2013-12-12 22:36 | カテゴリ:ユダヤ教
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
唐突ですが分かるでしょうか。
どうもウィキペディアに書き込む方のレベルでは薄々と気付いているようですが、まあ聖書に由来するフリーメイスンリーとプロテスタントに共通する隠された記念日というものだと思われます。
12月14日がなんでと思われるかと思いますが、聖書に由来すると3や7のシンボリズムや11や111のシンボリズムは関係ないのですね。そもそも3の数字7の数字や11の数字や111の数字は7が創世記や11がヨセフ物語でわずかに認められますが、数秘術と聖書は関連は認められますが直接由来するものではなく、主にフリーメイスンリーでもピタゴラス学派などの数字に対する信仰をもっていたエジプト由来の数学者や数学自体に由来するものであって、その後のカトリックの三位一体や三角形のシンボルなどにしても、またピタゴラスの定理を示す直角三角形のシンボルにしても全く聖書そのものの文章から生じたものではないというところがやはり聖書を通読する事で理解されるシンボリズムの妙というところだと思われます。

さてでは12月14日が何の日であるかというところを見ていきましょう。
まずウィキペディアで見て歴史的な出来事や生誕日や忌日で関係がありそうなところを見ていきましょう。

1542年 - 生後6日のメアリーがスコットランド女王に即位。
1819年 - アラバマ準州が州に昇格し、アメリカ合衆国22番目の州・アラバマ州となる。

どうもこれがトップに来ているという事で、ウィキペディアを書き込んでいる方も十分意識している感じでしょうか。まあほぼこのブログに準じて編集されているのではないかと思われる感じとなっています。スコットランド女王やアメリカの州というところでどうも何やらフリーメイスンリーの何かの日という事には違いないというところが感じられるのかと思われます。まあこれだけ書けるのはそれが何の日か知っているのでしょうね。

1896年 - グラスゴー地下鉄が開業。
1902年 - Commercial Pacific Cable Companyがサンフランシスコとハワイを結ぶ初の太平洋横断電信ケーブルを敷設。
1911年 - ノルウェーのロアール・アムンセン隊が南極点に史上初めて到達。
1946年 - 国連総会で国連本部をニューヨークに置くことが決定。
1972年 - アポロ17号の乗員が月面での最後の船外活動。
2004年 - ミヨー橋が開通。主塔の高さが343メートルの世界一高い橋。

まあ出来事では関連してそうなのはこの位でしょうか。これらの中で世界的に最も重要そうなのは南極点到達でしょうか。もちろんブラザーアムンセンはフリーメイスンだと思われます。1911年というのもシンボリズムだと思われます。ちなみにミヨー橋というのはインターネットのニュースなどで画像を観たことがある方も多いのではないかと思われますが、以下のような雲の上に一部をのぞかせる世界一高いフランスの橋だそうです。
ミオー橋雲ミオー橋
まあフランスにあって7つの柱があるところなどもフリーメイスンリーのシンボルと考えられます。

誕生日はこんな感じです。

1503年 - ノストラダムス、医師・占星術師。『百詩篇集』の著者(+ 1566年)
1775年 - トマス・コクラン、イギリス海軍の少将(+ 1860年)
1870年 - カール・レンナー、オーストリア大統領(+ 1950年)
1895年 - ジョージ6世、イギリス国王(+ 1952年)
1896年 - ジミー・ドーリットル、アメリカ空軍の元帥(+ 1985年)
1897年 - クルト・シュシュニック、オーストリア首相(+ 1977年)
1946年 - ジェーン・バーキン、歌手
1948年 - 錦野旦、歌手
1979年 - 中野美奈子、フジテレビアナウンサー

まあちょっと日本の芸能人やフジテレビのアナウンサーと歴史上の有名人や英米のフリーメイスンと同列に並べるのはちょっとかなり無理があるのですが、まあ日本のブログなんでそんな感じになります。ちなみに日本で12月14日というと赤穂浪士の討ち入りがあった日という事で、まあこの辺りももしかするとこちらのシンボリズムにかけた伝承なのかもしれませんが、今年も日本では討ち入りに関する日米合作の映画という事で47RONINという映画が公開されるようです。基本的に復讐の物語のようですがいわゆる赤穂浪士の物語とはかけ離れた話となっているようです。

