2012-07-15 11:21 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
去年アキレス腱が切れて行けなかったので今年は三浦半島のお祭りや花火大会に行けるようになりました。
まあペリー祭りの場合は、以前は黒船祭りといったそうですが、いずれにしてもブラザーペリーらの一行を模したパレードやカーニバルがあるようなのですが、これはまた機会があれば行こうかと思います。とりあえず花火大会だけ見てきましたが、とにかく子供の数が多くてペリー上陸にかこつけた村のお祭りでした。

さて現在のお祭りはともかく、ブラザーペリーに関して一つ秘密がありましたのでここにお出しします。ブログのヘッダーの写真にも使ったのですが、ウィキペディアの英語版を見るといわゆる日本のみなさんが知っているブラザーペリーの写真とはだいぶ異なる老けたブラザーペリーの写真があります。
perryphoto.jpg12625281140001.jpg616px-Commodore_Matthew_Calbraith_Perry.png
来航時59歳で、蒸気船で世界一周の東周り航路で日本に到着したわけですから、当時としてどの程度老けていたかはわかるかと思いますが、良く写真を比較すればどちらが本当かは良くわかるかと思います。
現代でもいまだにこのようなウィキペディアですらこの状況なのが我が国の現状です。
本当の鎖国とは実は人の行き来でもなくモノの流れでもなく実際は情報のマスメディアの鎖国なのだと痛感させられる一事でした。

ブラザーペリーの写真、本当の写真を教科書に載せる時代が日本にもこれからやって来るようです。

ちなみにMatthew Perryで検索すると同名のカナダ出身のハリウッド俳優で埋め尽くされます。なかなかお互いの事情が相当あるのでしょうが、こういうのはいつになったら改善されるのでしょうか。なかなか東と西の邂逅の象徴的な事例かと思われます。日本のフリーメイスンリーの歴史はまさにブラザーペリーから始まったと言える訳で、それ以前には基本的には長崎のオランダ商館しかないわけで、こういうところは何とも言い難いまさにフリーメイスンリーの秘密だと思われます。
2012-07-17 15:48 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
東郷平八郎元帥と言えば軍神として有名であり、日露戦争での英雄的な活躍、「天気晴朗なれども波高し」でも有名な戦前の日本で最も良く知られた海軍の司令長官であったかと思われます。

もちろん横須賀でも三笠公園の銅像を始めとして、東郷ビールを売ったりと未だに東郷平八郎元帥の人気は衰えていないようです。

フリーメイスンリー関連としては日露戦争の講和条約をブラザーセオドア・ルーズベルトの仲介で結んだアメリカのポーツマスが東郷平八郎元帥の留学先であったイギリスのポーツマスと同名であったなどがあります。

さてこの東郷平八郎元帥についてですが、ウィキペディアでは妻の事は書かれていませんが、明治11年に海江田信義の長女テツと東郷30歳、テツ17歳で結婚しています。海江田信義と言えば薩英戦争の発端ともなった生麦事件で真っ先に騎乗の英国人一人を切り殺した薩摩隼人の代表的な人物で、戊辰戦争で共に戦った医者出身の軍略家大村益次郎と仲が悪く、その暗殺の黒幕ともされる人物です。維新後は主に薩摩にとどまる事が多く、西南戦争の際にも薩摩にいて病気療養中であったようです。

さてこの世界的にも有名なアドミラルトーゴーとして知られる東郷平八郎元帥ですが、日露戦争の直前に連合艦隊司令長官に就任する際に海軍大臣に推挙される理由が「この人が、ちょっといいんです」という事であったそうです。

さてこのちょっと良いんですが、何が良いのでしょうか?
Togo_in_Europe.jpgTōgō_Heihachirō
もちろんウィキペディアに写真があるように、顔が三船敏郎に似てハンサムであったという事もあるかと思います。三船敏郎も本名で、黒澤明監督の下でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞する「羅生門」「七人の侍」に主演するわけです。

もちろんこのブログを読んでいる方は三船敏郎が三、船というシンボルが入った名前である事、黒、明という漢字もシンボルとなる事もご理解いただけるかと思います。

さてそうなると東郷平八郎元帥はどうでしょう。東は光を東方に求めるフリーメイスンリーのシンボルですし、平もタウ十字、十字の形に近いシンボルと認識されます。また八も東洋の吉兆の数字、キリストの復活の数字としてシンボルとして認識されます。郷の字も小文字のgのカリグラフィーに似ています。
ではローマ字ではどうでしょう。東郷平八郎元帥は留学していますので、現地ではTOGO HEIHACHIROと表記したものと思われます。(現在の英語版のウィキペディアではTōgō Heihachirōとトップバーをあえて表記しています。トップバーはシンボル的には眉毛になるのでしょうか。)TOGOはto goとも解釈され、英語としても率先して動く印象を与えますが、何よりTOGOはタウ十字、All Seeing Eye、シンボルのGを含むなんとも素晴らしい名前となります。代表的なシンボル三つが名前で表現されている東洋の美男子薩摩隼人であったわけです。
img5bad09b7zikfzj.jpeg

ちなみにA級戦犯として巣鴨プリズンで病死した東郷茂徳はもともと薩摩藩に朝鮮の役で豊臣時代につれてこられた朝鮮の陶工の末裔で、父親が東郷の士族株を明治維新後に購入しそれから東郷となったそうです。太平洋戦争開戦時、終戦時の外相でした。

丸十字、太陽十字で家紋が表現される薩摩島津を象徴するような歴史が感じられるエピソードかと思われます。

(ちなみにTOGOに関連して、GOTOでいくと東急グループの創始者である五島慶太となるのでしょうか。渋谷周辺の開発を進め、現在の渋谷ヒカリエに繋がるものかと思います。大船観音の建設にも関わっているようです。ちなみに渋谷は現在の神奈川県境川周辺の呼び名であったものが所領が飛び地で存在し、その末裔が薩摩東郷氏であるようです。そのあたりが現在の渋谷区にある東郷神社の存在とも関連しているようです。また初代ボーイスカウト連盟総長、拓殖大総長、満鉄総裁ともなった関東大震災前の東京市長であり、震災復興の帝都復興院総裁であった後藤新平もGOTOとなります。大政奉還を進言したとされる土佐の後藤象二郎もいます。ウィキペディアには日本で最初にルイ・ヴィトンを愛用したとあります。後藤という名前は現在の芸能界でも数多く認められるかと思われます。東郷では東郷青児やマンガで架空の人物ですがデューク東郷ことゴルゴ13などもいます。Golgo 13、Duke TogoとどちらもOの並びがAll Seeing Eyeとなっています。)

LAUS DEO

(2015/9/4追記:東郷平八郎で英語で同じ音で書くとTo go. Hey, hatch low!でしょうか。おい、行くには水門(または船の入り口、ハッチ)が低い!という感じでしょうか。ブラザーデッカーの名前の駄洒落ではないですが、イギリス海軍のフリーメイスンリーでありがちな駄洒落のようです。旗艦三笠とブラザーマッカーサーの駄洒落ではないですが、そういうのが実際のイギリスと日本のフリーメイスンリー発祥後の関係のようでもあります。)

(2016/5/5追記:旧約聖書箴言22章1節 名誉は多くの富よりも望ましく品位は金銀にまさる。 とありますが、これは日本語の新共同訳で欽定訳聖書ではA good name is rather to be chosen than great riches, and loving favour rather than silver and gold.となるそうです。まあ直訳すると良い名前は富に勝り、金銀よりも好まれる。となり、名誉ではなく良い名前、という意味になるようです。もちろん通常の聖書の解釈では名誉ととるのでしょうが、名前や言葉にこだわるフリーメイスンリーではそのまま良い名前ととるという解釈が圧倒的であるという事なのだと思われます。聖書の翻訳の時点で秘密は秘密とされる。いかに英語の前のラテン語聖書、ギリシア語聖書、そしてヘブライ語聖書の意味が大事かという事かと思われます。またその原典である古代オリエントや古代エジプトの意味が重要かという事になるかと思われます。これに関して、当時の古物でこういう皿もあるそうです。
DSCN2346.jpgDSCN2347.jpgDSCN2348.jpg
まあ当時からイギリス人は東郷提督の快挙の理由を知っていたというわけなんでしょう。日露戦争の秘密でしょうか。)
2012-07-24 21:44 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
日本海軍フリーメイスンリー説はいわゆる日本の陰謀論の中枢を成すような説ですが、もちろんこのブログを読まれてきた方は、戦前の日本海軍にいわゆる正規のマスターメイスンの称号を受けたような人はいないことは十分理解されるかと思います。当時の日本で、日本のロッジに日本人が所属していることは無く、全て海外のロッジで入会した人のみであり、それらは結局外務省筋に少数認めるのみであったという事は十分理解していただけるかと思います。

さてでは海軍フリーメイスンリー説とはいかがなものなのでしょうか。要は日本海軍はフリーメイスンリー発祥の地であるイギリス海軍に手取り足取り指導され近代化した軍隊であり、その中枢はほぼ英米留学によって軍隊を基礎から勉強している人々であり、それらを現地で指導した教官たちが当然ほぼフリーメイスンで占められていたという事は想像に難くないわけで、彼らが実質的なフリーメイスンとして指導、教育されたという事は当然であるという話になるのかと思います。

もちろん日本には明治維新から勝海舟、福澤諭吉、榎本武揚と幕府の海軍伝習所から始まる海軍近代化の歴史があり、それには横須賀のブラザーヴェルニーと小栗上野介などの協力による横須賀ドックが非常に重要になるわけですが、いずれにしてもそれら全てにフリーメイスンリーが深く深く関わっているのは自明であり、海軍フリーメイスンリー説は、フリーメイスン=ユダヤ人説とも等しい程度の社会的三段論法とも言うべきつまらない説であるかと思われます。

まあ特にこれと言ったフリーメイスンリーと大日本帝国海軍との繋がりを示す証拠を持っているわけではないのですが、それでいてこういった論をフリーメイスンリー関連でぶってしまう理由は、やはり長井地区や横須賀を内側から見て、いわゆる海軍三羽カラスの一人、井上成美の影響や現在まで繋がる人気、山本五十六の影響や人気を鑑みるにつけです。

さてこれだけ人気や影響があるとそのウィキペディアも非常に長くなり、書いてる人も地元の人なんだろうなと思うわけですが、その中で関係ありそうな所だけ抜粋すると、井上成美は仙台出身で、名前は論語から取られたそうです。井上成美の海外経験はスイスが3か月、ドイツが1年1カ月、フランス3カ月であったそうですが、恐らく語学について才能があったようで、海軍では英語が必修であったようですが、それらの語学に通じたようです。その後2カ月ほどアメリカに滞在し、その後イタリアに2年1カ月いたようです。要するに海外、主にヨーロッパ、アメリカで現地の海軍や武官達と接触したという事です。具体的にどのようなフリーメイスンと接触があったかわかりませんが、英米独仏伊ともにほとんどがフリーメイスンリー国家であり、その軍人たちの階級が上がれば上がるほどフリーメイスンの割合は多かったと思われます。(2015/1/27追記:井上成美が聖書や賛美歌に親しんでいた事が様々な傍証や残された遺品から確認されるそうです。洗礼も受けていたなんて話もあるそうです。なかなか長井の秘密は深遠です。)

また山本五十六についてはウィキペディアにわざわざ米国滞在時に当時の海軍長官であったカーティス・ウィルバーとの写真が載っていて、この方は恐らくフリーメイスンだと思われますが、裁判官であり、アメリカ海軍航空隊の創設をした人だそうで、現在もアメリカ海軍のイージス艦にその名前を残し、その艦はトモダチ作戦にも参加したそうです。兄弟がスタンフォード大学の学長までされたそうです。山本五十六は主にアメリカに3年ほど駐在したようで、その後はイギリスなど英米への滞在のようです。アメリカ駐在の際に同時に駐米大使であったのが元会津藩主、京都守護代であった松平容保の六男である松平恒雄氏で、この人は赤間剛氏の著作「フリーメイソンの秘密」でフリーメイスンであるとされている方で、この本は全面的に日本グランドロッジの協力で作られた本で、ブラザーであるのだと思われます。娘さんが昭和天皇の弟の秩父宮に嫁ぎました。お孫さんが現在徳川宗家であるようです。ブラザー松平恒雄についてはブラザー東久邇宮などとともに、日本のフリーメイスンの有名人としていずれもう少し詳しく取り上げたいかと思います。
H78628_Isoroku_Yamamoto.jpg
結局真珠湾攻撃はある程度予定されていた結果であったことは間違いないかと思われます。

海軍三羽ガラスのもう一人米内光政は盛岡出身で、日露戦争に従軍し主にロシア、ポーランド、ドイツに駐在したようです。

さてまあ井上成美のウィキペディアの戦後の項目でやはり横須賀長井での生活がたくさん書かれているわけですが、長井には戦前には海軍の飛行場があり、戦後は米軍住宅があったそうで、長井自体は奈良時代から村落があった事が確認される古い地域であり、私が見たところではいわゆる相模の国と武蔵の国の国境に位置する、走水の日本武尊の東征に代表されるような、縄文系と弥生系の民族的境界に位置する、なかなか日本の民族史から見ても興味深い村落であるかと思われます。非常に環境が良く、かつてはサバ漁が非常に盛んであったそうで、古くから長命の極めて日本的な豊かさをもった半農半漁の地域です。奈良時代には鎌倉の長谷寺の観音像の元となる像が流れ着いたという場所であるようで、人口に比して寺や神社が多いものかと思われます。景色が富士山を主体としてきれいに残されている印象です。

というわけで、当時の海軍がフリーメイスンリーの影響を直接受けた形で世界情勢を知っており、日本の対米開戦を絶対的に固辞していながら、結果として国内の要請および昭和天皇の意向に沿う形で真珠湾攻撃という形で開戦した事は、ある意味フリーメイスンとしての生き方とも言えるものかと思われますし、またそれが当時の日本国民に多大な災厄をもたらしながらも、戦後の繁栄につなげた事もまた一つの仕事であったとも言えるかと思いますし、彼らの行動が全体としていわゆるフリーメイスンとは言い難いものであることは確かですが、極めてフリーメイスンリーに影響を受けたものであったことは否定しがたく、海軍フリーメイスンリー説はそういうものを反映した結果であるかと思います。

当時ほぼフリーメイスンリーの影響下にあった外務省筋が宣戦布告の翻訳を遅らせたのは余談かと思います。まあ語学の重要性を認識させられる一事ではないでしょうか。

また三浦半島には東北、福島会津とのつながりが幕末頃から認められ、それが戦前の軍関係の人脈とも繋がるようですが、これにはまたそういった日本の民族的境界とも言うべき古くからの地勢的要素があるようです。これはまた現在の米軍基地の立地や日本研究の一つの重要な要素ともなっているようです。
現在日本におけるアメリカ軍の中枢はほぼ横須賀にあるようですが、情報分析の中枢となるNSA(アメリカ国家安全保障局、国防総省所属でエシュロンなどを管轄しているらしいです。ブラザーダン・ブラウンの過去の著作でも取り上げられているようです。)の基地は2003年以降青森三沢に移ったそうです。それらと三浦半島、東北大震災など様々な関連がいわゆる情報戦争とも呼ばれる現在の実戦の目に見える戦いともいうものではないかとも想像したりできるかもしれません。
2012-08-02 09:34 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
あなたは神を信じますか?

実は昨日諏訪神社にお参りして5円をお賽銭として入れてきました。
IMG_1823.jpg
すると翌日ベースの前を朝歩いていると5円玉が落ちていました。

神様は金なんかいらねえというのかもしれません。

横須賀の神様のお話でした。随分御利益が強そうな神様のようです。
2012-08-03 07:32 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
このブログも市章の話やそれと関連した外国人との接点の歴史やそれらと市や地域の発展や民主主義などの文明化などの話を一つのテーマとした流れとしているわけですが、最近テレビでは少し聞かなくなりましたが、大阪市役所などの話が地方自治では最近話題でした。大阪市の市章も非常に特徴的ないわゆるΧΡの形でしたが、そもそもこのブログで最初に取り上げた横須賀市の市章は北極星とコンパスと星が組み合わさったもので、かなり良くできたフリーメイスンリーのシンボルを入れたものと言う事でしたが、実際の市役所や市の様子はどのようなものかは市外の人からもこのブログからも色々伝わっているものかと思います。
で、説明が回りくどくなったわけですが、横須賀市は市役所の前の公園にも特徴的なオブジェがあります。
IMG_1825.jpgIMG_1826.jpg
まあ要するにラフアシュラーなわけですね。三笠公園やヴェルニー公園などフリーメイスンリーのシンボルが入れ込んである公園が多くあるわけですが、どうも市役所が主体的にフリーメイスンリーに関わっているわけではない事を示しているのかと思います。まあ要するにロータリークラブやライオンズクラブ、米軍を主体とするフリーメイスンリーなわけですね。実際の日本の民主主義や理想の町づくりと言ったものは、日本政府の動きを見るまでも無くまだまだほとんどがラフアシュラーの段階という事なのかと思われます。

ちなみに今週は横須賀は開国祭という事で様々なイベントをこの公園周辺で行っています。8月4日には今年二度目のフレンドシップデーと言う事で基地開放で屋台でお肉を食べさせてくれるようです。空母ではなくイージス艦を見学させてくれるようです。再び三笠公園口からの入場で、セキュリティーチェックはありますので身分証が必要でしょうか。夕方には花火もあるようです。興味があれば来られたらよいかと思います。
2012-08-07 07:52 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
ブラザーヴェルニーの手がけた建築の代表的なもので、横須賀ドックに引き続いて走水水源からの水道、そしてこの観音崎の西洋式灯台を日本で最初に作ったわけですが、恐らくフランス出身でフランス大東社の当時ナポレオン三世時代でフランス大東社も全盛時代であるようですが、カトリック信仰が盛んなフランスですので、観音崎という名前と観音信仰とマリア信仰の類似を感じるでしょうし、そこに作る最初の光の導きとなる灯台は、極東の日本に神の導きをもたらす意識で作られたのではないでしょうか。
IMG_1546.jpgIMG_1547.jpgIMG_1548.jpgIMG_1871.jpgIMG_1872.jpgIMG_1873.jpg
その後数多くの灯台をスコットランド出身のお雇い外国人のリチャード・ブラントンが作るわけですが、恐らくこちらの方もフリーメイスンであったかと思われ、フランス大東社および英米系フリーメイスンリーの明治維新当初よりの共演が盛んにあったものかと思われます。
観音崎灯台は明治元年11月1日に着工されたそうで、完成が明治二年2月11日(旧暦1月1日)という事で、いずれも建築と日付を大事にするフリーメイスンリーのやり方に乗っ取っているものかと思われます。恐らくブラザーヴェルニーとともに日本に来日した多くのフランス人技師たちもほとんどがフリーメイスンであったのではないでしょうか。

先日やっとここの灯台に登れたわけですが、やはり中は螺旋階段にかなり無理くりに三層構造になっていました。ブラザーヴェルニーが作ったものは教会のような形で、恐らく教会の形を意識して作られたのではないでしょうか。関東大震災の半年前に地震で崩壊し、そのために建て直されたそうですが、結局半年後の関東大震災で崩壊し、さらに三代目が現在のもので建てなおされたようです。
IMG_1874.jpgIMG_1875.jpgIMG_1876.jpgIMG_1877.jpgIMG_1878.jpgIMG_1879.jpgIMG_1880.jpgIMG_1881.jpgtoudairenga610071.jpgtoudaizangai306101.jpg
ブラザーヴェルニーの作った灯台を巡って地震や建築など様々なやり取りがあったとも想像され、恐らくフリーメイスンリーの建築として日本に作られた最初のシンボルと考えられ、北海道の五稜郭とも対応してなかなか相当のこだわりがあったのではないかと思われます。(ちなみに北海道にある最初のオベリスクと考えられる建築は榎本武揚が五稜郭の戦いの戦死者を祭った塔のようです。市章との関連もこうやってシンボルの建築と関係していくと徐々にはっきりとしていきます。)
碧血碑
恐らくこの灯台の建築と地震による崩壊を含めて、その時代の日本のフリーメイスンリーはまさに大きな転換期であり、決定的に運命が決まったのが保安条例によるいわゆる日本人の入会を禁止する紳士協定であったのではないかと思われます。それらと同様のものが2011年の東北大震災の時期にあったのかはわかりませんが、恐らく同様のものがあったものかと思われます。神は常にいつの時代にも全てを見ているのだと思います。

さてこの灯台の近くに以前も螺旋階段のシンボルで触れた開館5周年の横須賀美術館があるわけですが、現在ストラスブール美術館展を開催しています。ストラスブールがどこにあるかというと、あのヒトラーのアルザス・ロレーヌ割譲で有名なアルザス地方にあるそうで、なかなかいわくつきの美術館のようです。
ピカソやゴーギャン、ブラック、マックスエルンストやシャガールなど美術の教科書に出てくる有名どころの小品や大作など、東京でやれば連日行列ができそうな内容ですが、横須賀観音崎だと果たしてペイできるのかどうか不安になるような感じです。内容は非常に充実していますので、中学高校生までの自由研究などでは良い題材ではないでしょうか。非常に充実した内容ですが、いったいどんなコネがあるのかと考えてしまいますが、フランス女性の特に斜め45度を意識したような肖像画が多くなんとも美に対する意識が固定化しているようで、横須賀的嗜好というものを感じさせます。
IMG_1870.jpg
さて観音崎も色々あって一日かかって回ってもなかなか面白いところなのですが、いかんせん都会から来た方には色々地方色が強くすぐに飽きてしまう可能性もありますので、少し三浦半島をさらに奥深くまで潜入して行ってはいかがでしょう。観音崎灯台のさらに岬の先の方は防衛省の管理地になっていて何やら石碑が建っていたりします。入口にはこれまたフリーメイスンリーのお決まりのシンボルである碇が丁寧に置かれていて、どうも観音崎灯台と地震崩壊など日本の国土防衛にまつわる問題か何か秘密があるのではないかと思わせる配置となっています。
IMG_1882.jpgIMG_1883.jpgIMG_1884.jpgIMG_1885.jpg
あの良くある世界人類が平和でありますようにという白い棒もオベリスクの形なのですね。生長の家から派生した宗教団体の活動のようです。
初代の灯台が崩壊した地震は関東大震災の半年前の地震で、浦賀水道の直下型の地震でまさに被害は初代灯台の亀裂であった模様です。
(観音崎には京急ホテルもあり、入浴やスパもあり、料理もおいしいようです。メインの建物がピラミッド型の屋根になっており、こういった建築も京急の発展に役立っているのかもしれませんね。ボードウォークからランドマークタワーやスカイツリーも望む事が出来ます。)
IMG_1886.jpgIMG_1887.jpgIMG_1888.jpgIMG_1889.jpgIMG_1890.jpg
さらに南に下ると鴨居という土地があり、この土地には神社や寺が比較的多くあるのですが、会津藩との関わりもあるようです。
IMG_1549.jpgIMG_1550.jpg
さらに南に下るといわゆる開港の地として有名な浦賀に当たるわけですが、この地には東叶神社と西叶神社という渡しを挟んで二つの神社が向かい合うようにあり、町の形式自体が東西の邂逅の形となっています。どうもそもそも隠れキリシタンなどもいたようで、浦賀の開港の地と言うのは相当なバックグラウンドがある模様です。そもそも浦賀には燈明堂という江戸時代から存在する和式の灯台もあり、この場は行くとなかなか面白いのですが、江戸時代の首切りの刑場であったそうで、南無妙法蓮華経と書いた大きな石塔が建っています。海上交通の要となる灯台の場所が首切り場であり、元寇を予言した日蓮が開祖の法華宗の題目を書いた石塔が建っているという、なんとも江戸時代の外海に対する社会の姿勢をある意味端的に表現したような対比が観音崎灯台と比較して感じられます。
IMG_1551.jpgIMG_1552.jpgIMG_1553.jpgIMG_1555.jpg
IMG_1786.jpgIMG_1787.jpgIMG_1788.jpg
さてここ浦賀の東叶神社には何やらいわくつきのフリーメイスンリーと関係あるようなないようなシンボルがあります。そもそも東叶神社は鶴岡八幡宮の系譜を引き継ぐ八幡神社のようなのですが、反対側には源八郎為朝と関係する為朝神社もあり、為朝と言えば荒くれ者の弓の達人で、伊豆大島に流された話や、沖縄で王様になった伝説などある源氏でも義経と並んで伝説の多い平安末期の武者です。東叶神社もなかなか急峻な裏山への階段を背負った立派な作りの神社で、登っていくと途中にイギリス風の喫茶店があったりと、鎌倉の寺社を思わせるような国際的であり、勝海舟が咸臨丸で海を渡る前に籠ったとか逸話があります。
IMG_1554.jpgIMG_1556.jpgIMG_1557.jpg
そして一番高いところに上るとなぜかいきなり立派なオベリスクがあり驚きます。一体どんな関連なんだと見るとなんと大正時代に住友造船所で何やら大きな事故で死傷者が出て、その鎮魂のためにこの三角柱の変型オベリスクが建てられたという事です。なんとも日本のフリーメイスンリー的にもかなり貴重な特殊な建築ですが、住友の家紋がフリーメイスンリーのシンボルとよく似た菱形である事もあり、なんとも感慨深い大正時代を濃密に感じさせるシンボルとなっています。
IMG_1558.jpgIMG_1560.jpgIMG_1561.jpg
実はこのオベリスクとそっくりの三角柱のオベリスクが葉山の御用邸前にも存在します。恩光碑と言って、昭和11年に建てられた皇太子の葉山行啓を記念した碑だそうです。碑文はあの明治憲法記念碑でも出てきた、明治憲法を夏島で作るのに参加した金子堅太郎氏のものによるそうです。葉山の御用邸と言えば、まさに大正時代の終わりを告げる、大正天皇がクリスマスのその日に亡くなった地であり、またブラザー林董が英国から帰国後不遇のうちに育ての親であるヘボン医師が日本で手術に成功した足切断術で病状が悪化して死亡した土地でもあります。現在葉山の元町と呼ばれる中心的な地にはスターバックスがあり多くの観光客がゆったりとした時間を満喫しています。また御用邸横にはしおさい公園という県立近代美術館葉山館と繋がるかつての御用邸の一部が開放されていて、大正天皇や昭和天皇が愛した庭園を散策して正面にある砂浜を眺められるようにできています。茶道の心得のある女性が抹茶をたててくれるお茶屋もあり、面白い事に抹茶の他には紅茶が注文できるというなんとも天皇家おひざ元を感じさせる庭園となっています。
IMG_1860.jpgIMG_1861.jpgIMG_0986.jpgIMG_0987.jpgIMG_0988.jpgIMG_0995.jpgIMG_0996.jpgIMG_0997.jpg
(八幡宮の中にある県立近代美術館鎌倉館については後々鎌倉探訪で取り上げます。)

フリーメイスンリーのシンボルをテーマとして三浦半島を見た際に、明治時代から大正時代という自由民権運動の時代、そして敗戦から戦後、そして現代の平成という時代に、デジャブとも言うべき自由、いわゆるフリーメイスンリーの再来があるように感じます。そういうテーマでこの土地を再確認して見ると、今日の混迷する国際情勢、日本の政治状況、社会状況をあらためて再考し、コンパスとなる指針が明確となるのではないかと、個々人の心に強く印象付けられるのではないかと思われました。
2012-10-08 16:38 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてさて動画の紹介ばかりだとマンネリなのでここで再び横須賀の時事の話題です。
春のローズフェスタはアメリカ軍の日に行われましたが、秋も涼しくなってきて再び薔薇が花咲くころになるとローズフェスタを行うようです。
IMG_46161.jpgIMG_46171.jpg
その他にもこういうのもやっているそうです。
IMG_46181.jpgIMG_46191.jpgIMG_46201.jpg
久里浜花の国は久里浜のペリー公園のそばでニコンの工場があるところの近くではないでしょうか。神奈川歯科大学は三笠公園の手前です。最後のみこし祭は基地開放になるのだと思います。三笠ゲートは三笠公園の手前の虹のアーチをくぐってすぐの碇のシンボルが置いてあるところの入り口です。基地開放は身分証明書が必要なのだと思います。それぞれ天気が良い事を期待しますがしばらく荒天が続いたようなので良いのではないでしょうか。
ヴェルニー公園の薔薇の開花状況は現在こんな感じです。
IMG_46221.jpgIMG_46231.jpgIMG_46241.jpgIMG_46251.jpgIMG_46261.jpgIMG_46271.jpgIMG_46281.jpgIMG_46291.jpgIMG_46301.jpgIMG_46311.jpgIMG_46321.jpgIMG_46321.jpgIMG_46331.jpgIMG_46341.jpgIMG_46351.jpgIMG_46361.jpgIMG_46371.jpgIMG_46381.jpg
秋も色々イベントが横須賀はあるようです。日米同盟やらなんやらテレビやマスコミでは騒がしいようですが、横須賀では大きな変化は特にないようです。色々横須賀を歩き回るのも一興かと思います。どうぞ天気が良ければ混雑などを避けながら気を付けて来てみてはいかがでしょうか。
2012-10-18 20:40 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
大それた題名ですがどうという事はありません。
以前ヴェルニー公園の回で取り上げた街灯の数の秘密でしたがどうも最近電気が点きました。
IMG_2009.jpg
もちろん予想通り暖色の色な訳です。
まあ文字通り純粋な名誉な訳です。

