した物、銀、金、その他の祭具を運び入れ、主の神殿の宝物庫に納めた。

なぜこれだけ長い部分を抽出したかというと、ヤキンとボアズという柱の名前が出てくるのはこの部分の何百倍という内容がある聖書のたったこの場面だけなのですね。しかもフリーメイスンリーの柱では柱頭の上に天球儀と地球儀が載っているのですが、聖書に出てくるヤキンとボアズでは全く違うざくろの実の装飾と格子模様の浮き彫りが描かれていて、格子模様が天球儀とか地球儀とかいう事は全く出て来ないのです。しかもなぜ、この柱がヤキンとボアズという名前であるかは謎のままなのです。ヤキンと、ボアズという名前は人名として聖書の他の部分に出てくる事はあります。それらを検討するのはこれからになりそうです。しかしこのヤキンとボアズという柱の名前はフリーメイスンリーでは世の中の二元性、対称性を象徴する最も重要なシンボルであり、入会儀式の際のリチュアルにも認められるものなのです。(9/18追記:ヤキンが基礎、ボアズが力というヘブライ語の意味であるかと思います。そもそもユダヤ王国の繁栄を願っている言葉なのですね。)フリーメイスンリーにおける聖書研究の重要性を少しでも感じ取っていただければとこれだけの長い部分を抽出して、皆さんに聖書を読む体験を感じていただければと思ったわけです。

聖書の活版印刷がグーテンベルクによって始まり、ルネッサンスが始まったとは日本人の多くが高校の世界史で教わるおそらく常識のようなものでしょうが、果たしてなぜ聖書を皆が読むことでルネッサンスが始まるのかという所は多くの日本人が本質的には理解しがたい事なのではないかと思います。それはやはり聖書を読むことでしか体験できない、実感できないものなのではないかと思われます。

キリスト教やユダヤ教という宗教の枠を超えたところにフリーメイスンリーという教えがあり、それらは戦後の日本をとらえる上で非常に重要な考え方なのですが、果たしてキリスト教やユダヤ教への理解抜きで、日本の伝統宗教の教えを守ることでフリーメイスンリーの教えに行きつくかというと非常に疑問が多いところです。この点についてはまだまだ日本においては時間と労力が必要とされる部分だと思われます。

さて横須賀のシンボルとして多いらせん階段ですが、こんなものもありました。

大楠山低い展望台低い展望台階段
大楠山の気象庁の観測レーダーの横にキノコのような形の展望台がありますが、これもまた三階層の円形ではない方形のらせん階段でした。色々念が入ってますね。上部の傘は若干ですが蜂の巣を意識した形になってるのかわかりませんが、おそらくあまり意識的ではなくこの形になったのかもしれませんね。
まあこのあたりに入るとシンボリズムもほとんど意識下の世界に入るのかもしれません。
またこのようなものもありました。

らせん非常口1らせん非常口2らせん非常口3

これらは大楠山の近くにある某病院にあるらせん階段とらせんの非常口なのですが、ここまで来るとさすがにおみそれしますね。この某病院は市内の繁華街に近いところにあったものが昭和30年代に焼け出されこちらに移ってきたそうです。同時期には衣笠病院の火事や少し離れた聖母の園というカトリックの老人ホームでも火事があったもので、多くの人命が失われたそうです。なかなか戦後の横須賀の歴史というものは壮絶なものを感じます。

市民病院バラ園
中二階にバラ園があったのですが、現在はわずかにバラを残すのみで縮小しています。(追記2/10 らせん階段もほとんどが非常用で上から下にスルスルと滑り落ちる形なのですね。シンボリズムは奥が深いです。)

また私自身は行ったことないのですが田浦梅の里の展望台もらせん階段の構造をしているようです。


ブログより借用いたしました。問題あればお知らせください。


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