さてまあ次は忌日なんですが、これが結局この話のもととなったきっかけでした。

1542年 - ジェームズ5世、スコットランド王(* 1513年)
1799年 - ジョージ・ワシントン、初代アメリカ合衆国大統領(* 1732年)
1861年 - アルバート公、イギリス女王ヴィクトリアの王配(* 1819年)
1937年 - 長野宇平治、建築家(* 1867年)
1943年 - ジョン・ハーヴェイ・ケロッグ、菜食主義者・ケロッグ社共同創設者(* 1852年)
1947年 - スタンリー・ボールドウィン、イギリス首相(* 1867年)
1956年 - ユホ・クスティ・パーシキヴィ、第7代フィンランド大統領(* 1870年)
1961年 - リヒャルト・シルマン、教育者・ユースホステル創設者(* 1874年)
1972年 - 内田祥三、建築家(* 1885年)

まあなかなか忌日の方が選択的な感じですが、やはりスコットランド王に関係しているのがフリーメイスンリーのシンボリズムらしい所でしょうか。後はやはり最も重要なのはブラザージョージ・ワシントンの忌日だと思われます。ブラザージョージ・ワシントンの最後は扁桃炎からのわずか3日間での瀉血による死とも言われており、当時元大統領として引退していたとはいえアメリカ合衆国の象徴として、フリーメイスンとして象徴的な存在であり、絶大な権力をもっていたと考えられ、その死はあまりにあっけないものとして印象的なものだと思われます。生誕日がいわゆる日本の建国記念日にも認められる2.11のシンボリズムであり、そこから考えると忌日にも何らかのシンボリズムがあっておかしくないと思うのが自然ではないでしょうか。ブラザーアルバート公は大英帝国絶頂期のヴィクトリア女王の夫で、後に焼失してしまったロンドン万国博物館で人気を博したクリスタル・パレス水晶宮の最大の出資者であったそうです。息子である後のエドワード7世の女優との醜聞の中で病死したそうです。長野宇平治はこのブログでも取り上げた日銀本店の設計者だそうです。ケロッグに関しては彼を描いた映画などもありましたが、恐らくフリーメイスンと思われます。内田祥三は東大の建物の建築を行ったそうです。

さてまあ大体どうもユダヤ人かそれに関する記念日であるらしい、しかもプロテスタントの系統、ユダヤ人そのものの記念日ではないという感じが出てくるところでしょうか。以前も挙げたユダヤ教の樹木の新年 T‘ū biŠәbhāt‘(ローシュ・ハシャナー・ラ、イラノース)のブラザーロバート・バーンズやブラザーダグラス・マッカーサー、ブラザーフランクリン・ルーズベルト、ブラザーウォルフガング・アマデウス・モーツァルトの生誕日とブラザーサーウィンストン・チャーチルの忌日の対応などと似たような感じですが、ユダヤ暦を元とすると復活祭などもそうですがほぼ1カ月から1週間程度までの西暦との揺らぎが生じますので、12月14日に関してはそういうものではない、どうもその日に何かあるというところがいわゆるユダヤ暦とは異なるシンボリズムというところだと思われます。

それで十四日というのを直接聖書で検索するとなんと答えがすぐに返ってきます。

ユダヤ暦の1月14日と言うのも過越祭の最初の日なのですが、結局12月14日というのはエステル記におけるユダヤ人のペルシアの宰相のモルデカイによってなされた政治的な成功例の、ユダヤ人を絶滅させようとしたハマンらを逆に絶滅させたという、ユダヤ人がバビロン捕囚時代の特に旧約聖書の中でももっとも厳しい時代として描かれる時代のユダヤ人の政治的な大勝利を祝うプーリームという記念日の、ユダヤ暦をそのままあてはめた記念日であるという事です。西暦にあてはめると2月から3月にかけた移動記念日で、あえてその周辺で考えるとホワイトデー位しかないわけですが、まあ色々なあてはめ方があって、恐らく旧約聖書に直接12月14日と一日の日付を強調してある事や、いわゆるモーゼ五書ではなくユダヤ教ではメッギラーというフリーメイスンリーでも象徴的に描かれる巻物状の旧約聖書の特にエステル記を意味するそうですが、そこに書かれた日付と言う事で、移動記念日ではなくその日そのものをシンボリズムとしているようです。
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まあこれだけ強調してあるのでエステル記についてはこのブログを読むような方には読んでいただきたいわけですが、一応全てをブログに載せるかリンクする方針でやっていますので概略をコピペしておきます。一部日付の記述が聖書と異なるので変更してあります。元々はウィキペディアのエステル記の項目です。日本のウィキペディアは特に日付のシンボリズムの記述はわざと数字が変更してある事が良くあるようです。