あと鎌倉関連で神奈川県立近代美術館について載せるつもりでしたが、iPhoneに入れていた写真を消してしまいましたので、いずれ再度訪問してから掲載する予定です。それに関連してか現在横須賀美術館で神奈川県立近代美術館から貸し出された岸田劉生の童女図(麗子立像)が展示してありました。まあなかなか美術館や博物館も経営の問題はなかなか難しいものかと思います。
2012-10-23 19:09 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
年月日の話題を書きましたが、だいぶ書き散らしのようでまとまりを欠いている感じでしたが、まあなかなかああいう話がまとまってポイントだけ示すのもノストラダムスの預言のようで怖いものがありますので、あの位で書くしかないわけです。
そういうわけで、そういう考えの元になった話がこの昭和11年の話です。
昭和11年という年に何があったのかウィキペディアで見てみましょう。
西暦1936年皇紀2596年です。
1月15日日本がロンドン海軍軍縮会議から脱退・松竹大船撮影所開所だそうです。特に前者のロンドン海軍軍縮会議脱退はまさに日本がその後に空母や戦艦大和に象徴される軍備を拡張していくきっかけとなった出来事かと思います。

1月22日 - 英ジョージ5世死去。エドワード8世即位です。この直前の1月18日にブラザーラドヤード・キップリングが亡くなっています。

1月25日 - 横山隆一「江戸ッ子健ちゃん」連載開始(東京朝日新聞、フクちゃん漫画の初め)です。横山隆一氏の鎌倉の旧宅は御成町のスターバックスとなっています。

2月1日 - 天皇機関説を提唱した美濃部達吉が、右翼に襲撃されて負傷です。天皇機関説は右翼や軍部がその後天皇を唯一不可侵の存在として奉り暴走するきっかけとなったアンチテーゼです。要するに天皇機関説がしごくまともな内容という事です。後の東京都知事となる美濃部亮吉氏の父親です。美濃部亮吉氏は12月24日に亡くなったそうです。

2月20日 - 第19回衆議院議員総選挙

2月26日 - 二・二六事件勃発

2月29日 岡田啓介内閣総辞職 二・二六事件の反乱部隊に原隊復帰勧告(「兵に告ぐ」)が出され、5時間で帰順。

2.26事件も1.13の二倍の数なのですね。5.15事件は回文数ですね。

3月7日 - ドイツがラインラントに進駐。まさに第二次世界大戦の空気がプンプンと匂ってきている感じですね。
7月17日 - スペイン内戦勃発。ブラザーロバート・キャパの崩れ落ちる兵士の写真で有名です。
7月31日 - 国際オリンピック委員会で第12回夏季オリンピック開催地を東京に決定。うーん戦争が無かったらベルリンの後が東京オリンピックだったのですね。果たして想像できるでしょうか。恐らくその後の戦争が無い仮定は無いのでしょう。

8月1日第11回夏季オリンピックがベルリンで開幕(〜8月16日)映画意志の勝利と開会式の聖火ランナーで有名でしょうか。今年のオリンピックの開会式、閉会式もYouTubeで見られるようです。

日本、関東軍防疫部編成(1941年に731部隊と改編)。満州事変の後にリットン調査団に毒を飲ませようとしたそうです。恐らくリットン卿もフリーメイスンではないでしょうか。

9月26日 - ソ連でニコライ・エジョフが秘密警察長官にあたる内務人民委員に任命され、スターリンの大粛清が本格的にはじまる。なかなか国際ニュースも少ない時代でしょうが、なかなか世界は偉い事になっています。

11月3日アメリカ合衆国大統領選挙でフランクリン・ルーズベルトが再選。11月3日は大統領選挙に関係して色々イベントがある日のようです。もちろんアメリカはフリーメイスンリーの国ですから。

11月7日 - 東京・永田町に国会議事堂落成。

11月25日 - 日独防共協定締結

11月30日 - 水晶宮 (The Crystal Palace) 焼失。イギリスの話ですね。第一回万国博覧会の会場を移設したものであったようです。

12月11日‐英エドワード8世退位。ジョージ6世即位。シンプソン夫人との王位をかけた恋でした。ナチスの外務大臣が積極的に勧めたそうです。

12月12日‐西安事件。蒋介石が張学良に西安で拉致監禁された事件で、その後の国共合作のきっかけとなったそうです。張学良は昭和天皇と同じ年で容姿が良く似ていたそうです。張作霖爆殺事件で殺された張作霖の子供で、西安事件の後軟禁され続けて100歳で2001年に死んでいます。6月3日生まれだそうです。張作霖爆殺事件が6月4日だそうです。

この年に生まれた有名人は先日2011年11月21日に亡くなった6代目立川談志がいます。1月2日生まれです。
その他やはり昨年2011年11月5日に亡くなった民主党の西岡武夫がいます。2月12日生まれです。回文数ですね。2月22日にブラザー沢田教一が生まれています。11月1日に亀井静香が生まれています。11月3日にさいとうたかをが生まれています。

さてまあこうして見るとどうも色々世の中が物騒であった時代、世界が同時に第二次世界大戦になだれ込もうとしている状況がひしひしと伝わるかと思いますが、そういう時代であったかと思います。
ではなぜこの時代に興味を持ったかというと最大のきっかけはやはり以前オベリスクのところで触れた横須賀汐入町の公園にある関東大震災慰霊碑のオベリスクの移転の日が昭和11年11月11日であり、それに小泉又次郎の寄付の銘が入っていた事です。
IMG_1805.jpgIMG_1808.jpgIMG_1812.jpg
またその他で触れましたが葉山の御用邸前にある皇太子の葉山行啓を記念した恩光碑、三角柱の青銅製のオベリスクが昭和11年製だそうです。明治憲法を作成した金子堅太郎の揮毫がある事も触れました。
IMG_1860.jpg
また横須賀にはその他にも大正8年製の浦賀の東叶神社の裏山にある三角柱のオベリスクがありました。浦賀の住友造船のドックで悲惨な事故がありその慰霊のために建てられたようです。
IMG_1557.jpg
そして横須賀最大のオベリスクは三浦氏の居城である衣笠城跡の衣笠山にありました。大正12年製で、西田明則君の碑というちょっと持って回った名前がついています。基本的には東京湾の入り口である浦賀水道の要衝となる第三海堡を作った記念に80歳で明治39年に亡くなった長州出身の方を顕彰しているようです。しかしどうも設立の経緯やオベリスクの形など色々不自然な事が多いかと思います。碑文は大正11年に書かれたようです。第三海堡はこの碑の建設直後の大正12年9月に関東大震災にあいほぼ壊滅したそうです。第二代目の観音崎灯台ともよく似た話です。
IMG_4882.jpgIMG_4879.jpg

さてまあここまで来ると平成11年が何があったか気になるわけですが、まさにノストラダムスの大予言の2000年問題で揺れた1999年であったわけです。

1月7日 - 米上院、クリントン大統領に対する弾劾裁判を開始。

1月14日 - 自自連立により、小渕1次改造内閣が発足。

3月3日 - 日本銀行、ゼロ金利政策実施。

4月11日 - 石原慎太郎、東京都知事に当選。

4月14日 -光市母子殺害事件が発生。

7月1日 - NTTがNTT東日本とNTT西日本とNTTコミュニケーションズに分割される。

8月14日 - 神奈川県山北町の玄倉川が増水。中州に取り残されたキャンプ客のうち、流された13人が死亡する玄倉川水難事故が発生。

9月8日 - 池袋通り魔殺人事件。男が通行人を次々に襲い2人死亡、6人が重軽傷。

9月21日 - 台湾大地震発生。

9月29日 - 下関通り魔殺人事件。JR下関駅に男が乗用車で突っ込み、駅構内の乗客を切りつけ5人死亡、10人が重軽傷。

9月30日 - 東海村JCO臨界事故発生。茨城県東海村の核燃料施設JCOで日本初の臨界事故。2人死亡。

9月 - 神奈川県警の不祥事が相次いで発覚、全国の警察に波及。

10月26日 - 桶川ストーカー殺人事件発生。事件前に埼玉県警上尾署に訴えたが対応せず、捜査調書の改竄(かいざん)も判明。

11月11日 - 江崎グリコがこの日を「プリッツ」&「ポッキー」の日と定める。

宇多田ヒカル人気、初アルバム『First Love』が700万枚を超す記録的セールスになりその後、900万枚を超える(CDアルバム売り上げ第一位)

まあなかなか不安な世相であった事は良く記憶にあるかと思いますが、昭和11年と比較できるかどうかはどうもわかりません。その中でも特に11月11日にグリコのキャッチコピーが際立つかと思いますが、グリコは最初の発売が大正11年2月11日であったそうです。江崎グリコの会社設立が2月22日であったそうで、実はどちらもブラザーワシントンの誕生日のそれぞれ旧暦と新暦の日ですね。グリコの名前はグリコーゲンからきているそうです。グリコーゲンの分解・再生成の経路を発見したのはユダヤ人のゲルティー・コリ、カール・コリ夫妻とアルゼンチン人のバーナード・ウッセイで、その功績で1947年度のノーベル医学生理学賞を受賞しています。江崎グリコといえばグリコ森永事件が有名ですが、色々と想像する人も多いのではないでしょうか。
800px-Neon_sign_of_Dotonbori_daytime.jpg
道頓堀川のグリコのネオンも良く見るとAll Seeing Eyeとキリストの像を重ねたような印象ですね。

まあ今回も書き散らしのような感じになりましたが、結論としては3と11の数字が大事だという事で、33という数字に集約されるのかと思います。
2013-01-08 19:39 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
だいぶフリーメイスンリーから離れた横須賀ローカルの話題ですが、現在は引退されて俳優の三浦友和さんの妻として主婦をしていらっしゃる山口百恵さんですが、横須賀汐入、不入斗の出身であるそうです。ご本人について知らない世代の方は是非調べたりして知ってみてください。
ちょっとYouTubeの動画もなかなかブログ閲覧数の増加に反映されませんので思い切って横須賀・横浜関連という事で再びフリーメイスンリーから離れたものとしてみて、そのうちにいくつかを山口百恵さんの往年のヒット曲やPVとしています。まあほぼ横須賀・横浜紹介サイトとなってしまいますが色々やってみるのは良いのかと思われます。

さて余計なお世話ですが、山口百恵さんのフリーメイスンリーのシンボリズムは何でしょうか。
もちろんそれは旦那さんの名前になるのだと思われます。
どんなもんでしょうか。
2013-01-13 03:03 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
横須賀にはフリーメイスンリーのシンボルが多いのですが今回のシンボルはかなり力を入れたものかと思います。
白黒のチェッカーのシンボルは横須賀でも汐入の歩道橋の床位にしか認めない比較的貴重なものです。
まあどぶ板の飲み屋でも数軒で認めるのでベース主体で考えるとそれほど貴重ではないかもしれませんが、日本人が関係するところでは比較的少ないと思われます。
ロンドン・パリでも国立美術館や博物館、キリスト教の大教会などでしか認めない比較的貴重ないわゆるフリーメイスンリーを象徴するものなのだと思われます。いわゆるフリーメイスンリーのロッジで最も普通に認めるシンボルな訳です。
日本では品川駅や渋谷駅、国会議事堂や恵比寿ガーデンプレイスなどで認めると説明してきました。まああんまり数を挙げると貴重で無いとなってしまいますが、公共の場所で認めるとなかなか象徴的なシンボルです。
IMG_4793.jpg
まあ横須賀最大の某病院、旧海軍系のかつてはベースの敷地内にあった病院な訳ですが、その一階待合がこのシンボルで彩られています。
横須賀の場合はこういう代表的な施設の長はほとんどライオンズクラブかロータリークラブの会員なので、恐らく代々の院長がどちらかの会員なのだと思われます。まあ病院の待合がこの模様の病院も全国的にも珍しいのだと思いますがどうでしょう。

しかし動画を横須賀関連のものから変更するとアクセス数が減るのはちょっと問題ですね。ぜひ横須賀だけにこだわらないでフリーメイスンリー全体に目を向けて欲しいものです。シンボルの意味がなさないのではないかと思われます。
2013-01-13 13:31 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
ロンドン・パリ編が豪華すぎるせいか横須賀の話題を取り上げるとなかなか規模が小さい感じがしますが、それもこれもたった一年のこのブログの洗脳の効果かもしれません。

まあ市章であれだけ作り込んでいるわけですから市の歌に色々込めるのは当然というところであるかと思われます。作曲をしている團伊玖磨氏も横須賀にゆかりの深い方のようですが、三笠公園の回でも触れていますが、血盟団事件で暗殺された三井財閥総帥の団琢磨氏の孫であり、日本で最初の本格的なオーケストラ指揮者である近衛文麿元首相の弟である近衛秀麿氏に師事し、YouTubeでも取り上げた芥川也寸志氏と黛敏郎氏と三人の会を結成しているなど日本の戦後のクラシック音楽界の重要な作曲家であり、石橋家や鳩山家ともつながりのある方のようです。作詞した堀口大學氏は葉山に住んでおられたようで、フランス文学者でボード―レールの悪の華などを始めとして数多くのフランス文学を翻訳したそうです。象徴主義にも分類されるようで、ミラボー橋のアポリネール詩集を翻訳したり、ルブランの怪盗ルパンシリーズを翻訳しているようです。

さてでは歌詞を見ていきましょう。
その前に検索で出てきた戦前の横須賀市歌を見てみましょう。

作詞:北原白秋
作曲:不詳
1936(昭和11)年

1.旭日の輝くところ 儼たり深き潮(うしほ) 艨艟 城とうかび 清明富士は映れり
 勢へ 我が都市 横須賀 横須賀 大を為さむ
2.金鉄貫くところ 鏘たり響け軍都 工廠 光赤く 営々人は挙れり
 勢へ 我が都市 横須賀 横須賀 大を為さむ
3.聖恩の普きところ 儼たり見よや東亜 天業ここに高く 皇国護り康し
 勢へ 我が都市 横須賀 横須賀 大を為さむ

戦後にすぐに堀口大學氏の歌詞に書きかえられたそうですが、その歌詞はわかりません。昭和42年に現在のものに替えられたようです。

堀口大學作詞
團伊玖磨作曲

1.白波は 白波は 岬にくだけ 光る風 光る風 台地にあそぶ
 半島の 半島の 只中占めて 溌剌と わが横須賀は 太陽の前に生きたり
 前向きに 前向きに 明日を行く手に 溌剌と わが横須賀は 太陽の前に生きたり
2.黒船の 黒船の 浦賀の海も 燈台の 燈台の 観音崎も
 そのままに そのままに 維新日本の 飛躍への 目醒めの歴史 今ぞ知る意義の尊さ
 百年の 百年の 国のあゆみに 飛躍への 目醒めの歴史 今ぞ知る意義の尊さ
3.たぐいなき たぐいなき 天与の地の利 踏まえての 踏まえての 近代都市ぞ
 日に月に 日に月に 進む産業 颯爽と わが横須賀は 良港に造船栄え
 埋立てに 埋立てに 工場競う 颯爽と わが横須賀は 良港に造船栄え
4.うるわしき うるわしき 自然のめぐみ 地に満つる 地に満つる 観光都市ぞ
 樹を愛し 樹を愛し 人はすこやか 遠くとも 訪い来て見ませ 北限に匂う浜ゆう
 荒崎に 荒崎に 岩噛む波を 遠くとも 訪い来て見ませ 北限に匂う浜ゆう
5.未来こそ 未来こそ 横須賀の夢 大いなり 大いなり われらが夢は
 黒潮に 黒潮に わたすかけ橋 天そそる 横断路線 ひと跨ぎ東京湾も…
 大いなり 大いなり われらが夢は 天そそる 横断路線 ひと跨ぎ東京湾も…

さて興味深い事に戦前のものの歌詞を見るとフリーメイスンリーと関係ありそうなところは旭日というところ位でしょうか。その他はいかにも軍国主義の時代という感じの富士や軍都、工廠、東亜、皇国という単語が並びます。光赤くというところも一つポイントかもしれません。いずれにしてもこの市歌から感じ取れるのは、昭和11年の時代という項で述べたような、いかにもな軍国主義のまさに戦争に向けて一心不乱に走っている状況であり、衣笠山や汐入、葉山のオベリスクに象徴されるようなフリーメイスンリーを意識したものではなく、それらがそのまま当時は軍国主義の象徴であったという事を示す当時の生き証人のような歴史を感じさせます。

それに対して昭和42年制定の現在の市歌は内容的には高度成長期を象徴するような若干時代遅れの感がありますが、フリーメイスンリーのシンボルを知って読むとなかなか味わい深い歌詞となっています。

まず白波で始まり黒船、黒潮という白黒の対比が歌全体をまとめています。光る風というのもなかなか変わった表現ですが、うまく光を入れた感じでしょうか。太陽の前に生きたりと旭日よりも具体的にシンボルを表現しています。黒船、観音崎の燈台と今ぞ知る意義の尊さという文でそれぞれブラザーペリーとブラザーヴェルニーの功績、そしてそれらを暗示する事でこの歌詞自体からフリーメイスンリーの気付きへと導く文となっているようです。日に月にという表現はそのままシンボルを示した形となっていますが、まああまり標準的な日本語ではないと思います。日進月歩とは言いますが日に月にという表現は検索しても日がたつにつれとあり、毎日発展するという意味よりもむしろ時間がいたずらに経過していく様子を表現している言葉で、その後の進む産業とは逆の表現になっているようです。まあそれだけシンボルにこだわった表現といえるかと思います。黒船と造船と船という語を二つ入れている感じでしょうか。その後の樹を愛しというのも唐突な感じですが、これもやはりブラザーロベスピエールが挙行した最高存在の式典で象徴された生命の樹のシンボルとしてのフランス文学者らしい表現ではないでしょうか。わたすかけ橋というのもシンボルの表現になるのだと思われますが、まあ東京湾横断道路はアクアラインのすでに完成している現代では古色蒼然とした夢となるのかもしれません。

いずれにしても明らかにシンボルを様々に入れ込んで、それでいて市政の依頼に答えた苦心の跡が垣間見えるなかなかの工夫の作であるかと思われます。森鷗外作詞の横浜市歌などと比べても横浜市歌が朝日や舟といった単語がわずかに垣間見えるだけで、戦後制定という事もありますが、フリーメイスンリーのシンボリズムから見て明らかに良くできています。

ちなみに作詞者の堀口大學氏は1月8日生まれの慶応大学出身で奇しくも小泉純一郎元首相と同じようです。カトリックの祭日公現祭の日で昭和天皇の命日ですね。(H25.2/19追記:昭和天皇の命日は1月7日ですね。)まあ偶然のようです。
2013-02-02 20:03 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
このブログでの横須賀の話題の大半の内容には実際にはライオンズクラブやロータリークラブが関係していると説明しているわけですが、まあ横須賀に来てからもライオンズクラブやロータリークラブの会員の方とも会う事はたくさんあったわけですが、どうも基地の関係やらなんやらで、日本では一般にロータリークラブやライオンズクラブはお金持ちの有志会みたいに思われていて、フリーメイスンリーとの関連はあまり意識されないようですが、実際にはまあ創立者はそれぞれフリーメイスンであって、その他にもものみの塔やモルモン教などのキリスト教系のアメリカの新興宗教もフリーメイスンリーとの関連があるようで、陰謀論では下部組織とか説明がされたりしますが、実際には別組織でありながらシンボリズムの勉強やその他組織の特徴なんかが根本的に異なる、全体としてまとめて友愛団体という事になるのだと思います。

日本ではフリーメイスンが表立って活動するとかいう機会はアメリカやイギリスなどと比べて非常に少ないと思いますが、それに比べていわゆるフリーメイスンリーのシンボリズムのアピールなどの際に実働部隊というと語弊がありますが、実際にこれらの作業に当たるのはライオンズクラブやロータリークラブである事が多い事は間違いないかと思います。少なくともこれまでに挙げた横須賀のシンボルに関しては基地のフリーメイスンリーロッジが直接活動する事はありえませんし、どう考えても直接的にはロータリークラブやライオンズクラブの活動を通さなければ不可能だと思われます。また芸能界やテレビなどの具体的にはきゃりーぱみゅぱみゅとか歌手のPVやテレビ番組で用いられるシンボリズムなどもこれらロータリークラブやライオンズクラブの活動を通して行われているものかと思います。もちろん日本においてもアメリカ軍関係などを通して直接フリーメイスンがそうした活動を行った事もあるかとは思いますが、戦後のブラザーマッカーサーやブラザーデッカーらの華々しい数多くの施策政策などを除けば、直接的なものはそう多くは無いと思います。市章のシンボリズムなどで挙げられたフリーメイスンリーのシンボリズムにしても具体的に市章の制定に関与しているのはほぼライオンズクラブやロータリークラブの会員かと思われます。

さてまあ私はライオンズクラブやロータリークラブの会員ではないのですが、日本においてはこうした二団体の活動が戦前戦後を通して非常にフリーメイスンリーの理念に基づいて展開されている事は間違いないかと思いますし、謎の結社フリーメイスンリーとは違い普通の慈善団体として駅前のロータリーや公園の記念碑としてライオンズクラブやロータリークラブの名前を目にした事がある人も多いのではないかと思います。一応このブログを展開してきてフリーメイスンリーのシンボリズムとは微妙に異なるライオンズクラブやロータリークラブのシンボリズムといえる足跡残しのような、まあフリーメイスンリーと比べると極めて明快なそれらについて、主に横須賀のものについて解説する必要があるかと思います。

まずロータリークラブですが基本的にどこの町でもあるのがロータリークラブかと思われます。大体ちょっと人が多い繁華街の駅前などにロータリーがあるとその周辺にロータリークラブの看板や標語を書いた古びた記念碑があったり、ロータリークラブの寄付によるベンチや掲示板やごみ箱なんかがあったりします。ロータリークラブのホームページなどでの活動を見るとゴミ拾いとか他のクラブとの交流とかそういうものが多いかと思います。どの地区のロータリークラブも大概ホームページを持っていて地区の会長の名前が載っていたりします。基本的にロータリークラブは地区の業種で分けられている中から選ばれて会員となるそうで、私が個人的に会った人のちょっと変わった話ではアメリカからNASAの月の石を分析のために薄く削る技術を持っていてそれを行って会員に選ばれたらしいというような事を聞かされた事があります。主に横須賀ではメルキュールホテルで会合を行っているようで、こうした地域のロータリークラブが定期的に会合を開いているホテルなどの会場がその地域のランドマークになっている事が多いようです。(追記:横須賀ロータリーのホームページによるとメルキュールホテルもセントラルホテルも代表者がロータリークラブ会員のようです。また例会場は基本的には商工会議所だそうです。)またJR横須賀駅前のロータリーや武山ロータリーのようにわかりやすいロータリーをその地域のランドマークとして設置していくというのも多いようです。横須賀市民病院前にもやはり立派なロータリーがあったりしました。ヴェルニー公園や大楠山や横須賀美術館などのシンボリズムなどがそれらの関連であるようです。テレビなどでも歯車の形でセットに大きく写すなどのシンボリズムが見受けられます。またこのブログで以前にも触れたRのシンボリズムもロータリークラブの頭文字という事で関係あるかと思われます。

ライオンズクラブは西武ライオンズやライオンズマンションなどのようにそのままライオンの名称や像を使ったシンボリズムが多く認められます。古いところでは手塚治虫のジャングル大帝のレオのイメージを多用したりするところも大概ライオンズクラブの関連のようです。ライオンという企業もあるかと思いますし、三菱系列でもライオンはあったかと思いますし、イオングループもライオンズクラブ関連なのでしょうか。有名なライオン像は三越のライオン像やメトロ・ゴールドウィン・メイヤー映画のライオンなどがあるでしょうか。横須賀では三笠公園が代表的なライオンズクラブが関わったもののようで、その他にはYRP野比なども大きなライオンの銅像が認められるなどわかりやすいシンボルの設置がされています。YRP野比にはラ・ルーブルの前に小さなロータリーもあったりしてロータリークラブとライオンズクラブが共に主張し合っている様子も認められたりします。主にセントラルホテルで会合を開いているようで、ホテルの入り口にシンボルマークが表示されています。かつては京急の横須賀中央駅の前もロータリーがありオベリスクがあったようですが、現在はそれらが無くなり縄張りのようなものが意識される感じでしょうか。ライオンズクラブでは三笠公園の上空から見た形のLの形のようにLのシンボリズムもあり、トヨタの高級車のレクサスのLのシンボリズムやその他店の屋号などでも横須賀ではLのシンボリズムを認めたりします。ライオンズクラブもそもそもがロータリークラブから派生したそのさらに活動を積極的にした団体という事で、三笠公園のシンボリズムのようにちょっと旧来のシンボリズムからはそれたような仏教の考え方を象徴したシンボリズムを行ったりという事なのだと思います。

まあそもそものライオンの象徴が仏像の源流であるスフィンクスであったり、ロータリークラブの歯車の象徴がイクトゥスホイールであったりとそれぞれの団体のシンボルにもその特徴が表れているわけですが、それらの活動が横須賀の地で盛んなのも基地のフリーメイスンリーを主体とした明治維新以来の綿々としたフリーメイスンリーの歴史があるからだと思われます。

さてまあライオンズクラブとロータリークラブの話題はその位で、とりあえず気付いた人もいるかと思いますが、ヴェルニー公園の33個目の光は点灯しているのですが、18本ある方の灯が一つ消えていますね。18はやはりスコティッシュライトの18階級のキリスト教の薔薇十字団の薔薇十字の騎士を意味するそうで、まあ色々フリーメイスンリーとは直接的には異なるライオンズクラブ、ロータリークラブの日本的なフリーメイスンリーの活動という事になるのだと思われます。

そういえばこのブログでも最初のころにテレビについてで触れたCMでヤキンとボアズの柱を示していた高須クリニックの高須会長がどうも名古屋の現グランドマスターが在籍するロッジに入会したようです。ツイッターで挙げていた写真をここに再掲します。全員日本人のメンバーの写真が出ていますが恐らく大丈夫なのだと思われます。横浜ロッジの今年の役員の写真やグランドロッジの活動の様子なども必要があれば記事にする事もあるかと思います。私自身の写真は自らはあまり出さないままかと思います。興味があればフェイスブックで検索してください。いずれにしてもこのブログの当初の趣旨の通り日本人会員を増やしてロッジの数を欧米並みにしたいというところがあるのだと思います。まあ実際フリーメイスンになってどんなメリットがというところがネックになるのだと思いますが、フリーメイスンになりたいと思う社会、それがまず大事なのだと思われます。
BAn2MrQCQAA5VF4.jpg
2013-02-11 22:53 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
しかしまあ良く地元の方はこのブログを読んでいるみたいです。
大分久しぶりに馬堀海岸から走水神社、観音埼灯台へまた驚くほどの距離を得意のアキレス腱損傷後の徒歩で歩いてきたわけですがどうも自分でも驚くほどこのブログが地元の方に読まれている事を後で感じてなかなかフリーメイスン冥利に尽きるといったところかと思いました。

