FREEMASONRY
Blue Lodge, Scottish Rite & York Rite in Japan
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Portrait of Hasekura Tsunenaga, by Claude Deruet (French Painter), Italy (17th century)
PRIVATE COLLECTION (Galleria Borghese, Borghese Gallery)
まあ明らかにフリーメイスンではないんですが、いかがでしょうか。フリーメイスンリーについて語るときにはキリスト教やユダヤ教について触れないわけにはいかないのはわかられたかと思いますが、その際に日本では特に隠れキリシタンとそれ以前のイエズス会などによるキリスト教の伝道について触れないわけにはいかないわけで、その際には長崎であれば天正遣欧使節団、東北であれば慶長遣欧使節団があるわけで、後者のいわゆるローマに行ったキリシタンの侍として挙げられる伊達政宗の使節である支倉常長のローマで描かれた肖像画です。洗礼名も入れると支倉六右衛門常長ドン・フィリッポ・フランシスコというそうで、常長という名前ももともと長経であるとか、派遣された経緯が明確ではないとか、父親が切腹を命じられて、本人が追放と同じで派遣されたとか、帰国後も禁教令のために不遇のうちに2年で亡くなったとか、実際には84歳まで長生きしたとか、墓が3か所あるなど、確実にローマに行ったことは記録にあるわけですが、日本での人生については謎に満ちた人物となっています。まあそういうところがこのブログで挙げる要素になるわけで、生まれてから死ぬまでカトリックで宣教師であったらフリーメイスンリーには箸にも棒にもかからないのかもしれませんが、そういう人生であっても日本に来るとたちまちフリーメイスンリーの範疇になってしまうのがまあフリーメイスンリーであり、キリスト教なのだと思います。
明治維新前の徳川幕府による万延元年遣米使節、文久遣欧使節、明治維新後の明治政府による岩倉使節団が主に今日の日本の文明開化を主導した日本人による欧米文化の導入のきっかけとなったと考えられているわけですが、これらにプラスして、長州ファイブなどの政府以外の留学、明治維新後の政府による留学、出島のオランダ人や訪日した外国人による文化の導入、お雇い外国人による導入、そして戦後のGHQの政策による導入など、それぞれにルーツを辿れるようなきっかけを元としてキリスト教、フリーメイスンリー、欧米文化は日本に入ってきているわけで、その中でも天正遣欧使節団は実際には同時に活版印刷などで印刷した本を九州地方に広めたこともあるそうで、その後の日本の印刷術にも影響を与えているようです。一方の慶長遣欧使節団は帰国してすでに禁教令が広まっていたこともあり、具体的な成果は認められずに、同行していたフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロは火あぶりで殉教しています。天正遣欧使節団と慶長遣欧使節団の決定的な違いは、それが前者はイエズス会の主導で、ポルトガル船によって行われて、地球を西回り、インド周りでローマに達したのに対して、後者はフランシスコ会の主導で、スペイン船によって行われて、地球を東回り、メキシコ経由でローマに達したというところだと思われます。当時の大航海時代のトルデシリャス条約、サラゴサ条約に基づいて地球を二分にするという発想があり、日本における布教についてもイエズス会とフランシスコ会で東西に二分にする状況が部分的にあったようです。
まあそうはいっても日本最初の遣欧使節であったことは確かなわけで、それらが持ち帰ったものが数多く伊達家ゆかりの寺などには所蔵されており、自友俳句で表したように伊達政宗はじめ伊達家の人々がキリスト教を弾圧しながらも自身がほぼキリスト教徒として全うしており、それらの影響が今日まで仙台や東北地方に影響を与えていることかと思います。そもそも支倉常長が出発する2年前にソテロが航海から上陸したその日に慶長三陸沖地震が発生しているそうで、彼らの存在と特定の日付に基づいた三陸地震の発生はキリスト教布教と密接に結びついていることは確実のようです。また慶長使節団の計画自体がこの地震と津波の影響による可能性は大きいのではないでしょうか。このブログも2011年3月11日の東北大震災に強く影響されて書き始めたものであり、その歴史をさかのぼっていくと必ずこの支倉常長の歴史的な偉業に到達することになるわけで、フリーメイスンリーとはなかなか直接はつながらないものかもしれませんが、実際はリスボン地震なども含めて、まさにフリーメイスンリー成立に直接的に関与する印象がある、キリスト教とフリーメイスンリーという関係を考えされられる人物であるかと思われます。
彼の肖像画は他にも国宝に指定されたものなどがあります。





家紋の事や、彼の比較的由緒ある家柄など、イエズス会における黒田や大村、大友、島津などのシンボリズムと共通する、フリーメイスンリーに共通するシンボリズムも認められ、彼らの使節団が残したスペインでの子孫や、足跡などは、世界史史上唯一のものであり、東北に残したものと同時に貴重なものになるのだと思われます。
最初に挙げた絵は床がモザイク模様になっていて、それもあってここで挙げたのですが、彼のその後の人生の謎とも混じえて、またその末裔が現在まで続いていることも含めて、日本人にとってのキリスト教、フリーメイスンリーは何かという話題でもってここに取り上げてみました。
(追記:2014年に1か月程度東京国立博物館で展示されていたそうです。私も少し記憶がありましたが、当時はそれほど実物への興味はなかったのだと思います。カトリック関連としては現在東京都庭園美術館でメディチ家の至宝をやっていました。これについては展示物も非常に興味深くはありましたが、それ以上に初めて訪問した旧朝香宮邸のアールデコの建築そのものに圧倒されました。なかなか日本の建物としては相当珍しく、ブラザー東久邇宮の息子さんの朝香宮鳩彦王が作られた建物であることと、戦後に外務大臣公邸として吉田茂が住んだことなど、まさに最高級の日本の近代を象徴する建築でありました。そもそもラリックのガラス細工が建築当初の意匠のままある建物は日本で多くないのではないでしょうか。なかなか変わった美術館であり、東京にあるのでなかなか集客は良いようですが、豪華絢爛たる建築と展示物で、まさに平成の東京を象徴する展示であるかと思われます。)
(2016/7/9追記:東京国立博物館ではちょうど7/10までで伊東マンショの肖像というのをやっていました。日伊国交樹立150周年の企画だそうで、2014年に発見され、ドメニコ・ティントレット(1560~1635)が完成させて、ミラノ、トリヴルツィオ財団蔵とのことです。

伊東マンショもイエズス会士となっていますが、没年が1612年11月13日であり、伊東の名前も含めてシンボリズムを認めるようです。洋の東西と言いますが、その関係の歴史はまさに宗教、文化、人種、環境の違いそのものであり、それら全体でフリーメイスンリーになるのかと思われます。そういう歴史を正しく認識することが、まさに正しいフリーメイスンリーの認識につながることかと思われます。)
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