クセルクセス1世の時代のペルシアは、インドからエチオピアまで127州を統治していた。彼はかつてのエラム王国の首都でもあり、ペルシアの首都ともなった歴史ある都・スサ(ヘブライ語名シュシャン)で王位に就き、その3年後に180日に及ぶ「酒宴」を開き、家臣、大臣、メディアの軍人・貴族、諸州高官などを招いた。その後王はスサの市民を分け隔てなく王宮に招き、庭園で7日間の酒宴を開くが、王妃ワシュティも宮殿内で女性のためだけの酒宴を開いていた。最終日に王はワシュティの美しさを高官・市民に見せようとしたが、なぜかワシュティは拒み、来ようとはしなかった。王は怒るが、大臣はさらに「噂が広まると、女性たちは王と自分の夫を軽蔑の目で見ることになるだろう」と言い、王妃ワシュティを失脚させたという勅書を送った。
王は大臣の助言により、全国各州の美しい乙女を1人残らずスサの後宮に集めさせる。スサは紀元前500年頃から大きなユダヤ人コミュニティーのある都市だが、そこにベニヤミン族のモルデカイとハダサー(エステル)がいた。エステルは両親がいないため、いとこにあたるモルデカイが義父となっていた。モルデカイはエステルを応募させ、エステルは後宮の宦官ヘガイに目を留められ、誰にもまして王から愛され、王妃となる。王は「エステルの祝宴」を開く。モルデカイが王宮の門に座っていると、2人の宦官がクセルクセス1世を倒そうと共謀していた。モルデカイはエステルを通じてこれを王に知らせ、2人は処刑される。この段階ではまだ、モルデカイとエステルは、自分がユダヤ教徒であることを明かさないようにしていた。
クセルクセスは、アガグ人(ギリシア語版ではマケドニア人となっている)ハマンを高い地位につける。王はハマンに跪いて敬礼するようにとの布告を出していたが、モルデカイは従わなかった。ハマンはモルデカイに腹を立て、ユダヤ人全員の殺害を画策する。クセルクセス治世第12年の1月にくじ(プール)を投げると、アダルの月が当たった。ハマンはクセルクセス王に「ユダヤ人」への中傷を述べ、クセルクセス王の名による勅書を作成させる。アダルの14日にすべてのユダヤ人が殺害されることが決定し、着々と準備が進んでいく。
これを聞いたユダヤ人の多くは「粗布をまとい、灰の中に座って断食し、悲嘆に暮れた」。「粗布を着て広場に座ったモルデカイ」の存在を知ったエステルは、ここではじめて、なぜこうなったのかを知ろうとした。ただ、王へ近づくことはできない、とモルデカイに返答。
モルデカイ「この時のためこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか?」(4:14)
エステル「スサの全てのユダヤ人を集め、三日三晩断食するように。自分も女官と断食をする、その後王に会いに行く」との返答。
エステルはクセルクセスとの謁見に成功し、ハマン同席の酒宴を確約させる。謁見に失敗した場合は死刑であった。ハマンは自宅で宴会を開き、エステル・王との酒宴について喜んで聞かせる。モルデカイをつるす柱を建てる。
眠れない王は、宮廷日誌を持ってこさせ読ませたが、ここでモルデカイが王の暗殺を防いだ記録をはじめて知る。エステルは、自分がユダヤ人であることを王に告げる。ハマンは、モルデカイ殺害用に建てたその柱で処刑される。ハマンの財産がエステルとモルデカイのものになる。
文書の取り消しの公約文を書く許可を得ることに成功。シワンの23日にモルデカイの指示によりユダヤ人絶滅の取り消し書が書かれる。ハマンがユダヤ人虐殺の日と定めたアダルの14日が、逆に自分たちを迫害した者への防衛の日となった。モルデカイは宰相となる。
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まあそもそも聖書の内容を概略化することも内容を知らない人に伝える際には良くないとされますし、それをコピペするのも二重に良くないわけで、それほど長くない章なので読むのがお勧めなわけですがまあなかなか聖書を読むのに抵抗感が強い日本人にはこういう紹介が最も確実であるようなのでそうしています。
わたしも初めて旧約聖書を通読した際に、モーセ五書の次に印象的であったのがこのエステル記であったと思ったのですが、まあどうも旧約聖書から受ける印象は万人に共通であるようで、このエステル記の内容はどうもナチスドイツの第二次世界大戦の流れのベースとなったようなユダヤ人の絶滅と言う発想が基本にある極端な話ではあるのですが、世界史と聖書という点で見ると近現代史で注目すべき聖書の章ということになるのではないかと思われます。それでまあそういう旧約聖書の中で非常に印象的な話でユダヤ教や一神教の優越性を証明する話として重要とされる話であるわけで、そういう旧約聖書中の逸話を忘れないように史実であるとして暦の中に保存するのがユダヤ教であり、またそれらを現代にあてはめて教訓を導くのがプロテスタントでありフリーメイスンリーであるので、こういう形でシンボリズムとして成ったのだと思われます。まあ日本の赤穂浪士の討ち入りと倍返しではないですが報復という点では共通項があるのでしょうが、なかなか旧約聖書の内容を知らないと理解しがたいシンボリズムと言うことになるのだと思われます。
こういう特定日のシンボリズムとしてはその他にカトリックの公現祭やバレンタインデー、聖母被昇天の日、クリスマス、イルミナティの結成日、洗礼者ヨハネと福音記者ヨハネの祝日、移動記念日としては上述の樹木の新年や過越祭に当たる復活祭、後は非常に弱いようですがユダヤ暦の新年、ヨム・キプール、スコット、仮庵祭、カトリックの聖なる月としての11月などがありますが、これらの中でも聖書に日付が直接記述されている日として、それがそのまま西暦にあてはめられている日付として、ユダヤ教的でありながら直接プロテスタントからフリーメイスンリーのシンボリズムとして隠された記念日として重要な日として12月14日という日があるという事になるようです。