走水神社はその地名が日本書紀や古事記にも認められる由緒正しい場所にある神社で、創建は詳しくはわからないようですがかなり名前の有名さの割に色々と期待外れの面白い神社です。
まあ建国記念日という事もあるわけですが、その周辺の以前のブログの内容に色々反応もあり、書き直しじゃないですがその2その3という事で再び訪問し新たに気付いた事について書きすすめようと思います。
まあ一度行ったところも何度も行って何度も記事に書いてれば世話ないわけですが、まあ地元的には何度も書いた方が人の注目が集まるので何度も書いてほしいというところもあるようです。ロータリークラブやライオンズクラブについても書いているので、その辺との調整という面もあるのかと思います。結局芥川龍之介じゃないですがその辺りの人々からネタを頂いてスポークスマンのようにその辺りのネタをうまい事記事にしてまた話とするという作業を行っているのですね。

ネタばれはともかくとして色々横須賀も引き続いて動きがあるのでブログのネタにはまだまだ困らなそうという感じでしょうか。そういうわけでヴェルニー公園辺りから歩き始めるわけですがすごい距離です。結局28kmほどありました。神戸ではその位歩いて翌々日かその頃にアキレス腱を切ったのですが大丈夫でしょうか。現在読書中のブラザーデッカー司令長官の回想録によるとブラザーデッカーも横須賀基地司令官1年目を終えた頃にアキレス腱を切ったそうなのでそういう絡みもあるのかもしれません。
まあとりあえず写真を挙げていきましょう。
IMG_4974.jpg
ちょうどブラザーデッカーの本を読んでいるところなので田戸台、京急県立大学駅のすぐ横に現在海上自衛隊が使用しているかつての横須賀鎮守府司令長官官邸、米軍統治下では横須賀海軍基地司令官官邸、現在は海上自衛隊横須賀地方総監部が管理している施設を訪問しました。すぐ前には現在は移転準備中のような簡易裁判所と検察庁の施設が残されています。梅がもう一部で咲いていましたね。
IMG_4975.jpgIMG_4976.jpgIMG_4977.jpgIMG_4978.jpg
長井の井上成美大将の旧邸よりも面白そうです。ブラザーデッカーの回顧録では司令官に任命して最初にこの横須賀鎮守府司令長官官邸であった洋館を一生懸命改築して暖房施設を取り付けたりする様子が描かれています。またヤクザの嫌がらせで邸宅の部屋に侵入された跡があったりした話なんかもありました。個人的には長井の井上成美大将の旧邸などとともに横須賀の戦後を象徴する建物として整備して公開してほしいものです。(恐らく米軍基地の開放と合わせて毎年一般公開しているそうです。)
IMG_4979.jpg
すぐ隣は民家か自衛隊関係者の住宅のようでしたが、なんと入口のすぐ横に明らかに防空壕の入り口が残っていました。すごいですねえ。(海上自衛隊横須賀地方総監の家のようです。実質的に公邸であるのは同じようです。)
IMG_4980.jpg
隣には簡易裁判所と検察庁が移転済みのようで閉鎖していましたが、さらにその下に聖徳寺という恐らく浄土宗の寺だと思いますが、なんと石塔がやはりオベリスクの形になっていました。さすが横須賀。
IMG_4981.jpg
田戸台はまさに安浦町や三春町といったいわゆる小泉又次郎さん、小泉純一郎元首相などの家がある地域のすぐそばにあります。安浦町というのはかつての横須賀の最大の花街、売春街であったようで、ブラザーデッカー司令長官の回顧録でも性病の有病率などについての驚くべき記述などがあります。小泉又二郎さんについても数々の逸話があり、そもそも海軍の上官たちが利用した料亭なども国道16号沿いにあり、それらの花街は戦前から日本海軍の動きを探る諜報の重要な場所でもあったようです。ブラザールーズヴェルトの情報源がこの辺りにもあったのでしょうね。結局国内のキリスト教のネットワークやその他のロータリークラブなどのネットワークが真珠湾攻撃を決意したフリーメイスンリーに教育を受けた日本海軍の上層部の動きを完全に把握していたのでしょうね。それは結局終戦後のブラザーデッカーら占領軍にも同じ動きで対応した歴史があったようです。なかなか唐人お吉の逸話や蝶々夫人の創作など外交や軍事の場面ではお決まりのパターンがあるようです。一つの横須賀の海軍基地としてのブラザーヴェルニーが大規模開発を始めて以来の文化なのでしょうね。上の写真はそこの近くにあるマンションの表札です。八景島や三浦海岸のトイレ、神戸の国際会議場などで認めた頂点のずれたピラミッドの形をしています。恐らくロータリークラブの会員なのでしょうね。
IMG_4982.jpg
同じマンションの休み処ですがやはり屋根がピラミッドの形になっています。
IMG_4983.jpg
またまた来ました驚くほどのラフアシュラーの並んだ馬堀海岸です。何度来ても何度見ても驚くほどのラフアシュラーです。しかし作る前に誰か気付かなかったのかと思ってしまうのですが、まあこれだけ作った後ではなかなか修正は出来ません。パーフェクトアシュラーになる可能性のあるラフアシュラーが並んでいる事にしましょう。ここは並んだカリフォルニア風のヤシがワシントンヤシという名前だそうです。恐らくワシントン記念塔のようなシュッとした形だからでしょうが、どうもなんだかおかしな感じです。まったくブラザーデッカーから引き続いた文化を象徴しているようなところがあります。歩いたり走ったりするにはちょうど良い場所ですが、どうにもおかしな感じは拭えません。
IMG_4984.jpgIMG_4985.jpg
色々端折って走水神社です。途中ヴェルニーの水源の走水の水源などがあります。走水神社は少し工事したりしていましたが、ちょうど到着したときには国旗を降ろしていました。
IMG_4986.jpgIMG_4987.jpgIMG_4988.jpg
ちょうど建国記念日2.11に訪問したという事で、走水神社の謎です。この写真の中にあるのですがどうでしょうか。

まあこのブログを読んできている人であればすぐわかるのではないでしょうか。千葉県富津市の東京電力火力発電所の煙突二本がちょうど鳥居の中央の延長線上に二本並んで見えるのですね。日本の象徴です。9.11ツインタワー崩壊の謎が見えてくるのではないでしょうか。
IMG_4989.jpg
さて観音埼灯台です。三代目ですね。以前ブログに撮った解説の看板が無くなっていました。旧暦で起工日、点灯日などを表示しているのを変更しているのかもしれません。
IMG_4990.jpgIMG_4991.jpgIMG_4992.jpgIMG_4993.jpg
トーチカの跡なのですね。防衛省が場所をとっていますが、地下にレーダー施設でもあるのでしょうか。何やら記念碑があり興味深いです。千葉県側で目立つ白いものは巨大観音像のようです。火力発電所の二本の煙突が目立ち、その他に第二海堡があります。第三海堡については衣笠山のオベリスクで触れました。うみかぜ公園に引き上げた施設があります。
IMG_4995.jpg
灯台の光源です。
IMG_4996.jpg
博物館の方に行くと砲台の木の模型があります。ネコが気持ちよさそうに寝ていました。
IMG_4997.jpg
久里浜の東京電力の3本の小さな光を象徴する煙突も見えます。なかなかそれぞれ対応するように作られているのですね。これらが東京電力の事故へと繋がるようです。
IMG_4998.jpgIMG_4999.jpg
トーチカを撮っています。第二代灯台の残骸と思っていたのですかね。
IMG_5001.jpgIMG_5002.jpg
ほぼ廃墟となっている感じのフランス式庭園の形式をそろえた3段のしかも最後の2段から3段への繋がるところも3段になっている念の入った聖アンデレ十字の噴水まである公園があります。色々残念です。この公園の横には日本庭園風の公園もあります。本当に残念な感じです。
IMG_5003.jpgIMG_5004.jpg
駐車場の奥には3本のワシントンヤシとかなり際立ったピラミッド屋根の休み処があります。同じような形がうみかぜ公園にも3軒ありました。恐らく誰も利用していないのでしょうが残念な感じです。
IMG_5005.jpg
観音崎大橋から久里浜の煙突です。
IMG_5006.jpg
観音崎の由来となる観音寺もあちこちに移されて結局近年に焼失してしまったのですね。
IMG_5007.jpg
なぜか海軍軍艦の村雨の記念碑があります。まあ横須賀らしいパワースポットのごった煮状態でしょうか。
IMG_5008.jpgIMG_5009.jpgIMG_5010.jpg
さて折り返して先ほどの駐車場後ろの公園です。アンモナイトのような巻貝の印は黄金比を表すシンボルでしょう。黄金比φは三笠公園でも出てきました。五芒星を示して陸軍かカトリックでしょうか。恐らくこの建築に携わったロータリークラブの方の出自か信仰を示しているのだと思われます。三本のワシントンヤシがあります。
IMG_5011.jpg
横須賀では最も美しいピラミッドのようです。ベースの前の屋根にもありますが、こちらの角度の方が美しいようです。
IMG_5012.jpg
こちらが先ほどの防衛省の区域の石碑ですね。日本の防衛省も何から何を守っているのかちょっと怪しいですね。
IMG_5013.jpg
磯に降りて第二代観音埼灯台の遺構を見ます。これがかの関東大震災の発端とも言える、荒俣宏氏の帝都物語の元ネタになるような、フリーメイスンリーと日本の東洋の陰陽道の対立のような結果なのでしょうか。関東大震災では横浜の日本大通り近くにあった立派なスフィンクスを備えた最初のロッジも崩壊し、多くの横浜ロッジのフリーメイスンも亡くなったそうです。その後多くが関西の神戸のロッジに移動したそうですが、それと平成の阪神大震災とも関連があるのでしょうか。いずれにしても観音埼灯台が横須賀、関東地域でのブラザーペリー来航に続いた徳川幕府の時代最後のフリーメイスンリーの重要な最初のシンボルであり、それにまつわる様々なやり取りがあって歴史が流れていった事は間違いありません。そしてその流れの先に現在がありまさにそれは未来へと続く流れなのです。
IMG_5014.jpg
レンガ造りの第一代のブラザーヴェルニーによる建築は小規模の地震で亀裂が入ったため、この第二代のコンクリ製のものに替えられたそうで、その際には第一代の灯台は崖下に破棄されたそうです。そのためかつては横須賀製鉄所の刻印の入ったレンガが数多く残されていたそうです。
IMG_5015.jpg
運よくレンガの欠片を見つける事が出来ました。ほぼもうないと思いますし、たまたまあったのも導きのようです。きちんと刻印がありました。こういう建築材に刻印を押すのもフリーメイスンリーのやり方を踏襲しています。まさにこの第一代観音埼灯台は旧暦の明治2年1月1日、新暦の明治2年2月11日、後に紀元節と定められるその日、日本を象徴する2と二本の1を示すユダヤ教を象徴する11のシンボリズムに則ったその日に光を灯し、日本の国が世界へと開港開国し豊かな大船を港に導く役割を果たしたのが今日その日なのです。
IMG_5016.jpg
過ちは何度も繰り返されてきたのでしょうね。
IMG_5018.jpg
また梅が咲く季節となってきました。

走水漁港の夕景です。帰鳥の隊列が見られました。

紀元節 暦の他に 何もなし 観音の 光に導かれ
走水 ゆく時の流れに 流されて ゆく鳥の並びが 帰る巣のあらん
(追記:平成町の合同庁舎の形は東京タワーの下の日本グランドロッジを意識したもののようです。その隣の広い土地はノジマ電気が建つ予定のようですが、みなとみらいと同じくゴシック建築のメイソニックホールは建たないでしょうか。基地外のロッジが横須賀も増えればと期待します。)

2013-03-28 19:48 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
あの月は 古今の 友の 見し 月か
2013年3月31日は今年の春分の日の後の最初の満月の後でカトリックの復活祭イースターの日です。ユダヤ教の過越祭です。何かあるでしょうか?
2013-05-14 11:16 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー

神の国 日本を 守るや 観音の崎
2013-06-09 14:42 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてでは一応全部読み終えたので解説を加えていくこととします。

黒船の再来―米海軍横須賀基地第4代司令官デッカー夫妻回想記黒船の再来―米海軍横須賀基地第4代司令官デッカー夫妻回想記
(2011/08)
ベントン・ウィーバー デッカー、エドウィーナ・ネイラー デッカー 他

商品詳細を見る

非常に長いのでいったい何分割で終わるのかわかりませんが、できるだけ切りのいい数字で終わらせるようにしようかと思っています。
一応本の内容をテーマにブログを書いていますので、目的としてはイルミナティのブラザーアダムヴァイス・ハウプトの本についてなどと同じく本を読んでほしいというのがあるわけですが、聖書と同じように極めて長くて甚大な量の文章になるといくらブログでその内容について語っても実際に読んでみる人は多くないわけで、実際にブログの内容としては要約とその内容について私がどう考えるかというところにポイントが置かれるのだと思います。ただし実際いくら長大な内容だと言っても内容そのものがどの部分においても重要だと思われるものを基本的には取り上げていますので、特に今回の本の内容はそもそも横須賀市としても翻訳作業に支援しているなど市を挙げて支援しているというような本というのはまあそうそう無いわけでありまして、私としてもまあこんな本を読んでこんな内容でこんな感想をもったという形では書かないように、できるだけそれぞれの各章について要約と面白い点を挙げていって全体として通読したのに近い程度にブログを読むことで理解できるように伝えられればなと思っています。まあ翻訳作業自体は70代の主に戦後教育で育った世代の方々が命がけで行っているという事もあり、また出版の最後のところになって横須賀市の顔ともいえる小泉家の小泉進次郎君が名乗りを上げたなどもありますが、まあ本の内容や量から言っても恐らく単なる首長や議員の方々や一般の方はこれらの本を読んでいる人はあまりいないと思われますので、できるだけ分かりやすく紹介したいと思っています。

まず本当に非常に長いこの本をとりあえず読み終えて主観的な感想という所を書きます。人によってはこれを読んで終わりにしてしまう人もいるかと思いますが、非常に主観的で印象的な部分だけを書いていますのでこれだけをもってこの本を評価してしまうのは良くないと思われます。けれども読んだ感想として非常に主観的なものもまた対話の一つとして重要な価値があるかと思いここに書くこととします。
この本の前提としてブラザーデッカー司令長官が何者なのかというところがあります。そもそも横須賀は江戸時代末期にブラザーヴェルニーが造船ドックを建設し、その後より日本海軍の海軍工廠と海軍基地を合わせた軍港となり発展してきました。そして第二次世界大戦の終戦を迎えてほとんど無傷の形でアメリカ軍に引き渡されることとなります。戦後間もなくしてブラザーデッカーは第四代基地司令官として着任して基地の整備と基地機能の正常化、基地周辺の横須賀市制の環境整備と横須賀市行政に積極的に介入して基地機能が円滑に機能するように働きかけていくこととなります。ではなぜブラザーデッカーはそれほどアメリカ軍の基地司令官でありながら横須賀市や横須賀市民に大げさに感謝されるような業績を日本に残し、またなぜそれほど単なる基地司令官でありながらそれほどの業績が残せたのでしょうか。その部分にはブラザーデッカーがデッカー家の4代目のフリーメイスンであり、父親も海軍少将であり、スコットランド系の出自をもつブラザーマッカーサーとも仲の良い生粋のアメリカの海軍のエスタブリッシュメントであったというところがあるかと思われます。ブラザーマッカーサーやブラザーデッカー以外にもほとんどのGHQの要職にあるメンバーはフリーメイスンであったと言われています。その中でも横須賀の基地機能の正常化、横須賀市の復興支援というテーマはその後の朝鮮戦争やベトナム戦争に備えてまず東洋一のドックをもった都市というところと、ブラザーヴェルニーから引き続くフリーメイスンリーの建築の歴史、また市町村レベルでの日本の文化や歴史、近代化やフリーメイスンリーの発展という視点で横須賀市の行政に介入するというのは日本全体に応用する意味でも欠かせない戦後の施策であったのだと思われます。その役職にブラザーデッカーが選ばれるというのは適材適所の人選であったのでしょうし、彼自身がそれによって業績を挙げて具体的に父親と同じ少将の地位に昇り詰める目的や妻を満足させる享楽的な生活を手にするといった現実的な欲求と合致して、さらにその後の朝鮮戦争での最前線基地となるなどその後に続く一連の戦後の一つの重要なステップであったと思われます。
まあ先に秘密というか要点を説明してしまうのがこのブログの良くも悪くもあるところな訳ですが、本を読むとわかるのですが、ほとんどがブラザーデッカーの自慢話に近い話で埋め尽くされています。実際現在横須賀に暮らしている日本人としては頭に来るやら詰まらなくなるやら、あからさまな歴史で非常に興味深いやら複雑ですが、基本的にはブラザーデッカーの手柄話、豪華なパーティーや楽しい旅行をしたという自慢話、悲惨な日本の状況にこれだけの貢献をしたという徳をみせつける話というのが一貫したテーマですが、それ以外にもある程度任期中の業績とされる事実について正確に客観性をもって記録を残すというのも一つの欧米、特にフリーメイスンリーで重要とされる義務、仕事であるのかと思われます。特にブラザーデッカーの場合には彼の施策で最も大事にしていた衣笠病院、聖ヨゼフ病院、横須賀市民病院、さらに旧海軍系として横須賀共済病院の運営による福祉活動があるわけですが、これらのうち衣笠病院、横須賀市民病院においては彼が去った後に痛ましい火事の災害に襲われてそれぞれ廃院に近い状況に追い込まれたりしており、必ずしも彼の施策が横須賀の日本人において全面的に評価されていたわけではない事がまずあり、また彼の二人の息子のうち軍人であった長男はその後日本の岩国基地で事故で死亡しているなど、ブラザーマッカーサーが朝鮮戦争末期の中国東北地方への核攻撃を主張してブラザートルーマンに解任され大統領候補への道を閉ざされたなどの例と同じく華々しい日本占領時代の業績とは違って、帰国後のアメリカ本土での評価というものは常に特に軍人というものは厳しいという現実があるのかと思われます。そんな中で恐らくブラザーマッカーサーが占領軍として日本に来た際にまずスコティッシュライトの33階級を受章したなどの逸話がありましたが、ブラザーデッカーも32階級で構成されるシュライナーズに横須賀時代に加入しており、それらの動機が相まってこの回想録の出版がなったのかと思われました。
まあいずれにしてもこの翻訳本自体も2011年3.11の後に出版され、それについても巻末に被爆体験とともに付記されていましたが、この本そのものが横須賀の歴史の中での創世記であり、今後を占う上での福音書であり、第二次大戦、太平洋戦争、大東亜戦争、それを終えた後の日本にとってアメリカとの関係が日本の歴史上、外交上、経済、文化の上でほとんど全てであり、それはすなわちこの横須賀の地のブラザーデッカーの施策、関係、対話に基づいて成り立っていたと言っても過言では無いのだと思われます。その記録が日本人にも読める形でこの時代に出版されたという事の意義、意味を考えると是非多くの横須賀だけではなく全日本の日本人が手にとって熟読されて、戦後という時代の成り立ち、今後日本がどのようになっていくのか、日本人がどのようになっていくのかについての考える基本となる常識とするべきであるかと思われました。
ブラザーデッカーの評価につきましては銅像が市役所前からかつて横須賀市民病院があった深田台の中央公園に移設されたりしていますが、基本的にはフリーメイスンリーでは日本グランドロッジの名誉メンバーの銘板に新しく刻まれたりとスコティッシュライト33階級に恐らく準ずる確固たる評価となっているかと思われます。先に挙げた小泉進次郎君がブログで中央公園をデッカー公園としても良いなどの話もありましたが、この本を読む限りは明らかに功罪共にある人物であり、本国で評価がほとんどされていないのは、彼の業績が恐らくフリーメイスンで無かったならできなかっただろうし、そういう人であれば誰もができる仕事ではあるが、その時に彼以外にそれを希望してやる人物はいなかったというのが実態なのだと思われます。だからある意味ブラザーデッカーの真の評価はこの回想録を日本人が読んで個々の日本人がどう思うか、どう評価するかであり、恐らくそういう意味では日本グランドロッジの銘板がそれを表しているという事になるのだと思われます。
IMG_4877.jpgb2c8ca55b75dc50b6c628c42d481f479.jpg50522984.jpgdekkerz.jpggetdoc.jpg
6657777439_2c906d6272_z.jpg100201-02.jpgimg_590465_16743762_2.jpg
まあ色々と先回りしすぎな文章ですが、次回から本の最初から内容について順を追って解説していこうと思います。

ブラザーデッカーのお墓はサンディエゴのフォート・ロゼクランス国立墓地に奥さんと息子さんと共にあるそうです。
Rest In Peace.
9732_1015187349.jpg569115_136262841936.jpg106308500_136263209483.jpg80749260_132182923054.jpg
2013-07-07 17:33 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてさてなかなか読むだけでなく書くことになると相当面倒な話となってしまった、ブラザーデッカー司令官の回想録です。このブログをきっかけとして本を購入して全文を読む方が出てきていただければ幸いです。
一応このブログでは本文に沿って、その内容の要約とそれぞれについて私個人の感想や解説を加えていく形をとっていきます。文章や内容の多寡もあるかと思いますので一応現在は章ごとに分割していこうかと思いますが、それでも章だけでも15章あり、それも章ごとの注目度も特に前半部分が濃密だと思われますので、適当なところで切っていこうかと思っています。
最初のまえがきとプロローグのところは非常に短いので大丈夫かと思われます。

まずまえがきです。副題として横須賀海軍基地占領とあります。
横須賀海軍基地の歴史としてそもそも江戸幕府の小栗上野介とフランス公使ロッシュとの接点からフランソワ・レオンス・ヴェルニーが招聘されて横須賀製鉄所、横須賀造船所が建設され、後に横須賀海軍工廠となった歴史が簡潔に月日を示して著されています。その後関東大震災で打撃を受けましたが、太平洋戦争中は主要な空母の建造と世界最大の空母「信濃」の建造を行った港として、その巨大なドックの重要性が強調されています。

その後は米軍の横須賀基地の接収の模様です。荒れ果てていて衛生環境は劣悪であったことが初代から三代目までの前任司令官時代のレポートの形でまとめられています。特に強調しているのが時期から二代目の司令長官だと思われますが、離任の言葉としてそのまま「次のことを忘れてはならない。ジャップはちっとも変わっていない。奴らはいやらしく、卑劣で油断できない動物で、数週間前までは米兵を殺し、痛めつけることに必死だったのだ…」という発言ですが、まあブラザーデッカーは基本的にそれを反面教師として成功する横須賀基地司令官となったわけですが、まあどうなんでしょうか。内心本音がどちらかというとまあ恐らくこの発言の方がわかりやすく正直なのだと思いますが、それをそのまま捨て台詞にしてしまっては元も子もないのでしょうね。横須賀基地司令官の仕事は誰かがやらなければならない仕事であったのであり、そのままの態度では現実問題としてうまくいかなかったのでしょう。ブラザーデッカーは昭和21年4月10日から昭和25年6月30日の朝鮮戦争開戦5日後まで第4代米海軍横須賀基地司令官として在任し、その後故郷のサンディエゴで退役しレッドパス局という恐らく退役軍人を雇用する有志で出来た組織に所属して、ブラザーマッカーサー元帥の功績をたたえる講演を行っていたそうです。検索するとどうも自らの出自について本を書いていたようで、そもそもデッカー家の由来はオランダからの移民であるようです。

ここからプロローグとなります。ブラザーデッカー司令官が司令官となるまでのいきさつと、その際の横須賀の状況、また占領政策でお世話になった上官や妻への感謝の言葉が述べられています。また日本人では特に女性に対して占領に協力的であったことに対して感謝の言葉が述べられています。またアメリカ国民へのアピールとして自らが横須賀基地を整備して日米同盟の基礎を築いたことによって太平洋の平和が維持されたことが語られています。それでは内容について細かく見ていきます。
最初に副題として日本人は信頼できるとあります。これは興味深いのですが、なぜそれ以前の司令官と違って信頼できると思ったのかというのがあります。これについて解説すると色々な種明かしになり過ぎてしまいますし、この前のその1でも触れた部分となってしまうと思うので後々でやんわりと解説していくこととしようかと思います。ブラザーデッカーは基地司令官に任命された時ワシントン州シアトルに係留中の三隻の退役間近の戦艦の司令官という要するに完全に退役間近の仕事をしていて、ほぼ定年前の任期延長であったということかと思います。また好都合なことに最初乗り気でなかった仕事ですが、ちょうどたまたま偶然に二人の息子が日本で横須賀の状況を知っていて、詳しく知ることが出来、人生の挽回のチャンスと本人が非常に乗り気になるという経緯があります。もちろん、非常に誇り高いフリーメイスンですから本文には人生の挽回のチャンスなどとは書かれていませんが、実際はそのようなものであったようです。恐らく戦時戦中ではなく、戦後や戦争中でも前線ではない補給部隊の場面などでそれなりに特異な優秀な成果を挙げている実績があったものかと思われます。代々フリーメイスンであるというデッカー家の家系にもいろいろそれらを説明する要素がありそうですがネットで出てくる資料が非常に少ないので想像でしかありません。
横須賀基地と横須賀市周辺の軍事施設の恐らく任官前に与えられた情報などが示され、その中でも恐らく任地で最も印象深かったと思われる横須賀基地の防空壕の光景が描かれています。彼の仕事が主に荒廃した基地に残された廃棄物処理やその中で使えるものの分配、後はほぼ難民に近い現地の日本人に対する対応が仕事な訳ですが、それこそ燦々たる成果で飾られたアメリカ軍の上陸部隊の中で優秀な人はすぐに帰国する状況の中での現地赴任であったということで、非常に地味かつ軍人としての本分とはかけ離れたものではありますが、ブラザーデッカーは軍人としても人生の中でも最も幸せで充実した時間であったとしています。
また現地でやり取りした手紙がこの後の本文の多くを占めることになるわけですが、その手紙類も実は現地ではブラザーデッカーは処分するように妻に言っていたものが取り置きされていてそれを結局この回想録では引用したと書いてあり、その辺りにも夫婦の間合いというものが垣間見える形となっています。

まあそんなわけでこの様な形でブラザーデッカー司令官の回想録についてはまとめていくつもりです。面倒くさいなと思った方はすぐに直接本を購入して自分で読んでみてください。その上でまたブログを読んで対比するとさらに面白いかもしれません。

後は追記として恐らく横須賀の最近のヴェルニー公園やヴェルニーの水などの一連のブラザーヴェルニーの業績をたたえる活動の大元はこのブラザーデッカー司令長官が最初に赴任前に恐らく示された情報の内容からのこの表記に基づいているのではないかと想像しました。この後の1章にも出てきますが、横須賀基地をアメリカ軍が保持しなければならない至上命題としてブラザーヴェルニーが建設した横須賀ドックに引き続く、日本海軍が建築した空母信濃を建造した6号ドックの存在があったものと思われます。当時アメリカは太平洋に大量の空母を保持しており、空母の有用性がその後の太平洋、世界の海の覇権そのものであったことから、その後の原子力空母に繋がる世界戦略の一端として横須賀基地が現在の空母の母港として機能するように早期から基地機能の改善を目的としていたということがあります。そしてその回想録に繋がるブラザーデッカーの基地行政の成功の陰にそうした世界規模の意思が存在し、その礎石としてそもそもフリーメイスンであるブラザーデッカーがブラザーヴェルニーの成果である横須賀ドックの存在について触れそれを日本人が翻訳する事で再びブラザーヴェルニーの存在にスポットライトが当たったということになるのだと思われます。
800px-Yokosuka-dry_dock-1a.jpg300px-Yokosuka-dry_dock-2a.jpg800px-Yokosuka-dry_dock-3a.jpg800px-Yokosuka-dry_dock-6a.jpg800px-Japanese_aircraft_carrier_Shinano.jpgLeonce_Verny.jpg
当時の日本の様子がわかる動画をいくつか置きました。参照してください。







さらに追記ですが、現在ヴェルニー公園の三位一体を示す電灯とその周囲の電灯が消えてしまっています。西武グループのサーベラスの買収など様々な情勢がありますが、このブログの内容が改善にお役に立てば幸いです。

また追記です。終戦間際の横須賀基地の状況についてなかなか淡々とした記述の貴重なホームページを見つけました。文字のエンコードなどに問題がありそうですが、当時の実際の日本人の記憶だと思われ、リンクしておきます。特攻兵器海龍についてです。
2013-07-10 22:46 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
なかなかまあ横須賀に住み横須賀で働きながらこのブラザーデッカー司令官の回想録について説明しながら解説していくというのも身を削る思いな訳ですが、もちろん東北大震災より後の約2年と半年を横須賀で過ごし、こうした非常に貴重で聖書にも近いような本があったとしても首長や議員以下誰もまったく読まないであろう事が良く認識される土地柄を十分理解している以上、まあ懇切丁寧なブログを続けるのが最も手っ取り早い啓蒙活動であると理解し継続することとします。

第一章の副題ですが民主主義への扉を開かせたとありますが、どうもこれはかなりの意訳のようで、目次では英語で横にWe Open the Doorとあり、背帯でも強調している民主主義の言葉は特に強調されていません。つまり副題で民主主義と入れたのはあくまで訳者の強調であり、もしかすると訳者の方々は色々な流れの中でブラザーデッカー司令官の真意を訳していないことが考えられます。まあそれは横須賀では良くある事です。まあそもそも民主主義を命令形で良いのかって話な訳ですが、恐らく現代のほとんどの当時を生きていない世代は皆理解していない日本の歴史でもある訳です。まあいちいちここで突っかかっていては話が先に進まないので本文に入っていきます。
20130113_316779.png
副題は黒船の再来とはで、ブラザーマシュー・カルブレイス・ペリー提督が浦賀沖に来航して開国した歴史を日本の近代工業化と民主主義の発端とし、日本がその後も民主主義を拒絶したために真珠湾攻撃に繋がり敗戦によって再び黒船が再来したと表現しています。敗戦後に共産主義者の陰謀によって国が略奪されるかもしくはアメリカの助けを求めるかどちらかであったと描いています。第一章の副題の意訳とその後の文章から考えるに翻訳によって非常に日本側訳者の立場とブラザーデッカー司令長官の立場の違いがかなり鮮明に出てくるのではないかと思われます。この後もかなり意訳した形の副題が全ての小節についていますが、一応内容的にも独立してまとまっているので恐らく英文で出た際にもそのまま編集者が副題を付けたものかと思われます。まあ聖書の副題なんかもありますが、なんでも疑ってばかりいては切りがありませんのでこの貴重な訳書に全面的に依存していくこととします。
400px-1853Yokohama_01.jpg
次の小節の副題は米・中・ソの分割統治案です。日本が分割統治される可能性があったがそれをアメリカが阻止して、アメリカが占領を放棄しなかったため共産主義化を免れたという話です。面白いエピソードは当時の内山岩太郎神奈川県知事は「私は横須賀には一度も行ったことがない。」とブラザーデッカー司令官に告げたという話です。恐らく任官前で横須賀到着前にあったのだと思われますが、この言葉は衝撃的であったのではないでしょうか。内山氏がそう答えた理由として過去に日本海軍がそのように仕向け、日本海軍が全ての面で横須賀を支配し、三浦半島は完全に秘密に包まれていたからだとあります。外国人の出入りは許されず、工業も商業もなく、キリスト教は抑圧され、聖書は全て没収され、焼却されたと続いています。まあブラザーデッカー司令官の仕事が前任の司令長官が思わず捨て台詞を残してしまったほど困難であることを物語る話だと思われます。
faq06a03.jpg
次の副題もなかなか衝撃的ですが基地爆破の提言とあります。もちろん話の上だけの言葉でしょうが、横須賀に到着して前任二人の司令官の提言として基地を爆破して全員を米国へ帰還させようと言う提言があったというまあ暴露かもしれません。その後も米海軍極東司令部の参謀長がドックをいつ爆破するのかと何度も聞いてきたとあり、それに対してブラザーデッカーは「命令書を受け取った時だ!」と答えたそうです。まあ完全にアメリカンジョークなわけですが、ブラザーデッカーが人生を挽回すべく着任し、撤退がありえない状況を理解した上でのそうしたものであったのかと思われます。実際ブラザーデッカーが着任後にアメリカの報道機関はブラザーマッカーサーに次いでブラザーデッカーが日本で有名人であると報じたり、全体の方向性の中で横須賀からの撤退はありえなかったわけです。ブラザーデッカーの持論で面白いのは徹底した反共主義と民主主義=キリスト教信仰というところでしょうか。反共主義は恐らく当時のアメリカの第二次世界大戦後の最大の風潮であり、冷戦状態を構築する上での必須の流行であったことと、民主主義=キリスト教信仰というのはフリーメイスンリーの彼にとっての理解であったのではないでしょうか。この後にカトリック系の聖ヨゼフ病院を横須賀の占領行政の中核に据える話があり、自身はプロテスタントでありながら母親が敬虔なクリスチャンでカトリックであったことからカトリックを非常に尊重する姿勢が認められ、恐らくブラザーデッカーの理解の中ではカトリックもプロテスタントもそれほど違いがない、要するにあまり聖書は読んでいないクリスチャンであったのだと思われます。しかしまあその後の彼の基地行政や態度を見るにつけこの母親の影響は非常に強かったのであろう事と、恐らく彼の行動パターンそのものは共産主義的であったようであり、それがまた彼自身が反共を強調する動機ともなっていたようでした。後半でソ連の兵士や将校とかなりウマがあって仲良くできると話しているところが認められ、恐らくこちらが本音なのではと思われました。
5164f4933b751ac37fdaf82939e8ee57.jpg
次は副題が焼け野原の東京へです。文字通り空襲で焼け野原となった東京を視察するのですが、その描写は非常に細かく、特にその後も出てきますが戦前の日本に特徴的な農業用の肥料がなくいわゆる今で言う完全有機栽培の人糞でそれぞれの家が食料となる植物を栽培している様子を非常に嫌っており、この人糞の利用を徹底的にその後禁止するのがあります。奥さんへの手紙があるのですが、この日本の敗戦直後の貧困の状況は印象的であったらしく非常に日本に同情的であると同時に絶対に復讐されないようにとその後基地の防衛の海兵隊の訓練を充実させる様子などが認められます。またその時の表現として日本がヨーロッパの西暦500年頃の封建制の社会と同じであり、規律正しいが自由に慣れていないとしています。子供たちが友好的に挨拶してくる様子から、ブラザーマッカーサーの厚木飛行場でのパフォーマンスを模して公用車から赤ランプとサイレンを取り外したそうです。
img05.jpg
次は副題は長官官舎はホワイトハウスとあります。田戸台の有名な現在は自衛隊の司令官が使用している長官宿舎の話になります。かつては横須賀鎮守府司令長官官舎として野村吉三郎、山本英輔、永野修身、米内光政らが使用し、さらに彼らが恐らくブラザーデッカーが密かに尊敬していた節がある、以前に巡洋艦「アストリア」で齊藤博元駐米大使の遺骨を帰国させるので来日した昭和14年に出会っている人々という事でした。まあそういうことを抜きにして恐らくその長官官舎の富士山が見えたり、1万3000平方メートルという当時の広大な敷地と21の部屋があるという規模に満足している様子です。米内光政のその当時の挨拶の話などあるのですが、まあこの辺りは海軍という特殊な職業の一種のフェアプレーやスポーツ感覚といった部分ではないでしょうか。いずれにしてもアメリカ海軍が真珠湾攻撃も含めて当時の日本海軍に対して非常な敬意を払っていた部分が垣間見えます。長官官舎が戦時色のカムフラージュ柄であったのを白いペンキに統一して塗り直し、日本人の料理人に好みの味付けにするよう変更させたエピソードが描かれています。まあこのブログでも日本海軍のフリーメイスンリー説など書きましたが、もちろん戦前の紳士協定で日本人が日本でフリーメイスンリーになることはあり得ませんでしたが、戦前のアメリカや諸外国を良く知る海軍軍人や外務省関連の日本人は実質的なフリーメイスンとして扱われていたことがこの辺りのエピソードからも良くわかります。
yoko_089.jpg田戸台官舎
次は副題は大根と椿油は大嫌いとありますが、実際は引き続き田戸台の長官官舎の整備の話です。大根料理と鬢付け油の椿油といったその当時の日本の風習が特に匂いが合わないということでやめさせたという話です。後は長官官舎の内装の変更や来客用のトイレが実際は機能していないことや、暖房器具が欧米の暖房器具のようにいわゆる煙突が外に繋がる形ではなく囲炉裏のような炭を燃やして屋根をいぶす形になっているという、いわゆる日本の和魂洋才的な中途半端な見せかけだけの洋館の設備を酷評しています。ただし戦後であってもそれらの改修に半年はかかったというエピソードが語られます。白米を基地から盗んで食べていた女性が脚気になったという相変わらずの話も語られます。まあこう言った話は現在でも単なる旅行者でも枚挙にいとまがない話だと思われます。
img_309890_26087375_18.jpgK311300H_L.jpg
次は副題は菜園のホウレンソウは最高です。実際どんな英文であったのか興味深いところですが、人糞をやめさせて化学肥料で作ったホウレンソウは最高であったという話です。実際はどんな野菜も人糞で作ったものも含めておいしかったということなのだと思います。要は食べる時綺麗であれば構わないという話かと思われます。後は今でも地下壕のある建物が田戸台にはありますが、ここに星条旗を毎日掲揚したら感謝する市民の代表団が来たという珍エピソードが語られます。まあ横須賀らしい話です。後はこの後も沢山アメリカ軍人の名前が出ますが、この中でやはりブラザーデッカーがかなり肩入れしていたり仲良くしている人は大概フリーメイスンなのでその当時の占領軍のフリーメイスンリーの繋がりが垣間見えます。
nihon.jpg
副題は日本海軍の旧友と再会とあり、横山一郎、野村吉三郎、米内光政ら海軍軍人との交友が語られます。ここから察するに野村吉三郎氏はほぼフリーメイスンとして遇されていますが、米内光政氏は戦後特に冷遇され、彼の戦前の判断ミスをマイナスに評価しているような印象でしょうか。日本の評価とはやはり異なります。横山一郎氏に関しては手紙など挙げられていますが、ウィキペディアで経歴を見ると横須賀出身であり、母親がクリスチャンで後に本人も洗礼を受け伝道師となり、アメリカの石油会社に就職しており、恐らくフリーメイスンとなっていたのではないかと思われます。まあ戦前の海軍軍人で戦後に明らかにフリーメイスンとなっていそうな人物というのはこの方くらいではないでしょうか。ブラザーデッカーはブラザーマッカーサーとのつながりからも米陸軍との繋がりも大事にしていて、その後も何度も名前が認められる米第八軍司令官ロバート・アイケルバーガー陸軍中将との交流が挙げられています。恐らくフリーメイスン繋がりだと思われます。最初に挙げた内山岩太郎氏もそうですが、いわゆる海外の赴任地でのフリーメイスンの標準的な行動パターンとして現地のフリーメイスンかそれに準ずる人物と交流を深めるというその通りなのだと思われます。
h62866-iejima45-8-19kawabetorajiro.jpgnomurakichisaburo.jpg81306024000974.jpg200px-Robert_L_Eichelberger.jpg
次の副題はパーティーですが、この本の四分の一くらいはパーティーかその関連の話です。田戸台でパーティーを行う時の様子が毎回お決まりの様子として描かれています。パーティーをいかに円滑に楽しく様々な人を招いて行うことがその後の仕事の上でいかに重要であるかが解説され、その反例として前任者がソ連の客を招いて酷い目に会い胃潰瘍を作って辞めた話が挙げられています。まあ恐らく前任者はフリーメイスンではなかったのでしょうね。直近の上司のグリフィン中将と食事をして仲良くなったことが挙げられていますが、恐らくというかもちろん上司もフリーメイスンであったのでしょう。まあフリーメイスンリー的に考えると当時のソ連もほぼフリーメイスンリーのシステムに完璧に則って動いていたということなのだと思われます。

次の副題は司令官に就任です。色々引き継ぎがあって実際司令官になったということだと思われます。まず港の船や流木、ブイの整備から始めた様子が描かれています。放置してあった上陸用舟艇などを改修し整備した様子が書かれています。

次の副題は横須賀クリーンアップ作戦です。色々オフィスを綺麗にしていく様子が書かれています。とにかく強姦が多いのでそれらを早く処理して兵士を本国に送還する態勢としたこと、会議を有効なものとするためにバーの飲み物をタダにしたことなどちょっとずつの工夫が挙げられていきます。やはり基地の廃棄物やゴミの多さが語られるのですが、前任者が恐らく対処できなかった兵士が連れ込む日本女性の話も挙げられています。また本国に帰還する兵士がほとんど全てをそのままにして帰還する様子やとにかく帰還するために必死になる兵士たちの様子が書かれており、一方ではまた憂さ晴らしに日本人をいたぶる行為をしたりする兵士を教育したりと一般的な兵士の法令順守を徹底する経過があります。いわゆるこのブログでも最初にフリーメイスンリーのシンボルとして挙げたヴェルニー公園、かつての臨海公園の場所がかつての横須賀線の海軍工廠への貨車の引き込み線であり、そこにあった列車が米兵の日本人女性の連れ込み宿と化していた事が挙げられて、日本へ返還する事でそれらを解消したと書かれています。

次の副題は1ドル15円で、今でも横須賀で良く問題とされるドル円相場の話が出てきます。当初15円であったそうですが、それでは闇レートから非現実的であったのが最終的に360円とされた話でした。たばこの相場が闇市との10倍以上もあり、兵士達が盛んに基地の物資を持ちだして闇市でさばくのが流行し、それらを処分していく様子が描かれています。

次はにせダイヤ事件です。これはブラザージョージ・アイ・パーディーの話でも有名な日銀地下の財宝の話と被るのだと思いますが、恐らくフリーメイスンリーの話とも関わる話ではないかと思われます。にせダイヤが何やら給料以上の報酬として横領の手段として使われたという話で、恐らくダイヤの鑑定自体が専門家でないと難しいことを利用した一つのトリックではないでしょうか。占領下の日本でひと儲けをたくらんでそれらをダイヤで行った方が結果的に不名誉除隊の烙印のみを残して生活する事例があったものかと思われます。なかなかアメリカ軍の規律維持のやり方は尋常ではありません。

米兵の銀行強盗事件はそのままです。とんでもない海兵隊員が横浜で銀行強盗をしてさらに捕まった後逃亡したという話ですが、面白い事に海兵隊に外出禁止令を出したところ2日で基地に戻って来たということです。その他ブラザーデッカーにも様々な誘い文句での誘惑や、それ自体がまたブラザーデッカーの周辺人物への疑惑をもたらすための工作である仕掛けが多数あったということです。占領当初の混乱期、そもそも意図的に混乱を引き起こしていた時代が垣間見えます。海兵隊という組織のアメリカ軍での役割や立場というのも書かれています。

追浜飛行場の廃止。海軍の占領した飛行場や港の基地を整理統合する過程が書かれます。中国の青島基地を確保する話がありますが、結局中国の共産党によって撤退を余儀なくされブラザーデッカーの主張する佐世保基地に後退した話が挙げられています。まあなかなかこの辺りの大局観とフリーメイスンリーのブラザーマッカーサーや共産系との繋がりの話はフリーメイスンリーを理解しないとわかりづらい話なのでしょうね。

ペニシリン、良い軍医がフィリピンから着任してペニシリンを使用する医療が普及する過程が描かれています。その中で前任の悪い軍医として悪性のウイルスに感染して去っていく者もいたと書かれています。この時の病院は基地内の旧日本海軍病院であると思われます。後に朝鮮戦争の際に後方病院として役に立ったようです。ペニシリン自体特に戦後に量産化に成功したフリーメイスンリーが直接的な関与した近代の科学の象徴ですが、それをもたらしたこの軍医もフリーメイスンであったと考えられます。

ハラキリ、日本軍人が切腹して死んだという話が挙げられます。悲惨な状況にあった日本軍人を救済する処置を行ったことが挙げられています。その代わりとして基地の警備などに当たらせて実績を挙げたと書かれています。

水先案内人は10万円。これはなかなか複雑な話です。ブラザーマッカーサーが統治していた日本の、東京湾を管轄していた水先案内人が陸軍の管轄で、給料が当時の日本の首相の給料より高い10万円であって、それが非常に非効率であったことから日本の旧海軍軍人を担当として普通の給料にしたという話です。まあいわゆるブラザーマッカーサーに関わる利権ですがなかなか危うい話です。この後もブラザーマッカーサーにも絡んでいわゆるアメリカの陸軍と海軍という派閥の話が出てきますが、基本的にはフリーメイスンリーの繋がりがある際には順調に話が進むのですが、それ以外だといわゆる日本の陸海軍のような派閥争いが顕著に出ます。またその後の話が赤十字の話なのですが、Lovelyという変わった名前の男性職員の話から、赤十字の女性職員を特にその後の横須賀市政と基地行政とを繋ぐ中核であるEMクラブの運営に関わらせたいとの話で、やはりパーティーを開いて交渉したという話が出てきます。また官舎から双眼鏡で町の様子を見て色々と楽しんだという話があります。いずれも基地、横須賀市行政と絡めたいわゆる陸軍や赤十字といった違うフリーメイスンリーの系列組織の話と実際の公明正大な運営という話かと思われます。この後出てきますがエディンバラのカメラ・オブスキュラの話のようなものでしょうか。こういう情報網や要所の把握が実際の行政や組織運営には必須ということだと思われます。現在で言うと警察や消防を押さえるような感じでしょうか。もちろんそれだけでは駄目でヤクザもみなければ片手落ちになる。そんな例えになるかもしれません。

EMクラブ。EMクラブは色々な話を聞いたり、本を読むと当時の一般市民にとって非常に象徴的な場所であったようです。そもそも日本人の下士官・兵集会所であったそうですが、恐らく戦後のEMクラブとしての利用を想定した建築であったのではないかと考えられます。戦前の時点でも蝶々夫人を上演したなどなかなかのフリーメイスンリーの関係が見てとれるかと思います。聖ヨゼフ病院もそうですが、旧海軍のこれらの建築はどうも戦後のそうした占領軍の基地行政への円滑な移行が想定されていた節があります。それはブラザーヴェルニーの横須賀造船所から始まって一連のフリーメイスンリーの建築の一環であったようです。ここで赤十字から派遣された陽気な献身的な女性達が兵士の士気向上に役立つ働きをしてくれたことが描かれています。兵士たちを安易に日本の風俗に置かずに管理する事で衛生管理や風紀の管理を行った事がわかります。どうもこういう基本的な事も現代の日本人も知らないというのが昨今の話でもわかる所でしょうか。もちろん例外は多数あったのだとは思いますが。
海軍下士官集会所01em_20130710224019.jpg
「三笠」ここだけ副題がカッコ付きになっています。恐らく訳者の方が強調したかったのではないでしょうか。まあ色々翻訳の経緯を見てもあまり完璧な客観的な翻訳ではないということはわかるかと思いますが、それはそれでなかなか面白いかと思います。記念艦三笠に対する色々な処置が描かれています。どうも色々これを巡ってその後も紛糾があったことを配慮したような文章となっています。当初破壊されていて、それに対して警備員を海兵隊が置いていたそうですが、その仕事自体がブラザーデッカーは容認できないものとして警備をやめさせたそうです。そして代わりに記念碑を破壊するように命ぜられていたので艦橋、マストなど三笠の主要部分を破壊して水族館と公園にしたそうです。まあなんか言い訳みたいなどこかに隠されて保存されていることを切に願ったという言葉がありますが真意はどうなんでしょうか。まあ当時の情勢として特に問題はなかったのだと思いますが、日露戦争の経緯や三笠がイギリスのヴィッカース社製のものであったことなど、フリーメイスンリー的に色々あったのだと思います。そういや安倍首相もなんかこの辺り積極的に訪英時に語っていたような。水族館にするというのも良くあるフリーメイスンリーの象徴ですから、まあシンボリズム的に相当おかしなことがあるわけではないです。またその後には横須賀市内の主要なビルなどの返還やそれに関わる工作機械や廃棄物の処分の話があります。単に基地内だけではなく戦時中は主要な建物が海軍の管轄になっていたので、それらが廃墟となって残っていたものと思われます。ブラザーデッカーが就任する事で一挙にそれらをかたずけて行った様子が描かれています。それらを片づけてようやく基地らしくなって来たところで家族が来日するという御褒美が告げられてきます。アメリカ軍やフリーメイスンリーの非常にわかりやすい所でしょうか。
img_1046715_29000719_1.jpgimg_1046715_29000719_2.jpgfukugen.jpg

これで第一章が終わりです。
画像はイメージしやすいように検索で出てきたものを貼っています。無断使用なので問題があれば連絡ください。
2013-07-30 10:45 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
基本的にこの話は販売されている本を元にして単に要約に解説を加えているだけなので、面白いとか内容に興味をもたれた方は本を手にされて御自分で読まれることをお勧めします。
スコットランドの話はしかしどう逆立ちしても単純にフリーメイスンリーやスコットランドに興味のある人以外興味が持ちようがない話であるようですが、やはり横須賀関連の話は既に本が売られていて有名であるにも関わらず内容を理解しているかというと聖書と同じでなかなかそうはいかないというところが現実であって、テレビやラジオ、新聞などのいわゆるマスメディアでワンフレーズで繰り返し単純な一面的な情報を送るのと違って、それなりの書籍というのは重要な情報であればある程どんなに出版され何年と経とうと一般大衆に理解されるということはないというのがまあ人類の歴史の一つの普遍的な法則ともいえるわけで、その法則に基づいたのがユダヤ教でありキリスト教でありその法則をそれこそマスメディアや啓蒙運動で変えようとする考え方がまさにフリーメイスンリーと言えるのかと思いますが、まあ常に低きに流れる人類普遍の法則を明らかにしてその流れ自体を高みに向かって流れるように変えてしまおうというのが人類に知性が存在してからの唯一の目的であるのかもしれません。