まあこれまでの内容からいうとなんともインパクトに欠ける話かもしれませんが、ナチス・ドイツにまつわる史実やその周辺の人々が旧約聖書の内容を知っていたらああいう歴史は無かったであろう事を考えるとまさにそういうユダヤ教や聖書をきちんと理解していないことの負の重要性ということをあらためて思い知らされるいかにもフリーメイスンリー的なシンボリズムということができる日なのだと思われます。それがまたフリーメイスンリーの国であるアメリカの建国の父である神格化される程の存在であるブラザージョージ・ワシントンの亡くなった日であるというところで、フリーメイスンリーとは何かを象徴する日でもあるといえるところもあるのではないかと思われます。またそれだけ聖書を細かく読み込んでいるかどうかというところも問われる内容のシンボリズムと言えることができるものと思われます。恐らくブラザージョージ・ワシントンは読んでいなかった方の人だと思われます。

ちなみに日本のシンドラーと言われる、妻がユダヤ人であった(2014/3/9訂正:妻がユダヤ人であった事は一切なかったようです。ウィキペディアの内容に準じたのだと思いますが、修正されたようです。申し訳ありません。)外交官の杉原千畝の出身地である岐阜県加茂郡八百津町ではユダヤ暦に合わせて2月か3月頃にプーリムカーニバルと称してお祭りをやっているようです。恐らくここ数年の話なのだと思われますが、横須賀の観音崎フェスタのようにライオンズクラブやロータリークラブを通して日本各地で町おこしと絡めて様々な歴史の再考と再評価が盛んに行われている一環と考えられるのではないでしょうか。まあキリスト教圏ではそういうものが14世紀から18世紀にかけて盛んに行われていたというのがルネサンスや宗教改革、フリーメイスンリーというものであるようです。