まあそんなわけで多少横須賀に反響がありそうなブラザーデッカー司令官の回想録の要約と解説を続けることとします。

第二章の副題は家族を呼び寄せるです。とりあえず任地横須賀で状況を確認して、過去の司令官とは違う本腰を入れて基地機能の回復と米軍の統治を確立する道筋を立て始めたブラザーデッカーですが、アメリカ軍の基本的な政策でもある家族とともに出来る限り通常の生活を送るようにするという方針に則ってこの場合は家族として妻エドウィーナが来日するエピソードが語られます。まあこういうのはアメリカやヨーロッパでは極めて当たり前なんですが日本ではまだまだそれほど当たり前ではないのは要するにそういう海外赴任の際のコストとリターンの評価が確立していないからなんでしょうか。
tumblr_mmyjkxytPJ1so8v8zo1_500.jpg
最初の小節の副題は米軍家族用住宅事情です。現在も米軍住宅の設備や恵まれた環境は良く占領統治の継続としてやり玉に挙げられるところですが、まあそれがなければ基本的に本国に帰って違う仕事をやりたいというのが彼らの本音な訳で、真珠湾攻撃を嵌められて始めたとは言え現代では考えられないような対米戦争を行ったツケとしては当然なところなのだと思われます。この辺りに文句を言いだすとこの本を読むことはできません。奥さんを迎えるにあたって世話係として英語が堪能な高岡夫妻を指名し、近くに住まわせるようにします。
WH_AeroView.jpg
次の副題はパスポートです。妻のエドウィーナがもう嬉しくてしょうがないという感じで喜んでサンディエゴから来るわけですが色々と表面上の問題が生じます。まああまり浮かれるなというそういう戒めなのでしょうが、まあ非常に楽しい感じで日本で夢のような生活が待っているという感じが伝わってきます。一応陸軍と家族の来日で競ったりしたそうですが、まあなんとも戦勝国の楽しい時間です。ここで唯一面白いのがエドウィーナ夫人がブラザーデッカーと再会する場面ですが、これは恐らく奥さんがきちんと著したいと考えて書いたのでしょうが、ブラザーデッカーには同伴する3人の着物の日本女性がいます。妻のエドウィーナが書くところには征服者の妻たちとして上陸し、彼女たちに申し訳なく感じましたが笑顔で応じましたということだそうです。まあ現代とは時代が違うのでしょうが、まあそういう基地司令長官として奥さんが来日するまでの現地妻として3人の女性がいたという事なのでしょうね。なかなかすさまじい描写ですが、ブラザーデッカー夫妻自体にはその後あまりそのことは影響がないようで、ブラザーデッカーは84歳まで生き、奥さんは何と97歳まで長生きしたそうです。まあそう考えるとやはりこの夫婦は奥さんの懐が深いのが実はこの本に書かれていない横須賀での任務の成功の秘訣であったのかと思われます。ちなみにその関係かどうかはわかりませんが、共に軍人であった二人の息子の長男は岩国基地で飛行機の墜落で亡くなり、次男は除隊後に膵臓癌で亡くなったそうです。この時の事が関係あるかはわかりませんが、まあ戦中戦後の事は色々あるという事かと思います。再会のキスをするところで「ニュース映画のために、もう一度」と再度ポーズをとらされましたという記述がなかなか当時が良くわかります。
soldier-family-c.jpg
副題は横須賀夫人会4万人がデッカー夫人を歓迎で、神奈川新聞の記事のままです。馬淵夫人という横須賀市婦人会会長の方が挨拶する様子が描かれています。その後の占領政策でこの横須賀市婦人会というのが非常に重要な役割を与えられて、ブラザーデッカーが高く評価するわけですが、その辺りの経緯が恐らく前述のエドウィーナ夫人のいない期間にブラザーデッカーのお世話をした日本女性に対する信頼と評価から成立しているのではないかというのが私の推測です。そしてそれは蝶々夫人のオペラにも認められるようなフリーメイスンリーの中での日本女性に対する定まった評価とその利用であったのではないかと考えられました。まあこれが前の章で触れた種明かしな訳ですが恐らく正しいのではないでしょうか。横須賀の子供たちにチョコレートやキャンディー、パンなどの食料が配られる様子が描かれています。
1945018.jpg
歓迎昼食会です。妻エドウィーナの視点から歓迎されて目にする横須賀基地の様子が描かれます。ブラザーデッカーの言葉として日本人ウェートレスについて「これらすべての女性たちは”立ち入り禁止”、見て眺めるだけでノータッチ!占領軍は食べ物を扱うすべての女性に毎月一回身体検査を受けさせていた。担当医から、ここの女性は全員が処女だという報告を聞き、そんな検査はやめさせた」とあるのですが、まあ良く戦中戦後の状況がわかる言葉です。lをrと発音する話や、人力車や人々の様子の話が語られます。
tougou_ogawa.jpg
さいか屋には商品が少ない。これはまあ主婦の目線なのでしょうね。デパートの品ぞろえが気になるという事のようです。まあ戦後すぐの状況ですからソ連より酷かったことでしょう。街の様子の描写などはブラザーキップリングの日本紀行などとも共通するものがあります。
sakiaya.jpg
「長官官舎」に入る。ブラザーデッカーが整備した長官官舎が綺麗に奥さんを出迎える状況であることが描写されます。執事として中国人の人がいるのですが、どうもブラザーデッカーとは古い縁のようで、日本軍に捕虜として苛酷な待遇を受けた中国人を執事としているなどなかなか軍人としての周到さが感じられます。色々とエドウィーナ夫人による内装の細かい描写が語られるわけですが、この辺はいかに日本で良い暮らしをしたかという見栄なのでしょうね。良くわかりませんが、アメリカ本土で暮らす人々にはどうしてそこまでして日本で日本人の対応をする仕事などするのかという説明が必要なのだと思われます。まあいずれにしてもブラザーデッカー夫妻にとって非常に印象的で魅惑的な時であったのではないかと思われます。もちろんパーティーが開かれます。
chokan12.jpg
兵舎を探索。ここの章はとりあえずエドウィーナ夫人の記述で続きます。このエドウィーナ夫人は良くわかりませんがとにかく廃品回収が大好きで、旅行とパーティー以外の時は大体廃品回収に本人が出かけ、そこでいかに自分の機知で良さそうとされるものを選んでもってきたかに自己満足を得るという事があります。その言いわけではないですがこんな言葉があります。「私はスコットランド系、倹約を旨とする血筋…」高岡夫人や馬淵夫人と会話して高岡夫人が英語が話せて米国経験が長い事が語られます。その後も非常にこのメンバーは交流が盛んなようです。
12.jpg
富士屋ホテル。この辺りから本格的に旅行とパーティーざんまいという感じになってきます。箱根の富士屋ホテルに行く間の様子なども描かれるのですが、ブラザーデッカーが戦前の昭和14年に齋藤元駐米大使の遺骨を礼送する際にも箱根の富士屋ホテルで美人ダンサーが接待した話が語られます。戦前の接待は色々右翼が騒いで午後11時には散会になったそうです。この辺りもまあフリーメイスンの暴露なのでしょうが、ここで何か違ったらその後の歴史も違うのかもしれませんね。まあとにかくそれを奥さんが表記するのがアメリカという感じでしょうか。ホテルの調度の描写が延々と描かれます。天皇の間に泊まったとか、その後もそうですが、とにかく皇室と同じ待遇を受けたというところに拘るところが認められていきます。評価基準がないのでとにかく皇室と同じであれば最高の待遇でこれ以上はないという事なのだと思われます。まあ色々評価して書かれていますが、率直に異様なお面があったとかそういう表記もあります。
01070-7772-pc.jpg
長尾峠。富士山が見える長尾峠へ行ったところ痩せた日本人の子供と、たまたま日本で戦中戦後を過ごして敗戦後にドイツ本国へ送られる事になったドイツ人と接触した話です。何なんでしょうね。昭和17年11月30日に横浜港でドイツ戦艦3隻が爆発したというので、シンボリズムがあるのでフリーメイスンが入っているのでしょうね。箱根温泉に戦中に5年もいたというのは楽しいことではないでしょう。
長尾峠
横浜―東京へ。東京の空襲の様子を見て、米海軍極東司令部を訪ね、ブラザーデッカーが海軍軍楽隊を横須賀に欲しいという話を上司が嫌味に断る話が語られます。なかなかアメリカ軍の上官同士の交渉というのも面白い感じです。その後は相変わらずのパーティーです。ほぼ毎日パーティーだという感じでしょうか。いちいち評価してその返礼としてまたパーティーをやるのですが、この辺りはトルストイや、ドストエフスキーの小説の世界を参考とした感じでしょうか。
200px-GHQ_building_circa_1950.jpg
印刷インク。基地内で見つけたインクの原料を「リーダーズ・ダイジェスト」誌の日本語版のインク不足解消に使うという話でした。この後もマスメディアの話は良く出てきます。ブラザーデッカーも非常に基地司令官として気にする事になります。
readers digest
独立記念日のパレード。今年は雨で花火が中止となった7月4日のパレードの話です。横浜、東京、横須賀と1日中パレードと花火です。占領直後はとにかく独立記念日のパレードはすごかったようです。もちろんこのブログの読者は独立記念日がブラザージェファーソンが起草した独立宣言が採択された日と知っているかと思います。
$(KGrHqJHJFIE88e5R)hrBP(MfD8tpw~~60_35
帝国ホテル。帝国ホテルであった2度の晩さん会の様子が語られます。非常にエドウィーナ夫人は帝国ホテルについて酷評していますが、どうも唯一日本で残っていた明治大正の建築で石造であったためそれが気に入らなかったようです。やはりパーティーの評価が書いてあります。後にうつ病で自殺するジェームズ・V・フォレスタル海軍長官の様子が神妙であり横須賀を訪問せず世界旅行を続けたことが語られます。海軍の空母建造をすすめた海軍長官が後に東西冷戦の初期の時代に世界秩序の構築から取り残されて自殺に追いやられてしまうポイントかもしれません。
b0017892_2044283.jpg
塀の取り壊し式。日本海軍が戦時中に横須賀基地を取り囲むように建てていた塀を取り壊す式が行われた様子が書かれます。日米の軍隊の基地運営の基本方針の違いを見せつけるものであったのでしょうね。いまだに自衛隊と米軍の差であるかもしれません。臨海公園なんて謎の公園が未だにあるとかネットにはあったりします。
007_03.jpg
友情の樹。臨海公園、今のヴェルニー公園のところで横須賀市長とともに行われた植樹式の様子が描かれます。この木は現在どの木になるのでしょうか。興味深いところです。ペリー提督の黒船の山車とかつらをした白い水兵姿の日本人の様子が印象的に描かれています。ついこの前の久里浜ペリー祭の様子を見ると、未だにこの時代となんら変わっていないようです。平和の象徴の鳩が描かれます。ヴェルニー公園に鳩がとまった事がこのブログでも以前ありました。
453.jpg
パラボラ型ミラー。これは定期的に出てくる主にエドウィーナ夫人による廃品利用の話です。パラボラアンテナをパーティーのテーブルの左右において花をいっぱい水に浮かせて綺麗に飾った話です。その他も電池槽などの日本軍の廃品をパーティーの小道具に工夫して利用した話です。まあ工夫して楽しく過ごし好評であったという話だと思います。なかなか面白い夫妻です。
e0211426_21412140.jpg
海軍カレー。日本海軍の海軍カレーをパーティーに出した話です。その他にも映画や音楽や肖像画でパーティーの趣向を凝らした話が挙げられています。ここでもブラザーロバート・アイケルバーガーの賛辞が挙げられています。
20100209_746847.jpg
セミ取り。夏の暑い日に近くの寺の境内に散策して子供がセミ取りしている様子を見た事が描かれています。日本の季節感を感じたのでしょうか。
セミ
真珠湾の秘話。真珠湾攻撃の際の太平洋艦隊司令長官の話として、本当は艦隊の海上訓練を続けようとしたのに財界人と政治家が湾内にとどまるように望んだという話でした。後任のキンメル提督はいたしかたなく湾内に戦艦を置き、攻撃を受けて責任をとって降格させられたという事です。まあ今でこそ日本でも当たり前の話ですが、昭和の時代はちょっとタブーな話でしょうか。この本も東北大震災後に出たわけですが、これについてもいつかタブーが破られるかと思います。
sinjyuwan_01.jpg
東京裁判(極東国際軍事裁判 1946~1948年)。東京裁判を傍聴した様子です。エドウィーナ夫人によって書かれているのがちょっと奇妙な感じですが、東京裁判の評価は非常に難しいからということではないでしょうか。実際に戦って、戦後に統治したアメリカ軍人にしてみれば敵対したとはいえ先ほどの真珠湾の経緯も理解していて、国を守るために戦った軍人たちが裁かれるのは少なくともブラザーデッカーは支持も反対もしないという立場であったようです。エドウィーナ夫人は様々な事実が明らかにされるのは良いことと書いています。ブラザーデッカーが横須賀統治に利用した豊田大将の横須賀時代の資料の関係で豊田大将は無罪になったと書かれています。
tokyosaiban.jpg
日光旅行は特別列車。後に飛行機事故で亡くなるアッチンソン米国大使の邸宅でのパーティーから始まります。その後日光旅行に外交団列車と呼ばれる特別専用列車でいく様子が描かれます。いろは坂や華厳の滝、ケーブルカー、日光東照宮や輪王寺の様子が描かれます。
7b4b94dd.jpg
家の補修。就任時より補修を頼んでいてもなかなか進まない職人の仕事ぶりに苛立って職人を叱責する行動をした結果、職人がようやく仕事を仕上げた話が挙げられています。まあこの辺から横須賀らしい話が増えてきます。ブラザーデッカーが盛んに長官宿舎の改修に拘るので、一番拘っているところで遅滞して嫌がらせするのですね。まあこの後もそんな話ばかりです。マスコミの記者を接待する様子があります。
lrg_15618177.jpg
鎌倉の八幡宮。鎌倉の鶴岡八幡宮をブラザーデッカー夫妻が観光した時の様子です。特に評価はなく淡々と観光案内のように表記しています。恐らく慣れて来たというのもあるのでしょうが、鎌倉は数回訪問したのかもしれません。
HSD10025.jpg
長谷の大仏。鎌倉の大仏の表記です。大きさや重さの表現が認められます。素直に観光している内容でしょうか。
d5fefa22.jpg
長谷観音。なんだか詳しく書かれています。鎌倉に関しては色々書かれないバックグラウンドがありそうです。
sub2-17-kamakura-syu-u-121.jpg
吉田茂首相と会う。鎌倉観光と関係しているのかもしれませんがその後か前田侯爵の未亡人とその令嬢、吉田茂首相とパーティーで会った様子が描かれます。確か前田侯爵の娘さんは鎌倉の文学館の前に住んでいるんではなかったでしょうか。吉田茂首相の印象が書かれています。その後ネイヴィーデーの三笠教会と海軍基地での祝賀式典が描かれます。
img_1506280_65544459_1.jpg
(写真は吉田茂首相と簗瀬次郎氏です。フリーメイスンだと思われます。)(追記:父親の簗瀬長太郎氏はフリーメイスンのようですが、息子の簗瀬次郎氏はそうではないようです。)
ペリー提督の黒船。同じくネイヴィーデーに久里浜に移動してペリー上陸記念碑に花輪をささげる儀式が描かれます。ペリー上陸の過程も簡潔に述べられています。日米両国旗が交差されている様子や、黒船という歌の歌詞についてそれぞれ恐らく新聞紙の特派員と思われる人物が文句をつけるのをブラザーデッカーが冷静に戦争は終わったのだと対応する様子があります。
kurofune.gif
指輪の贈呈式。ウェーク島で日本軍の捕虜になったブラザーデッカーの同級生の指輪が日本人の家から発見され返還する式典が行われたという話です。どうも話の流れからいくとこれらは同じネイヴィーデ―に久里浜のペリー上陸記念碑の前辺りで行われたようです。恐らく関係者は皆フリーメイスンだと思われます。捕虜となった同級生のカニンガム大佐が上海の捕虜収容所から脱走する際にお世話になった日本人女性がたかろうとしていた話が挙げられます。上海といえばシニムロッジなのでまあ色々あったのでしょうね。その後久里浜ホールというところでダンスと黒船の歌という合唱を鑑賞します。この詩は印象的に書き連ねられていますので転載します。

風雨の暗夜に 黒船は航行する 不気味に動く未知なるもの 灰色の海原を渡り
船倉で働く者の 真っ黒な顔の恐ろしや はたまた、白人の顔 砲を構え 赤衣をまとった険しい何百もの顔、顔、顔
毛深いあごひげに頬は半ば隠れ その目は波を凝視する わが太陽の地を求め 艦長の胸底に秘めたる重い命令に従い
声張り上げてきたる――轟く太鼓の音 奇妙なわめき声 肉と薬草をたくわえて 悠然と彼方へ進み 黒船の波――あちらこちらと揺れる

まあちょっとブラザーデッカー夫妻がこの歌を聞いてどのような感想を抱いたかはわかりませんが、その後の久里浜のペリー祭の式典の様子などを観ても、非常に感慨深く印象的で日本人が客観的に欧米人をどのように見ていたかということが伝わるものであったということが想像されます。
3831--GLCS591BL.jpg094_01.jpg
みんなが来たがる横須賀。ネイヴィーデーの最後は司令長官官邸で東京裁判の首席検察官、次席検察官、コカ・コーラの極東代表、アイケルバーガー陸軍中将夫妻、当時の米国大使のジョージ・アッチンソン(その後飛行機事故で死亡)、フランス大使のペシコフ将軍、陸軍の少将、中将、米領事夫妻などが参加したパーティーで名前が挙げられているのみです。ブラザーペリーとブラザーデッカー、さらにウィリアム・チェース少将が皆ロードアイランド出身であると挙げられています。このことは現在の横須賀ロッジにも引き継がれているようです。恐らくこの会は実質フリーメイスンリーの会合であったのだと思われ、全員がフリーメイスンだと思われます。(ジョージ・アッチンソンの項目についてはなぜか日本語のウィキペディアの項目のみあります。英語では検索しても一切出てきません。現代も続く情報戦の一端でしょうか。)
400903_3119268220322_1463033231_n.jpg
2013-10-08 17:00 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
ターナーの絵のごとし 馬堀の空は
2013-10-09 21:19 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
まあブログを読むのにお金も出したくない人が本を買って読むかというとあり得ないわけでして、結局そういう事にお金を出す人はどちらにしても出すようになるわけで、まあ悩ましいというか単純というか世の中そう簡単には思考と一緒で変わらないという話だと思われます。

で、恐らく横須賀で最も興味の度合いが高いかと思われるブラザーデッカー司令官の回想録についての解説ですが、ブログ一部が1000円だとすると明らかに本を買った方が安いわけですが、まあしょうがありませんね。結局そういう習慣を変える事が求められているわけですから。

まあ聞く耳が無い人にお説教をしてもしようがないわけで、意味があるのかないのか分かりませんがブログの方を続けることとします。(有料化中に書き出していたのですね。ご了承ください。)

第三章の題は横須賀復興に着手です。具体的には悲惨な日本人の衛生状態の改善と、復興の目玉である聖ヨゼフ病院の建設、栄光学園や清泉女学院、青山学院大学工学部などの現在まで残るキリスト教の病院や学校の建設が描かれて行きます。現在それらを利用する日本人もまさかこんな所までブラザーデッカー司令官が関係しているとは思わない人も多いかと思いますが、そういう部分では関与する日本人の数は相当多いものとなるかと思います。その他衣笠病院もその後にブラザーデッカーが直接建設に関与しており、関東学院についても六浦地区への移転に関与しているようです。

最初の章の副題はDDTの散布です。当時を生きていた方には良く懐かしいと思いだされる代表的な事例かと思われます。ハエ、カ、ノミの駆除のために撤退予定であった海兵隊航空攻撃群に依頼して谷戸の住居などめがけてDDTを散布する様子が描かれます。面白いエピソードとしてブラザーデッカー司令長官邸の3本の木の幹が大きな黒いハエで覆われてしまったというほどのハエの増加が描かれます。ネズミの駆除などはチフスを警戒していた事が書かれています。
1949062.jpg
次は水の供給です。いわゆる一般的な防疫給水活動という事かと思われます。水圧が十分に上がらず汚水が混じるという水道管の水漏れが原因であったためおこる水不足の状態を改善し、基地内に24時間水が供給できるようになったのですが、市中への供給には問題があり、それもやっと解決したところで市が基地司令官に水道代を要求してきたという奇妙な事例が書かれています。恐らく回想録に描かれない水を巡る争いがあったものかと思います。結局水道施設の権限を全て市に与える事でこの話は落ち着いたようですが、731部隊の事例ではないですが、水の安定供給は部隊や市民の生活の基本でありその部分で駆け引きが相当あったことが示唆されますし、またその部分については描ききれないことが分かるかと思います。
kunito04a.jpg
次は女性解放に取り組むです。ここでもまたブラザーデッカー司令官の独自の日本女性観が語られ、日本女性が基地行政の上で評価され非常に味方になるという視点が語られます。紫式部の「源氏物語」を挙げて評価したりしています。婦人会の設立でもやはり横槍で他のグループが男性が説得する形でやってきたりしたようですが、とにかくなんにつけても旧海軍の邪魔をする活動があったことがわかります。この点に関してはほとんど現在も横須賀は変わらないかと思われます。結局信頼していた英語が話せる高岡夫人を中心として婦人会が結成されるのですが当初200人という人数でこれでは少なすぎるという事でブラザーデッカー司令官は何と熱帯で腐りかけたり虫が食ったりしていたチョコレートを分け与える事で会員を最終的に横須賀市の主婦全員にしたと書いています。これはもちろんアメリカ国内向けに日本人に媚びたわけではないという部分もあるのだと思いますが、恐らく品質的にはかなり何とか食べられるチョコレートであったのだと思いますが、実際その当時の日本人がそういうチョコレートそのものに強烈に飢えていたという事でもあるのだと思われます。こういう嗜好品についてはブラザーナポレオン時代の大陸封鎖令下でのコーヒー豆の欠如からイタリアのエスプレッソが開発された事例にも繋がる人間の欲を利用した例かと思われます。前の部分の日本人女性に対する評価と実際のあしらいというか対応とのギャップがなかなかブラザーデッカー司令官の日本人女性に対する全体的な対応として興味深いですが、まあそれは当時のアメリカ人において一般的であったのだと思われます。
kratacc.jpg
規格外食糧です。なんだと思うかもしれませんが残飯の表現です。当初残飯の処理を市内の業者に頼んでいたそうですが、結局当時の日本の一番の問題が食糧であったので残飯を運ぶ他にプライドがあるので基地から食糧を盗んでいたそうです。そのためにその残飯の処理について信頼できる婦人会に頼んだそうですが、エドウィーナ夫人は残飯の呼び方を規格外食糧と呼ぶように主張したそうです。まああまりに悲惨な状況であったのだという事だと思われます。さらに婦人会は食器の洗浄をさせてくれと頼み、結局ブラザーデッカー司令官は魅力的な女性を食堂で働くようにしてこれに同意して、兵士たちが残飯を増やしたという話です。はっきり言って日本人としてこれ以上の悲しい話はありません。しかしその当時の状況がまさに餓死があるほどの状況であり、そうした残飯の配給が非常に重要であったことが語られます。その他に軍事食糧も余ったものを配給したことが書かれています。基地の兵士にとってはとてもじゃないが食べられない状況のものであっても、感謝こそされたものの文句は一切なかったそうです。この後はそれらに対する感謝の手紙です。
4_5.jpg
感謝の手紙。感謝の手紙を上記の規格外食糧に対して山のように受け取ったそうです。一例のみ挙げられていますが、まさに含意のない賞賛のみの文章が挙げられているようです。その後に婦人会の感謝状も挙げられます。なかなか占領当初の日米の対立に日本女性が止むに止まれず身も心も捧げて尽力したことが思われます。
手紙
警察に靴を。いわゆる現在も多少はあるのでしょうが、米軍の放出品というやつです。米軍の使用しなくなった作業着や靴を日本人向けに小さく作り直した後警察で使用して見栄えが良くなったという話です。1950年にブラザーデッカー司令官が離任するまで使用されたそうです。
boots-1-thumb-300x225-3381.jpg
警備員詰所の老警官。靴や作業着を与えて警察との関係が良好になった感じですが、司令長官官舎の警備員詰所に日本人の老警官が立っていて非常に心温まる友好的な挨拶であったという事です。辞めさせようとしても辞めさせることは難しいと海兵隊のウルフ大佐に説得されたとのことで、恐らくお互いに分かっていたと思いますが、司令長官の帰宅を確認する役割であったのだと思われます。
P1070873_blog.jpg
婦人警察官。女性の社会進出を促す目的もあり、婦人警察官の制服をデザインして制度を作ったそうです。面白いことに成功したこの制度という事ですが、仕事に就いて一カ月もしないで結婚するものが多かったという事で補充する必要が多かったと書かれています。もちろん誇張でしょうが、ブラザーデッカー司令官自体こういうコスプレのような事を気に入っていたようです。
0297.jpg
軍医とコレラ。まだ聖ヨゼフ病院などを建設する以前は病院があったもののほとんどまともに機能する状況ではなく不衛生で問題があったことが書かれています。そのためコレラが大津地区で発生した際にはアメリカ軍の軍医が隔離と予防接種を行い早期に終息したと書かれています。まあ色々占領中であり様々な不満や問題提起があったのでしょうが、いずれにしてもその後の日本人医師を指導して早期に日本人自身での十分な医療環境の回復へ促す事のきっかけであった事はあるのだと思われます。有名な帝銀事件などの伏線になっているところもあるのかもしれません。
20130801003216_190663.jpg
民主主義はキリスト教で。占領政策にキリスト教の布教を利用する方針をブラザーデッカー司令官は立てます。日本を民主国家にするために占領軍はキリスト教布教の担い手であるという方針があったようです。カトリックの神父とプロテスタントの牧師に要請して可能な限り宣教師やキリスト教関係者を集めるように指示し布教を開始したそうです。
img_1590338_62662876_0.jpg
聖ヨゼフ病院の誕生。かつてこのブログでも取り上げた横須賀米軍基地前にある象徴的な病院の成り立ちの話です。元々旧日本海軍の海仁病院として昭和11年に設立されたもので、戦後もすぐにアメリカ軍は接収せず放置していたようですが、日本海軍軍人が処分しようと動いているという話で、ブラザーデッカー司令官が対応します。トラック71台分のゴミで埋められていたそうですが、戦後は木賃宿として使用されていたそうで、旧日本海軍の将官が卒業証書を看護婦に渡している写真があったそうで、これなんかは私も働いたことがありますが、横浜南共済病院などと同じ海軍系の象徴であったのかと思われます。ブラザーデッカーは母親がカトリックであったためか、この象徴的な場所にある病院をカトリックの病院として運営する事を思いつき、結局福岡で病院を運営していたカトリック組織から日本に40年間在住する65歳であったフランス人の日本語が達者なブルトン司教を呼び寄せて運営させることとしました。ブルトン司教は非常に笑顔が素敵であったそうですが、好印象の人物であったそうで、聖ヨゼフ病院として名付けて運営すると言ったそうです。ブルトン司教の逸話として戦時中に日本軍に拘束された際には独房で讃美歌を歌って日本人が耐えられなくなって釈放したそうです。カトリックでありフランス人でもあったブルトン司教はフリーメイスンではなかったようですが、明らかにフリーメイスンであった当時のフランス大使のブラザーペシコフ仏大使がスコティッシュライトの帽子をかぶった状態でブルトン司教に勲章を捧げる様子の写真が載せられています。ブルトン司教の逸話として聖ヨゼフ病院を改修する際にペンキが必要になった際には天から白ペンキが届いたと言い、ペンキが足りなくなったら天と連絡が取れなくなったと言ったという話があります。まあいわゆるカトリックという感じでしょうか。病院が開業後は基地の米軍医が指導して医療水準の向上を図り、病院食を整え、注射針を交換するように指導し、麻酔を使うよう指導したそうです。恐らくフリーメイスンと思われますが、ジョン・Qという恐らく軍医でしょうが、この方に日本医師会を設立させて日本の医療水準を向上させたそうです。戦後の日本の医療はこの横須賀から始まったと言っても過言ではなかったのかと思われます。
また最後に他の病院、恐らくこのブログでも横須賀の某病院として取り上げた横須賀共済病院かと思われますが、その病院の患者の子供が氷が必要と言う事で基地の特別な氷を送ったところ医師と看護婦が使っていたので厳しく注意したという逸話が書かれています。まあその後の市民病院や衣笠病院の失火災害の伏線となる出来事であるかと思われます。
18photo.jpg
栄光学園。カトリックの神父がイエズス会の神父を連れてきて栄光学園を開設する事になります。この際のフォス神父が後にも出てきますがどうもフリーメイスンであるようです。
41191_08-01ofuna.jpg
清泉女学院。長野県から修道女を連れてきて女学校である清泉女学院を設立します。非常にうまくいったという事です。修道女が最初はブラザーデッカー司令官の元によく来たのに来なくなったので、ブラザーデッカー司令官自らが犬の散歩を兼ねて訪れたという事です。鐘を鋳造し、将校クラブの近くにあったシスターを起こすために鳴らして、朝寝坊の将校たちを早起きさせたという事です。プロテスタントの組織は民主的に運営されていたので、カトリックのこれらの動きに比べて非常に動きが遅かったそうですが、それをフォス神父にプロテスタントはプロテスター(文句ばかり言ってまとまらない人たち)だ!と評されたそうです。なかなか面白い話ばかりです。
71d4faad9178c47b2f58492faff87de6.jpg
田浦の基督教社会館。今度はプロテスタントのメソジスト派の話です。旧日本軍将校が使っていた田浦のキャバレー跡をキリスト教活動センターとしたそうです。そうする事でその当時田浦にもあった赤線地帯を廃止に追いやったそうです。イエズス会とプロテスタント教会で共同して抗議したそうです。まさにフリーメイスンリーの活動であったのでしょう。
c0196928_181289.jpg
青山学院大学工学部開校と「君が代」斉唱。青山学院の工学部が基地内に開校したそうです。メソジスト派で6月28日と言う事です。米国国歌のあと日本国歌が歌われたそうです。その経緯としてブラザーマッカーサーが君が代の斉唱を禁止したとして地元の学校が校長の指示でインターナショナルを歌わせていたという事を聞いたからだそうです。このブログでも君が代のフリーメイスンリーのシンボリズムについて触れましたが、恐らくそれらをブラザーデッカー司令官は知っていたのかと思われます。君が代が戦後歌われたのはこれが初めてではないかと書いています。
009.jpg
学校訪問。エドウィーナ夫人が横須賀市内の公立学校を視察した様子が描かれています。非常に不衛生な状況でしたが、先生と生徒の印象は良いようでした。共済病院にも訪問し、やはり不衛生な状況で空調もない状況であったようです。盲腸の手術をした状況であったそうです。
17-02_thumb_3.jpg
病室で調理・洗濯。共済病院の実際の入院生活の様子を描いています。看護婦が実際には掃除婦としてしか動けず、実際の患者を見るのは家族で、食事は七輪で家族が作り、洗濯も家族が行っていたそうです。ゴム手袋もなく、ペニシリンや血漿もない状況であったそうです。かなり気がめいったそうですが、その後刑務所も訪問し、刑務所の方がずっとましだったそうです。警官にアメリカ人大尉が指導して待遇を改善し、市民の公僕としての自覚を教えたそうです。囚人への待遇も改善されていたそうです。
学校と病院と刑務所の様子を視察して、刑務所の様子が最も良かったという状況であったそうです。数日後にそれを聞いてブラザーデッカー司令官は警察本部と刑務所を視察して機嫌よく帰って来たそうです。
kyo-hi032.jpg
さいか屋の白塗りに横ヤリ。戦時中に迷彩塗装してあったさいか屋の壁を社長が白く塗ろうとしたら日本の役人が途中で止めた話です。結局ブラザーデッカー司令官が再開させたのですが、誰がボスであるかという話であるようです。恐らくロータリークラブやライオンズクラブの話と共通なのでしょうが、こうした話を読んで日本でフリーメイスンが増えるでしょうか?
yoko_128c.jpg
孤児院。新生横須賀婦人会が戦争孤児院と老人ホームを設立しました。孤児院に併設して洗濯屋と石鹸工場を開業しました。
m07.jpg
空き缶からおもちゃ。ビールの空き缶を回収させておもちゃや台所用具、ちょっとした器具を作り、安い値段で売ったそうです。孤児院は自給自足できるようになったそうです。
r0011436.jpg
古紙再生工場。旧海軍が残した建造船の艦船の設計図の古紙が大量にあり、その古紙再生に日本人に工場を再開させたそうです。トイレットペーパーと包装紙を作ったそうです。日本人に運営を完全に任せたそうです。商工会議所が設立されて、工業倶楽部も力となったそうです。後の経団連でしょうか。家具工場と絹織物や木綿の紡績工場を作らせたそうです。
Toiletpapier_(Gobran111).jpg
海苔。海苔の養殖が廃油で妨害されることが起きたため、ワシントンに掛けあって廃油を捨てる事に罰金を掛けて投棄をやめさせたそうです。
90C28AC91DB82CC977B90B1.jpg
横須賀の奇跡。横須賀の工業再生化計画をまとめてGHQ経済科学局長マーカット陸軍少将に手渡したところ、若い民間人エコノミストを紹介され、そのエコノミストが横須賀を破壊するつもりなのかと言ってきたそうです。結局そんなつもりはないので、ブラザーマッカーサーに直接会うとブラザーデッカー司令長官がつっぱねて言うとそのエコノミストはマーカット少将に計画を承認するよう進言したそうです。まあ色々事業をやってみて最初は素人な感じであったのが徐々に本格的な行政運営になっていった過程でしょうか。
img_97833_9458780_0.jpg
これで第三章は終わりですが、この辺りからその後の性病の撲滅の辺りまでがこのブラザーデッカー司令官の回想録の横須賀市政に関する辺りの肝かと思われます。ブラザーデッカー司令官が行った事業はほとんどがそのまま現在まで横須賀の主要なものとして残っているかと思いますし、逆にその後に反省して手をつけられなかった事業と言うのがほぼまたそのまま残っているというのもまさに横須賀の創世記と言うほどの話ではないかと思われます。その他は大体日本の旅行やパーティー、GHQの内部の人間関係、フリーメイスンリーの活動などです。栄光学園のフォス神父の話などフリーメイスンリーの内部事情についてはかなり迫って出てきますので、日本人が書いた、資料にあたったフリーメイスンリーについての記述などより、こうした実際のロッジや直接ワシントンやアメリカとやり取りしていたフリーメイスンの活動の記録の方がはるかに具体性が高く参考になるものかと思われます。まあ実際横須賀市が翻訳に協力していたりして、この本を読む方はこれがフリーメイスンリー関連の一級の資料であるとは思わないと思われますが、間違いなく日本におけるフリーメイスンリーの一級の資料であると思われます。横須賀のバイブルと言う表現を行ったりしましたが、間違いなく日本で友愛団体に関わる人間であればまず読んでおいたほうが良い本であるかと思われます。
2013-10-20 19:15 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてブログの質問の効果もありほとんど視聴者がいないまま記事も連投してYouTubeも変更していくというかなり乱暴なブログ更新が続きますが、今回も本日あったばかりの横須賀の最大のイベント基地開放の様子です。
朝からの大雨と強風でヴェルニー公園の秋のローズフェスタも中止で、三笠公園での左翼団体のイベントも中止でしたが、みこしパレードは大雨の中神輿をビニールで覆って半分くらいの数でしょうか、決行していました。日猶同祖論ではないですが、基地に向かう神輿の行列はまるでシオンの丘を目指すユダヤ人の一行のようでもありました。
IMG_6981.jpgIMG_6982.jpgIMG_6986.jpg


まあひどい雨でしたが、面白いのはどちらの動画でも白黒の傘をさしている人がいる事でしょうか。なかなか意識している相変わらずの横須賀基地開放でしょうか。ピザ屋は相変わらず営業していましたが、私はサブウェイのローストビーフサンドを食べてなかなかボリュームがあっておいしかったです。
IMG_6983.jpgIMG_6984.jpgIMG_6985.jpg
フードコートにあった基地司令官の写真でしょうか。公式なイベントは全て中止になっているようでした。
IMG_6980.jpg
これはまあエドウィーナヒルという名前があったので撮ったのですね。
それで一応公演していたブラザーベントン・デッカーシアターでの第7艦隊音楽隊の公演のビデオです。

毎回こんなにサービス精神旺盛なのか分かりませんが、なかなかの内容でした。あいにくの雨で観客はこれから増えそうというところでしたが、第一部のみで第二部は中止になっていました。途中画面が曇っているのは雨の湿気のためです。

まあなかなか私的には面白かったのですが、担ぎ手が風邪をひいたりしないかが心配される所でしょうか。台風も再び近づいてきているようですが、前回台風の通過後の虹の写真をのせて災害無く台風が通過する事を願うばかりというところでしょうか。
IMG_6977.jpgIMG_6978.jpgIMG_6979.jpg
最後はなぜか全く違う快晴の日の三笠公園の写真です。
IMG_6971.jpg
2013-11-04 10:29 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
前回の横須賀みこしパレードからの最近では珍しい横須賀のイベントの報告です。
この直前の戦国大名とフリーメイスンリーのシンボリズムで最後に追記しましたが、どうも浦賀の市役所関係の方でガリバーと三浦按針についてをテーマとしてイベントを色々企画されている方がいらっしゃり、その方がガリバーファンタジーという、ガリバー上陸の地のザモスキと観音崎を関連付けてイベントとする活動をされているそうで、それを浦賀・鴨居地区で長く続けられていた観音崎灯台祭りやその周辺のイベントと最近は合わせているようで、またそれらが最近は観音崎灯台を建設したブラザーヴェルニーと結びついてこのブログの話もありフリーメイスンリーという事で米軍基地などとも結びつくという帰着を見たようで、そういう絡みもあって、ブラザージョナサン・スウィフトはカトリックのアイルランド出身という事も微妙に関係するのだと思いますが、そういう背景からか私も機会あって第11回観音崎フェスタという記念のイベントに参加する事となったようです。

まあ日本でフリーメイスンリー歴史学会でも行われるようになれば恐らく発表されるような遠大なテーマになるのだと思いますが、歴史考証が非常に大変になるでしょうね。明暦の大火で焼失した江戸城跡にフリーメイスンリーの象徴であるオベリスクが建設されるようになれば日本人の歴史観は変わるものかもしれないと思われます。

さて御近所の方はすぐに参加できるイベントであるとは思われるのですが、インターネットの過去の記事を読むと三万人以上が参加したとあり、基地開放並みという事なのですが、場所など考えてもそこまでの人ではないようですが、推定入場者と同じでそれでも毎回来場者は増えてきているという事で、非常に地元密着型のイベントでありまたかつ日本最初の洋式灯台やそうした江戸幕府開府にも繋がるようなイギリス人や誰でも知っているイギリスの空想小説との縁などまさにファンタジーなテーマが満載で、それでいて実際には村おこしの要素が強い、また微妙に基地問題も絡んでいたりしてプロテスタントとカトリックといった話も未だにあったりとするこの極東の地の最初の光の地の11回目の記念イベントの様子を報告します。
なんとフリーメイスンリー歴史学会に引き続いて動画メディアを多数活用してイベントの様子が詳しく分かるようになっていますので、このブログとしても今後の進歩や変化の方向性が試されるものとなっているかと思われます。
動画は基本的に風景のものは音をブラザーヨハン・シュトラウス二世のものやブラザードビュッシーのものに変更していますが、元々は通常の風景の音であり、乗船クルーズに関してはマイクでの風景の解説が入っていたのですが、解説の内容なども考慮して変更してあります。
IMG_6988.jpgIMG_6989.jpg
まずは近い所で走水神社ですね。最初に来た時から比べて鳥居が新しくなりました。相変わらず郷社ですが、まあさすがに古事記に書かれているからどうこうという時代ではないのでしょうね。

開会前の観音崎の様子です。あんなところでやるんだという感じでしょうかね。

これはちょっと長いですが、最初が一部切れているかと思いますが、開会式の様子です。市長や市議、商工会議所会頭などがみえています。海上保安部所長もいるようです。色々会の開催の経緯などもにじまれるなかなか面白い感じでしょうか。
IMG_6991.jpg
おもてなしと書かれた屋台の様子です。まあなかなかこの屋台の光景も横須賀独特のものなのでしょうね。
横須賀美術館も無料開放されていましたが、現代芸術家によるフリーメイスンリーを非常に意識した体験型の展示でした。率直に言って非常に迷走している感じが強かったですが、それもこれも地元の様々な意見を反映してのものだと思われました。恐らくストラスブール美術館展のようなものは今後来ないのではないでしょうか。

珍しく無料で開放している観音崎灯台からの眺めです。
IMG_6990.jpg
第二代灯台のコンクリート基礎も相変わらずありましたが、どうも第一代灯台のレンガがたくさんあったのでかなり回収してきました。近所の人が戻したのかもしれません。
IMG_6992.jpg
これは少し新しくなった看板です。せっかく新しくしても内容は変えないようです。
IMG_6993.jpg
アメリカ軍の軍艦も万国旗を掲げていましたが、どうも横須賀では万国旗を掲げるというのが何かお祭りの信号旗のようです。
IMG_6994.jpg
これは灯光会主催で灯台の絵の公募を行って優秀作品を表彰している様子です。横須賀海上保安部の所長が説明していましたが、11月1日着工で2月10日建設と言っていて、そこを間違えたら駄目だろと思いました。まあ色々内部でもあるのでしょうね。自衛隊とかでも色々あるのでしょうが、確かに海軍や陸軍の徽章がフリーメイスンリーのシンボリズムに則っていると知ったら戦前の発想であれば変更しようと思うでしょうね。なかなかシンボリズムも面白いです。
IMG_6995.jpg
で、東京湾交通センターの方を観に行くと台風で崩れた道があるそうです。やはり鎌倉などもそうですが、数か月いかないと色々なことが起きていたりします。

これはなかなか気持ちが良い所でしたね。相変わらず色々紙の模型など配っていましたが、少し以前より頑張っている感じでしたでしょうか。転勤の話をされたのはちょっと厳しいものがありました。
IMG_6996.jpg
観音崎の唯一のシンボルともいえる碇です。もちろん第一代灯台が残っていればそれ以上のものは無かったのでしょうが、それは現在海の藻屑です。美術館の螺旋階段もちょっとどうなんでしょうね。

これは非常にシュールな光景です。ピラミッドを前にして地元の方がソーラン音頭を演舞されています。ボーイスカウトのテントがあったのでちょっと解説しておきました。

動画が多くなりそうなので二つに分割します。
2013-11-04 11:13 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
まあちょっと内容的に単なる村おこしのイベントなんで恐縮なんですが、実際の日本のフリーメイスンリーの聖地を保存する運動と言えるかと思うので、かなり地元や関係者にとっては意味がある事という事で、動画でもやはり横須賀の事に関してのものは視聴回数が多かったり、ブログの内容でも地元の事が反応が大きいのは通常なので、最近特に大きなネタが無かった横須賀の話としてはかなりのイベントという事で動画もふんだんに使用した盛りだくさんとしています。しかしまあ基地外ロッジができれば良いかもしれませんが、それもまた相当維持していくのは大変そうなここ横須賀であります。
でまあ私は横須賀ではお気に入りのイタリアンの観音崎博物館の隣のマテリアで食事をして、思ったより色々イベントがたくさんだなあと思いつつ目の前のサブサブ会場でやっていた音楽に聞き入ります。実際ここが一番それっぽい、フリーメイスンリー関連ぽいんですが、どうもそれも色々あるようで、米軍か自衛隊のチヌークCH-47が上をちょうど通っていったりと何やら複雑な横須賀のイベントです。(チヌークは自衛隊でしょうかね。)

この前にはすぐ隣でジャズをやっていたようなのでそっちも気になったのですが、色々動画のキャパシティーの問題もありヘリなども気になり次の会場に移動しました。

これはメイン会場でやっていたアイドルグループの公演です。どうも某宗教団体の関連を思わせる事務所の親衛隊が付きっきりのようで、かなり異様な雰囲気でしたがわずかに来ていたアメリカ人には興味深いようでした。まあ親衛隊というのも給料とまでは行かなくとも何らかの特典や実費が出たりしているのでしょうね。




これは観音崎フェスタの際のみ運行されている観音崎灯台クルーズです。普段は猿島航路や汐入の軍港巡りを行っているトライアングルの船で運航されています。以前は猿島~観音崎航路もあったのですが、人気が無く中止となっていましたが、最近はまた猿島や軍港巡りが取り上げられる機会が増えたため観音崎浦賀間などでの航路の復活を考えているようでした。浦賀は旧住友造船のドックもあり、今後の運用がまだ決まっていないようで、横須賀市との関係も色々あるようです。明治期の産業文化遺産で九州の軍艦島などが世界遺産となるなどの関連もあるかと思います。久里浜の東京湾航路もやはり人気が無いようですが、黒船来航の土地であり、何らかのクルーズの形の観光や啓蒙のものは残しておきたいのかと思われます。解説は今回は全部音楽で消去しましたが、まあちょっと軍港巡りもそうですがアメリカ軍の圧倒的な力を見せるにはそういう日本びいきのような解説もいいのかと思いますが、開港や灯台建設の話などもう少し込み入った歴史の話についてはもう少し歴史に興味があるような方の解説が良いのではないかと思われました。三浦按針についても大河ドラマの話もあるようですが、やはり開国にまつわる話は日本の歴史話の主要なテーマでもあり、人々の注目も高いことから、もう少し色々内容を増やして膨らまして巡ると、より良いものとなるのかと思われました。私もガリバーファンタジーの方のホームページでカトリックと三浦按針でのキリストの水渡りの実演が浦賀で行われたなどは初めて知った興味深い話であり、東浦賀の隠れキリシタンの話など様々に聞いてはいましたが、なかなか話が繋がる面白いものであり、走水なども合わせて久里浜辺りまでそういう話をまとめると観光資源としては相当な価値があるのではないかと思われました。
ボストンレッドソックスの優勝パレードで水陸両用車の運行などもやっていましたが、ああいうのも一つの試みなのだと思われます。一泊二日や日帰りでも水陸両用車でも使って三浦半島一周ツアーで開国や軍港巡りを全て行えるとあればなかなかの充実したものとなりそうではないでしょうか。また汐入にもフランス洋館の再建や軍港記念館の構想などもあるという事で、ダ・ヴィンチ・コードではないですが、そうしたものをひとまとめにパッケージにして回れるとその後にもう一度来たいというリピーターやさらに詳しく調べたいとかそういう人が増える事かと思われます。
このブログもそういう意味での一助になればと思ってやっているわけですが、現在世界中で観光に関しては熾烈な都市間競争の時代であり、鎌倉の世界遺産申請の話などもありますが、東京湾は今後東京オリンピックも予定されており、自然環境の悪化は言われてはいますがまだまだ様々な要素がある恵まれた土地だと思われました。伊豆大島の台風被害もありましたが、そうした事とも連携していくのではないかと思われます。

(そういえば野田首相の際の観艦式の様子を出していませんでしたね。そういうのもあるのかと思われます。)
2013-11-10 21:23 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
まあちょっと色々あって、ブラザーデッカー司令長官の話もかなり昔の話のようですが、横須賀に対するインパクトはこれが一番あるかもしれないので最後までなんとか継続するよう頑張るつもりです。フリーメイスンリーについて基本的な事が理解されると横須賀基地司令官がフリーメイスンであることや、その人の仕事や業績がつまびらかに公開されるのは当然な訳ですが、それが日本人とどう関係あるのかというところで、横須賀においてはブラザーヴェルニーの業績や、ブラザーペリーの業績、フリーメイスンで無くともウィリアム・アダムスなどの業績などが正当に評価されるのと同じく、戦後の日本を統治した彼ら占領軍のフリーメイスンの業績が正当に評価されるためには、今日の日本の繁栄と平和を築いた礎が彼らに多くあるというところを考察する事は必要であり、開戦時の色々な経緯や開戦に至る様々な状況をとりあえず抜きにして、日本におけるフリーメイスンリーの正当な評価に繋がるものかと思います。真珠湾攻撃の経緯についてはとりあえずブラザーヘンリー・クラウゼンの日本語訳がある「真珠湾最後の真実」を読んで記事としたいかと思っています。ブラザークラウゼンは弁護士と共にスコティッシュライトのグランドコマンダーを務めた方であり、この真珠湾攻撃の調査を行った業績が認められているためとも考えられます。

今日でも日米の間では政府間の交渉やTPP問題、NSAによる情報収集問題などでも様々に利害関係が対立する状況が未だに存在しており、それらを考える際にフリーメイスンリーの活動や日米のフリーメイスンの様々な活動や意見は大いに状況を左右する重要なものかと思われますが、そもそも今日の国際化社会においても他国に滞在する外国人や外国人と接するその国の人は共に情報社会においては立場はスパイやそれらを認識しない情報伝達者であり、様々に個人の利害が絡む時代ではありますが、国際化社会において非常に価値が高く興味深いと考えられるのはやはり自国以外の他国の状況やその比較であり、そうした情報が最も価値が高く普遍性が強いとも考えられるものであり、そうした状況はフリーメイスンリーが発足してそのままそれらを取り扱うのがまさにフリーメイスンリーでもあったわけであり、国際化社会の中でさらにそうした価値のある情報を得られる繋がりというのがまさにフリーメイスンリーとなる相乗的な作用があると考えられ、基地問題があったり過去の歴史を抱えていながらさらにそれらを将来に生かそうとする横須賀の状況において、ブラザーデッカーの業績やフリーメイスンリーの活動について知っていく事は価値があることではないかと思われます。
このブログでは盛んにブラザーダン・ブラウンの著作であるダ・ヴィンチ・コードやロスト・シンボル、恐らくもうすぐ翻訳版が出るインフェルノについても取り上げる事になるかと思いますが、この方に関しても非常に名前の良く似たブラザードン・ブラウンという対日諜報を担当したCIAの前身のOSSで勤務した方の対日研究についてまとめたものが横浜開港資料館から出版されており、基本的にフリーメイスンリーについて紹介したり解説したりすることはそれがNSAの重点対策拠点である日本に対する基本的なアメリカの情報政策の一環であるという事も示されており、それがアメリカの建国から刻まれたシンボリズムの宿命でもあり、またそれが基地問題と呼ばれるような今日の日米摩擦を生じる根底に存在する基本命題でもあり、それらを知ることはすなわちフリーメイスンリーについて知ることとイコールでもあるという事があるかと思います。
まあそういうわけで第四章を解説していくわけですが、前回にも解説した通り、この後はほぼ性病の撲滅の話以外はほとんどブラザーデッカーの業績披露やパーティーなどの楽しい思い出の披露というところで、特に第四章は防空壕でキノコを栽培して、えらくそれをブラザーデッカーが良いアイディアと考えて何度も触れたりしているという、中小企業のカリスマ経営者という感じのなんともありきたりの話であったりと、やや幻滅するような話ではありますが、まあ基本的にはフリーメイスンも様々な要素がありますがそれほど何でもスーパーマンではなく一芸に秀でる事はあるわけですが、普通の人であるという事の証明でもあるのかなと思います。それでは解説に入っていきます。

最初は副題が入っていませんが、いわゆる通常の基地司令官の業務です。港湾に残された船の残骸を引き上げて回収し、港湾の通常機能を回復するという事です。もちろんブラザーデッカー司令長官はその仕事だけやっていたのではこうして回想録を書くことはありません。
DSC03478_R_20130713225847.jpg
次の副題はクレーン、ドック、道路です。その後にも長きに渡って横須賀の象徴ともして残されたガントリークレーンやその他の基地内のクレーンの話です。ブラザーデッカー司令長官は基本的にリサイクルを旨とする方針でなんでも事に当たります。クレーンは現在も空母の横に大型のクレーンがあったり、また昭和20年製としての産業遺物になるようなものが浦賀ドックの脇にあったりします。まああまり一般人が興味あるものではないかもしれません。ドックも完全再利用します。もちろん国宝級のブラザーヴェルニーが建築したドックも現在まで利用されています。後は日本人作業者を積極的に活用したそうです。単純作業に関してはほぼ日本人を使って行い、食糧の配給が最も喜ばれたという話になっています。回天や特殊潜航艇の話があり、それを展示した話が載っています。
2013071323245452d.jpg
防空壕でキノコ栽培です。上述した話です。現在米軍基地に入ると非常に目立つコンクリで入り口をふさいだ防空壕跡がありますが、それらの一部を最初は観光名所として公開し、その後キノコ栽培に使ったそうです。防空壕の解説があり、慰安婦の部屋まであったと書いてあります。
e0176922_23224518.jpg
三つの発電所。基地内にあった発電所を中国に賠償で送ったそうです。基本的にブラザーデッカー司令長官は反共の姿勢が明確なので共産化しつつあった中国を支援するような動き全てに否定的です。日本に条件を付けたり指導しながら返還していくのが良いというのが基本姿勢です。大和や武蔵の補充用の砲やこれらの大砲を作る機械の処分の経過について詳説しています。やはり軍艦の艦長だったので基本的には日本海軍の当時の軍艦建造技術や飛行機製造技術に非常に関心が高いのですね。当時の米軍がそれらを中国に渡してしまったり爆破してしまうのを非常に残念がっています。追浜の風洞などはほとんど破壊してしまったそうですが、一つだけマッハ1.1のものをブラザーデッカー司令長官の判断で残してそれが約一年後にアメリカの大学が教育用に引き取ったそうです。まあ効率はともかくとしてブラザーデッカー司令長官のリサイクル精神は戦時の司令長官の当然必要な資質であり、賞讃されるものであり、そのためにも保存しておいた風洞は再利用する必要があったという事でしょう。
history01_2.jpg
エドウィーナヒル。これは基地に入るとすぐに目につく中央の丘ですが、名前を付けたそうです。
IMG_6980_20131110205126f1e.jpg
ヨットクラブ。ブラザージョージ・アイ・パーディーの話でもありましたが、やはり駐留海軍基地では必ずヨットクラブが設立されるようです。マーガレット・ウォーカーという方が設立に尽力したそうです。
2292 Fuji 40 photo
第31海兵隊航空戦闘軍の帰国と松根油。追浜から左記の軍が撤退して、追浜飛行場が不要になったそうです。松の根から日本軍がガソリンを作っていたそうです。バイオエタノールの先駆けですね。放置したガソリンを混ぜて使って再利用したそうです。追浜飛行場を陸軍が車の修理場に使うために希望したので、代わりにブラザーデッカー司令長官は厚木飛行場を希望したそうです。その後厚木飛行場は海軍基地になったのでしょうかね。
1298494041.jpg
日本一のPX。PXは日用品販売所で、横須賀基地が日本の基地で一番品数も品ぞろえも良いものにしたという話です。スーパーマーケットの経営みたいな話でしょうか。香港で買い出ししてきたそうです。こうした際の仕入れにも劣悪品をまとめ買いさせるシステムがあったのを直接交渉して個別に仕入れられるようにしたそうです。その際に参謀長ビル・カーテン大佐の忠告に従ったとのことで、この方も恐らくフリーメイスンなのでしょうね。アルゼンチンから食肉を大量に引き取る話が非常にまたブラザーデッカー司令長官を象徴する話でしょうか。陸軍と一緒にローストビーフ用の肉とハンバーガー用の肉を1トンずつ抱き合わせで輸入したそうですが、途中で口蹄疫の情報があり陸軍がビビってしまって全部をブラザーデッカー司令長官が引き取ったそうですが、ハンバーガー用の肉が余ってしまってEMクラブでダンスを一緒に踊ってくれる日本人女性にコカコーラとセットで食べさせるようにしたという事です。まあこういうのが後々の横須賀に50年以上に渡って禍根を残すことになった原因なわけです。
blog_import_4f66bbb29888c.jpg
クリスマスプレゼント。倉庫に陸軍のPXのユニットからの売れ残り品がたくさんあったのでクリスマスプレゼントとして放出したという、いわゆる米軍の放出品というやつです。もちろん海軍のものもあったのは上記のハンバーガーの話でも同様かと思われます。日本人に無料であげて非常に好評であったようです。こうしたPXのユニットで売れた売上の儲けをワシントンが直接送るように指示があったのに20万ドルだけ前任者分までを送って、ブラザーデッカー司令長官の時代の売り上げは全部横須賀基地で独自採算で儲け分を基地の福利厚生に使用したそうです。ワシントンが利益率を14-15%に引き上げるよう指示があっても4%に維持したそうです。まるでフランチャイズチェーン店の店長が中央の指示を無視して売り上げを上げているようなものでしょうか。離任後にそのシステムは全て戻されたそうです。押しの大佐という事で、時にブラザーマッカーサーの名前を使い、時に海軍の名前を使って押し通したそうです。こうした姿勢はその後の横須賀の悪い部分を助長した面もあるのでしょうね。結果的に中央公園の焼け出された市民病院の跡地に胸像が移されたのが象徴的であるかもしれません。その横に立つのが核兵器廃絶と平和都市宣言のモニュメントというのも皮肉を通り越して現在の小泉さんの主張に通じるものでもあるのでしょう。まあやはりそういうのは最終的には中央の評価や歴史的に評価されるものではないのでしょうね。
米軍放出品
鯨を食用に。吾妻島の重油タンクからの油の盗用について話しています。現在長浦の自衛隊基地として利用されている区域だと思われます。田浦の冷蔵倉庫を捕鯨業者に払い下げた話が書かれています。田浦は教会もあるのでそうした捕鯨業者は恐らくその後の大洋ホエールズの親会社である鯨の大和煮の大洋漁業やマルハだと思われます。ブラザーデッカー司令長官は捕鯨と鯨の解体について興味が無かったようです。恐らくメルビルの白鯨の影響などで捕鯨はキリスト教関係者にとっては日本の興味深い習慣であったようです。牛や豚を食用としなかった日本人の鯨食の習慣はキリスト教的価値観からは明らかに野蛮の範疇であったのでしょうが、捕鯨で鯨食せず油のみを取って捨てていて太平洋を渡って日本に来た経過のアメリカ人宣教師にとって日本人の捕鯨と鯨食のあますことない食習慣は明らかに合理性を認めたのだと思われます。
ajisai_006021 _2
劣悪な電話システム。日本の電話システムについて文句を言っています。まあ現在も大して変わらないようです。それはまた一方でアメリカが必要としたシステムでもあるのでしょう。栄光学園のフォス神父、恐らくイエズス会宣教師でフリーメイスンであった彼が基地内の不要な電線を撤去して校舎改築費用とした際に、基地司令官のわざわざ敷設した電線を切ってしまったそうです。また戸塚の無線基地へのケーブルも切断されたそうです。当時のOSSや後のNSAに繋がるフリーメイスンリー絡みのの典型的な話だと思われます。沖縄から持ってきたアスファルトを利用して基地内の道路を舗装したそうです。舗装した少尉の名前でルドヴィッチ通りと名付けたそうです。
photo_5.jpg
石炭不足、「そなえよ つねに」。恐らくブラザーデッカー司令長官はボーイスカウトの経験があるのでしょうね。石炭市場での買占めに成功したそうです。ちょっと意味が違う気がします。上司のグリフィン中将宅でパーティーの際に石炭不足になった時に迅速に石炭を届けたそうです。旧友の補給部隊司令長官などが視察に来たりしています。明らかに中央の評価を気にし始めますが、なんと回想録でも日本軍の節約精神と補給が全くないシステムを批判したりしています。その上明らかにブラザーデッカー司令長官の行動規範が社会主義システムであり共産主義的なのですが、徹底した反共的な姿勢で日本を批判したりほめたりと明らかに矛盾しており、それで評価がされずに昇進できないことを上司に訴える手紙を出したという内容が書かれています。まあなんというかブラザーデッカー司令長官を適材適所に配置するアメリカ軍のシステムが明らかに賞讃に価するのでしょうね。まあ手紙からは基地司令官を楽しんではいるが、恐らくその代わりとなる人材がいないことを見越して昇進を引き出そうとしている手紙を送っています。なんとも横須賀基地司令官の職自体がある種の特殊な職務であり誰もが希望する職ではないことを明らかに示した手紙かと思われます。
4133584-pile-of-coal-texture-background.jpg
少将への昇進はお預け。これらの手前味噌の評価をものともせず希望の少将選抜に失敗したそうです。というか、恐らく業績をあげたからそのまま基地司令官を続けてほしくてニンジンをお預けしたのでしょうね。ブラザーマッカーサー元帥の「私の指揮下で任務を遂行すると命取りとなる」という警告は非常に皮肉的で状況を冷静に分析しており、アメリカのフリーメイスンの軍人の見識の高さを表すものかと思われます。現在まで続く日本人のブラザーマッカーサー元帥に対する評価はまさにその通りなのだと思われます。なかなかの名言ですね。その後の朝鮮戦争と満州への原爆の使用を主張して解任されるのは明らかに必然であったのでしょうね。なかなかフリーメイスンリーもなんとも。まさに予定説の世界です。ブラザーデッカー司令長官は念願であった少将への昇進に失敗して非常にがっくりしますが、横須賀での仕事には満足していてそれが続けられることが喜びであると綴っています。その後はさらに細かい基地の改善策について上層部に要請する手紙を出しています。昇進ができなかった代わりに予算を多く要求して通ったという事です。なかなか組織も厳しいですねえ。
rearadmiral.png
住宅不足に陸軍が譲歩。戦後すぐは鎌倉に住んでいた基地の兵士を基地内に住まわせるようにするために住宅を作ったそうです。徐々に現在の基地問題に近づいてきます。その際にも陸軍と条件や引き延ばしで色々駆け引きがあったそうです。まさに戦後なのでしょうね。
img1.jpg
日本刀300振りを没収。ちょっと昇進ができなくなってから乱暴になりましたかね。没収した日本刀を贈り物としたり、鎌倉での刀剣作りの見学を通してちょっと日本文化に興味が出てくる感じとなってきます。突然刀の詳細な作り方を表記して賞讃したりしています。通常の基地司令官の仕事に蹴りがついたので徐々にフリーメイスンっぽい仕事にウェイトがかかってきているのですね。突然内容もブラザーキップリングのような内容となってきています。このブログでもブラザーキップリングの日本探訪記を読み終えたら記事としたいかと思います。二人の元日本人大将と一緒に刀の試し切りを勧められて、それら二人の様子に違和感を覚えたそうですが、まあむしろブラザーデッカー司令長官が異質であるという演出であったのでしょうね。まさに鎌倉っぽい話ではあります。戦後60年たっても状況はあまり変わらないようです。
ls12.jpg

さてまあ当初より大分勢いが無くなって来たこのシリーズのようですが、まあ大体細かいところを省略し始めています。何度も言うとおり数千円の本なので是非購入して読んでみてください。産業まつりや自衛隊の観艦式の話などもありますが、まあそれらも書くかどうかは今後の流れだと思います。気付かれた人もいるかもしれませんが、ヘッダーからは日章旗と靖国神社と皇居東御苑と首相官邸の写真を削除しています。日章旗ももちろんデザイン的にフリーメイスンリーのシンボルとはなりますが、歴史的経過は明らかにフリーメイスンリーのものではありません。また靖国神社や皇居東御苑と首相官邸のラフアシュラーも明らかにフリーメイスンリーを象徴するものではありません。
2013-12-07 21:42 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
まあいろいろ横須賀の状況もあってだと思うんですが、空母ジョージ・ワシントンも長い航海訓練から戻ってきて73の艦番号を光らせている状況ですが、私自身色々あってどうやら横須賀から転居する事になりそうなので、早めに恐らく横須賀の最後の話題になりそうなこのブラザーデッカー司令長官の回想録の記事を書き上げることとします。全部で15章あるので残り10章とあとがきと言う事になるかと思います。アメリカの州章も後30以上あるようなのでなかなか長い道のりです。スコットランドのフリーメイスンリー歴史学会の写真は終わりですが、アブストラクトの翻訳は30以上ありそうです。後はアンダーソン憲章は全く進んでいないのと、モラルアンドドグマでしょうかね。

まあ気を取り直してブラザーデッカーの回想録です。
第五章の題名は日本国を繁栄に導くマッカーサーです。

最初の副題はソ連軍の北海道占領を阻止です。基本的にこの章はブラザーマッカーサーを賛美する内容なわけですが、実際ブラザーデッカーの本心がどこにあったかはちょっと不明です。そもそも書き出しで太平洋戦争の途中でアメリカ海軍と陸軍の間で恐らく日本の敗戦後の占領政策を視野に入れてだと思うのですが、ブラザーマッカーサーを中傷するような情報がありそれを信じてしまってかなり基地司令官としてブラザーマッカーサーの指揮下に入る時もやや疑問をもっていたところがあったそうです。恐らく占領後の陸軍と海軍の縄張り争いやそれを意識した文章を読む限り、ブラザーデッカーのブラザーマッカーサーだけを特に陸軍の中で神格化して特別扱いする姿勢はフリーメイスンとしての特別な友愛の精神と共に、この後でてきますがブラザーマッカーサーが33階級保持者でその後恐らくレジオンドヌール勲章と共にスコティッシュライトの大十字章、the Grand Cross of the Court of Honorを受章しているからとも考えられます。まあここでのブラザーデッカーの話はブラザーマッカーサーがソ連の日本統治を拒否したので日本が共産化しなかったという話なのですが、細かく見るとブラザーマッカーサーはソ連の日本統治を拒否したわけではなく、日本に来ても結局ブラザーマッカーサーの傘下に入れるよという通告をした結果ソ連が日本統治に参加しなかったというわけで、これは要するにマルタ会談やヤルタ会談で話がついていてそれ以上の事をソ連がしなかったというだけの話であるかと思われます。
douglas-macarthur.jpgMacArthur, Douglas 2
次の副題はマッカーサーをチャーチルが絶賛です。ブラザーマッカーサーの日本占領での民主化政策を賞讃し、それをブラザーチャーチルが賞讃していた事について触れています。ブラザーペリーの開国の経緯にも重ね合わせて容姿やその公平な態度について触れています。昼寝の習慣についても述べています。知らない人にはシャイでもあったそうです。ブラザーデッカーが直接何度もブラザーマッカーサーとあった際に聞いた日本本土決戦の計画について触れています。まあ言うほど親しいわけではなかったというのが何となくわかります。日本本土上陸作戦はあったのは分かりますが、それ以前の原爆投下と終戦の経過を考えるとそれはまああくまで計画であったという事は分かるかと思いますし、それを実際戦ったブラザーデッカーやブラザーマッカーサーはそれを十分理解していてそういう会話をしているわけで、まあなんともフリーメイスン同士の会話と言う事かと思われます。九州の上陸作戦はうまくいったとしてもなんと九州の火山の噴火で作戦がストップしたであろうという事でした。昭和20年の九州の噴火と言うと桜島の噴火であるようです。上陸予定日は11月1日であったそうです。関東では大規模な戦闘になっていれば被害も相当なものになっていたという事です。ウィキペディアによれば第二次世界大戦史上最大の被害になっていたという事です。まあ実際原爆が無かったらそうなっていたんでしょうね。沖縄戦自体がそういう自体を想定したまた陸軍の活動を見せる場でもあったのでしょうね。実際太平洋戦争自体がミッドウェー海戦の時点でほぼ終結していたという考え方は主流であるかと思われ、また真珠湾攻撃を行った時点で日本の敗戦が決まっていたというのはこのブログで後に解説するブラザークラウゼンの回想録を読むまでもなく、フリーメイスンリーについてある程度知識があれば理解できるかと思われます。まあこういう仮定の可能性のレベルで語り合ってるのが陸海軍のフリーメイスンであったという事でしょうか。
779px-Operation_Downfall_-_Map.jpg
次の副題は昼食会に何度も招かれるです。昼食会でのブラザーマッカーサーの様子です。どうもブラザーデッカーはパーティーでの人の様子を観察したり人を評価するのが得意であるようなので、その延長で仔細にブラザーマッカーサーを観察していた様子が伺えます。ロシア人についてのコメントがありますが、どうもその言葉を取り上げるのは複雑な意図が含まれているようです。ブラザーマッカーサーと国務省のブラザーディーン・アチソンとの間での意見の対立があったことも伺わせます。これは後にブラザートルーマン大統領によるブラザーマッカーサーの罷免にも繋がる伏線であったようです。ブラザーデッカーは日本の降伏前に海軍省で連合国最高司令官が天皇の地位について決定するようにお膳立てする文書を作成していたそうです。この辺りがオランダからの家系であったブラザーデッカーのポジションなのかもしれません。飛行機事故で死亡したブラザージョージ・アッチソンがブラザーマッカーサー元帥の政治顧問で対日理事会の議長を務める手はずになっていたという事です。どうもわざわざ強調しているところを見るとこのブラザージョージ・アッチソンの事故にブラザートルーマンとブラザーディーン・アチソンが関係している事を暗示しているようです。
Old-Soldier-Looks-Back_sm.jpgDoug3.jpghirohito1.jpg
マッカーサーにフランスの大十字章(エドウィーナに交代)とあります。なぜここでエドウィーナに交代なのかというところですが、恐らくブラザーマッカーサーがレジオンドヌール大十字章を受章したという事で、同時にスコティッシュライトの大十字章も共に受章したなど推測され、色々とその辺りにこだわりのあったブラザーデッカーは書くことを控えたのかもしれません。授与を行ったのが12月14日と言う事で実はこの日も重要な日なのですが、後でブログの記事として書くこととします。ペシコフ将軍が授与したそうですが、恐らくペシコフ将軍もスコティッシュライトの33階級なのだと思われます。このブラザーペシコフも検索するとどうもすごい経歴の方でそもそも帝政ロシアでユダヤ人として生まれ、ボルシェビキの中心人物でニコライ二世の処刑を指導した軍事革命委員会に参加して指導し、その後国家元首にあたる全ロシア中央執行委員会議長に選出されたヤーコフ・スヴェルドロフの兄だそうで、ロシアの作家のマクシム・ゴーリーキーと家族ぐるみで親しく、ロシアでユダヤ人に対する制限が強まった際に東方正教会に改宗して改名し、カナダに移住してその後フランス軍に志願して第一次世界大戦で右手を失い、その後フランスの大使として世界中を周り、第二次世界大戦中は自由フランス軍の一員として活動し、駐日大使となってからは戦後の台湾の蒋介石との交渉を行ったりしたそうです。グラントリアンの超大物と言う感じでしょうか。パリの東方正教会のロシア人墓地に葬られているそうです。右手を失っているなどまさにロスト・シンボルと同じ見えざる神の手のシンボリズムを体現したようなブラザーであったようです。横須賀の聖ヨゼフ病院を設立したブルトン司教に勲章を授与していたのもこのブラザーペシコフであったと思われ、その後ブルトン司教が癌で亡くなったりしたのも繋がる事かと思われます。まあなかなかこの辺りはすごいですね。ブラザーペシコフの子孫の方が作ったブログがありました。結局ブラザーレーニンもブラザーヤーコフ・スヴェルドロフもブラザーペシコフもブラザーゴーリキーもブラザーマーク・トウェインもフリーメイスンやユダヤ系と言う事で繋がっているのですね。
200px-Peshkov-Gorkij.jpg
真中がブラザーペシコフでジノビーと言ったそうです。左がブラザーゴーリキーです。
zinovy_gorky_lenin_playingchess1908[1] (2)
これは合成写真のようです。上記のブログにあったものなのですが、後ろのブラザーペシコフが合成だそうです。ブラザーペシコフとブラザーレーニンとが一緒に写った写真は無いようですが、まあ繋がりはあったのでしょうね。
Zinovi_Pechkoff.jpg
これはブラザーペシコフの写真です。
leninunkleyakov1918celebration.jpg
ブラザーレーニンと、ブラザーヤーコフ・スヴェルドロフとブラザートロツキーの写真です。合成ではなさそうです。
zinovyandmarktwainjune1906.jpg
ブラザーペシコフとブラザーゴーリキーとブラザーマーク・トウェインの写真です。
ZinoviPechkoff.jpgzinovi pechkoff ambassador
ブラザーペシコフの写真です。いかにもスコティッシュライト32階級の帽子のようですが、どうも当時の自由フランス国の制帽であるようです。まあ恐らくスコティッシュライト33階級なんでしょうね。右もブラザーペシコフの最後に残った写真だそうです。
33gc-cap.jpg33gc-jewel.jpggr_cross.png320_11372_lh_grand.jpg
スコティッシュライトの大十字章とレジオンドヌール勲章の大十字章です。まあ御存じのとおりどちらも似たようなものであるという事です。
2014-01-01 00:09 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
新年の 光るフラッシュ 薔薇の如し
三か所の 重なる花火 儚けり
薄明かり ヴェルニーの星 囁けり

写真はありません。
2015-03-29 07:00 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
交響曲ではないですが、一旦復活の数字8、八正道の8で終わっていたようにみえた三笠公園の謎の第9です。
第9といえばブラザーベートーヴェンの合唱付きが有名ですがその他も私も横浜で聞いたブラザーブルックナーの9番、ブラザーシューベルトの9番、ブラザードヴォルザークの9番、ブラザーマーラーの9番、そして一番直近に紹介しているブラザーヴォーン・ウィリアムズの9番がそれぞれ最期の交響曲でそれぞれ傑作として知られているのかと思いますが、いわゆる交響曲9番のジンクスのような感じですが、9という数字に意味を持たせたのもまた3×3の因数分解からくる数秘術由来なのだと思いますが、月日では12か月の中で9月がどうもユダヤ教の新年にあたるということもあるようで、まあ因数分解、数学が大事だということで、言い換えると代数幾何、幾何学が大事ということでそれはすなわちGeometryとGodが大事であるということで、神聖なる数字ということになるようです。
まあ八紘一宇や8ではなかなかフリーメイスンリー的ではないということでしょう。

そういうわけで明らかに現在の政治状況や政治家の認識に関係あるような三笠公園の謎シリーズの復活なわけですが、それは果たして最大にして最高の謎、明らかに見えていながら誰もが気づかない謎なわけですがそれは何でしょうか?

それは三笠公園が実はブラザーマッカーサー記念公園であるということなのですね。
マッカーサーと三笠の駄洒落なわけです。一席落ちたでしょうか。
憲法第9条の理念とブラザーマッカーサー元帥の信念、それは戦後日本の中で一致して横須賀の三笠公園に残されているわけです。それで虹のアーチがあり、33度の円弧があり、そして三つのブラザージョージ・ワシントンのエプロンにある虹が繰り返されているわけです。それはやはり現在の今上天皇陛下の誕生日となり、そして皇太子殿下の誕生日になるわけです。

そもそも戦艦三笠の命名やイギリスからの発注の時点でそういうことになるわけなんでしょうね。東郷平八郎元帥のポーツマスの留学の話のようでもあります。マッカーサーの名前もアーサーの息子という意味で、アーサー王の円卓の騎士伝説ともつながる、エディンバラのArthur's Seatアーサー王の椅子にもつながる、まさにイギリス、スコットランドを象徴する名前でもあるのでしょう。
IMG_0070.jpgimages_2015032906582063b.jpgshrinemac.jpgkissmac.jpgimages7A2SXDOA.jpg
Douglas-MacArthur-Hero-H.jpeg17_05585843.jpgdouglas-macarthur-and-syngman-rhee-P.jpeg
本日平成27年3月29日日曜日は横須賀基地のスプリングフェスタということで、天気予報とは異なり絶好のお花見日和となっています。新生日本の新生横須賀の姿を見てはいかがでしょうか。
(追記:三笠の山を模した山もアーサーズシートをイメージした感じでしょうか。三笠公園がエディンバラだと思うと楽しい感じでしょうか。そんな感じがアメリカでありスコティッシュライトです。)
(追記:ブラザーダグラス・マッカーサー元帥は第一次世界大戦にレインボー師団と命名された各州から人員を集めた師団を率いて参戦したそうです。まさにブラザージョージ・ワシントンのロイヤルアーチメイスンリーから引き継がれた、レインボーの象徴です。ロイヤルアークマリナーズという位階もイングランド本国ではあるそうです。まさに上位位階の学習、ヨークライトの位階です。)
(追記:ロサンゼルスにはマッカーサー公園という公園があるそうです。まさに三笠公園の噴水などを彷彿とさせる様子です。
MacArthurParkLA.jpgMacArthur_Park_Lake.jpgMacArthur_Park_Memorial.jpg
まあ米軍がもちろんこの公園を意識して作らせたことは言うまでもないわけですが、この公園に関しては歌もあり、日本人もカバーしていたりしています。

まあ確かにマッカーサーパークのところは三笠パークに聞こえないこともない感じになっています。三笠公園の整備にはフリーメイスンかどうかは微妙ですが、ニミッツ提督も関わっているとのことで、スコットランド、ドイツとアメリカらしい多地域の出身者の国際的な話になるようです。)
2015-07-11 14:25 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
この国に ブラザーペリーの 光あれ
2015-07-11 18:12 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
2015-11-29 16:38 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
2015-12-13 17:56 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
IMG_1400.jpg
2015-12-14 19:48 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
前回のブラザーデッカーの回想録の内容からは2年空いての今回のブログとなるわけですが、どうも私自身横須賀から湯河原に引っ越すことになった直接的な原因がもしかするとこのブラザーデッカーの回想録についてのブログの内容なのではないかと思うほど、ここからの内容は現代の横須賀にも日本全体にも、フリーメイスンリーにも影響を与えるであろう内容であるかと思われ、まあ逆に言うとその位の気持ちで書評ではありますが細かく書いていこうと思って、2年のブランクを埋めて、日本のフリーメイスンリーのブログとして完成を目指したいと思います。

内容的にはかなり落ち着いて横須賀の運営を楽しみ始めた状況のブラザーデッカーの回想録の第六章の副題は日々の出来事です。
最初の章の副題は子供の悪さです。ウォルター・グレー中佐夫妻の子供が暖房用の配管工事に来た職人に意地悪をして非常に気まずい状況になった話です。結局子供に謝罪させて事なきを得たようですが、現在も引き続くであろう決定的な人種差別の要素と敗戦国と戦勝国の差別観の事例であるかと思われます。もちろんその後は問題なく職人は働いてくれたということと、日本製のパラボラアンテナを使った睡蓮の池というまあ非常になんとも言い難い庭の造型がなされたというエドウィーナ夫人の表現がありました。まあなんとも異文化と異人種の接点にありがちな細かい配慮の機微の欠如という事かもしれませんが、その後のエドウィーナ夫人の長寿を考えるとそういう事とは無縁の生き方が実は大事という事かもしれません。
o0800059811431764743.jpg
やくざを収監です。横須賀といえばやくざというのは住んでみて感じる実態でもあるわけですが、そういう文化はブラザーヴェルニーによるドック建設以来の歴史であるようです。ブラザーデッカーがやくざの用心棒代を巻き上げるやり方に気付いてやくざについて規制をかけようとして結局家に侵入されてテーブルクロスなどを盗まれて脅されたという話です。露天商とやくざの関係など、現在も続く基地開放時や各種イベントの際の露天商の多さなどからも、ハタ一家と表現されていますが、恐らくその流れはそのまま残っているものかと思われます。県知事や県の幹部たちがやってきて、ハタ一家の親分のハタが県警の部長のうちの一人で、彼が軍需産業や海軍工廠の労働力の確保に尽力していて彼がいなくなれば他の中小のやくざが出てきて統制できなくなるという事を伝えますが、ブラザーデッカーが彼を刑務所に送ったという事でした。これはまさに現在の横須賀の小泉さん一族の立場を明確に示唆する話であるかと思われます。まあそういう関係がまさに聖ヨゼフ病院坂下のヤクザの事務所に象徴される横須賀であるかと思われます。ブラザーヴェルニーのドックは実はそういう象徴でもあるわけです。戦後のこの時代には元逓信大臣の小泉又次郎さんは公職追放を受けて金沢八景にある料亭千代本で起居しており、恐らく愛妾と共に毎日山海の珍味を食べながらこれらの指示を地元の親分たちと相談しながら行っていたものと思われますが、ブラザーデッカーの回想録には一切出てきません。もちろんそれらは小泉進次郎君がこの本の出版に賛同している経緯などからもいわゆるフリーメイスンリーの秘密になるものかと思われます。それはつまり小泉純一郎が自民党の総裁となり安定した政権運営で長期政権を維持したということからも、横須賀の状況はつまり日本全体の縮図でもあるわけです。
稲川会旭日章54d69b656a61aefc9d890455c31dc4f7.jpgKoizumi_family.jpg
次の副題はメリーランド州に似た秋です。エドウィーナ夫人が書いているのですが、基地内の高官用宿舎を建築する丘を無用の丘ととりあえず名付けたという話です。後にエドウィーナヒルと名前が付いているかと思いますが、こういうのがエドウィーナ夫人の懐の深さと長寿の秘訣と思われます。東京であった昼食会の様子などが書かれていますが、出席者が明確にえがかれていることから、全員フリーメイスンであるという事なのだと思われます。恐らくエドウィーナ夫人はイースタンスターの活動には熱心ではなかったようです。
november-gold-autumn-6980496.jpg
皇居見学。皇居に招待されて天皇陛下のコレクションなどを拝観していった事が描かれています。恐らくその当時の昭和天皇の実際の状況を忠実に表記した貴重な記録と思われます。東京大空襲の際に皇居の一部が焼失した経緯について米軍は意図的ではなかったと非常に申し訳なさそうに表記されているのが、戦争の経緯や空襲の経緯が非常に明確に表現されている印象でしょうか。
002ea5a2-s.jpg
ベルサイユ宮殿を模した赤坂離宮。この次もなかなか過激です。この本以外でこの当時の皇室の生活を赤裸々に表現している書物は恐らく日本国内ではないかと思われます。当時の天皇家が完全に西洋風の、しかもフランス王室並みの生活をしていた事が赤裸々に描かれています。敗戦後最初の総理大臣はフランス帰りのブラザー東久邇宮殿下であったわけですが、まあ開戦から終戦までの経緯とその後の東京裁判なども合わせて、是非日本人すべてが知っておくべき記録がこのブラザーデッカーのこの記録なのではないかと思われます。赤坂離宮は現在は迎賓館として改装され、国宝の指定を受けているそうです。
bgei09-11.jpg
シャワー室は未完成。司令長官室のシャワー室の構造を日本人職人が作ることができず、試行錯誤する様子が描かれます。当時は日本の職人が誰ひとり西洋式のシャワーや入浴を理解していなかったため、シャワー室の浴槽にのみ排水孔を作るという概念が無かったという事でした。日本人が欧米を旅して最初に感じるのが今でもいわゆる日本式の風呂が無いことであろう事と時代は流れても変わらない事なのではないでしょうか。
bathroom-antique.jpg
三浦按針。海軍の日のイベントに合わせて、作家と一緒に安針塚を訪問してウィリアム・アダムスに関するエピソードを学習する様が描かれます。三浦按針の屋敷跡が神社になっていて、戦時中に破壊されてしまったと書かれています。現在の公園内の建物の辺りでしょうか。戦時中で歴史の断絶があったとしても、確実にウィリアム・アダムスの血は横須賀の逸見の地に残り、現在も受け継がれているようです。私の考えるに最初に日本に住んだ最もフリーメイスンに近い存在であると思います。過去のブログも参照してください。
k1623903551.jpg
猿島探検。最近も最も横須賀で観光地としてアピールされている猿島ですが、当時から興味深い場所であったようです。ブラザーペリーはペリーアイランドと命名したこともあるそうで、わたしなどは両名併記したら良いのではないかと思いますが、まあなかなか横須賀の事情があるかと思い、ブログに私見として記すのみとします。また私見ですがオベリスクを建設したら観光資源としてもシンボルとしても非常に良いのではと思ったりしましたが、もう横須賀から離れた人間としてなかなか僭越な事ではあります。
1237868403_photo.jpgDPP_0038-600x399.jpg
旧前田侯爵邸。東京の旧前田侯爵邸でパーティーをした話があります。GHQが接収まではしていないが、借り受けてパーティーなどに使用していたようです。東大の近くでしょうか。現在の駒場公園内に残されているそうで、重要文化財の申請中だそうです。鎌倉にも前田侯爵家の方が鎌倉文学館のバラ園を管理されていると聞いていますが、これらも関係があるのかもしれません。最後に駐日ソ連大使とそれと一緒の上席通訳(大使を監視する人民委員)と会ったエピソードが盛り込まれています。この辺り、現在の中国などと共通だなあと感心するような部分と、当時の東西冷戦真っただ中の時代のグラントリアン由来のソ連との関係が垣間見えるエピソードかと思われます。
img_1.jpg
トヨペットと多治見製作所。ブラザーデッカーの産業振興策で旧日本軍の軍需工場を払い下げてそれらが後にトヨペットと多治見製作所の元となったという話です。まあとにかくブラザーデッカーの業績を挙げればきりが無いほどで、それはブラザーマッカーサーと並ぶほどであるという事が、日本グランドロッジの銘板からも分かるわけです。多治見製作所はその後どの企業に吸収されたかは不明ですが、検索すると多治見一郎氏は海軍工廠史を出版し、ロータリークラブ会員となられているようです。
10060_logo.gif
壮観な2千人のちょうちん行列。1946年10月19日の日に横須賀市民祭のパレードでちょうちん行列が賑わっていたエピソードが描かれます。まさに一昨年も同日にみこしパレードがありましたが、その原型がこのお祭りであったようです。一方で同じ日にエドウィーナ夫人がクリスマスの祝祭企画会議を行っていたのがまた印象的に描かれています。
f0044370_21315375.jpg
マッカーサー元帥夫妻主催の午餐会。この辺りはエドウィーナ夫人が書いているのですが、ブラザーマッカーサーについてブラザーデッカーが直接書くことは微妙に避けているニュアンスがあるところが、またこのフリーメイスン同士の関係と、夫婦の微妙な役割分担でもあり興味深いところでもあります。微妙な日本文化のコレクションの表現と、ブラザーマッカーサーが昼食後に昼寝の習慣があることが描かれていて、なかなか激務と実際のそれらへの対応の仕方が分かる所ではないかと思われます。
800px-MacArthur-family.jpg
エドウィーナ和服に挑戦。ハロウィーンパーティーでかつらをして日本の着物を着て仮装としたというエピソードです。草履が履けずにスリッパを履いたという所まで詳しく書かれています。
massan0.jpg
日米友好協会のハッピ(法被)。米友協会でデザインした日本とアメリカの国旗と日本海軍のシンボルを混ぜた柄のハッピを作った話です。またエドウィーナ夫人を接待していた婦人会の川畑夫人の夫が海軍の将官であったそうですが、この方が自らの戦時中の基地の機密を守るためのエピソードのために、エドウィーナ夫人らを訪問した後に踏切で事故死した事件が挿入されています。なかなか横須賀らしい、現在でも良く認められるエピソードだと思われます。このブログとも直接関係していそうです。
1231633_1401321650098177_913344705_n.jpg
聖書の焚書を償う。川畑提督が亡くなってすぐに川畑夫人が聖書の焚書を夫が戦時中に行ったことを懺悔しに来たことが描かれています。海軍病院の環境が良くなったことが描かれています。キリスト教の話はアメリカを語る上で欠かせない要素だという事が良く分かります。
img_0.jpg
鎌倉の火事。鎌倉に住んでいた米軍人の家が全焼した話です。煙突と屋根の間に職人が金属を入れ忘れていたという事ですが、まあ横須賀に住む事と鎌倉に住む事が生存圏においてアメリカ人にとって当時は異なるという事を示しているのでしょうね。なかなかこの辺の機微は横須賀と鎌倉を知ると分かるようになる話かもしれません。このブログだけでは分からないかと思います。真珠湾の奇襲攻撃を許した政治的圧力に対して、断固反対した彼の勇気を高く賞讃していたという文がありますが、この辺りはまだこのブログでも触れていませんが、ブラザーヘンリー・クラウゼンの「真珠湾最後の真実」などについて知らないと理解しがたいという所でしょうか。このブログでも触れたと思いますが、ブラザーフーバーが事前に知っていたなどのエピソードがウィキペディアにもあったと思います。またクロフォード・サムズ陸軍准将の補佐官という大佐がオウズリー軍医大佐の民間の小さな医療施設ならびに病院の衛生面での清掃と改革について文句をつけたという話があり、その後クロフォード・サムズ陸軍准将とは仲良くなったというエピソードがありますが、まあ恐らくヨゼフ病院の話だと思いますし、サムズ陸軍准将もフリーメイスンであったという話だと思われます。いわゆるカトリックとフリーメイスンリーの話の一つではないでしょうか。
c374b65f.jpg
13病院で改革。横須賀にある13の病院で戦時中の患者と家族が病院で寝起きするような体制を中止して、近代的な欧米的な医療改革を行ったという事です。これらは今日の横須賀の医療体制の基礎を作り、また同時に当時の日本としては最も先進的な医療システムが横須賀にあったという事を物語るエピソードだと思われます。
1382534143.jpg
鎌倉彫。エドウィーナ夫人が鎌倉在住の長岡夫人に鎌倉彫の工房を案内されて、詳しく鎌倉彫について学んでいっている様子です。漆塗りの技法が秘伝とされていることが描かれています。なんとも素直な夫人の人柄が伝わってきます。
denkama-t1.jpg
婦人会へ小づちを贈る。エドウィーナ夫人が婦人会の役員会に参加した様子です。女性が反対の意思を表さない日本の習慣について触れています。海軍基地から婦人会に小づちを送ったそうですが、これはフリーメイスンリーではハンマーの意味で、ウォーシップフルマスターの道具であり、すなわち横須賀の将来は婦人会にかかっているという意味になるのではないでしょうか。まあそれだけ基地の行政に協力してくれたという感謝の意味だと思われます。
000bcdb955590c89bb9f47.jpg
新生婦人会馬淵夫人のあいさつ。小づちを貰ったことに対する返礼の挨拶です。この小づちが意味する平等と指導力だけでなく、心の温かい善意と、この婦人会の努力と、実に配慮の行き届いた理解のシンボルとして、これを引き継いでもらいます。とあり、小づちがフリーメイスンリーのシンボルとして送られているということが十分に伝わっているもようです。
6648872_1_l.jpg
婦人ホームを訪問。エドウィーナ夫人が孤児と貧しい女性のための婦人ホームの様子を視察した模様です。葉山方面の町はずれとあり、恐らく現在の市民病院がある武山付近ではないかと推測されます。米軍の廃品回収の実績から、空き缶や廃品回収で利益を挙げ、空き缶からブリキのおもちゃを作るようすが描かれています。孤児はエリザベスサンダースホームのように米軍兵士と日本女性の間の子供が多く含まれるのだと思われます。
r0011436_20150103211225b28.jpgr0011434.jpgietxdgze-thumb.jpg800_8987.jpg
感謝祭の大集合。ここまでの話が大体1946年11月なのですね。感謝祭に横須賀婦人会は「アメリカと連合軍への感謝」という市民大集会を臨海公園で催したそうです。どっちらけですね。感謝のスピーチと美人コンテストであったそうです。その後どうなったのでしょうか…。もちろんエドウィーナ夫人はそんなことを気にしてはいない様子です。
Happy_Thanksgiving.jpg
マイク・マンスフィールドも来日。ディナーパーティーの様子です。いわゆる全員フリーメイスンというやつです。マイク・マンスフィールドは1977年から10年以上にわたり駐日大使を務めた方だそうです。いわゆる全員フリーメイスンというやつでしょう。
ケネディ大使
窓を開けて蚊に刺される。鎌倉に住んだアメリカ軍人の様子を書いています。豪華な造りであっても日本では湿気のために窓を開けると蚊に刺されて酷い目にあったという話です。蚊帳を教えてはくれなかったのでしょうね。
HSD10097.jpg
カモ猟を楽しむ。東京湾でカモ猟をする様子が描かれます。新浜鴨場というそうで、現在もある宮内庁専用の鴨の狩猟場があるそうです。その場で料理小屋で食べさせてくれるという事で今でも機会があれば行っているようです。
16634.jpg
軽井沢へ。軽井沢の元中島飛行機社長の別荘を接収した家に行って、そこに暖房が無いことを氷の宮殿と呼んでいるというエピソードが語られます。またその近くに本国への帰還を待っている政治亡命者が一時的に滞在している国際居留地があり、そこでダンスをしている様子を観察する様子が描かれます。そこで色々相談したという話が本筋のようです。中島知久平氏の群馬県太田市の邸宅は残っていて市指定の重要文化財になっているようですが、軽井沢の別荘の方はわかりません。
nakajimashintei.jpg
川村吾蔵との出会い。現在の横須賀中央公園にあるブラザーデッカーの胸像の作者である、彫刻家川村吾蔵氏との出会いのエピソードが描かれています。そもそもブラザーアイケルバーガー中将の胸像を作っていたそうで、当時のGHQのフリーメイスンが銅像をせっせと注文していて、それの流れで依頼に訪問したという所のようです。そもそも川村氏はフランスの国立美術学校で特待生であって、その後アメリカで非常に評価されて、クーリッジ大統領の胸像も作ったそうで、そもそも当時の日本でフリーメイスンの胸像を造るにあたる人物がこの人だったという事のようです。その後川村氏は横須賀のEMクラブの3階をアトリエとしてブラザーマッカーサーの胸像まで製作しますが、昭和25年3月11日に聖ヨゼフ病院で66歳で胃癌で亡くなったそうです。2010年に函館五稜郭公園に記念館ができたそうです。長野県佐久市出身という事で、島崎藤村などとも交流があり、現在の長野県にも繋がる、キリスト教と、外国人の避暑地別荘地としての歴史と人脈の一端が垣間見えるようです。去年は地震や噴火など災害もありました。もう一人フランス人の木版画家ポール・ジャクレーという方の様子も描かれています。かなり奇人の様子で、芸術家としての演出であると解説されています。こちらの方もウィキペディアを読むと、やはりGHQの高官が買い集めたとあり、ブームがあったようです。検索した限りでは作品はインドや中国、朝鮮や太平洋の島々の人を対象としたものが多いようです。
file34.jpg20110515194645.jpgaidu63.jpgDSC_3141-625x413.jpgDSC_3144-625x413.jpgDSC_3148-625x413.jpgDSC_3177-625x413.jpgDSC_8194-500x331.jpgDSC_8215-500x331.jpgDSC_8310-500x331.jpgDSC_8324-500x331.jpgDSC_3088-625x413.jpgDSC_3094-625x413.jpgfile72.jpgn001-2.jpgkawamura.jpgkago010005.jpgweb003.jpg
Photo-Jacoulet-jeune-400.jpgd0247023_7324416.jpg0-98-10-ooshima-gazou.jpg18-b.jpgjacoulet_oseka.jpgVieil-Aino-Chikabumi-Hokkaido-Japon-by-Paul-Jacoulet.jpg
5つの失敗プロジェクト。ブラザーデッカーは横須賀の復興のために205以上のプロジェクトを考えて、そのうち完全に失敗したものが5つあったようです。それは「下水道網」「漁獲船団」「酵母工場」「新聞発行」「ブロンズ像」であったそうです。下水道網は現在では横須賀の三春町に処理場がありますが、まあ横須賀の立地や上水道でそもそも旧軍との対立もあった状況から考えてもなかなか難しいものであったのでしょう。現在三春町に処理場があるのもブラザーデッカーの計画に沿ったものであるものかもしれません。漁獲船団はおそらく現在の日本の漁業の本質ともかかわるTPPとも関係するような、日本の第一次産業の近代化の話そのものかと思われます。横須賀では毎年さかな祭りをやっていて、魚市場でもイクトゥスのシンボルマークを使った食堂がありますが、やはりここでも書かれている通り、三浦が漁業の本場であり、横須賀のみで漁業大国日本の漁業を変えることは難しかったのだと思われます。水産庁の地球シミュレータで大きな水槽ともいえる世界の海の様子を計算して、現在の漁業を本質的に変える取り組みがまさに横須賀、横浜を中心として行われているのではないでしょうか。酵母工場は日本だとサントリーとかそういうところだと思いますが、現在でも三浦で農業用の飼料のバイオマス工場は稼働しているようです。酵母にこだわるのはユダヤ教の伝統を引き継ぐフリーメイスンリーらしい発想でしょうか。新聞発行はなかなかこの5つの中で最も横須賀で遅れているものかもしれません。本質的に日本の風土と報道や発言の自由というのは合わないのかもしれませんね。インターネットでも横須賀経済新聞や観光協会のブログや2chの発信などがありますが、まあ利益誘導のみに特化した内容であり、いわゆるメディアとしての公平性や中立性、社会改良の精神は極めて低いものかと思われます。その点は横浜の風土は横須賀と対照的なんでしょうね。ブロンズ像はおそらく三笠公園の戦艦三笠などと同じく、東郷平八郎の像や三春町釣り公園のクジラの逆さピラミッドなどにされてしまったのでしょうね。おそらくヴェルニー公園のスターバックスがブラザーデッカーの想像したマーメイド像に最も近い存在なのではないでしょうか。まあその辺はブラザーデッカーの日本、中国での女性体験の結果なのでしょうからフリーメイスンリーとしては致し方ないかなとは思いますが、それがあったとしたらどれだけ今の横須賀が違うものになっていたかと考えると非常に残念な気持ちは否めません。今後のフランス人住宅の再建やヴェルニー公園の発展整備、観音崎公園の発展整備などに期待するほかないのかなと思います。
jyokacenter-1.jpegimg_0_20150308102052ee6.jpg20111214063934_113031.jpgtwitter_yokosuka_400x400.pnghokuo035l.jpg
教科書改訂。まあいわゆる戦後の黒塗り教科書の話でしょうか。ブラザーデッカーが就任したのはすでに戦後から2年経過したのちであり、その時点でもGHQの内部で方針を巡って争いがあり、反アメリカ思想と共産党の宣伝が盛り込まれたという内容がアメリカ人によって許可されたという報告が栄光学園を作ったイエズス会のカトリックのフォス神父によってもたらされたという内容です。もちろん彼もフリーメイスンでした。問題の内容が軍国主義日本の宣伝であって、それを検閲することにとらわれていて共産党の宣伝を含むとんでもない内容に変更されていたことに気づかなかったとあります。まあ子供にはあんまりわからないような内容なんでしょうが、いかにもフリーメイスンリーっぽい、それでいて現在現実の日本にも色濃く関係する極めて興味深い話であります。
kuronuri1.jpg4594031552.jpg
グリフィン・デー。1947年6月26日に米海軍極東司令官R.M.グリフィン中将に敬意を表したグリフィン・デーだったとあり、その様子が描かれています。おそらく司令官の誕生日なんでしょうが、おそらくフリーメイスンであり、そして近代フリーメイスンリー結成した洗礼者ヨハネの日の6月24日に最も近い日であるという事で、この日に行事を行ったようです。祝砲を打ち、基地内の教会の定礎式を行い、新しい住宅地を視察したとあります。祝砲を行う日付の理由もよくわからなかった日本人には驚かれたのでしょうが、まあこういうブラザーペリーのワシントン誕生日の祝砲のような事はアメリカ軍人がよくやる手法なのだと思われます。まあそれがフリーメイスンリーがらみになると途端に日本人には全くわけのわからないことになってしまうところが日米の距離なのでしょう。章末にわざわざ当時の初代防衛長官の手紙が載せてあり、その後防衛長官が亡くなったことが書かれています。当時のアメリカでは国務省での対中関係の方針対立と、国防総省での冷戦構造での戦略方針を巡って様々な路線対立があり、それが共産中国の成立から朝鮮戦争の開戦につながり、その後のいわゆるマッカーシズムともなり、またアイゼンハワー大統領の当選ともつながっていくようです。初代国防長官ジェームズ・フォレスタルについては第二章でも横須賀に立ち寄らなかったことが書かれていました。まあ空母建設を主張するのに横須賀に来ないなどといった矛盾があるのでしょうが、いろいろあるのでしょうねえ。ちなみにブラザーグリフィンについては戦時中の写真がアメリカ海軍のホームページにありました。おそらく退役間近であったのでしょうね。
set1_027.jpgimage007.jpg
徹底した性病撲滅運動。この項目がこのブラザーデッカー司令長官の回想録の最大の内容と思われます。教科書問題に続いて現在の従軍慰安婦問題ともつながるような、日本、横須賀の性病問題に取り組んだことが赤裸々に描かれています。まあとにかく米兵と日本人の女性との間のさまざまな問題、それは戦後の日本で大きな問題であったわけですが、その中でもアメリカ軍にとって問題であったのは日本人の性病感染率という事があり、それを管理するのが基地司令官の仕事であったという話です。
従軍牧師の告発で占領軍が赤線地区を許可していたことが雑誌で公表されますが、閉鎖はされずそのために性病罹患率が上昇したという事です。ブラザーデッカーはこの問題に取り組み、性病に二度罹ったものを6か月のバーレーン行き航海のタンカーにまわされるという”嫌がらせ療法”が効果的であったという事が書かれています。地方から横須賀に来た女性が稼ぎを父親に知らせて、「そんなに割のいい商売になるんならやめるわけにゃいかねえなと」いったという事があったそうです。EMクラブを盛んに活用して性病予防のキャンペーンを行ったことが描かれます。横須賀の街の性病感染率が45.7パーセントであったことが挙げられています。この感染率の数字は非常に極めて貴重な数字で、おそらく梅毒と淋病をまとめたものだと思われますが、まあ横浜医学の黎明のところでもあげましたが、治療法が抗生剤でまだ普及しておらず、真面目に予防法もとられていなかった時代には、職業としていた女性はほぼ100%でしょうし、ほぼ江戸時代と変わらない感染率であったのだと思われます。すなわち海軍の街であった横須賀でその状況であって、日本陸軍に至ってもほぼ同様の状況であったでしょうから、当時の帝国陸海軍は半数以上の兵隊が性病に罹患していたものと推測されます。コンドームも大量に配布したことが書かれています。EMクラブの運営で赤十字、海軍看護婦などのアメリカ人女性を活用したという事です。EMクラブのマネージャーが引き継いだところ、前任の情婦であった日本人女性が一緒に引き継ぐようにするように押しかけてきたことが描かれています。
Yasuura_House.jpgEMclub.jpg
性病罹患率下がる。街と基地の両方とも性病罹患率が6.7パーセントに下がったと書かれています。まあこれはある意味痛みわけの数字なんでしょうね。実際検査がしっかりしていない時代で、どの病気とも特定していないので、唯一アメリカ側にだけコンドームと抗生剤治療のある時代であり、下がったという事で決着したのだと思われます。性病撲滅大会と称して全国から売春婦が横須賀に集まる話を市長から企画され、直前でストップして陸軍管轄の地域で開かれたことが書かれています。まあ横須賀的ですね。性病撲滅運動のマッチを処分する話があります。誰も利用しない性病撲滅のキャッチフレーズを書いたマッチを10トン処分しようとしてワシントンに願い出たらさらに10トン送られてきたという話です。ブラザーデッカーは全てを日本人に与えて喜ばれたという事です。学童たちから「きれいな性病撲滅マッチありがとう」という手紙をもらって気に入ったという事です。教会の賛美歌のチャイムを基地から兵士たちが街に出かける夕方に流すようにして、”性病撲滅チャイム”と名付けたそうです。1946年12月14日の雑誌「リバティー」にビクター・ボーソンという記者が「アメリカ人に感謝」という占領軍指揮下の横須賀物語の記事を書き、それに気を良くしたブラザーデッカーが記者に送った手紙が挙げられています。婦人会の選挙が公正に行われたことが描かれています。
Lesney-matchbox.jpg
クリスマスツリーの枝を全部切る。クリスマスツリーを町中に配ってクリスマスを浸透させるようにしたことがエドウィーナ夫人によって書かれています。その際に枝をトリムしてと日本人に伝えたら、全部枝を切ってしまったという話です。それだけクリスマスについて全く知らなかったという話です。ブラザーマッカーサーの行った改革を理解するのにキリスト教の知識を広めることが大事だと考えたという事です。彫刻家の川村吾蔵が作ったキリスト降誕の像をメーンゲート近くの空き家に立てたそうです。クリスマスイブにクリスマスツリーの前で感動的なクリスマスキャロルの歌が歌われたことが描かれています。横須賀基地や関東学院のクリスマスツリーが現在も華やかに彩られている最初の光景であるようです。クリスマスプレゼントが渡された様子が描かれています。
40bdced7.jpg
米人ジャーナリスト9人が来日。アメリカの新聞社の社長や編集長が多数来日して横須賀海軍基地を見学していったことが書かれています。わざわざ実名が挙げられているので、みなフリーメイスンのようです。1月13日昼食会を開いて、2月2日に案内したとのことで、かなり丁寧にフリーメイスンリー流に接待したようです。

さて、足掛け2年かかったこのブラザーデッカーの回想記のブログの最も重要な部分ですがいかがでしょうか。まさに12月14日という事で、三春町のメソニックセンターができたことに呼応したものとなるわけです。横須賀の秘密、堀之内の秘密となるわけですが、なかなか大変なブログの内容のようです。
2016-01-07 07:47 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
o0500029711214300365.jpg
2016-03-21 07:26 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
IMG_2467_20160321072631f44.jpg
2016-03-26 09:10 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
まあだいぶ横須賀を離れて、数年たったわけですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
ブラザーデッカー司令長官のこの回想録の邦訳も出版が平成23年の東北大震災の直後であったとあって、なかなか月日の流れるのが早いと感じるのと、様々なフリーメイスンリー関連の情報の集約点がまたあの地震の日であったという感も今になると余計するわけで、様々な思いが去来しつつも、全十五章のうちの七章目という事でこの横須賀で書き始めたブログの横須賀に関する話題のかなり中心的な内容という事で、横須賀に関するライフワークというわけではないですが、まあそれに近いものがあるという事で、念入りに書き進めることとします。

第七章の副題は京都、四国、広島、長野を巡るです。
最初の章は京都旅行です。横須賀の統治にも一定のめどが経ったというところで、このブログではないですが、フリーメイスンリーお決まりのご褒美というところで日本各地への旅行が催されます。GHQの統治下という事で、全て天皇陛下のご旅行に準じて特別列車で皇室の駅の応接室などを利用しつつの旅となります。最初に京都へ行って清水寺や京都御所、西陣織工場などをブラザーデッカー夫妻が巡り、その感想をエドウィーナ夫人が興味深く、非常に好意的に記しています。大阪、神戸で特に立ち止まらず、そのまま四国に行ってしまうのは、まあ関西特有のご愛敬でしょうし、神戸のフリーメイスンリーロッジとの関係もあるのではないでしょうか。
121121kiyomizudera-1000.jpg
高知、松山。京都の後が高知というのもなかなか、日本人にはちょっとわからないところかもしれませんが、このブログなんかも読んでいるとわかるかと思いますが、まあフリーメイスンリー的な選択なんですね。最初は高知の戦災と昭和南海地震で壊滅的な状況が描かれています。高知城の様子もあり、坂本龍馬を輩出した土佐藩の歴史にも思いが馳せる感じです。翌日松山の道後温泉に行きますが、地震の影響で温泉が干上がっていたという事で、やはり残念がっています。
shinsui04.jpg
広島。翌日広島を巡っています。昭和22年の2月という事で、原爆投下から約1年半経っている状況なわけですが、惨状のようです。人影の写った橋が有名であったという事で、まああまり被爆に関する人的な惨状について終戦直後に戦勝国側の被爆調査ではない一般人が興味を持つという事は不可能なことではなかったかと想像されます。オバマ大統領が訪問という話もあるようですが、なかなか広島、長崎とフリーメイスンリーとは宿命の二本のきのこ雲のような感じのようです。
E5BA83E5B3B6E58E9FE78886E38389E383BCE383A0.jpg
松江、金沢。松江では松江城と小泉八雲の家を見学して泊まり、翌日に舞鶴で引揚者の状況を見学します。金沢で旅館に泊まり、芸者さんの踊りを見て、翌日絹織物と九谷焼の工房を見学しました。微妙にフリーメイスンリーとの当時の親和性をその土地での様子で見て取ることができる感じでしょうか。現在のロータリークラブや、ライオンズクラブがどこでも盛んな状況とはまた異なる、日本のまさに素に近いフリーメイスンリーの歴史であると思われます。
1997322hanp2.jpg
長野。ここではフリーメイスンの妻らしく善光寺での仏教体験について詳しくエドウィーナ夫人が描写しています。尼僧の頭巾の表現がフェズ帽に似ているというのが、いかにもアメリカで最も有名なフリーメイスンリーといわれるシュライナーズを表した、まさにそういう素直なエドウィーナ夫人らしい表現という事になるのだと思われます。また仏教の数珠がカトリックのロザリオと似ているというのもまさにそういう表現ではないかと思われます。長野の善光寺を最後に横浜経由で横須賀に戻りました。その後3月になり中国人の報道陣をもてなしたことが書かれています。中華民国の報道陣なわけですが、これらの人々もまた戦争が終わった後の日本の支配を終えた後の朝鮮や、GHQ支配下の日本を取材したという事で、直前のブラザーデッカー夫妻の仏教の体験とも関係した、戦後の日本における宗教観や国家観とも関係した体験の記述であるかと思われます。
Zenkoji02s3200.jpg
県立横須賀高等女学校訪問。現在の神奈川県立横須賀大津高校が女学校であった際の3月11日の卒業式に臨席したエピソードが語られます。学徒動員で軍需工場で働いていた女学生も卒業できたという思いから卒業生全員が泣き出していたという事です。この卒業生も現在は69年たち、およそ87歳であるようです。
yoko_083a.jpg
シー・スカウトが横須賀へ初航海。3月15日に横浜に駐留する陸軍士官の10代の娘たちで組織されたばかりのグループ、シー・スカウトが初航海で横須賀に来たそうです。三笠や基地内の洞窟を案内したとあります。陸海軍の交流のようです。
seascouts_03.jpg
日本の春は梅から。2月の第1週には梅の花が咲いたという事で、梅は忍耐の象徴とされると解説されています。夫や指揮下の将兵を困難を乗り越える辛抱強さ、忍耐強さを持っているとして梅の花のようとしています。
wpsouko002_1440_900.jpg
司令官就任1周年。4月10日に基地内の各クラブでブラザーデッカーの基地司令官就任1周年を祝うパーティーが開かれたそうです。ブラザーデッカーのスピーチの内容があり、その中で性病感染率が下がったことと、闇市での違法取引が少ないことを挙げています。30年後にこの回想録を書きながら、その時のメニューの表紙に書かれた夫の似顔絵をじっと見てエドウィーナ夫人は涙したとのことです。その後に蘭を5鉢も記念にもらったとのことです。蘭は種類にもよるかと思いますが、この場合は中国や東南アジアの象徴でしょうか。
dscn0490.jpg
マッカーサー夫人の横須賀訪問。4月15日にブラザーマッカーサー夫人のジーン・マッカーサーが横須賀基地を視察し、士官用住宅を見学して、ブラザーデッカーの田戸台の司令長官官舎でパーティーをしたエピソードが書かれています。非常に丁寧に好意的に書かれていて、詳細はあまり伝わってきませんが、準備を十分した様子が描かれています。いずれにしてもGHQ内部で日本での住環境について様々な要望や待遇改善策があったことが伺われます。ブラザーマッカーサーの二番目の妻であるジーン・マッカーサーは銀行家の娘で相続によって結婚前に大富豪であったそうです。2000年1月22日に101歳で天寿を全うされたそうです。
jean_macarthur.jpg
海軍施設の視察団来日。海軍作戦部長ルイス・デンフィールド大将とその幕僚が、陸上及び海上の海軍施設を視察するために来日されたとあります。統合参謀本部からの最初の指示による来日だそうです。アメリカがこの基地を維持すべきだとのブラザーデッカーの意見に好感をもち、賛同したという事です。いわゆる皆フリーメイスンというやつです。邦訳はデンフィールドとありますが、ルイス・デンフェルドのようです。
LouisEDenfeld.jpg
鳥羽で真珠養殖を見学。陸軍のジェフ・バーネット大佐とハーバート・ホイーラー大佐とウィルソン大佐とともに英虞湾の御木本真珠の養殖場を訪れた様子が描かれています。海女さんのほとんど裸の様子に驚いたという事ですが、GHQの指示でスリップを着用するようになったとのことです。トーマス・エジソンから送られたダービー帽を愛用していた御木本翁の様子や、さらに新しくレスラー少将から送られた新しいダービー帽を身に着けている様子が描かれます。お土産に真珠と海女さんのからくり人形をもらったとのことです。NHKのあまちゃんでしょうか。
mikimotokoukichi.jpgF00FE19CF47943A38672DD795557CB90_L.jpgama.jpg
名古屋で七宝焼を見学。戦災後の名古屋でノリタケ陶磁器工場と安藤クロワゾンヌ工房で七宝焼の制作過程を興味深く見学したそうです。市内は60%破壊されていたとあります。七宝焼の七宝がサンスクリット語の「セプタラトナ」、仏教経典に出てくる天上にある七つの宝、金、銀、エメラルド、めのう、珊瑚、水晶、真珠を再現しているとあります。細かく作成方法が書かれています。
Img214665652.jpg
京都、奈良へ。京都について最初に林家で夕食をとったとありますが、こういうのもこのブログを読んできた方はフリーメイスンリーとはこういうものかとわかるかもしれません。翌日平安神宮、銀閣寺、二条城、川島織物の絹織物工場、西村漆工房を見学したそうです。奈良に移動して鹿にせんべいをあげ、春日大社、東大寺を参拝しています。春日大社でのツツジ、フジ、ミカン、サクラ、カエデ、ニワトコが接ぎ木された普遍性の象徴としての木があると書かれています。検索しても出てこないので、今はないのでしょうか。東大寺では有名な柱の穴について書かれています。そのあと法隆寺を参拝したそうです。その後横浜に戻ったそうです。
6a0ecd917e937d4b775758e1257a7d00_l.jpg2.jpgP1010216.jpg1.jpgKABE008L.jpg123885409723116306441_DSC00522.jpg
高松宮殿下ご夫妻一行が横須賀訪問。1947年5月16日に高松宮紀仁親王殿下と妃殿下、島津忠承公爵、池田宣政侯爵が昼食に来たそうです。その際に日本海軍の芝大佐の未亡人であったお手伝いさんのチエ子さんに最初に声をかけられたとのことです。皇室外交という感じでしょうか。EMクラブで日本赤十字社横須賀支所の開所式を執り行ったそうです。この際には太田三郎横須賀市長夫妻、内山岩太郎神奈川県知事夫妻、日本赤十字社横須賀支所長の川畑夫人が同席したという事です。5月18日の日曜日はウィリアム・F・ウェッブ卿夫妻とプレイス陸軍少佐夫妻とカーテン大佐とともに昼食をとったという事です。20日にはアメリカ海兵隊のブレーク准将と参謀長のルーミス大佐とハッバード神父と夕食会を開いたそうです。アラスカのカラー映画を神父が見せてくれたそうです。翌日ブレーク准将を観光に連れて、久里浜からベリー上陸記念碑を過ぎて三崎の手前で引き返したそうです。皆フリーメイスンという事でしょうが、やはり今と同じで三崎は京都奈良よりも行きづらい場所のようです。
yjimage.jpg
栄光学園と清泉女学院の開校式。5月22日に横須賀のカトリック系男子校栄光学園の開校式が催されたそうです。ブルトン司教、ビター神父、フォス神父、在日ベルギー大使であるシュヴァルリー中将が列席したそうです。5月24日聖心侍女修道会の清泉女学院の開校式に招かれたそうです。アルゼンチン人のマザー・エルネスティーナが女子修道院長であったそうです。どちらもまだ横須賀市内にあったころの話です。清泉女学院は長野にもあるそうです。栄光学園は総理大臣経験者も輩出しています。どちらも現在はわが故郷大船の大船観音のふもとにあります。
ft_logo.pngDsc03404.jpgabm00000093.jpg
馬淵聾唖学校。森崎にある現在の横須賀市立ろう学校の前身となる馬淵聾唖学校を訪問した様子が描かれます。戦前に横須賀鎮守府庁舎などを建築請負した馬淵組の創業者が慈善事業で設立したそうです。経緯が書いてあるブログがありました。エドウィーナ夫人は戦前の設立であることを特異な存在といえると評しています。5月27日に高岡夫妻とともに高松宮殿下の邸宅で夕食会に招かれたそうです。豪華なフランス料理が出されたそうです。翌日輸送船で到着したクック中将の奥さんを出迎えて、サムナー・ウェルズ夫妻の義理の娘ベン・ウェルズ夫人とグリフィン中将夫妻、ブレッドソー少将夫妻とともに鎌倉のブレッドソー夫妻の自宅でパーティーをしたそうです。中国情勢が議論されたそうです。その後に馬淵家での6月7日の米海軍への報恩会への多治見一郎氏からのパーティーの招待状の文面がありますが、実際のパーティーの内容が全く書いてないところを見ると、前の二つから比べて書きたくない内容であったのでしょう。
image005.gif25e798d3.jpg
エドウィーナ石鹸。石鹸工場が稼働することになり、その石鹸にエドウィーナ石鹸と名前を付けさせてほしいという事です。またDDTのような殺虫剤をデッカーと命名したいと言われたとのことです。どちらも完全に横須賀的な海軍的な皮肉ですが、実際に命名されたものが販売されたかは不明です。まあ邦訳から読み解くとおそらく完全に皮肉と解釈して販売はされていないようです。横須賀基地内の無用の丘の話と同じような内容でしょうか。その夕に30人のお客を夕食でもてなして、その中に「少年の町」のフラナガン神父ジョージ・アッチンソン大使、駐朝鮮公使ジョージ・ジェイコブスがいたとあります。
68A42s1.jpg1949077.jpg
フラナガン神父、日本を去る。上述のフラナガン神父がアメリカに帰るのを惜しんでいます。栄光学園の設立にブラザーデッカーが尽力し、そこをフラナガン神父に案内したとあります。
Father_Flanagan_in_Japan.jpg

さてどうでしょうか。相当久々のブログの正典(カノン)の内容のようですがいかがでしょうか。横須賀の基地開放や再度のワシントン訪問などを経ての内容となっています。次章はまさに横須賀ロッジの由来となる、ブラザーデッカーの描く横須賀のフリーメイスンリーです。
2017-01-08 18:02 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
pointwithinacircle (1)
2017-04-15 14:11 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー