2013-10-03 10:20 | カテゴリ:ユダヤ教
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
まあちょっと結局無料かよというところですが、価値は計り知れないと思うのですが、実際の資本社会では認められないようでしたので再び無料化です。
実際有料化している際には色々な小ネタを結局2chで書き込んだりしている始末で、それをここに再掲します。

2chのニュース速報板ですかね。スレッドの名前は以下でしょうか。
日本政府 「反日GoogleMapの使用禁止令」 北方四島や竹島の表記を重く見て

書き込みの内容は以下です。
Googleはそもそもネーミングの源流がNTTのgooに由来する可能性が高い、極めてまれなアメリカの会社である。
もちろんフリーメイスンリーのシンボルであるG、GodとGeometryを意味するシンボルだが、それが対称性に並び、
なおかつAll Seeing Eyeを意味するooの並びがあるという極めてシンボリズムに忠実な会社であるが、
日本人として注目すべきはgooのシンボリズムにおいての先見性であろう。
1997年に日米の協力のもとで開始されたシステムであるそうだが、当時の日本人がそのシンボリズムについて十分な知識があったとは思えないが、
その後のIT革命においてそれらが重要な役割を演じたであろう事は想像に難くない。

そもそもロックフェラーセンタービル買収・横浜博1989年→バブル崩壊1990年→湾岸戦争1991年→1993年細川内閣→1994年自社さ連立
→1995年阪神淡路大震災、オウム真理教事件→1997年山一証券破綻・goo設立→1998年長野五輪・Google設立→1999年東海村臨界事故→2000年小渕首相急死・沖縄サミット・IT革命
→2001年小泉内閣発足・同時多発テロ
こうして見るとgoo、Googleにまつわる日米の歴史が垣間見られる。

IT革命の時代に突如として首相となった森首相であったが、彼の名前は三つの十字のキリスト教、フリーメイスンリー共通のシンボリズムの名前である。
彼の誕生日7月14日はアメリカ独立記念日の10日後、フランス革命勃発の日であり、フリーメイスンリー結成の日6月24日の20日後である。
彼の父親は陸軍軍人であり3月27日生まれで11月19日に死亡している。それぞれ3の倍数および、111と3の2乗であり、シンボリズムに沿ったものである。
彼が務めた能美市の市章は3つのGが並ぶ市章の中でも最もシンボリズムに沿ったものである。

まあ色々ごっちゃになっている訳ですが、gooとGoogleの関係の歴史をフリーメイスンリーのシンボリズムを中心に述べているんですね。まあGoogleがそういうフリーメイスンリーのシンボリズムにのっとった会社という事はわかるかと思います。

それでYahoo!なわけですが、中国系アメリカ人も創業に関わっていたりするというのが有名ですが、こちらのシンボリズムはいかがでしょうか。
まあここまで読んでいればだれでもわかると思うのですが、もちろんユダヤ教、キリスト教の唯一神YHWHヤハウェYahwehיהוהから来ている訳です。インターネットは唯一神へのお参りでしょうか。(ooでAll Seeing Eyeもかかっているようです。)
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2013-10-06 21:47 | カテゴリ:横浜
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
まあ以前このブログでも紹介しているわけですが、それで読んだりしている人も居なさそうですが、読み終わったので内容と感想を書いていこうかと思います。

著者の徳本栄一郎さんと言う方はこのノンフィクションの前に同様のノンフィクションとして英国機密ファイルの昭和天皇という本を新潮社から出していて、その取材の際にフリーメイスンリーについて知りこの様な本を出したそうです。経歴は佐賀県出身の方で祖父が海軍主計官と言う事で、その関係があるのかどうか分かりませんが、イギリスでロイターの特派員を務めていて、その後フリーライターとなっているそうです。一見して世界各国を取材で飛び回っているのですが、その経費が本の売り上げだけで賄われているのかどうかは若干疑問を感じるところかもしれません。

いわゆる日本で出版されている本の中での数少ないブラザー片桐三郎氏の本にならってフリーメイスン、フリーメイスンリーと表記している本であり、また表紙にブラザーマッカーサーの写真とスコティッシュライトのシンボルが描かれているという稀な本となっています。

1945年日本占領―フリーメイスン機密文書が明かす対日戦略1945年日本占領―フリーメイスン機密文書が明かす対日戦略
(2011/02)
徳本 栄一郎

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出版されたのが東日本大震災の直前という事で、アマゾンのレビューにも印象的なものがあったりしました。
帯もなかなかすごく、日本人の精神を根底から改造せよ――。第一次資料が物語る衝撃の事実!となっていて、なかなかまあ端的に言って横浜ロッジのフリーメイスンリーの広報の本みたいなところなんですが、期待が高まる煽りと言ったところでしょうか。以前このブログでも紹介した、檀原照和さんによる平凡なフリーメイソンの非凡な歴史もほぼ同時期にさらに横浜ロッジの歴史に特化した内容となっており、ともに横浜ロッジの活動と言う事になるのだと思われます。まあもちろんこのブログもその一端と言う事なのだと思いますが、今回の本が1700円となかなかの値段となっており、まあ当ブログも再びいつか有料化を検討したいと思っていますが、なかなか内容的に難しいのかもしれません。

内容的にどうなのかと言うと、まあなんというかなかなか読むのに2011年から2年近くかかったというところでお察しいただきたいところかもしれません。主な内容の中心は何かと言うと基本的に天皇の終戦工作や戦後のブラザーマッカーサーのフリーメイスンリーの活動や日本人への門戸開放の経緯で、確かにHouse of the Templeやロックフェラー財団、スイス銀行と言った公開されている図書館に直接連絡をとって一次資料に当たるという手法と、ブラザーマッカーサーの側近やその他のフリーメイスンに話を聞くと言ったやり方は客観性は高いんでしょうが、それで結局どうなのというところで、最後に横浜ロッジの隣にあるYC&ACの敷地にA級戦犯の遺骨がまかれた可能性が高いという話で終わっていたりして、どうもまあ作者の人はほぼブラザーとして遇されているわけですが、どうもフリーメイスンリー自体に対する興味や加入の意志は無いようで、どうもだからどうなの?という内容で終わっている感じになっています。結局この徳本栄一郎氏の立場というものになるのでしょうが、どうもロイターのロンドン特派員であったという経歴などからもほぼエージェントとして仕事をしている感じで、その関係でフリーメイスンになってもいいよ位な感じでイギリスのエージェントとしてこういう本を出版する経緯となった感じでしょうか。途中でこの前著で大分書いたような白洲次郎氏についてもだいぶ書いていますが、どうも彼がフリーメイスンとは遠い存在であることを確認したような感じから、大分否定的に書いていて、色々フリーメイスンリー関係の資料を知り幻滅したみたいな感じでしょうか。またかなりフリーメイスンに近い感じの毎日新聞の記者についても書いていて、エージェントとして結局インドで客死した経過を見て、御自分も単なるエージェントとして動いていたらヤバいみたいな感じを知ったような感じでしょうか。

とまあ一次資料に当たったという内容であるために、ご本人の意図がなかなか推察しづらく上記のような感想になってしまうのはしようが無いのだと思われます。ただ単に読むと終戦後の米兵の日本でのロマンスの話や、昭和天皇が終戦前に赤十字に寄付を行って財産の保全に動いていたとか、ブラザーマッカーサーのフリーメイスンリーでの活動やフィリピンと日本のグランドロッジの活動や、ブラザーリビストが昭和天皇のフリーメイスン加入を画策したとか、ある意味内容的には過去に陰謀論者とされる赤間剛氏の昭和天皇についての本昭和天皇の秘密や、鬼塚英昭氏の天皇のロザリオ 上巻 日本キリスト教国化の策謀などの方が極めて狭い範囲で情報を収集しているとはいえ、個人的には文章の迫力もあり面白い内容であるのではないかと思いました。まあそうした日本では陰謀論に分類されるような内容について実はそれが史実なんだよとアメリカやイギリス、スイスなどの海外の財団などは追認したというものになるのかと思いますが、結局それを書いた方が最後にA級戦犯合祀について同情的な触れかたをしているような事で、全て台無しにしているような虚無感が残るものとなっているところでしょうか。

というわけで目新しい内容は一切無いのですが、実際陰謀論とされてきた内容を一次資料にあたって権威づけしているという、なんともちょっと卑怯者的な、いわゆる海外マスコミで自らの身を第一に守ることに重点を置いた、結果的に八方美人的な内容となっているかと思われます。まあ恐らく本当に面白い内容などはその他にいくつも個人的に保存しておいているのだと思いますが、3.11地震の直前に出版されたというフリーメイスンリー関連本というものであり、あまりにセンセーショナルな内容でも逆に反感を買うだけであり、これまでの陰謀論を裏打ちするような冷静な内容にするのが最も効果的という程度を加減したものであるかと推測されました。

あとは気になったのがご本人が自然と英会話がスムーズな流れとなっているようなのですが、どうもそれがどの程度までの理解であるのかというところがなかなか掴めないというか、実際あまり分かっていないのではないかというところが多く感じられ、また世界各国の取材旅行について必ず優雅な一シーンを挟むのが何の意味があるのか全く不明で、結局フリーメイスンリーについて一般人以上に理解しているものではなく、また実際にはフリーメイスンと全く同じように遇されていながらそれについて自身はなんともコメントをしていない所が、どうも残念というかなんとも消化不良を感じさせずにはいられない所でしょうか。

取材の過程で出てくるほとんどの人がフリーメイスンであり、恐らくイギリスでの徳本氏の師として関わる人物も恐らくフリーメイスンなのですが、本当に最後のところがA級戦犯の遺骨の話で終わるところは非常に残念という他ないというところでしょうか。
興味のある人は戦中戦後の日本におけるフリーメイスンリーの活動について日本語で書かれた資料としてさらに調べたり、まとめたりするのに参考になる資料となるかと思われますので、実際は英語の資料に当たる方が良いかと思いますが、参考にされると様々なきっかけになるかもしれません。この手の本は本当にロスト・シンボルやダヴィンチ・コードの翻訳などもそうですが、フリーメイスンリーについての基本的なFreemasons for Dummiesレベルの内容を理解してから書かれると全く違ったものになるのではないかと思うのですが、なかなか日本のフリーメイスンリー関連の書籍の浸透度が明らかに足りないというところで、結果的に赤間剛氏のようなマスコミ出身者の偏っているとはいえ偏執的な情熱を感じさせる著作の方が内容の充実さや面白さという点においても段違いのものになって来るというところはあるのだと思われます。
まあブラザーダン・ブラウンシリーズやその他の最近の日本のフリーメイスンリー関連の出版に共通するものですが、極めて冷静な態度や姿勢を貫いて、客観的な記述に軸をおいたものの方が、結局は本質的な理解に繋がるという経験的なものもあるのだと思います。陰謀論を交えた内容を読んでそのままロッジに来る人がいかに素早くフリーメイスンリーから離れるかというのも歴史的に恐らくこの本の内容のようにうんざりするほど感じさせられたのだと思われます。

まあ横浜ロッジやその他の日本のロッジに訪問する際に必ずしも必読の内容とは思えませんが、実際ロッジに行けばメンバーは皆アメリカ人ばかりという現実に直面するわけで、何度かロッジに行ったあとには必ず読みたくなる本、またはさらに深い内容を知りたいと思ったら最初に読んでおきたいと思う本ではあるかと思います。特に横浜ロッジの場合にはこの本に書かれたようにブラザーマッカーサーの写真が象徴的に置かれていて、私としては隣にある東京大空襲を立案したブラザーカーチス・ルメイの写真の方がインパクトがあったのですが、まあそれとまた東京スカイツリーの仏塔としての意味なんかも出てきたりするのでしょうが、そういう書かれた内容を追認する意味でも横浜ロッジに訪問するつもりの方は読んでおくとよいかもしれません。
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(実際にロッジにある写真は上のものとは若干異なります。さすがにインターネットには出てきていないようです。)
追記:詳しい書評のページがありましたのでリンクしておきます。
2013-10-08 17:00 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
ターナーの絵のごとし 馬堀の空は
2013-10-09 21:19 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
まあブログを読むのにお金も出したくない人が本を買って読むかというとあり得ないわけでして、結局そういう事にお金を出す人はどちらにしても出すようになるわけで、まあ悩ましいというか単純というか世の中そう簡単には思考と一緒で変わらないという話だと思われます。

で、恐らく横須賀で最も興味の度合いが高いかと思われるブラザーデッカー司令官の回想録についての解説ですが、ブログ一部が1000円だとすると明らかに本を買った方が安いわけですが、まあしょうがありませんね。結局そういう習慣を変える事が求められているわけですから。

まあ聞く耳が無い人にお説教をしてもしようがないわけで、意味があるのかないのか分かりませんがブログの方を続けることとします。(有料化中に書き出していたのですね。ご了承ください。)

第三章の題は横須賀復興に着手です。具体的には悲惨な日本人の衛生状態の改善と、復興の目玉である聖ヨゼフ病院の建設、栄光学園や清泉女学院、青山学院大学工学部などの現在まで残るキリスト教の病院や学校の建設が描かれて行きます。現在それらを利用する日本人もまさかこんな所までブラザーデッカー司令官が関係しているとは思わない人も多いかと思いますが、そういう部分では関与する日本人の数は相当多いものとなるかと思います。その他衣笠病院もその後にブラザーデッカーが直接建設に関与しており、関東学院についても六浦地区への移転に関与しているようです。

最初の章の副題はDDTの散布です。当時を生きていた方には良く懐かしいと思いだされる代表的な事例かと思われます。ハエ、カ、ノミの駆除のために撤退予定であった海兵隊航空攻撃群に依頼して谷戸の住居などめがけてDDTを散布する様子が描かれます。面白いエピソードとしてブラザーデッカー司令長官邸の3本の木の幹が大きな黒いハエで覆われてしまったというほどのハエの増加が描かれます。ネズミの駆除などはチフスを警戒していた事が書かれています。
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次は水の供給です。いわゆる一般的な防疫給水活動という事かと思われます。水圧が十分に上がらず汚水が混じるという水道管の水漏れが原因であったためおこる水不足の状態を改善し、基地内に24時間水が供給できるようになったのですが、市中への供給には問題があり、それもやっと解決したところで市が基地司令官に水道代を要求してきたという奇妙な事例が書かれています。恐らく回想録に描かれない水を巡る争いがあったものかと思います。結局水道施設の権限を全て市に与える事でこの話は落ち着いたようですが、731部隊の事例ではないですが、水の安定供給は部隊や市民の生活の基本でありその部分で駆け引きが相当あったことが示唆されますし、またその部分については描ききれないことが分かるかと思います。
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次は女性解放に取り組むです。ここでもまたブラザーデッカー司令官の独自の日本女性観が語られ、日本女性が基地行政の上で評価され非常に味方になるという視点が語られます。紫式部の「源氏物語」を挙げて評価したりしています。婦人会の設立でもやはり横槍で他のグループが男性が説得する形でやってきたりしたようですが、とにかくなんにつけても旧海軍の邪魔をする活動があったことがわかります。この点に関してはほとんど現在も横須賀は変わらないかと思われます。結局信頼していた英語が話せる高岡夫人を中心として婦人会が結成されるのですが当初200人という人数でこれでは少なすぎるという事でブラザーデッカー司令官は何と熱帯で腐りかけたり虫が食ったりしていたチョコレートを分け与える事で会員を最終的に横須賀市の主婦全員にしたと書いています。これはもちろんアメリカ国内向けに日本人に媚びたわけではないという部分もあるのだと思いますが、恐らく品質的にはかなり何とか食べられるチョコレートであったのだと思いますが、実際その当時の日本人がそういうチョコレートそのものに強烈に飢えていたという事でもあるのだと思われます。こういう嗜好品についてはブラザーナポレオン時代の大陸封鎖令下でのコーヒー豆の欠如からイタリアのエスプレッソが開発された事例にも繋がる人間の欲を利用した例かと思われます。前の部分の日本人女性に対する評価と実際のあしらいというか対応とのギャップがなかなかブラザーデッカー司令官の日本人女性に対する全体的な対応として興味深いですが、まあそれは当時のアメリカ人において一般的であったのだと思われます。
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規格外食糧です。なんだと思うかもしれませんが残飯の表現です。当初残飯の処理を市内の業者に頼んでいたそうですが、結局当時の日本の一番の問題が食糧であったので残飯を運ぶ他にプライドがあるので基地から食糧を盗んでいたそうです。そのためにその残飯の処理について信頼できる婦人会に頼んだそうですが、エドウィーナ夫人は残飯の呼び方を規格外食糧と呼ぶように主張したそうです。まああまりに悲惨な状況であったのだという事だと思われます。さらに婦人会は食器の洗浄をさせてくれと頼み、結局ブラザーデッカー司令官は魅力的な女性を食堂で働くようにしてこれに同意して、兵士たちが残飯を増やしたという話です。はっきり言って日本人としてこれ以上の悲しい話はありません。しかしその当時の状況がまさに餓死があるほどの状況であり、そうした残飯の配給が非常に重要であったことが語られます。その他に軍事食糧も余ったものを配給したことが書かれています。基地の兵士にとってはとてもじゃないが食べられない状況のものであっても、感謝こそされたものの文句は一切なかったそうです。この後はそれらに対する感謝の手紙です。
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感謝の手紙。感謝の手紙を上記の規格外食糧に対して山のように受け取ったそうです。一例のみ挙げられていますが、まさに含意のない賞賛のみの文章が挙げられているようです。その後に婦人会の感謝状も挙げられます。なかなか占領当初の日米の対立に日本女性が止むに止まれず身も心も捧げて尽力したことが思われます。
手紙
警察に靴を。いわゆる現在も多少はあるのでしょうが、米軍の放出品というやつです。米軍の使用しなくなった作業着や靴を日本人向けに小さく作り直した後警察で使用して見栄えが良くなったという話です。1950年にブラザーデッカー司令官が離任するまで使用されたそうです。
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警備員詰所の老警官。靴や作業着を与えて警察との関係が良好になった感じですが、司令長官官舎の警備員詰所に日本人の老警官が立っていて非常に心温まる友好的な挨拶であったという事です。辞めさせようとしても辞めさせることは難しいと海兵隊のウルフ大佐に説得されたとのことで、恐らくお互いに分かっていたと思いますが、司令長官の帰宅を確認する役割であったのだと思われます。
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婦人警察官。女性の社会進出を促す目的もあり、婦人警察官の制服をデザインして制度を作ったそうです。面白いことに成功したこの制度という事ですが、仕事に就いて一カ月もしないで結婚するものが多かったという事で補充する必要が多かったと書かれています。もちろん誇張でしょうが、ブラザーデッカー司令官自体こういうコスプレのような事を気に入っていたようです。
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軍医とコレラ。まだ聖ヨゼフ病院などを建設する以前は病院があったもののほとんどまともに機能する状況ではなく不衛生で問題があったことが書かれています。そのためコレラが大津地区で発生した際にはアメリカ軍の軍医が隔離と予防接種を行い早期に終息したと書かれています。まあ色々占領中であり様々な不満や問題提起があったのでしょうが、いずれにしてもその後の日本人医師を指導して早期に日本人自身での十分な医療環境の回復へ促す事のきっかけであった事はあるのだと思われます。有名な帝銀事件などの伏線になっているところもあるのかもしれません。
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民主主義はキリスト教で。占領政策にキリスト教の布教を利用する方針をブラザーデッカー司令官は立てます。日本を民主国家にするために占領軍はキリスト教布教の担い手であるという方針があったようです。カトリックの神父とプロテスタントの牧師に要請して可能な限り宣教師やキリスト教関係者を集めるように指示し布教を開始したそうです。
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聖ヨゼフ病院の誕生。かつてこのブログでも取り上げた横須賀米軍基地前にある象徴的な病院の成り立ちの話です。元々旧日本海軍の海仁病院として昭和11年に設立されたもので、戦後もすぐにアメリカ軍は接収せず放置していたようですが、日本海軍軍人が処分しようと動いているという話で、ブラザーデッカー司令官が対応します。トラック71台分のゴミで埋められていたそうですが、戦後は木賃宿として使用されていたそうで、旧日本海軍の将官が卒業証書を看護婦に渡している写真があったそうで、これなんかは私も働いたことがありますが、横浜南共済病院などと同じ海軍系の象徴であったのかと思われます。ブラザーデッカーは母親がカトリックであったためか、この象徴的な場所にある病院をカトリックの病院として運営する事を思いつき、結局福岡で病院を運営していたカトリック組織から日本に40年間在住する65歳であったフランス人の日本語が達者なブルトン司教を呼び寄せて運営させることとしました。ブルトン司教は非常に笑顔が素敵であったそうですが、好印象の人物であったそうで、聖ヨゼフ病院として名付けて運営すると言ったそうです。ブルトン司教の逸話として戦時中に日本軍に拘束された際には独房で讃美歌を歌って日本人が耐えられなくなって釈放したそうです。カトリックでありフランス人でもあったブルトン司教はフリーメイスンではなかったようですが、明らかにフリーメイスンであった当時のフランス大使のブラザーペシコフ仏大使がスコティッシュライトの帽子をかぶった状態でブルトン司教に勲章を捧げる様子の写真が載せられています。ブルトン司教の逸話として聖ヨゼフ病院を改修する際にペンキが必要になった際には天から白ペンキが届いたと言い、ペンキが足りなくなったら天と連絡が取れなくなったと言ったという話があります。まあいわゆるカトリックという感じでしょうか。病院が開業後は基地の米軍医が指導して医療水準の向上を図り、病院食を整え、注射針を交換するように指導し、麻酔を使うよう指導したそうです。恐らくフリーメイスンと思われますが、ジョン・Qという恐らく軍医でしょうが、この方に日本医師会を設立させて日本の医療水準を向上させたそうです。戦後の日本の医療はこの横須賀から始まったと言っても過言ではなかったのかと思われます。
また最後に他の病院、恐らくこのブログでも横須賀の某病院として取り上げた横須賀共済病院かと思われますが、その病院の患者の子供が氷が必要と言う事で基地の特別な氷を送ったところ医師と看護婦が使っていたので厳しく注意したという逸話が書かれています。まあその後の市民病院や衣笠病院の失火災害の伏線となる出来事であるかと思われます。
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栄光学園。カトリックの神父がイエズス会の神父を連れてきて栄光学園を開設する事になります。この際のフォス神父が後にも出てきますがどうもフリーメイスンであるようです。
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清泉女学院。長野県から修道女を連れてきて女学校である清泉女学院を設立します。非常にうまくいったという事です。修道女が最初はブラザーデッカー司令官の元によく来たのに来なくなったので、ブラザーデッカー司令官自らが犬の散歩を兼ねて訪れたという事です。鐘を鋳造し、将校クラブの近くにあったシスターを起こすために鳴らして、朝寝坊の将校たちを早起きさせたという事です。プロテスタントの組織は民主的に運営されていたので、カトリックのこれらの動きに比べて非常に動きが遅かったそうですが、それをフォス神父にプロテスタントはプロテスター(文句ばかり言ってまとまらない人たち)だ!と評されたそうです。なかなか面白い話ばかりです。
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田浦の基督教社会館。今度はプロテスタントのメソジスト派の話です。旧日本軍将校が使っていた田浦のキャバレー跡をキリスト教活動センターとしたそうです。そうする事でその当時田浦にもあった赤線地帯を廃止に追いやったそうです。イエズス会とプロテスタント教会で共同して抗議したそうです。まさにフリーメイスンリーの活動であったのでしょう。
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青山学院大学工学部開校と「君が代」斉唱。青山学院の工学部が基地内に開校したそうです。メソジスト派で6月28日と言う事です。米国国歌のあと日本国歌が歌われたそうです。その経緯としてブラザーマッカーサーが君が代の斉唱を禁止したとして地元の学校が校長の指示でインターナショナルを歌わせていたという事を聞いたからだそうです。このブログでも君が代のフリーメイスンリーのシンボリズムについて触れましたが、恐らくそれらをブラザーデッカー司令官は知っていたのかと思われます。君が代が戦後歌われたのはこれが初めてではないかと書いています。
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学校訪問。エドウィーナ夫人が横須賀市内の公立学校を視察した様子が描かれています。非常に不衛生な状況でしたが、先生と生徒の印象は良いようでした。共済病院にも訪問し、やはり不衛生な状況で空調もない状況であったようです。盲腸の手術をした状況であったそうです。
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病室で調理・洗濯。共済病院の実際の入院生活の様子を描いています。看護婦が実際には掃除婦としてしか動けず、実際の患者を見るのは家族で、食事は七輪で家族が作り、洗濯も家族が行っていたそうです。ゴム手袋もなく、ペニシリンや血漿もない状況であったそうです。かなり気がめいったそうですが、その後刑務所も訪問し、刑務所の方がずっとましだったそうです。警官にアメリカ人大尉が指導して待遇を改善し、市民の公僕としての自覚を教えたそうです。囚人への待遇も改善されていたそうです。
学校と病院と刑務所の様子を視察して、刑務所の様子が最も良かったという状況であったそうです。数日後にそれを聞いてブラザーデッカー司令官は警察本部と刑務所を視察して機嫌よく帰って来たそうです。
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さいか屋の白塗りに横ヤリ。戦時中に迷彩塗装してあったさいか屋の壁を社長が白く塗ろうとしたら日本の役人が途中で止めた話です。結局ブラザーデッカー司令官が再開させたのですが、誰がボスであるかという話であるようです。恐らくロータリークラブやライオンズクラブの話と共通なのでしょうが、こうした話を読んで日本でフリーメイスンが増えるでしょうか?
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孤児院。新生横須賀婦人会が戦争孤児院と老人ホームを設立しました。孤児院に併設して洗濯屋と石鹸工場を開業しました。
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空き缶からおもちゃ。ビールの空き缶を回収させておもちゃや台所用具、ちょっとした器具を作り、安い値段で売ったそうです。孤児院は自給自足できるようになったそうです。
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古紙再生工場。旧海軍が残した建造船の艦船の設計図の古紙が大量にあり、その古紙再生に日本人に工場を再開させたそうです。トイレットペーパーと包装紙を作ったそうです。日本人に運営を完全に任せたそうです。商工会議所が設立されて、工業倶楽部も力となったそうです。後の経団連でしょうか。家具工場と絹織物や木綿の紡績工場を作らせたそうです。
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海苔。海苔の養殖が廃油で妨害されることが起きたため、ワシントンに掛けあって廃油を捨てる事に罰金を掛けて投棄をやめさせたそうです。
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横須賀の奇跡。横須賀の工業再生化計画をまとめてGHQ経済科学局長マーカット陸軍少将に手渡したところ、若い民間人エコノミストを紹介され、そのエコノミストが横須賀を破壊するつもりなのかと言ってきたそうです。結局そんなつもりはないので、ブラザーマッカーサーに直接会うとブラザーデッカー司令長官がつっぱねて言うとそのエコノミストはマーカット少将に計画を承認するよう進言したそうです。まあ色々事業をやってみて最初は素人な感じであったのが徐々に本格的な行政運営になっていった過程でしょうか。
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これで第三章は終わりですが、この辺りからその後の性病の撲滅の辺りまでがこのブラザーデッカー司令官の回想録の横須賀市政に関する辺りの肝かと思われます。ブラザーデッカー司令官が行った事業はほとんどがそのまま現在まで横須賀の主要なものとして残っているかと思いますし、逆にその後に反省して手をつけられなかった事業と言うのがほぼまたそのまま残っているというのもまさに横須賀の創世記と言うほどの話ではないかと思われます。その他は大体日本の旅行やパーティー、GHQの内部の人間関係、フリーメイスンリーの活動などです。栄光学園のフォス神父の話などフリーメイスンリーの内部事情についてはかなり迫って出てきますので、日本人が書いた、資料にあたったフリーメイスンリーについての記述などより、こうした実際のロッジや直接ワシントンやアメリカとやり取りしていたフリーメイスンの活動の記録の方がはるかに具体性が高く参考になるものかと思われます。まあ実際横須賀市が翻訳に協力していたりして、この本を読む方はこれがフリーメイスンリー関連の一級の資料であるとは思わないと思われますが、間違いなく日本におけるフリーメイスンリーの一級の資料であると思われます。横須賀のバイブルと言う表現を行ったりしましたが、間違いなく日本で友愛団体に関わる人間であればまず読んでおいたほうが良い本であるかと思われます。
2013-10-10 21:12 | カテゴリ:アメリカ
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてまあ今週横須賀でフリーメイスンリーのイベントとも言えるプラハ国立歌劇場「魔笛」 <全2幕、原語上演・字幕付き>の公演があり、汐入のベイスクエアもテレビに映ったりなんかして気忙しい限りですが、だからブログを書くわけではありませんが、まあ50州もあるというわけで、ちょっとずつ進めないといつになっても終わらないので、ちょっとずつ書き進める事とします。

記念すべき13州目はオレゴン州という事で、どこにあるのというのが多くの日本人の疑問かと思われますので場所を最初に示します。
オレゴン州場所
カリフォルニア州の北、ワシントン州の南ですね。日本にとっては太平洋を挟んで地理的に重要な土地となるのでしょうが、あまり注目されることはありません。まあ理由は色々あるのでしょうが、実際アメリカは広いので50州全部分からないというのが実際だと思います。オレゴンをカタカナで検索すると出てくるのはステーキのお店や山歩きのGPSの名前や店名や商品名で出てくるようです。まあ印象としては自然が多くアメリカの西海岸に特有の進取の気性という感じでしょうか。ウィキペディアを読むとなんと州都周辺の地域政府として直接民主制を取り入れているそうで、人口構成を見るとやはりドイツ系が22%と多く、宗教もプロテスタントが多く、またカトリックも14%あり、インディアンカジノもあるというある意味典型的なアメリカの州という表現もできるのではないかと思われます。企業ではナイキが本社を置くそうで、その他にIT企業のアマゾンやフェイスブック、グーグルがデータセンターを持っているそうです。
フリーメイスンリーについてはグランドロッジは4つあり、プリンスホールフリーメイスンリーは多くないようですが、通常のグランドロッジのフリーメイスンは11500人ほどで383万人の人口比でいくと330人に一人ほどで明らかに多くはありませんが、どうも偶然33という数字が並んだのかなかなか面白い所でしょうか。グランドロッジのホームページはこちらです。
ウィキペディアの写真ではやはり州会議事堂とフッド山という富士山よりやや低い州内で最も高い山が印象的でしょうか。
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州会議事堂の建築も非常にフリーメイスンリーの建築という印象が強い石壁のものかと思われます。左右には桜の木でしょうか。
その他オレゴン州で特色のあるのは尊厳死法と大麻の合法化、後はキリスト教のシンボリズムともなる州都ポートランド周辺でのワインの醸造が有名であるようです。

オレゴン州
では州章です。ウィキペディアにある州章では黒と黄色の二色という州章の中では際立ったものとなっています。ドイツ系が多いことを考えると、ドイツの国旗の色の影響や鷲が上にあるなどもドイツ系の影響があるのかもしれません。OREGONという州名もOHIOと同じようにやはりAll Seeing EyeとGやRのシンボリズムがあり、州の議事堂もその影響があるのかもしれません。(10/11追記:GERMANのアナグラムもあるようです。OOはMAに置き換わるようです。)上部の国璽と同じ鷲のシンボリズムは良いかと思います。イギリスの軍艦とアメリカの汽船を意味する船のシンボリズムや太陽と光線のシンボリズムは良いと思います。山と木のシンボルはやはりシナイ山とレバノン杉で良いのかと思います。幌馬車はどう見ても明らかに牛が引いていて幌牛車なのですが、まあ実際牛が幌車を引く事は無いと思うので、これは明らかに異教の神としての牛と聖櫃、幕屋を意味するのだと思われます。その前には農業を意味する鋤と必ずあるユダヤ教を意味する立った麦藁があるわけですが、さらにそこには鉱業を意味する鶴嘴が加わっているようですが、どうも全体としてごちゃごちゃとして何か形作っているようです。もちろん鶴嘴や鋤もヨークライトのシンボルとなるわけですが、どうも全体として影絵のように何かを形作っているようです。
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それでもう少し分かりやすい州章を持ってくると、山の前にはエルクが描かれていて、これはやはり後から付け加えられたそうです。友愛団体エルクの影響力が強くなったことが考えられます。また33番目の州と言うところで33個の星が示されています。33と言えばスコティッシュライトと言う事な訳ですが、スコティッシュライトのシンボルとしては双頭の鷲、これが合衆国の国璽となるわけですが、その他にいわゆるスコティッシュライトのシンボルとして理性の光を意味するランプを象徴とした以下のものがあります。
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scientia potentia estは知識は力なりという意味で、このシンボルマーク自体を公的なシンボルとして使うようになったのは最近のようですが、恐らく鋤や麦藁と鶴嘴を合成して形作っているのはこのランプなのだと思われます。なんせ33の五芒星ですから。上にある鷲とともに全体でスコティッシュライトのシンボリズムを強調しているものかと思われます。THE UNIONという標語もスコティッシュライトの理念を示しているものかと思われます。ちなみにオレゴンのスコティッシュライトのサイトはこちらです。
まあちょっとかなりな変化球なわけですが、シンボリズムの勉強にとっては非常にためになる素晴らしい州章という事になるのでしょうか。
Seal-OregonProvisionalGov.jpg
ちなみに上記の州章になる以前の州章は2種類あり、上のものは最初の地域章で非常に分かりやすいアルファベットのシンボリズムとユダヤ教を意味する3つの立った麦藁、サーモンのキリスト教を示す魚のシンボリズムであったそうです。これは非常に分かりやすいですね。
Seal-of-Oregon-Territory.jpg
その次がこれであったそうで、左にネイティブアメリカン、右にハクトウワシ、船にシナイ山を示す山となっているようです。上部のビーバーは州の愛称もビーバーの州というそうで、ウィスコンシン州と同じでやはり幕屋に使われた小動物の毛皮の素材という事で、ロイヤルアーチの象徴となるようです。五つの五芒星はやはりキリスト教を強調する意味になるのだと思われます。上部のモットーはAlis volat propriisでShe Flies With Her Own Wings彼女は彼女自身の翼で飛ぶ。だそうです。どうも女性形になっていることがフランスの象徴のマリアンヌと鷲が一致している、要するにスコティッシュライトの鷲の意味で、その翼の33の羽を意味して、33階級の保持者を意味するのではないかと思われます。まあどうも暗号ばかりでしょうか。
オレゴン州州旗
州旗は明らかに青地でフリーメイスンリーを示しているようです。1859年はオレゴン州が州になった年のようです。1859という数字も13×13×11という事で、同年にスコットランド国立美術館が開館したり、スエズ運河起工だったり、ディケンズの二都物語の連載などがあったそうです。なかなか数字も侮れません。

まあ明らかに理性を示すランプのシンボリズムはちょっとどうなのというところですが、こういうのもスコティッシュライトではありなのではないでしょうか。
2013-10-13 08:06 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
本日は横須賀で3回目となる魔笛の記念すべき公演日で恐ろしいほどの天気となっているわけですが、また恐ろしいほどの台風で葉を痛めつけられたヴェルニー公園の薔薇は手入れの甲斐あってなんとか一度は満開になりそうな気配ではありますが、去年の今頃はちょうど秋薔薇のローズフェスタが行われていた時期で、恐らくこのままいくとちょうど10月20日頃の秋のベース開放であるみこしパレードの頃に薔薇もいい見ごろになるのではないかと思われる、大きなマンションも立ち、これから人が増えそうな雰囲気があるここ横須賀です。(書き出しが10月12日だったのですね。)

というわけで何やかやでまたもやボランティアブログとなった当ブログですが、スコットランドの旅はまだまだ中盤で、メインであるフリーメイスンリー歴史学会のアブストラクトの翻訳や解説はまだまだ到達しておらず、長い夏休みから明けた如くブログ作成を進めなければならない状況のようです。

で今回の場所はロイヤルマイルズでもっとも目立つ建物であるセント・ジャイルズ大聖堂なわけですが、前々から言っていた通りこの建築が恐らくスコットランドエディンバラの最大の謎、まあ要するにフリーメイスンリーのシンボルが教会の一番上に示されているという事なわけですが、まあそうなるといわゆる長老派教会、プロテスタントというのは結局全部がフリーメイスンリーと一緒なのという話になるわけですが、まあ実際はそういう事なのでしょう。そうすると結局フリーメイスンリーがカトリックと対立関係があるとか、アメリカはフリーメイスンリーが作った国であるとか、イギリスはフリーメイスンリーの発祥の国だとか、ドイツも実はそういうフリーメイスンリーが盛んな国だとか、フランス革命はフリーメイスンリーが関わっているだとかそういう話も非常に分かりやすくなるのではないかと思われます。またフリーメイスンリーはユダヤ教であるとか、フリーメイスンリーは友愛団体であるとか、実は組織ではないとか、規則や罰則は無く個人の信条だとかそういう話も非常に理解しやすくなるのかもしれません。プロテスタントの方々が素朴に感じた、どうも聖書の神は沢山いたり一神教になったり性格が変わったり、どうも聖書は書き手がたくさんいそうだったり、歴史書だったり創作話のようであったりといった、いわゆる自由な読み手の読後感がそのまま宗教的寛容やそれでいて聖書の統一したテーマである、この世の運命論やいわゆる予定説といわれる神と人間の存在の関係性が感じられ、それらはまたユダヤ教徒が長年かけて培ってきたユダヤ教の教えともまた非常にリンクするものであり、それらがまた旧約聖書や新約聖書に隠されたあからさまに語られない知恵や真実の探求へといざなうものでもあったのかと思われます。

フリーメイスンリーの教えや勉強法はそのほとんどがキリスト教とユダヤ教からとられていて、最終的には聖書の引用や解釈と密接に関わっています。日本では今年は伊勢神宮の式年遷宮や、出雲大社の遷宮などもありましたが、古来からの伝統宗教である仏教や神道が宗教的基盤のほとんどでありながら、実際には明治時代以降日本にやって来たこれらフリーメイスンリーの知恵によってもたらされた科学技術や民主主義社会の考え方に基づいてほとんどの生活が行われるというまさに和魂洋才を体現した形となっているかと思われます。仏教や神道の考え方も確実に内包するのが聖書の知恵やキリスト教、ユダヤ教の知恵であり、それらがまた宗教的寛容としてフリーメイスンリーに表されているものであり、真の文明化、日本人自身が真似ごとではなく作っていく文明化社会を築くにはやはりこうした旧約聖書、新約聖書の知恵を自らのものとしていかなければならないと私は考えています。
宗教的寛容とはすなわち自由だと思います。自由とは自ら選択する自由であり、何かをしない自由とともに選択するために十分に理解したうえで選択する事ができる自由であるかと思います。日本人は西洋文明の根幹にあるキリスト教やユダヤ教について無知であります。無知でありながらその表層にある科学技術や社会制度を否応なく取り込み、自らそれを自由と称してそれでありながら伝統宗教に固執しキリスト教やユダヤ教について無知であろうとしています。これは要するに真の自由ではなく無知に囚われた精神的な囚われ人であるのだと思われます。やはりフリーメイスンリーの教えを正しく理解するには聖書に触れる事は必要であり、それら宗教についての自由度が日本は圧倒的に低いものかと思われます。いわゆる日本教と呼ばれるような全体主義的発想は未だにこの国を覆っているものがあるかと思われます。伝統や既存の社会と調和して個人の倫理観や社会性を高める宗教的価値観がフリーメイスンリーで求められる無神論者でないことの条件であり、それはまたどの社会においても人間個人を評価する上での大前提となる倫理観や行動の規範であり、今日の日本においてそうしたユダヤ教やキリスト教から得られた科学文明の生活と神道や仏教における宗教的価値観の矛盾のひずみは相当なものがあるかと思われ、それらを修正する大きな鍵となる知恵がこれらフリーメイスンリーの知恵と呼ばれる、聖書に基づいた教えなのだと思われます。

とまあ能書きを垂れましたがこのブログを書き始めて最初から一貫して同じことを書いていますが、恐らくほとんどの人はそのままだと思われます。ロスト・シンボルが日本で売られ始めたときに新書が山積みに売られていて、その後古本屋で驚くほどの安い値段で大量に売られていた事を思い出します。日本におけるルネサンスとも言える聖書文学とも言える聖書を読む事の普及にはまだまだ時間がかかるのかと思われます。それと恐らくリンクするのがロスト・シンボルの映画化の話であると思われ、これは結局古の知恵とされるものがどのようなものかという理解が浸透した度合いを測っているところなのではないかと思われます。前作のダヴィンチ・コードの本も読みましたが、あれだけでも10年前ほどなのですが隔世の感がありました。日本でも急速に変化は始まっていると思われます。知は力なりというのは知識についても知恵についても言っているわけで、フリーメイスンリーが本読みの愛好家団体というのも確実なものであって、インターネットはその為の強力なツールであり、こうしたブログもそれらのためのものであり、世界で最高のベストセラーである聖書はまず必読の書である事は間違いないでしょう。

ではその宗教改革の聖地であるエディンバラのセント・ジャイルズ大聖堂の様子を見ていきます。(追記:セント・ジャイルズ大聖堂は宗教改革で重要な役割を果たし、カルバンに師事したジョン・ノックスの遺骨が埋められた場所だそうです。A級戦犯の骨じゃないですが、お墓の場所というのも大事なことです。)
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入り口の写真ですね。3つの三角形が認められます。
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内部の全景です。12世紀ころに最初に建築され、現在のものは15世紀の火事の後の改築したものだそうです。12世紀というと日本では鎌倉時代となるのでそのころから残った建築というと日本では鎌倉大仏位でしょうか。手前の天使は寄付金受けの形をしています。ブルーの天井なのも印象的でしょうか。
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確か内部の写真を撮るのに2ポンド程かかったかと思います。こちら側はスコットランドの聖人や歴史上の人物、美の女神や正義の女神などの像のステンドグラスでしょうか。
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これは聖ジャイルズの銅像かと思われます。フランスを中心に活動した聖人で、やはりライ病の治療を行っていたそうです。まあ当時隔離しか対策が無かった時代の治療かと思われます。
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正面部分のステンドグラスでしょうか。図柄は良く分かりませんが、比較的新しいもののようです。
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大聖堂の中心にある祭壇です。明らかにパーフェクトアシュラーの形をしています。ロウソクが二本ありますが、これが三本あったら完全にフリーメイスンリーの3つの小さな光になりますね。どこかから三本目を出してくることもありそうです。
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新約聖書のイエスの宣教の過程を表したステンドグラスでしょうか。
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ユニコーンが左右に配置された紋章があります。スコットランド王室の紋章でしょうか。
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これも新約聖書のシーンでしょうか。
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シンボルとしての太陽が目立つ、三人の聖人を賞讃した碑でしょうか。
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最後の晩餐とゴルゴダの丘へ向かうキリスト、磔にされたのちに復活する様子が描かれているようです。
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これも全てのステンドグラスを撮ろうとしたんですが、やはりカメラが駄目ですね。
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これもキリストの宣教の様子のようですが、ほかの聖人の様子かもしれません。
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パイプオルガンが非常に立派です。
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アーサー王伝説みたいなのを描いているのでしょうか。これだけフリーメイスンリーが集まっているところの大聖堂のステンドグラスですから、様々な寓意が相当に込められたものかと思われます。良く知っている人や解説書に教わると非常に面白いのでしょうね。
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パーフェクトアシュラーと青天井は非常に素晴らしい構成となっています。
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All Seeing Eyeのような円蓋でしょうか。この上に王冠の形をした屋根があるようです。
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この後のセントアンドリュースの教会もそうですが、長老派教会は良く六芒星が目立つようにあるのが普通であるようです。カトリックだとそれだけでカトリックと反対になるようですが、プロテスタントではやはり六芒星がポイントなのですね。まあいずれにしてもみなさん旧約聖書を読んでください。内部にはΧΡとアルファオメガのシンボルがあるようです。
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これもシンボリズムですね。ロバート・ドゥ・ブルースの心臓とは限定されないのだと思われます。信仰や良心、心性の象徴なのでしょうね。
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(追記:検索するとフリッカーに2010年8月のアップロードでありました。そのままステンドグラスの枠内で読むとIn corporation of Wrights. Waru's chapel Masons.でしょうか。職人の協力の元に。Waru'sは恐らく世界中の教会のメイスンの元に。という意味かと思われます。つまりプロテスタント長老派教会の中のフリーメイスン達の協力の元に作られたという事かと思われます。宗教改革以前はカトリックの教会であったことを考えれば、そこにフリーメイスンリーのシンボルがある事はそういう宗教改革の血の歴史を乗り越えた人類の啓蒙の歴史そのものを示しているのかもしれません。)
これがそのセント・ジャイルズ大聖堂の高みに位置するフリーメイスンリーのシンボルですね。あまりフェロークラフトだとかエンタードアプレンティスとか関係ないのだと思われます。シェブロンに三つの塔、青字もイングランドグランドロッジの紋章かと思われます。教会とフリーメイスンリーが協力して王冠を支えるという構成がこのセント・ジャイルズ大聖堂の構成なのですね。
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大天使がホタテの貝をもった恐らく募金用の像なのだと思います。洗礼盤とかではないかと思われます。かつては洗礼盤であったのかもしれません。
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天井が素晴らしいですね。青天井に五芒星の星は完全にフリーメイスンリーのシンボリズムに則っています。
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再びロイヤルマイルズです。369の番号もロッジの場所のようです。
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これもシンボリズムがありそうでとったのだと思います。少なくともドクロはそうですね。
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ジェイムズ・ブレイドウッドという1800-1861の方で、エディンバラで世界最初の消防団を組織した方のようです。(追記:もちろんフリーメイスンなのだと思います。あまりに当たり前になり過ぎたためでしょうか。一応このブログの存在意義なので追記しておきます。)
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大聖堂の裏側のユニコーンの像の下のところですね。三匹のライオンを撮っているのですね。良く見ると小さなガーゴイルもあるようです。
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アダム・スミス像の後ろの鋤です。まあ要するにヨークライトのシンボルのようです。ヨークという場所も興味深いです。
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アレクサンダー大王が馬を引いている像だと思われます。新しい王子の名前にも入っていましたね。
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これはウェイバリー駅の男性用トイレですね。非常に用がたしやすかったのでつい写真に撮ってしまいました。こういうのが英国でしょうか。
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ウェイバリー駅は大規模改修中でした。恐らくそういう感じになるんでしょうね。
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一番上の鉄道でセント・アンドルーズに向かいます。

さて横須賀でも魔笛が上演され文化都市として面目を躍如した感じかと思われますが、実際満席というわけには行きませんし、オペラを幼児に見せようというのはかなりチンプンカンプンなんではないでしょうか。閉幕後に拍手が10分もあるのは素晴らしいですが、なんとも横須賀の歴史の成すが故のようで、以前横浜で見たときとは意味合いが異なり過ぎてなんとも複雑な心持にさせられました。帰っていく出演者のバスも心持ち複雑そうな雰囲気でしたでしょうか。このブログでも書いた魔笛の意味合いの説明の3の強調を日本語で出演者がやっていましたが、オペラ全般の意味合いというところで、なかなか実際に芸術劇場とオペラ自体が横須賀に馴染むようになるのは相当時間がかかるかと思われました。やはり是非個人的には横須賀で蝶々夫人のオペラが見たいものだと思いました。かつての衣笠病院、市民病院、聖母の園の火事の際には、聖母の園で蝶々夫人のオペラの制作に協力した駐イタリア大使の奥さまが亡くなられたそうで、さらに火事になった日が蝶々夫人のオペラの初演日であったという事もあるそうです。まあ未だに偏見と無知と浅慮が街を覆っているような横須賀ですが、失敗は失敗と認め、それができないようであれば黙っているというのが必要なのではないでしょうか。小泉さんの訳の分からない発言もありますが、郵政民営化も含めて失敗が認められないようであれば黙るか去るかしかないのではないでしょうか。

(追記:魔笛の映画バージョンが2006年にイギリスで作られたそうです。戦争と平和をテーマに第一次世界大戦を舞台に英語版に改変したもののようで、なかなか面白そうなのでYouTubeにあったものをリンクしておきます。

2013-10-13 23:04 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてのんきな旅ブログなんですが、回るのは主に教会が多く、それも日本人には縁遠い宗教改革やら何やらという事で、まあ日本の神社や寺めぐりとはちょっと若干異なる、西欧の血塗られたキリスト教の歴史の実地見学であり、特に生活の中でキリスト教を感じたことが無かった典型的日本人としてはフリーメイスンリーの眼鏡を通してキリスト教を見てみても、どうもまたなかなか腑に落ちないというか人ごとというかそういう感じの、いわゆる日本人の観光でしょうか。
日本でもキリスト教布教の最大の死没地である島原や、その後の原爆投下もあった長崎などはそういう因襲を感じる土地となるのかもしれませんが、日本において本質的な意味での宗教改革は本格的にプロテスタントが伝わって来た明治維新後という事になるかと思い、結果的にその後の最大の戦役による死は東京大空襲を始めとした第二次世界大戦の死であり、戦後にフリーメイスンリーが普及するわけですが、それが真に日本人に宗教改革の波として捉えられてきたかは疑問であります。
まあおよそ500年前に主に北ドイツのルターやカルバンを始祖として始まったプロテスタント運動なわけですが、そのバックグラウンドとしてもちろん十字軍運動やイスラム教との接触、モンゴル人の襲来などがあるわけで、それにプラス大航海時代のマルコポーロやスペインやポルトガルのバスコ・ダ・ガマやイエズス会の活動、コロンブスの新大陸の発見などがあるわけで、これにはテンプル騎士団なども関係あるという事も言われていたりなど、とにかくキリスト教会のネットワークを中心として様々ないわゆる異教徒世界との接触を通して信仰における聖書解釈の自然回帰が図られた結果であるわけです。ルターも生年月日がもちろんユリウス歴ですが1483年11月10日 - 1546年2月18日という事で、その後各地で数多くの宗教対立による死者を出した宗教改革であってもその始原からカトリックによる明確なシンボリズムが存在する事になるのだと思われます。ロスト・シンボルでも扱われていたデューラーのメランコリアにしてもまさにこの時期の北ドイツのルネサンスを代表する作品であり、フリーメイスンリーで現在扱われる数多くのシンボリズムが描かれたものであり、またダ・ヴィンチ・コードでも出てくるダ・ヴィンチの作品の多くもまさにこの宗教改革の前提となる時代のカトリック中枢の司教達の依頼で描かれた作品ばかりであり、当時のカトリック中枢でのイエス・キリスト、ローマカトリック信仰の理解を示したものであるかと思われます。
この様に例え表面上は新しい思想と古い思想の対立のように思われる宗教対立であっても、本質的には情報の伝播、当時の情報の中心地であるローマカトリックからの情報の分散化、真実の拡散というのが宗教改革と呼ばれるものの実体であり、それはまさに現在も進行中である情報革命と同じ情報の共有化、真実の拡散であるのかと思われます。
日本においても明治維新において廃仏毀釈のような出来事があり、また戦前戦後においては神道の改革や上述の長崎への原爆投下のような事がありましたが、実際には横須賀のような重点地域を別としてキリスト教の布教のような形はそれほど浸透せず、むしろ情報革命に認められるようなマスメディアを中心とした宗教的影響の排除を表面上の動きとしたフリーメイスンリーの浸透という政策が取られたものかと思われます。そして真空状態となった日本人の心の中に上述のような情報化社会の糧としてダ・ヴィンチ・コードやロスト・シンボルのような西欧の宗教改革を瞬時にもたらすエッセンスがもたらされているのかと思います。日本人にとってキリスト教の伝播やフリーメイスンリーを体感する事は地理的要素からも飛行機で一日で変わる世界を見聞きしてすぐに体に理解できる類のものではないものかと思われます。1000年以上に渡って日本人が育んできた宗教観、神道や仏教に基づいた生活は建国以来の災禍があったとしても依然日本人の生活の基盤を成すものであり、どんなにテレビや新聞が新しい考えを普及させる事に熱心だとしても実際にキリスト教が生活に影響する事は多くなく、それはまさに英語が日本に浸透しないことに近いかと思われます。しかしながら特にインターネットを中心とした双方向メディアの出現は急速に今日の国際化社会を醸し出し、フリーメイスンリーの考え方の広がりと、その根底にあるユダヤ教とキリスト教の考え方の接近を可能にしている事かと考えます。それはまた同時に旧来の日本的生活や社会との齟齬を明らかに生じるものでもあるわけですが、それをどのように可能にするかというのがまさにこのブログの命題といえるところであるかと思います。情報が十分に与えられたとしてそれをどのように生活に活かすかというのはまさに個々人の判断であり、個々人の資質になるのかと思います。誰もがフリーメイスンになる可能性がありながらも誰もが成れるわけではないというのはまさにこのことを示していると思います。
聖書はキリスト教、ユダヤ教における聖典であり、それは仏教においては仏典、神道においては祝詞やその他の宗教行事等全てとなるわけですが、そうした宗教的教えを生活の中で知恵として活かしていくことそのものがフリーメイスンリーの教えであり、知恵となるわけです。宗教改革はまさにこの聖書を読んで原典に触れ、そこに書かれた意味をそれぞれの個人の解釈に委ねるというのがまさにカトリックが火を付けた宗教改革の原点であり、それは本質的な意味での今日における情報の開示、秘密の暴露というものかと思われ、今日の日本においてこうした情報の開示、秘密の暴露というものが十分に行われているかというと相当な疑問であるかと思います。まさに今年のブームであった伊勢神宮の遷宮にしても、今日の日本の行政府にしても、仏典や宗教団体に関する活動にしても日本においてこうした宗教改革に匹敵する情報の公開や秘密の暴露といったものが行われているとは思われません。そういうわけで日本に500年前の西欧でルネサンスを巻き起こし、その後の科学思考の発達を促した宗教改革の精神はまだ到達していないと思われます。それはこうしたインターネットを中心とした情報革命が可能にするかもしれませんが、第一には単純に西欧の宗教改革と同じく聖書を通読してそれを体験して同じ勉強法を行うという事が最大の近道であるのだと思われます。
まさにフリーメイスンリーとはそうした勉強法であり、そうしたキリスト教やユダヤ教の知恵であるのだと思われます。

さてではまたまた能書きが長くなりましたが旅ブログのセント・アンドルーズの訪問記です。
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鉄道はその後のロンドンへの移動でも乗ったような同じような車両でしょうか。ウィンザー城に移動で使ったものとは異なるかと思います。日本で日立が作っていると宣伝しているような形であったと思います。日本で言うと成田エクスプレスみたいな感じでしょうか。この写真は沿線にあった運動用のスタジアムのようで、地図で調べるとラグビー用のスタジアムのようです。エディンバラからルーカス駅までは片道13.10ポンドとイギリス国立鉄道のホームページは出ていました。ちょうど1時間3分となっています。
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これはあんまり考えていなかったのですが、エディンバラ近郊のかなり有名な絶景スポットであるフォースブリッジの上を列車で通過したのですね。他の場所からこの橋を見るのが美しいとされる風景であるそうです。参考にいくつか写真をおきます。
The Forth Bridges with South Queensferry far left, North Queensferry at the Fife landfall of the bridges on the north shore of the Firth of -1761234Wfm_db_forth_bridges.jpgSample.jpgForthBridge.jpgflat,550x550,075,f
まあなかなか美しい橋のようですが、いきなり列車で越えてしまうと見る事は出来ませんね。Wikipediaの該当ページをリンクしておきます。もちろん設計者はそれぞれフリーメイスンかと思われます。
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美しい海岸線です。日本で特に神奈川県にいるとこういう美しい海岸線があると誰も人がいないのが不思議でなりません。明らかに旅客船が優雅に北海を移動しています。なかなか悲しい習性というところでしょうか。誰も人がいないのが不思議でなりません。
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家も綺麗に並んでいます。気候は冬なんかは厳しいんでしょうが、いったいどんな家族が暮らしているのか想像もできないような感じでしょうか。
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馬や羊がのんびりと草を食べています。まさに英国という感じでしょうかねえ。
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一時間ほどで着きましたが、なんとセント・アンドルーズに最も近い駅のルーカスは予想外に無人駅でした。観光客もほとんどいないような雰囲気で、地元の人が普通に使っている感じでしょうか。バスが確かエディンバラより高く4-5ポンドだったと思いますが、タクシーだったら10ポンド以上かかると言われてバスにします。オールドコースに行くバスに乗ると皆同じセント・アンドルーズのバスターミナルに行きます。バスは20‐30分でしょうか。ちょっと不安ですが、景色が非常にのんびりしているのでまあなごみます。まさにあのミステリーサークルの舞台な感じでしょうか。
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バスターミナルのすぐ近くにある教会はちょうど改修中でした。どうもなんかイギリスの建物は皆一斉に改修中のような印象でしょうか。ロンドン五輪から引き続いたダヴィンチ・コードバブルやこのブログのような影響で観光による資本が一斉に充実している感じでしょうか。まあ街の中心にある教会なのでプロテスタント系で六芒星が認められるようです。ピラミッドと六芒星が特徴でしょうか。
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あまりにぎわっているとは言い難い商店街のようなメインロードを抜けるとセント・アンドルーズ聖堂、正確には聖堂跡があります。この時に雹のようなものがわずかに降ったりしましたが、すぐに晴れてきました。なかなか北海沿岸という事でゴルフコースとしても難易度が高いことが有名ですが、いわゆるロンドンの天気なんかよりもさらに天候が変わりやすく、通り雨が多い気候であるようです。町並みは地中海のイタリアの古い町のように歴史を感じさせるのですが、とにかく車社会なのか駐車してある車が多い印象です。また古本屋とカフェが大学があるせいか多い印象でした。普通に生活がしやすそうな感じは全くない感じでしょうか。大学とゴルフだけの町というのが実際だと思います。それ以外は漁業と農業くらいしかないのだと思われます。街中にも明らかなフリーメイスンリーのシンボリズムは認めませんでした。この長老派教会の太陽十字のシンボルがそれというところでしょうか。
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残念ながらというか、ウィキペディアの写真そのものの光景が広がっています。天気も良く、海沿いという事もあって風もそれなりに強く、まあなんというか期待通りというかそのままというか、まさに廃墟という感じでした。かつての司教座があったスコットランド最大の教会であったのが宗教改革の過程でプロテスタントの指導者を司教が火あぶりの刑にした結果その後破壊されたというまさに宗教改革の象徴の廃墟であるためか、その後墓地として利用されてもフリーメイスンリーを象徴するオベリスクなどのシンボリズムは少ないようです。
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海もビックリするほどきれいというわけではなく、岸壁沿いは潮の関係か濁っています。波はそれほど強くありませんが、風が強いので飛沫が強く、海を見て落ち着くという感じではありません。魚や鳥がいて活動しているという感じでもありません。海の感じも違うんですね。
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かつての教会の内部なんですが、青空の墓地となっています。まあそもそもウェストミンスター寺院でもほぼ墓地となっているので、あちらの宗教観としても教会が廃墟となっていても墓地が一緒になっているのは特に大きな齟齬は無いようです。単に教会が廃墟となっているのは宗教改革の象徴なのでしょうね。
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まあカトリックの教会というわけではないんですが、実際フリーメイスンリーのシンボルは少ないのでわずかにあるオベリスクの墓を撮っていきます。
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建物はまあこんな感じです。
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薔薇ですかね。
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夭逝を表す折れた石柱でしょうか。ロスリン礼拝堂の螺旋の柱のようなデザインでしょうか。恐らくフリーメイスンなんでしょうね。
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オールドカールトン墓地とはだいぶ雰囲気が違いますね。完全にフリーメイスンの方が少数派の感じでしょうか。
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オベリスクもいくつかありますが非常に申し訳なさそうな感じであります。
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ざっと見てもオベリスクや太陽十字は少ない印象でしょうか。なかなか宗教改革の実際というところでしょうか。
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折れた石柱も何個かありました。ブラザーモーツァルトの墓もそうですが、カトリックのフリーメイスンの象徴なのかもしれません。
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大天使の形の墓もありますが、やはりカトリックなのでしょうね。ちょうどカモメが飛んできたので撮りました。
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こちらはゴルフプレイヤーで近代ゴルフの父とも称されるトム・モリス親子の墓だそうです。シンボリズムが無いのでフリーメイスンではなさそうですが、栄光の後に数奇な人生をたどったそうで、フリーメイスンリーとは近かったことは確かなようです。
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塔を色々な角度からとっています。
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フリーメイスンらしい墓はこれ位でしょうか。
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カモメが飛んだり歩いたりしていました。回廊の様子がかつての教会の威容を現していましたが、それだけの建築を破壊して放置してしまうとはすごいエネルギーであったのでしょうね。しかしフリーメイスンリーの墓がそれほどなく、恐らくカトリックの方の墓が多いことはその宗教改革の反動も大きかったという事なのでしょう。後の清教徒革命や名誉革命に生かされ、結果としてフランス革命の際のブラザーエドマンド・バーグによる「フランス革命の省察」へと繋がるのかと思われます。宗教改革と教会による布教や影響力は表裏一体であり、それは現代のフリーメイスンリーの影響とも関係しているのだと思われます。宗教的自由と宗教による影響は表裏一体であり、無宗教と宗教的生活も実は非常に密接なものだという事が感じ取れるようなものでしょうか。いわゆるフリーメイスンリーでは白黒のモザイクや二元論のヤキンとボアズで示されるものかと思われます。

一応分割して3つに構成しようかと思っていますが、2つになるかもしれません。まあいずれにしてもゴルフにしても大学にしても宗教改革にしても聖地である事は確かなのだと思われます。
2013-10-14 11:13 | カテゴリ:本について
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
これについてはどうも私はその時に全然ブームに乗れなかったのを自覚していてあまり乗り気ではないのですが、要するにシオン修道会という架空の組織が概念上のフリーメイスンリーに相当するという事のようです。

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ダン・ブラウン

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10年前のものになるのですね。私も最近になってこのブログでロスリン礼拝堂などについて書いて初めてその後にダ・ヴィンチ・コードについて読んだ質でして、もちろんテレビでやっていたなんだか話が繋がらないような映画版については見ていたのですが、ダ・ヴィンチの最後の晩餐のシンボルの∨と∧の組み合わせについては納得していたというところで、それが直接ユダヤ教やフリーメイスンリーとは繋がらなかったのですが、旧約聖書も通読して、フリーメイスンリーについても大体理解したところで、ああそれでそういうシンボリズムなのだなあと若干理解されてきたところでしょうか。当時はまだマグダラのマリアとの結婚とか、イエスは実在して教団を形成していたとかいう話がナショナルジオグラフィックでも盛んにやっていた時代で、聖書も手に取ってみた事もなかった頃でしたので、欧米はそういう話が好きだなあとか位にしか思っていませんでした。

そういうわけで、当時にこの英仏のフリーメイスンリーのエッセンスを詰めこんだような作品に嵌った人は多かったようで、私も改めて読みやすいこのブラザーダン・ブラウンのシリーズを読んでみて、特に黄金比の辺りの解説は非常に分かりやすく、ああそれでこう言う等比級数というかフィボナッチ数列なんだなというのが良く分かったりと、読んでみて色々得るところも大きかったわけですが、いかんせんその他のフリーメイスンリーの本で得た知識でもってルーヴルを巡り、ロスリン礼拝堂も巡ってしまった身としては、どうもああこの人はフリーメイスンという設定なんだなとか、上述のシオン修道会というのがフリーメイスンリーに当たるんだなとか、要するにこれはロスト・シンボルとストーリーとしては一緒なんだが、もう少しぼかした話で、ロスリン礼拝堂のシンクレア家について書いていて、またあまりにブームにし過ぎて色々とイングランドグランドロッジの関連で物議をかもしだしたのだなという事も想像されたりしました。
恐らくこのブログで書くことを要求されているのはダ・ヴィンチ・コードの出来栄えの評価やフリーメイスンリーへの貢献具合というところになるのかと思います。ストーリーや構成はロスト・シンボルとは異なりかなりエキサイティングなヨーロッパの貴族社会への憧憬を抱かせる内容で、かなり優雅で安定してしまったそういう中でなんとか面白い話題を作ろうというところで、きっかけとしてダ・ヴィンチの謎解きや暗号の話などが出てきたという印象になっているところでしょうか。ストーリーは結局のところ元ネタの本がテンプル騎士団とシンクレア家、ロスリン礼拝堂との繋がりを示唆するものであるだけに、そこのところでスコットランドのフリーメイスンリーとイングランドのフリーメイスンリーとフランスのフリーメイスンリーとを繋ぐ話であるというところなのだと思いますが、実際のところはそれらがローズラインのダジャレで無理やりつなげられているというか、まあストーリー的には無理やりイエス・キリストの末裔という話でまとめられているというところになるのでしょうか。その続編としてのロスト・シンボルで聖書を読むことを勧めていた事とそれが繋がるのだと思いますが、まあダ・ヴィンチ・コードを読んでロスリン礼拝堂を巡る人が増えたというのが事実なようで、私自身も映画を見ていなかったら巡る事は無かったかと思いますので、結果的に影響力はそれなりにあって、ただ結局聖書の理解の話とは別のイングランド、スコットランドで宗教改革の後にどうしてフリーメイスンリーが生じたかの漠然とした理解というだけであって、体系的なキリスト教、ユダヤ教の理解というところにはなかなか結びつかないところがあったかと思われます。
ダ・ヴィンチ自体に対する評価は昨今一定している状況のようですが、果たして洗礼者ヨハネとキリストの関係の絵画にしても、どこまで聖書やユダヤ古代誌の原典について知識を得ていたかは疑問であり、万能の天才といってもそこまでの理論や理屈を当時に持てていたわけではないというのが、さすがに情報化社会の現代からは垣間見え、恐らく彼よりも彼に対して知識を与えていたカトリックの司教たちがそれらの水準を維持していたのであり、それこそが現代のカトリックについても言えるものなのではないかと思われました。この小説でもオプス・デイなるカトリックの付随団体の組織が出ていましたが、その前作の天使と悪魔ではカトリック内部のコンクラーベの話であったと思いますし、現在出版されて翻訳を待っているインフェルノもカトリックの3のシンボリズムに繋がる神曲にまつわる話のようですし、やはりキリスト教世界の情報の中心としてカトリックの部分は外せないというのは現在でも変わらないもののようです。

いずれにしてもダ・ヴィンチ・コードがルーヴル美術館を始めとしたダ・ヴィンチ作品の知名度をより高め、その価値を再認識させたことと、またニコラ・プッサンなどの寓意画の知名度をより高めたこと、ロスリン礼拝堂を始めとした、テンプル寺院などのフリーメイスンリー関連施設の知名度を上げて、フリーメイスンリーの存在を際立たせた事は確かなものなのだと思われます。

ロスト・シンボルのようにより直接的にフリーメイスンリーと現代アメリカを繋げるもののような話ではありませんでしたが、キリストを始めとした聖人伝説の謎ときとかつてまことしやかにささやかれた聖杯伝説といういわゆる聖遺物伝説のストーリーを通して、宗教的情熱と近代社会の成立が様々にリンクするヨーロッパの近代史を感じさせるものであったかと思います。恐らくシンクレア家の設定である、ロスリン礼拝堂の管理人一家の悲劇の話というのが、実際のシンクレア家の近代になってからの浮沈というところで、結果としてロスリン礼拝堂の整備が進み、またダ・ヴィンチ・コードの元ネタの作者の方が今年になって亡くなるという事にも関係してくるのかもしれません。日本で言うと奈良や京都、さらには九州地方を含んだ卑弥呼伝説や大和王朝の話、平安王朝の時代の権謀術数の話のような、複雑でロマンに富んだ、それでいて実際の現代にも確実に繋がるストーリーを様々に架空の話を絡めて紹介するようなそんな物語なのだと思います。
しかしまあわずか十年とはいえその後の特にロスト・シンボルのインパクトに比べると隔世の感は否めず、またヨーロッパというのが実際に行くにしても文化的にも日本からは遠いというのが実感で、まあ憧れを抱く人が多いのは分かるのですが、実際のところはそういう礼拝堂の整備の話や観光資本の話であったりという下世話な世界が感じられる、まあフリーメイスンリーというかなりコアな部分をふわふわとした綿菓子で包んだようなそんな印象の話でしょうか。実際このブログでも取り上げたようなルイ14世の話やフランス革命の話、スコットランドの王権の話など恐らく研究者が黙っていられないような話を数多く含ませればそれはそれでかなり興味深い話となったのでしょうが、そこまでしたら恐らくダ・ヴィンチ・コードブームのような爆発的な流れは困難であると見切って、オプス・デイに悪役を担わせたかなり単純なストーリーとして明らかにフリーメイスンリーのシンボルであるルーヴル美術館のピラミッドとスコットランドフリーメイスンリーの発祥の地であるロスリン礼拝堂をなんとか結びつけて、フリーメイスンリーの発祥と英仏フリーメイスンリーの繋がり、カトリックとの相反関係を醸し出そうとしたのかと思われます。実際日本でもあれを読んでグランドロッジに問い合わせる人が多くいたという事ですが、実態のフリーメイスンリーを見た際にヨーロッパの貴族社会とはかけ離れたそれを見て困惑したのではないでしょうか。まあ自家用ジェットで英仏海峡を渡るフリーメイスンもいるんでしょうが、全員がそんな感じであれば自家用ジェットがそこらじゅうにありますから。

まあしかしあれを読んでからロスリン礼拝堂を巡ったりした方は幸せな人でしょうね。ロスリン礼拝堂を見てからあの本を読んだ私は本当に不幸だと思います。まあロマンがあろうが無かろうが現実は一つという事でそういうのも善し悪しなんだと思いますが、フリーメイスンリーは実際にはロマンより現実に拘るものという事でなかなかまあ実際には色々あるダ・ヴィンチ・コードというところでしょうか。

だけどまあ当時はイエス・キリストが結婚していて子供がいたなんてストーリーはそれなりにインパクトがある時代でしたが、当時でも結婚してたかどうかはともかくとしてそもそも作り話なんじゃないのというのが率直な感想であったわけで、実際に聖書を読んだりユダヤ古代誌を読んでいる今となっては、2000年前の時代という日本にまだ文字も文明もなかった時代にこれだけ正確な記述がなされているという事のインパクトが絶大であり、それをまた大多数の人が認識していないというか読んでいないという現実がすさまじく、西欧文明の文字の文明の歴史というのに圧倒されたというのが正直なところでしょうか。やはりそういうところの反省を踏まえてロスト・シンボルではもう少し情報を増やしたのだと思われます。ロスリン礼拝堂にしても聖書の情報を踏まえなければやはり色々な造型に彩られた単なる礼拝堂にすぎませんからね。まあロスト・シンボルの現代アメリカに繋がる内容は強烈なインパクトがあり、あれ以上のものは無いと思われます。ブラザーダン・ブラウンの功績としてはそちらでしょうし、未だ映画化がされないのはそういう文字の力の証明なんだと思われます。ダ・ヴィンチ・コードは極めて強く映像化にこだわった物語のため、ちょっとストーリーが飛び飛びでいい加減なものになっているのかと思われました。それはすなわち強く観光とも結びついているのだと思われます。

私としてはこのブログとともにロスリン礼拝堂についてはテンプル騎士団とフリーメイスンリーについて書かれた本(テンプル騎士団とフリーメーソン―アメリカ建国に到る西欧秘儀結社の知られざる系譜)をお勧めしますが、確かにブラザーダン・ブラウンシリーズは読みやすいので読めますが、頭に残像のようにしか残らないと思います。まあこのブログもそのきらいがあるかもしれませんね。
(読んでいて気になったのが、ウェストミンスター寺院のチャプターハウスで対決するシーンがあったと思うのですが、あの辺りにフリーメイスンリーの源流を求めるイングランドグランドロッジの意向なのでしょうか。ニュートンがフリーメイスンであったかどうかについても取り上げたいかと思います。)
動画があったので貼っておきます。

【洋画】 ダ・ヴィンチ・コード (2006字幕)1_3 投稿者 colocolococolo

【洋画】 ダ・ヴィンチ・コード (2006字幕)2_3 投稿者 colocolococolo

【洋画】 ダ・ヴィンチ・コード (2006字幕)3_3 投稿者 colocolococolo

(追記:昨日2013年10月13日はユリウス歴とグレゴリオ暦の違いがあれ、1307年10月13日の金曜日にテンプル騎士団がフランス王フィリップ4世の謀略によって壊滅に追いやられた日から706年の記念日であったようです。だから2つも記事を書いたわけではないでしょうが、2013.10.13自体も31013の回文数になっていることもあり、重要な記念日であったようです。)

(追記:クリプテックスの暗号がAPPLEであったのは知恵の実の意味と現在のiPhoneやiPadのメーカーであるAppleにも掛けているのでしょうね。スティーブ・ジョブスが亡くなり、ブラザースティーブ・ウォズニアックも経営とは関係ないとはいえ、聖書を読むには最適なデバイスがこのAppleの端末といえそうです。また映画では特に最後までマグダラのマリアに拘っていたようでしたが、要するにフランスフリーメイスンリーの象徴がマリアンヌで女性を象徴とするところに掛けているのだと思います。まあ色々フリーメイスンリーの綱引きみたいな結果なんだと思われます。)
2013-10-15 06:35 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
どうもまあ再び台風が近寄ってきそうな横須賀なわけですが、直撃するとすると今年はヴェルニー公園の薔薇はほぼ壊滅状態でしょうかね。2004年の台風と同じような被害が予想されるという事で、なかなか9年前という事でどうも前回のダ・ヴィンチ・コードの時代と同じという感じでしょうか。
まあなかなか様々なデジャヴという感じかもしれませんが、どうにもいわゆる自然現象という事で防ぎようがないのかもしれません。

さてまあ現実世界の事は置いておいてブログはのんびりとした旅行記です。
セント・アンドルーズ聖堂のチケット売り場のところでは何やら面白そうな展示がしてありました。
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こちらは見どころをまとめたパンフレットでしょうか。色々町の歴史に誇りを持っているという感じだと思われます。
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そのパンフレットの展示がこちらに置いてあります。まあ廃墟となった教会の部分を集めたのだと思われます。石工の秘密という事でこれは完全に狙った感じでしょうか。
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しかしまあギリシアなんかもそうですが石が多いんでしょうねえ。
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これはほとんどがVesica Piscisの形をしたシール、紋章ですね。封蝋に使ったものかと思われます。
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とにかく大量にありましたね。ルーヴル美術館のエジプト展示のように写真に撮られることを意識していたのかもしれません。というか意識していたのでしょうね。
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上のパンフレットにもある髑髏のシンボルです。結局棺桶の装飾なので、エジプトの副葬品ではないですが、髑髏と大鎌と砂時計とMe Mento Moriのシンボルになるわけです。
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二重の白バラと赤バラでしょうか。イギリス王家の紋章になるのだと思いますが、こういう場合はイギリス国家そのものを意味するのかもしれません。ダ・ヴィンチ・コードであったユリとバラの重ね合わせはフランスとイギリス王家の重ね合わせだと思います。
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シェブロンもメイスンを示すシンボルかと思います。この場合は貴族を意味する事になるんでしょうね。フリーメイスンなのかもしれません。三つの薔薇も認めます。飛翔天使も見えます。
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五芒星三つですね。
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髑髏と骨のクロスは棺桶のシンボルとして好まれるデザインのようです。砂時計もあります。スコットランドではこの聖アンドリュークロスに繋がるクロスは好まれるのでしょうね。
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AMSCの意味は良く分かりませんが、恐らくマリアとキリストの意味かと思われます。
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IAMDは良く分かりませんが、やはりマリアとキリストでギリシア語のイエスの略なのかもしれません。
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手袋と砂時計と碇があります。フリーメイスンなんでしょうね。
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砂時計と髑髏とスコップと鶴嘴のクロスです。ME MENTO MORIの言葉も見えます。
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髑髏とスコップと鶴嘴と骨のクロスと砂時計が重ね合わせたデザインです。
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紋章でしょうか。
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これはピンボケですね。ADの意味は分かりませんが、西暦でしょうか。
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後は色々なデザインの組み合わせでしょうか。
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こういうのもあります。
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魚のデザインのようなものも認めます。
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ピンボケですね。
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シェブロンは分かりやすいですね。
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非常にたくさん置いてあります。一応大体写真は撮ったんだと思います。
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死を忘れない、死者を悼むと同時に生きていた事を忘れないこと、自らも死すべき運命であることを忘れないという事だと思われます。
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まあ沢山部分がありますが、実際には自然崩壊したのと破壊したのが両方なんでしょうね。
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レンガに石工のマークが付けてあります。これは新しく作ったものでしょうが、要するにマークマスター、ヨークライトの最初の階級を意味するものなんですね。いわゆるフリーメイスンの個人を認証するためのその人唯一のシンボルというものです。かつての実務的メイスンリーから思索的メイスンリーへの移行の際にはこれらのシンボルが引き継がれ、このマークを持っているのがフリーメイスンの証明であったようです。
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現代においてはヨークライトのマークマスターのシンボルという事になります。

この後はこのセント・アンドルーズ聖堂の謎でしょうか。
2013-10-15 19:37 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてまあ謎だなんて大それたことをブチあげましたが、実際謎でも何でもないんですね。
セント・アンドルーズ聖堂の入場券を売っているお土産屋さんにこんなものがあったというだけの話です。
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こちらはロスリン礼拝堂で沢山あったドルイド教のグリーンマンの彫刻ですね。非常に細かい作りなんですが、ちょっと怖い感じでしょうか。
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で、これがその謎か秘密かというところなんですが、今年の夏に六本木の国立新美術館で展示してあったタペストリーの部分のレプリカですね。貴婦人と一角獣展という名前だったそうですが、五感を表すタペストリーと最後が幕屋の前で我が唯一の望みにといった謎めいた題名が付いたタペストリーで、ブラザージョルジュ・サンドがかつて見て感動したとかいう逸話があるフランス貴族が作らせたものであったかと思います。まあ一角獣なんでスコットランドにあって全然おかしくないわけですが、こんなところでそういう日本の美術展とリンクしていたかという感じでしょうか。3つの虹で三笠公園というのもあったわけですが、まあ世界は繋がっているんだなというのを強く感じる時でしょうか。検索するとまだ大阪で開催中のようです。まあフリーメイスンリーのシンボリズムなのだというところで貴重な機会に見学されると良いのではないでしょうか。
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もう一枚お土産用の小さいのは他のタペストリーの複製で周りを塀に囲まれたものもあります。何か寓意なんでしょうがちょっと分かりませんね。お土産に食指が伸びたんですが、荷物が多いんでやめておきました。
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こちらはスコットランドの古地図ですね。お土産用です。
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色々専門書が売っています。セント・アンドルーズまで調べ出すと、イギリスの主要な各都市の歴史やフリーメイスンリーの歴史全てが対象となって来るかと思います。まあ実際そのロッジの歴史全てがまた実際のフリーメイスンリーの歴史そのものであるのが、実際のフリーメイスンリーであるわけですが、それはさすがに歴史学会のアブストラクト位で今のところはやめておきましょう。それすら難作業ですから。
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ピクト人という言葉やグリーンマンがあったりと、ロスリン礼拝堂もそうですがやはりキリスト教伝播以前のドルイド教や太陽信仰の影響が大きいのだと思われます。それらの背景と宗教改革の土壌はリンクするのだと思われます。やはりアニミズムとユダヤ教は親和性が高く、そういうのが日本での神道とユダヤ教の親和性から日猶同祖論みたいな展開にもなっていることもあるのかなと思われます。まあそうは言ってもユダヤ教のエジプトから引き継いだ文字の文明文化を知るとそういった単純なアニミズムとは異なることが分かるわけですが、そういう小さな神々をひきつける作用が同時にキリスト教との強力な表裏一体関係で世界宗教へとなったというのもあるのだと思われます。
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こちらが通常の展示のような雰囲気でした。ロスリン礼拝堂のようにやはりそういうドルイド教から繋がる元々ある石工の自然の象徴の細工が色々と彩っていたようでした。
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こちらはまああまりフリーメイスンリーのシンボリズムみたいな感じはあまり強調していない感じでしょうか。
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やはり司教が一番偉かったのだと思われます。
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基本的に石棺の蓋なので先ほどと展示してあるものは一緒で、髑髏や鶴嘴とスコップのクロスなどのようないわゆるフリーメイスンリーを連想させるシンボリズムもあるようなのですが、展示の仕方次第でそういうシンボリズムを強調したものではないものとなっている感じでしょうか。このブログの市章の話と同じようなもので、同じようなものをいくつも並べて見ていくと、そういうシンボリズムが強調されていく結局は見せ方なんだという教訓のような展示かと思われます。
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まあこういう地図を見ると、教会の建物部分と墓地の部分は昔から別になっているようです。カトリックの司教がいたスコットランドで一番大きな教会であったようですが、結局ドルイド教の神に当てられたんでしょうかね。神々の戦いというのは旧約聖書の時代から延々と続いているのが現実であるようです。
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司教の蝋人形がありました。
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塔に入れるコインを貰って行ったんですが、ちょうど出てくる人と同時になってしまってタイミング悪く登れないことになってしまいました。説明して再びコインを貰っても良かったんですが、面倒だったので登りませんでした。次の機会があれば登ってみたいと思います。
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これはまあオベリスクみたいだったので撮ったのでしょうかね。
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教会の内部部分でしょうかね。しかしいったいどんな経緯でこれだけの建築を破壊してしまったんでしょうね。日本でも仏教の寺は争いで消失してしまう事が多いですが、再建する事も非常に多いんですが、石造のものでこれだけ見事に破壊した建築というのもなかなか珍しいかと思われます。まさに戦争と宗教の請負人である石工職人が大活躍した土地であるという事なのでしょうね。

次はすぐ隣にあるセント・アンドルーズ城です。こちらも廃墟となっていますが、かつてはセント・アンドルーズ聖堂の司教が住んでいたそうです。幼い王を司教が養育したりしていたそうで、まさに王権と教会権力の象徴であったために、その後宗教改革によって廃墟となったものであるようです。
2013-10-17 20:04 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてどうもまた再び台風が来そうな日本列島ですが、今年は秋の台風の当たり年といえるかと思います。ヴェルニー公園の薔薇はかわいそうなことに潮で激しく痛めつけられていますが、わずかに咲いた状態で10月20日頃に秋のローズフェスタはなんとか行われるようです。同時にベースの開放でもあるみこしパレードも行われる予定であり、興味のある方は是非台風来襲前の横須賀におこしになってみてください。

ブログの方は再び合言葉で視聴制限中ですが、スコットランドのセント・アンドルーズの旅を続けています。
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セント・アンドルーズ聖堂から歩いて5分ほどのところにセント・アンドルーズ城跡があります。王権の象徴かと思いきやセント・アンドルーズ聖堂の司教の住まいであったというから驚きます。ウィキペディアの該当する項目をコピペします。

セント・アンドルーズ城は現在廃墟となっており、海に浸食された岩だらけの岬の上にある。ロジャー司教は13世紀初め、司教の住居として強固に要塞化した最初の石造りの城を立てた。イングランドから侵攻した軍にしばしば占領され、1336年にスコットランド摂政を務めていたアンドリュー・マレーによって再度取り替えされ、彼は二度と敵の手に城が落ちぬよう破壊を命じた。トレイル司教の代に南と西の堀がめぐらされ、その中にどっしりとした建物が再建された。ジェームズ1世は幼年時代をウォードロー司教のもとでこの城で暮らし、1445年にジェームズ3世はこの城で誕生した。 城の窓から、ビートン枢機卿は、醜聞の罪で1546年にプロテスタント改革者ジョージ・ウィシャートが火炙りにされるのを目撃し、同年にビートンはプロテスタント改革者の一派に城内で殺害された。

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城と聖堂の位置関係を表した模式図が途中に置かれています。ウィキペディアの内容と同じような内容が書いてあるものと思われます。
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これは城の門のところですね。堀がある形になっています。ロスリン城もあったらしいのでそれも行くとこんな感じであったのだと思われます。
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城の道を挟んだ反対側には別荘ではないと思われますが、この様に蔦をまとった雰囲気のある石造りの家が並んでいます。さすがに城よりは新しいのだと思いますが、100年ほどは歴史を感じさせる様子でしょうか。
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城を意識してか城のような家もあります。本当に住んでいるんでしょうか。
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入場料は城と聖堂セットで7ポンド20ペンスだそうです。展示は相変わらずのフリーメイスンリーのシンボリズムです。まあ石工の仕事を見せているわけだから当たり前なわけです。鶴嘴と鑿と木槌と鏝になります。柱頭はコリント式か複合式ですかね。パーフェクトアシュラーからの切り出しになります。
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まあ上述のように司教が依頼して石工職人が設計して作られた事が書いてあるのだと思われます。
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司教が住んでいた事を示しているのでしょうか。
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悪そうなカトリックの司教な感じですね。
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これは過激な蝋人形でした。地名ともなっている最初にカトリックの司教が聖遺物を持ちこんだという十二使徒の聖アンデレの斜め磔の像を頭に来た宗教改革の時の民衆が破壊する瞬間の像です。そういうもの壊しちゃいかんだろうと思いますが、実際壊し途中でさらしものにしたのがこの城と前回の聖堂なわけです。聖アンデレの聖遺物も聖書の伝道の話も作り話と知ったからという事なんでしょうが、一種の催眠術が解けたときの効果みたいなものでしょうかね。フリーメイスンリーに対する幻想も似たようなものだと思われます。しかしまあ十字架の磔や斜め十字の磔といった話を作った人はまさにシンボリズムの達人としか思われません。
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展示を抜けると先ほどの堀の先の門の部分です。
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まあしかしエディンバラ城にしてもこのセント・アンドルーズ城にしても本格的な石造りの城がいくつもある位イングランドとスコットランドの宗教と王権の争いはすさまじかったのですね。日本で約100年続いた戦国時代を1000年近く行っていた感じでしょうか。
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門を抜けた先に突端があります。

再びブログは三分割です。
2013-10-19 12:35 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さて大きな台風の災害が続いている日本列島ですが横須賀は秋の恒例のイベントが続く季節のようです。
残念ながら本日と明日のヴェルニー公園の秋のローズフェスタは秋薔薇はかなり少ないようですが、逆に希少性が高いとも思われ天気も微妙に晴れたり曇ったりと貴重な休日となるかもしれません。
明日のベースの開放日ともなっているみこしパレードは雨天のようですがまあそれも逆に貴重な機会かもしれません。様々な表情を見せる街横須賀を是非様々な興味を持って訪問してみてください。

さてブログの方は相変わらず横須賀紹介と本質的には変わらないスコットランドの田舎町セント・アンドルーズの紹介です。宗教改革の象徴である破壊された石造建築の二つであるセント・アンドルーズ聖堂とセント・アンドルーズ城の城跡巡りです。まあ日本でも城跡巡りなんてめったにしたことがありませんし、そもそも日本の場合は大体コンクリートの城が小田原城みたいに建てられるか、あとは大船近辺の玉縄城や長尾台城、鎌倉近辺のかつての古戦場や城跡は単なる住宅地やハイキングコースとなっていることがほとんどですので、あえて城跡をかつての城を意識して巡るという事はほとんどないかと思われます。日本でこのセント・アンドルーズの破壊された建築跡に匹敵するのは恐らく世界遺産の広島の原爆ドームになるのかと思われます。またもちろん完全に撤去されてしまいましたが、長崎の旧浦上天主堂になるのかと思われます。広島の原爆ドームを建築したヤン・レッツェルはその建築物のほとんどが関東大震災で崩壊した事でその後非業の内にチェコに帰国したそうです。最近チェコの本国にヤン・レッツェルが作った墓が鳥居の形をとりいれた形をしていると話題になっていたかと思います。ご本人は公共墓地に埋葬されたそうですが、亡くなった日は12月26日とクリスマスの翌日であったそうです。
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日本における宗教改革の精神は到達していないという話を書きましたが、バラの咲かないヴェルニー公園や何度も迫りくる台風の猛威や今年の式年遷宮の盛り上がりなどを見るにつけフリーメイスンリーとは何かを考えさせられているところかと思われます。次に来る猛烈な台風27号は3の3乗の数字に名前は現教皇のフランシスコというそうです。

さて何やら災害続きで暗い話題の書き始めとなりましたが、ブログの本文の方もそれほど盛り上がりはありません。滝廉太郎の「荒城の月」ではありませんが、なにゆえにこの荒城は存在するのかというところが考えさせられるというところがこの荒城の存在意義なのだとは思いますが、それはまた聖書の通読と同じく、それを感じた個々人の感性次第というところなのかと思われます。

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訪問した時は隠れて籠る場所かと思っていましたが、司教の住みかと知っている今となっては、井戸もあるこの場所は明らかに食糧貯蔵庫なんだと思われます。
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非常に厳重な砦となっていますが、それだけカトリックの司教が命の危険を感じながら布教活動を行っていた事の裏返しなのでしょうね。
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大きな井戸が中央にあるのはやはりこの場所が修道士たちの生活の場でもあったという事の象徴なのではないでしょうか。宗教改革によるカトリックとプロテスタントの対立がある以前から、そもそもドルイド教などの存在したグレートブリテン島ではキリスト教自体が十分な防衛拠点を持っていないと布教がままならないという状況であったことを象徴するものなのだと思われます。
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まあ好天で非常にのんびりしているんですが、荒城の雰囲気がなかなか荒々しい感じでしょうか。
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井戸も残っているんですがなんだかどういう意味なんでしょうか。修道士の生活も大変だったんでしょうねえ。
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どうもカトリックや王室関連は晴天なんでしょうかね。
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これはトイレの下水でしょうか。
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これはいかにも警戒している感じの矢が打てる狭間ですね。
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別荘でしょうかね。
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こんな感じです。もちろん天然に生えてきている芝でしょうね。葺いたわけではないでしょう。
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建物の内部はこんな感じです。結局交易路で出島なんかと同じく海路でヨーロッパ大陸のそれこそヴェネチアなんかと繋がれるという事なのでしょうね。なかなかキリスト教はシステマティックです。
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まあなんとも言えないというのが率直な感想でしょうか。
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カトリックの司教が火あぶりになるプロテスタント改革者を窓から見ていたという事だそうです。なんとも言えませんがそういう悲劇が後のフリーメイスンリーに繋がった事は確かなんでしょうね。結局それを見ていた司教も殺されてしまったそうです。
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こういう形で廃墟を残すことに決めたのもフリーメイスンリーなのでしょうね。宗教というもの、フリーメイスンリーというものがそういうツールであるという事を知らしめる事が目的なのだと思われます。
2013-10-20 07:06 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
セント・アンドルーズ城も写真の関係で3つに分割したわけですが、前回で分かる通りそれほどの内容はありません。単なる壊れた城跡が残っているというだけと言ってしまえばそれまでなんですが、まあそれなりに有名ですし、それなりに重要な場所という事で撮った写真の分だけ記事を割いているわけですが、まあいずれにしても聖書を読んだりするきっかけになりえないとすれば何の意味もないという事になってしまうかと思われます。

本日は横須賀の最重要イベントであるベースの開放日であるみこしパレードとヴェルニー公園の秋のローズフェスタの日ですが猛烈な台風27号フランシスコが接近中という事で秋雨前線発達中のため朝からかなりの降雨となっています。イベントが行われるのかどうか怪しいところですが、行われるようであればブラザーベニー・デッカー映画館で行われる第七艦隊音楽隊の演奏会を観に行きたいかと思っています。横須賀に来てそうした大きなイベントが天候により中止になる状況は初めてなのですが、ブログはよほどのことが無い限り中止になりえませんので、パスワード入力によりtokyotowerの入力を拒否する人ばかりで選ばれた人のためのブログとなっていますが、粛々と続けていくこととします。

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さてまあ実際には城の見学は終えてしまったわけですね。城の敷地内から外を見るとこの様に芝が綺麗で建物も綺麗なまるでおとぎの国いるような景色といったところでしょうか。やはり海岸沿いで木が風の影響で傾いています。
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城からオールド・コースの方に向かって歩くと途中にセント・アンドルーズ大学の経済・金融学部があります。スコットランドのフリーメイスンやイギリスの政治家や貴族の系譜を見ていくとこのセント・アンドルーズ大学は必ずと言っていいほど活躍する方には出てくる虎の穴のような大学なわけですが、1410年設立の先ほどのセント・アンドルーズ聖堂の聖アウグスチノ修道会によって設立された大学で、英語圏で3番目に古い、スコットランドで最も古い大学だそうです。1410年というと室町時代でしょうか。創立が1410-1413年で少し幅があるという事で、2013年のちょうど私が訪問した際には一応創立600年の記念行事を行っていたそうで、創立600年というと大体日本だと寺か神社でしょうかね。ウィキペディアによるとウィリアム王子やキャサリン妃も卒業生だそうです。アメリカ独立宣言署名者のうち、ブラザーベンジャミン・フランクリン、ジェイムズ・ウィルソン、ジョン・ウィザースプーンがここの卒業生であるようです。皆フリーメイスンでしょうね。ジョン・ウィザースプーンは11月15日に亡くなっているそうです。ジェイムズ・ウィルソンは最初の最高裁判事の一人であり、ジョン・ウィザースプーンはプリンストン大学の学長であったそうです。宗教改革者のジョン・ノックスも卒業生だそうです。
ノーベル賞受賞者は5人いて、ビタミンCを合成したウォルター・ハースの1937年の化学賞、導電性高分子の研究でアラン・マクダイアミッドの2000年の化学賞、難民救済で難民の父と呼ばれるフリチョフ・ナンセンの1922年の平和賞、ブラザーラドヤード・キップリングの1907年の文学賞、プロプラノロール(心臓の交感神経β遮断薬)とシメチジン(胃薬であるガスター)の生合成のジェームス・ブラックの1988年の生理学・医学賞となっていて、その内容を見るだけでもすさまじくそれぞれの分野で礎石となる業績であり、まさに虎の穴という表現になる場所ではないかと思われます。その他にも多数のきら星のごとき人材を輩出しています。ウィキペディアを参照してください。
というわけで少なくともイギリスにはオックスフォード、ケンブリッジ、エディンバラ、セント・アンドルーズと有名大学があるという事で記憶されたのではないかと思われます。今年のノーベル物理学賞ではエディンバラ大学教授のヒッグス粒子のピーター・ヒッグス博士が受賞されていましたが、実際出身校はキングス・カレッジ・ロンドン、ロンドン大学というところで、まあとにかくアメリカなんかとも同じく世界には超有名大学がいくつもあり特に出身校は関係ないという事なんでしょうかね。それだとこの話も何の意味もないわけですが。各地に伝統のある大学がいくつもあるという事で良いのかと思われます。実際こういった場所で世界経済の動きが決まっていたりすることもあるんではないでしょうか。
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これは本当に意味はありません。シトロエンを見かけたので撮っただけです。車がたくさん置いてあるんですが、本当にシトロエンが良く目についたんです。やはりそれだけ住民も学生もフリーメイスンリーを意識しているという事なんでしょうかね。
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これは大学のキャンパスでしょうかね。ハリー・ポッターの世界のごとき建物で本当に世界の最先端の研究がおこなわれていそうです。
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なかなか英国の知の城といった感じでしょうか。知識と知恵に対して最大の敬意と尊重を置いているそんな地域と国と政府の姿勢が自ずと感じられる地、それが宗教改革の聖地、イギリスにおけるキリスト教の聖地であるセント・アンドルーズの重要な教訓なんだと思われます。
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またまたシトロエンです。奥はミニ・クーパーですが、やはりシトロエン人気が高いです。
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こちらはそういった宗教改革からまた拍子抜けするようなロスリン礼拝堂の近くの立派なカトリック教会のごとき、立派なカトリックのセント・ジェームズ教会です。ヤコブのシンボルの帆立貝の貝殻だと思われます。この地が巡礼の地であるという事を示しているかと思われます。まあ結局なんだかんだ言ってもやはりキリスト教はカトリックであり、最初はカトリックであり、最後もカトリックなのですね。
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これは雰囲気のあるゴルファーのためのホテルでしょうか。まあゴルフの聖地とされるセント・アンドルーズですが、実際にはキリスト教の聖地であり、ゴルファーは巡礼者でもあったのですね。
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オールド・コースが近づいてきて駐車場がありましたのでシトロエンを中心に撮っています。ざっとこんな感じですが、やはりこの町ではシトロエンが目立ちます。芝が増えてきてゴルフの聖地セント・アンドルーズ・オールド・コースが近づいて来た感じでしょうか。

本日10月20日はSquare and Compass dayということで、由来は恐らく完全数の10とその二倍の20という事なのだと思いますが、イギリスのかつての植民地である英連邦のフリーメイスンリーのロッジは多くが本日を一般への開放日としているそうです。また同時に日本ではプリンセス美智子、皇后美智子妃陛下の誕生日となっています。上述の通り横須賀では基地開放日であるみこしパレードと秋のローズフェスタの日ですがあいにくの台風到来前の雨となっています。やっぱり雨にしても色々意味があるんですね。
2013-10-20 10:08 | カテゴリ:テレビ
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
最近テレビの話題も少なかったので久々にテレビCMの話です。
少し前は驚くほど連発していたフリーメイスンリーのシンボルが認められた日本のテレビCMでしたが、最近は圧倒的に減ったものかと思われます。その中で頑張ったものがあったのでとりあげます。

AKB48を卒業した篠田麻里子さんが演じているヨドコウ物置のCMなのですが、このバージョンは3の強調だけなわけですが、この後の現在流れているものが3の強調とパーフェクトアシュラーを出していてなかなかすごいですねえ。パーフェクトアシュラーはなかなか認めがたいシンボルでありかなり気合が入っているのが感じられます。

魔笛のようですねえ。横須賀でもせっかくあれだけ格調高い魔笛の公演があったのに、わけの分からない幼児に見せたり、席が空いていたりと悲惨な状況であったと思います。台風と関係があるとは思えませんが、その後の台風の連発とイベントの悪天候はなんだか関連を疑いたくなります。是非蝶々夫人と魔笛を毎年格調高く盛大に演じられるような文化都市となってほしいものです。
(2013/11/6追記:ヨドコウの音がヨドYodhיYHWHיהוהの最初の文字と同じなのですね。もちろん淀川のヨドでしょうが。そう考えると淀君もシンボリズムを含んだ名前であり、その人を秀吉が側室として唯一の嫡子を産ませ、大阪の陣に繋がるのも必然でしょうか。)
2013-10-20 19:15 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてブログの質問の効果もありほとんど視聴者がいないまま記事も連投してYouTubeも変更していくというかなり乱暴なブログ更新が続きますが、今回も本日あったばかりの横須賀の最大のイベント基地開放の様子です。
朝からの大雨と強風でヴェルニー公園の秋のローズフェスタも中止で、三笠公園での左翼団体のイベントも中止でしたが、みこしパレードは大雨の中神輿をビニールで覆って半分くらいの数でしょうか、決行していました。日猶同祖論ではないですが、基地に向かう神輿の行列はまるでシオンの丘を目指すユダヤ人の一行のようでもありました。
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まあひどい雨でしたが、面白いのはどちらの動画でも白黒の傘をさしている人がいる事でしょうか。なかなか意識している相変わらずの横須賀基地開放でしょうか。ピザ屋は相変わらず営業していましたが、私はサブウェイのローストビーフサンドを食べてなかなかボリュームがあっておいしかったです。
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フードコートにあった基地司令官の写真でしょうか。公式なイベントは全て中止になっているようでした。
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これはまあエドウィーナヒルという名前があったので撮ったのですね。
それで一応公演していたブラザーベントン・デッカーシアターでの第7艦隊音楽隊の公演のビデオです。

毎回こんなにサービス精神旺盛なのか分かりませんが、なかなかの内容でした。あいにくの雨で観客はこれから増えそうというところでしたが、第一部のみで第二部は中止になっていました。途中画面が曇っているのは雨の湿気のためです。

まあなかなか私的には面白かったのですが、担ぎ手が風邪をひいたりしないかが心配される所でしょうか。台風も再び近づいてきているようですが、前回台風の通過後の虹の写真をのせて災害無く台風が通過する事を願うばかりというところでしょうか。
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最後はなぜか全く違う快晴の日の三笠公園の写真です。
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2013-10-22 07:04 | カテゴリ:その他 雑記
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
このブログも内容の大部分がウィキペディアに依存していたりと、世の中全体に与えるウィキペディアの影響は膨大なものがあるのかと思われますが、それがかつての百科全書派の求める理想であったとすればまさにそれはフリーメイスンリーの理想そのものであり、システムや技術的に様々な問題があるとはいえ、期間をおいて同じ項目を眺めると様々に変遷を経ながらも進化していくウィキペディアの内容はまさに百科事典が更新されていくがごとく知の集積と洗練の過程をまざまざと感じさせる現代のヒエログラフによるパピルスであり、今後もさらにこのやり方が進歩していくことを望むものであります。

さてそれで最近は減りましたがやはりフリーメイスンリーの一般的知識についてアップデートの情報源として非常に頼りがいがあるウィキペディアではありますが、なかなか面白いのでフリーメイソンの記事についてコメントしておきます。
まあまず記入者があくまでフリーメイスンではなく、かなりフリーメイスン志願者の様相を帯びてきてはいるようですが、あくまでウィキペディアのやり方にかなり熟練した引用元を確かめる手法での書き手であり、まあもちろんこのブログの影響も極めて大きいのですが、主に直前のフリーメイスンリー関連の本の影響を多大に受けている傾向が垣間見えるところでしょうか。これは人間であれば誰しもがしようがないところであり、この世に絶対的なことが無い相対論に染まってまだ時が浅い時代には特に己の意見が無くなるような事は良く認められることであり、こう言うのがまた誰でも編集できるウィキペディアの弱点でもありまた同時に民主制などにも認められやすい点かと思われます。この点で特筆できるのが現在のウィキペディアのフリーメイソンの項目ではなんとデニス・ロッドマンをフリーメイソンとして、さらにデニス・ロッドマンと仲良く会談している事が報じられている北朝鮮の三代目の独裁者である金正恩がフリーメイソンかそれに近い存在、共産主義者でも入れる大東社ロッジがあるとまで付け加えているという内容になっています。

こういうアンチテーゼのような内容を含めるのもフリーメイスンリーの一つのやり方ではあるのですが、まあちょっと通常のウィキペディアとしては違和感が強い所でしょうか。横須賀の民主主義ではないですがこうした独裁者とも親和性が高いのが実はフリーメイスンリーのシステムの一つの陥りやすい間違いでもあるのかなというところでしょうか。かつての専制君主が皆フリーメイスンリーを指向して長い時間がかかった結果それぞれ実体として国自体が民主制に移行していくという歴史の進歩が東アジアにも認められてきたのかなというところかもしれません。とりあえずデニス・ロッドマンがフリーメイスンというのは聞いたことがありませんし、スコッティ・ピッペンについても噂がある程度ではないでしょうか。恐らくブラザーシャキール・オニールの存在からの連想なのではないかと思われます。またブラザー高須克弥のナチスやヒトラーに関する肯定的な意見というところをわざわざ触れていたりして、ちょっと全体を通してかつては認めなかった恣意的な誘導を認める状況となっているところではないでしょうか。(ヒトラーに関しては赤間剛氏によるヒトラーの秘密―ユダヤVSナチズムという本は非常に面白かったので付け加えておきます。)ブラザー高須克弥の存在もまあ普通に考えて微妙だと思いますが、その他のメンバーにしてもロッジの名前を書いてあったりなかったり、ロッジに記録があるがそれは偽造が疑われるとか、認証がそのかなり後であるとか、そもそもフリーメイスンの認証というものをどうとらえているのかというところが認められ、またまあ編集者の傾向なのでしょうが、ボーイスカウトやロータリークラブ、ライオンズクラブの創始者がフリーメイスンだと強調するところに記事が割かれていて、日本でそうする事はメンバーを増やすことに繋がるのだとは思いますが、世界的には別団体だと考えられるものであり、陰謀説でもいいので欧米の一般的な通説のところを翻訳するような内容の方がオーソドックスになるのではないかと思われました。

まあ色々利害を直接フリーメイスンリー関連に持ちこむ状況が現在の日本のフリーメイスンリーには強いのでしょうが、その傾向の極端な例が現在のウィキペディアのフリーメイソンの項目に認められるかと思われ、非常に面白かったので取り上げました。昔はブラザーモーツァルトがメンバーであるというところ位を強調してあれば十分であったんですけれどね。いずれ着地点が見つかって落ち着くのだと思われますが、やや拡散状況にあるウィキペディアの今後の状況が注目されるところかと思われました。
2013-10-22 09:07 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてゴルファーの人にするとお待ちかねというところなのだと思いますが、セント・アンドルーズといえばゴルフの聖地ということで、オールド・コースと呼ばれる海岸沿いの世界最初のゴルフ場を見学していきます。

私自身は全くゴルフをしないので、日本では環境破壊の代表みたいに考えているところなのですが、スコットランドに来るとアーサーズシートを始めとしてそこらじゅうがゴルフコースやグリーンのような芝や低い茂みばかりなので、要するに日本での缶蹴りか石蹴りのような自然を生かした遊びがゴルフなのであるなと良く理解できたわけでしたが、まあそれが結局世界中に広まり、富裕層の遊びといえばゴルフという公式ができたのがここセント・アンドルーズでのゴルフ場の開設にあったわけで、それは結局ここまで説明してきた、グレートブリテン島におけるキリスト教の聖地、宗教改革の聖地、キリスト教に基づく大学の聖地であるという理由に付随するものなのだなと分かり、結局それらは結果としてフリーメイスンリーに行き着くわけで、まあ戦後の日本のゴルフ開発や戦前の日本の皇室や上流階級のゴルフへの執着ともいえる状況の理由が良く理解できたところなのだと思われます。

最近の日本でも国会答弁で安倍総理がゴルフを引用して野党党首が批判したり、またアメリカツアーで不調であった石川遼が久々に好成績をあげたりと微妙な話題がいくつか出ていますが、まあそうした話題にも押されてゴルフ自体に及び腰である私自身としてはあまり乗り気ではないのですが、聖地セント・アンドルーズでは見過ごしておくことはできないオールド・コースの様子について見ていくこととします。

それでまた石川遼の話なのですが、宿敵の松山英樹が体調不良で棄権といったところでアメリカツアー最高の-18で2位という好成績を残したわけですが、その時の様子はテレビで何度も放映されていますが、要するにCallawayなわけですね。日本語ではキャロウェイというそうです。かつてはゴルフのウェアといえばダンロップやアーノルド・パーマーといったいわゆるフリーメイスンの名前を冠したものが多かったわけですが、このキャロウェイというのもアメリカの実業家であるそうですがフリーメイスンなんだと思われます。
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まあ向きは逆ですが直角定規かコンパスの形になっているのですね。シトロエンではないですが、フリーメイスンやフリーメイスンリーを好む人々に選ばれるウェアという広告戦略の一つになるのだと思われます。こういうのは最近のラルフ・ローレンの3の番号を強調したものとも共通するものでしょうか。ラルフ・ローレンも故人ですがフリーメイスンであったのでしょうね。ファッション界はバイセクシャルの方が多いそうなのでそうした中では珍しい存在であったのかもしれません。
(追記10/23:石川遼が好成績を挙げたゴルフ大会はPGAツアーのシュライナーズ・ホスピタルズ・フォー・チルドレンオープンだそうです。まあなんというかそういう事であったそうです。)

さてではセント・アンドルーズの様子です。
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まあ駐車場から歩くと圧倒されるオベリスクです。聖堂と城とそれぞれ解説のところは明らかにフリーメイスンリーの雰囲気があったわけですが、建築自体はカトリックからの宗教改革の象徴であったわけで、明らかにフリーメイスンリーという建築は無かったので、ここでやっとああセント・アンドルーズはフリーメイスンリーの聖地なのだなと理解されます。ああこのオベリスクがあるからゴルフの聖地であり、ゴルファーを世界中からこのオールド・コースに向かわせるのだなと分かりました。横須賀でもこの規模のオベリスクはあるのですが、やはり見せ方が違います。横須賀もやはり見せ方を考えれば聖地たりうるのでしょうね。
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台座部分は古いのですが、上部部分は改修してあります。いわゆる先ほどから見てきたセント・アンドルーズ城の外で火あぶりにされたというプロテスタント宗教改革者のジョージ・ウィシャートと同じく殉教したパトリック・ハミルトンらのプロテスタントの殉教者を記念した殉教者記念碑であるそうです。1533-1543の間と書かれていますが、記念碑が建築されたのは200年くらい前のようでしょうか。結局カトリックが建築した大学でプロテスタントと呼ばれる聖書研究が進められ、それによって近代哲学や近代思想、科学研究が進められ、結果としてフリーメイスンリーに繋がったという事なのでしょうね。その過程でカトリックとプロテスタントという対立が存在したという証左なのだと思われます。日本でもやはり科学を行うにはキリスト教の世界を理解しないとならないという実証が必要なのでしょうね。
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クラブハウスや博物館でしょうかね。芝の感じはどこからがゴルフ場か分からない感じです。ベンチがたくさんあるのが良いですが、本当に海とゴルフ場の場所です。
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まあ立派なオベリスクなんですが、横須賀の衣笠山に第三海堡の記念碑が同じくらいの大きさであるんですが、違いますねえ。
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水族館やゴルフ博物館があります。フリーメイスンリーロッジもいくつもあるのだと思われます。
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見学やコース移動用の道があります。
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こちらがクラブハウスでしょうか。
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パター練習用のスペースとオールド・コースの1番ホール、18番ホールでしょうか。見学用の道は特に入場に制限もないようでしたが、どんどん歩いて行くとコースの奥深くまで行ってしまうので途中で引き返します。天気は曇りから晴れとなってまたみぞれ混じりの雨が降ってくる感じで、強風は常に吹いていますしとてもじゃないがゴルフやるような場所じゃないなと思いました。まああそこでゴルフやるのはまさに聖書の世界でしょうか。予定説ですね。
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遠くに有名な石橋が見えます。神が作りたもうコースでしたっけか。私はゴルフをやらないので全くわかりませんが、まあそれでも芝は整備して増やしたのでしょうね。海岸線の砂浜でそれなりに芝が広がる場所であったのだと思います。まあ元は石蹴りや石ころがしで精神修養の営みであったのだと思われます。修道士の宗教的行為であったのだと思われます。占いみたいなものでしょうかね。
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絵にかいたようなペットがいる光景があります。
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風が強いのでカラスが多いですが、日本とは関係なさそうです。
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急に晴れてきたりしますが、とにかく傍から見ていても相当うまい人じゃないとまともにプレイできないなというのは良く分かりました。
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ライオンの銅像でしょうか。イギリス王家の象徴とライオンズクラブの象徴になるんでしょうか。オベリスクと合わせればスフィンクスでしょうがまあそういうものでしょうね。
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まあ遠目にオベリスクになりますが、結局ゴルフの聖地はそういうフリーメイスンリーの地であったのですね。
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まあ日本のゴルフも訳が分からない部分がありますが、彼の地のゴルフも良くは分かりません。要は歩くための方便なんだと思われます。
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これで一応セント・アンドルーズの訪問はおしまいです。バスで再びルーカス駅に向かいます。同じバスターミナルから同じ循環バスに乗ります。非常にきれいな牧草地か農地でしょうか。
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黄色い花が良く咲いていましたが菜の花でしょうか。ミツバチの花かもしれません。
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これは湾でしょうか川でしょうか。
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これはUFOを撮ろうとしたのでしょうか?黒いのはガラスの汚れですね。飛行物体を撮ろうとしたのですが撮れなかったようです。
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爆音を轟かせてやってきます。UFOではないでしょう。
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どうもユーロファイターの訓練基地が近くにあるようです。歓迎か凱旋か単なる通常の訓練か分かりませんが、EU各国でパーツを作って組み合わせる欧州連合の名前を冠した戦闘機が飛行していました。
(追記10/24:ちょうど台風接近にあう時期でしたね。別名タイフーンでした。英王子の洗礼などもあり時期的に色々合わさっているのかもしれませんし、ただの偶然かもしれませんね。)
2013-10-25 23:13 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
何度も何度もエディンバラの風景で写真に撮っているのがブラザースコット記念塔なわけですが、実際中を登る人はそれほど多くはないようです。エディンバラでエディンバラ城の次に目立つのがこのスコット記念塔なのですが、実際中に石像もあるブラザーサーウォルター・スコットですが、作家であるというのを日本人で知っている人も少ないと思われますし、また作品を読んだことがある人も少ないかと思われます。ただしエディンバラやスコットランドを旅行すると必ずスコットランド国立銀行発行の紙幣で目にするのがこのブラザーサーウォルター・スコットの肖像という事になります。
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でまあここまでくれば相当偉い人にちがいないと思うわけですが、どうもウィキペディアを読んでも日本語ではほとんど内容が書いておらず、その作品の項目を見ても唯一アイヴァンホーだけが概要が書かれているという形になっています。いずれにしてもイギリスの作家としては存命中に国外に名前を知られた唯一の作家という事になるそうです。恐らく日本人にとって一番有名なのはこのブログでも以前取り上げたシューベルトのアヴェ・マリアの原作の歌詞の元になった詩を作ったというところでしょうか。

まあちょっと色々と心もとないですが、実際アイヴァンホーの日本語訳までは買ったのですが、色々と読む時間が無く、一応人生について一通り書いてあるのがwikipediaの英語版という事で、それを参考にしてブラザーサーウォルター・スコットについて見ていくこととします。
まず生年月日と忌日ですがやはりフリーメイスンリーの本場のスコットランドの恐らく現地では一番の有名人であるブラザースコットという事で、1771年8月15日 - 1832年9月21日という事であり、いわゆる1717年のイングランド連合グランドロッジの結成の11と77の数字の並びを変えた回文数の年のさらにカトリックの記念日である聖母降誕祭、これはまたイエズス会にとっても特別な日でありましたが、その日の生まれという事でそれはなかなか特別な意味があるという事になるのだと思われます。また名前もまた同名のウォルター・スコット (バクルー伯爵・公爵)で検索され、結局ブラザーサーウォルター・スコット自身もこの公爵家のスコット家の末裔であり、またこの初代バクルー公爵自体が清教徒革命後の王政復古で王位に返り咲いたチャールズ二世の庶子であるという事で、要するに貴族ではないがイギリス王の末裔であるという事のようです。
バクルー伯爵がそれ以前に存在し、初代スコット・オブ・バクルー卿ウォルター・スコット1565年– 1611年12月15日、ウォルター・スコット (初代バクルー伯爵)1603年 - 1633年11月20日、フランシス・スコット (第2代バクルー伯爵)1626年12月21日 - 1651年11月22日という事でどうもグランドロッジ結成以前の時代ではありますが、明らかに生年月日と忌日の様々なシンボリズムを認める貴族の系統という事で、ローズラインではありませんがイングランド、スコットランドの貴族社会の様々な因襲を伺わせる由緒正しい血統という事は間違いないように思われます。バクルー公爵は現在まで継続しているそうです。もちろんスコットランドの名前と同じスコットという事と、これがユダヤ教の仮庵の祭りを意味するスコットとも恐らく音が一緒という事でかかっているところもあるのかと思われます。
英語版ウィキペディアを読むとブラザーサーウォルター・スコットは小児まひの後遺症で明らかに足に障害を持っていたそうです。父親は弁護士であってエディンバラ大学の門前に住み、本人はいわゆる神童であったそうで、12歳からエディンバラ大学で古典の勉強をしていたそうです。後にブラザー寺澤廣一によるアダム・スミスとブラザーロバート・バーンズについて解説した英文についてブログの記事とする予定ですが、それにも書かれているとおり15歳でサロンでブラザーロバート・バーンズと会っているそうです。その後弁護士になるためにエディンバラ大学で道徳哲学と国際史についてちょうどフランス革命の時期に受講しているそうです。その頃に結局貴族の友達に奪われてしまう失恋を経験しているそうです。結婚したのはフランス人の大工の娘だそうです。ウィキペディアにはフリーメイスンリーについては一切触れていませんが、Highland Societyのメンバーであったのと、Royal Society of Edinburghの会長を務めていたとあり、これがそれを意味する事になるのかと思います。詩作や小説で成功する事になるわけですが、その代表作であるアイヴァンホーはブラザーヒュームの英国史の歴史観に基づいているそうです。歴史小説という日本で言うと司馬遼太郎や吉川英治のような作家の作品だと思われますが、そういう分野を最初に作った作家とされるようです。ロビン・フッドやテンプル騎士団が活躍し、さらに当時はまだ差別されることが多かったユダヤ人女性がヒロインとして描かれるなどを認めるそうです。当地での評価はかつてより低下し、現代では主に子供向けの歴史小説として考えられているそうです。
以前にブログでも触れたブラザージョージ四世のスコットランド訪問時の演出やそれ以前の封印されたスコットランド王冠の再発見などは、これら歴史小説で名声を博した後の事であるそうです。
その後は観光地ともなっている彼が作らせた城のような住居に住んでいたのですが、投資で破産して健康を害するようになり、ブラザーナポレオンの伝記などを作ったそうですが、最後は死因不明の状況で61歳で自宅で亡くなったそうです。

とまあなかなかの時代的にも背景的にもフリーメイスンらしさを満々とたたえた偉人というところであるかと思いますが、同時に複雑な時代背景や人間関係を鑑みなければ理解しがたい人物、まさにフリーメイスンという、シンボリックな人物という事なのだと思われます。私もアイヴァンホーや湖上の美人については日本語訳があるのでいずれ読もうと思っていますが、そうやってフリーメイスンの文学者の作品について読んでいくとその他の有名なイギリスの作家であるブラザーチャールズ・ディケンズやブラザーロバート・ルイス・スティーブンソン、ブラザージョージ・ゴードン・バイロンなどについても読まざるを得なくなるというところで、そうなるとその他にもいくらでもシェイクスピアから何から英文学について検討しないといけないという夏目漱石の世界になってしまうところなのだと思われますが、実際ほとんどがフリーメイスンだと思われ、いずれはそういうのも必要なのだと思われますが、原文で読むほどの英語力が付くとは思われずなかなか大変そうです。文学についてはもちろんフランスもドイツもイタリアもアメリカもあるわけで、その多くがアダムヴァイスハウプトの作品ではないですが、古典そのものが全てフリーメイスンリーに通じると言っても過言ではないわけで、なかなかまあまとまって紹介するような事は難しそうです。

フリーメイスンリーと文学については色々とアンダーソン憲章やモラルアンドドグマやヨセフスの著作など主要なところを終えたところで展開する事にしていくとして、今回の内容としてはブラザーサーウォルター・スコットの紹介と記念塔の紹介で終える事とします。
それで写真です。
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確か3ポンド位であったと思いますが、まあ基本的にあまり人気が無いようでした。もちろん登りはお決まりの螺旋階段ですが、287段あるそうで、やはり何か数字に意味があるのだと思われますが全くわかりません。高さも200.6フィートで61.11メートルという事で意味がありそうです。ウィキペディアを参照してください。
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眺めはまああまり変わりません。
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内部はステンドグラスがあるのですが、スコットランド、エディンバラを象徴するものなのだと思われます。セント・アンドリューとスコットランド王室の赤いライオン、セント・ジャイルズになっています。明らかにフリーメイスンリーを思わせるものはありません。ウィキペディアを読んでいて分かりましたが、ウェイバリー駅の駅名はブラザースコットの作品名なのですね。いやあ難しいですね。ブラザーロバート・バーンズの話もありましたが、英文学の世界もまさに暗号と暗喩と謎の伝達の世界なのでしょうね。ブラザーサーウォルター・スコットの処女作のようです。まあちょっといくらか作品を読んでからブラザーサーウォルター・スコットについてはまた記事とする必要があるかと思われます。
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この記念塔の設計者はジョージ・メイクル・ケンプというエディンバラの自分一人でゴシック建築を学んだ建築家によるものだそうで、偽名で応募してコンペで選ばれ、建築途中で霧の中で運河に落ちて亡くなったそうです。フリーメイスンではなさそうですがなかなか壮絶です。そういえば全く関係ありませんがイギリス関連といえば最近ビートルズのサーポール・マッカートニーが元気なようですね。
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まあなかなかすごい人間関係なわけですが、そういうわけでこの建物はエディンバラで目立つ建物でありながらゴシックの尖塔という他にいわゆるフリーメイスンリーを象徴するものが無いのですね。なかなかゴシックというものの意味も色々あるようですが、実務的メイスンリーと思索的メイスンリーという垣根がほとんどないここスコットランドではそういうようなパターンもあるという事なのでしょうか。バルセロナのガウディの建築なども背景が様々にあるようですし、日本の辰野金吾氏や丹下健三氏の建築なども色々あるようですし、また最近の新国立競技場の建築なども色々あるようですが、建築家の世界におけるフリーメイスンリーというのも実務的メイスンリーとはまた異なって様々な展開があるかと思われます。
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ブラザージェンナーデパートの方角ですね。ブラザージェンナーについても色々掘り下げると面白そうです。
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いやああっという間の数日でしたが色々色々写真に撮っているんですねえ。
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これは魔法使いの導師みたいに思ったんですが、ウェイバリーというハイランドの住人をイメージしているのでしょうか。まあ何となく最近のエディンバラから生み出されたハリーポッターシリーズや指輪物語の世界に共通するようなものでしょうか。
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ウェイバリー駅ですね。町中が全部謎になっていて繋がって楽しめるようになっているんですね。
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ガーゴイルなんでしょうか。ドラゴンみたいですが独特ですね。
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大きなカモメが歩いています。
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ブラザーアダム・ブラックの銅像の後ろ姿です。ウェイバリー駅についてブラザースコットの作品をスルーしたのはブログの有料化にこだわっていたときだったのですね。なかなかフリーメイスンリーも厳しいものです。ブラザーアダム・ブラックはブラザースコットのウェイバリー名義の作品を出版する際の権利を購入したそうです。

まあどうもこのスコットランドの内容とは関係ありませんが、聖書の通読に対比してか日本の古事記や日本書紀について読むことが一部で流行っているようですが、私もかつて古事記は少し読もうと思ったことがあったのですが、数ページでやめてしまった事があるので、今度読んだらまたここに書いてみようかと思います。論語についても数字のシンボリズムだけでこのブログに載せましたがもう少し補足しようかと思っています。基本的にはフリーメイスンリーの幹はほぼ聖書やキリスト教、ユダヤ教社会の伝統や歴史に依存しますが、日本のフリーメイスンリーに限って言えば、日本の伝統や歴史の中からフリーメイスンリーに共通する部分を汲み上げる作業は今後にとっても現実としてもかつてのスコットランドでのブラザースコットの作業などと同じく重要になるものかと思われます。フリーメイスンリーが何かを理解するのに聖書やキリスト教ユダヤ教の知識は重要ですが、フリーメイスンリーの知識をもって応用していくには自らの社会の伝統や歴史を顧みる必要があるかと思われます。決して内に籠ることなくまた扇情的な傾向に囚われる事なく緻密に内外のフリーメイスンリーの知識の広がりを行っていければと思っています。

(動画を見るとブラザースコット記念塔はさらに4階層になっているようです。記憶では2階層位まで登った記憶があるのですが、そこまで高いところまで登れるとは知りませんでした。3階層ではなく4階層なんですね。なんとも不思議な魅力ある塔なのですね。ぜひ次回訪問時は4階層まで登ってみたいかと思います。)
(287という数字ですがウィキペディアで見ると約数が7×41という事で素数同士を掛け合わせる半素数という数と、五角形ペンタゴンを作っていって得られる数字五角数であるそうです。いずれも暗号の鍵となる数字として使われるなどがあるそうで、何らかの暗号なのでしょうね。)
(ブラザースコットのフリーメイスンとしての活動についてはGrand Lodge of British Columbia and Yukonのホームページにありました。参照してください。Phoenixmasonryにもありました。ブラザーサーウォルター・スコットの名前を冠したロッジも世界各地にあるようです。本もあるようですが、現在日本のアマゾンでは取り扱いできないようです。Sir Walter Scott as a Freemasonいずれ知名度が上がって来たら読めるようになるかもしれません。スコットランドグランドロッジのホームページの著名なフリーメイスンの名前のところにももちろん認められます。エディンバラのフリーメイスンリー歴史学会でも基調講演のところで強調していてTake Home Messageのようであったかと思われます。)
2013-10-27 14:22 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてまあ今年3つめの台風の大接近を過ごして台風一過の日本列島ですが、3の3乗の号数で教皇の名前のフランシスコ台風という事で、3つの低気圧がくっついて三位一体なんて悪い冗談の天気図であったわけですが、本日10月27日はこちらフリーメイスンリーブログもタイフーンが過ぎ去った後の台風一過の3つの虹というところで、ロンドン・パリと同じく3つの虹というところが見られたのがこの題名のスコットランド国立美術館でした。
スコットランド王立アカデミーはスフィンクスがある目立った建物ですが、その奥にこじんまりとあるのがスコットランド国立美術館で、ロンドンの英国国立美術館やパリのルーヴル美術館のようには有名ではないと思いますが、実際その分私はいろんな意味でインパクトが大きい美術館でした。入場料も無料で、特にこれといった有名な作品があるわけではなく、どうもフリーメイスンらしい画家のスコットランドの愛国心に満ちあふれた作品があるという印象でもって、入場料も無料だしルーヴル美術館も英国国立美術館も見て回ったし、どうせブラザーターナーだろと軽んじていた部分もあり、本当に横須賀美術館を周る位の気持ちで観に行った美術館でありました。

英国国立美術館と一緒で入場料は無料で寄付金受けが入口にあったと思います。入場者はかなり少なかったと思います。ゆったりと時間をかけて2-3時間は巡れる感じであり、まあ作品の濃密さからいくと世界最高の美術館であるかと思われます。基本的に写真撮影は可能で、作品ごとに写真撮影不可が決められているシステムでしたがついそのまま勢いで撮ってしまう事が多くありました。現在はホームページもなぜか閉じられていて作品の検索などもできないようです。先に言ってしまうと美術館の質としては確実に世界最高だと思われます。とにかくその衝撃たるやなんとも言えないもので、この台風のごときまさに石工の妙技、スコットランド英国の至宝というものでした。wikipediaを参考としてください。
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これがまあ大体スコットランド国立美術館というとこの作品かスケートで滑っている写真という事で、ブラザーサーヘンリー・レーバンの作品という事で、私は今回の訪問では行きませんでしたがスコットランド国立肖像画美術館というのが新市街の方にありそこに多く所蔵されているらしい肖像画画家という事だそうです。ブラザーサーウォルター・スコットの肖像画を描いたのものこの方だそうです。まあとにかく写真が出始めたかその頃ですが、きちんと肖像画を写真のように残そうという、英国、スコットランドの恐らくグランドロッジの方針というところで、実はブラザーターナーのぼかした風景画や印象派の絵画は決してあれが絵画として素晴らしいという事ではなく、きちんとした技術としてはとにかくこうした写真的な記録の絵画が大事であり、フリーメイスンリーとしてはその技術に価値を見いだすというのが、まあこの英国スコットランド国立美術館でまざまざと感じさせられた絵画の価値基準であり、それを決めているのは我々であるという強い自負が感じられる、そんな美術館でありました。
モデルはブラザーサーウォルター・スコットの処女作ウェイバリーのモデルとなったハイランド氏族の長である人物である恐らくフリーメイスンのアレクサンダー・ラナルドソン・マクドネルという方で、恐らくだからスコットランドフリーメイスンリーを全て差配した方で、フランス革命にしろアメリカ独立戦争にしろそういうのをまあ見守り続けて判断をしていた人なんではないでしょうか。私も結局スコットランド旅行でこのハイランド氏族の伝統衣装というこう言うタータンチェックのキルト地のスカート姿というのに慣らされて、ちょっとカッコイイと思いつつある状況であり、一度はこういう格好をしたいと思ってきてしまっています。実物は迫力があります。
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これは新市街の方向から望むエディンバラ城ですかね。とにかく写真のような風景画が多いですが、写真の目的であったのでしょうね。実際見ている場所なので非常に分かりやすく、美しく書かれているという印象です。恐らく同じような建築中の新市街などの作品があるブラザーアレクサンダー・ネイスミスの作品ではないでしょうか。ブラザーロバート・バーンズの肖像画なども書いているそうです。まあちょっとスコットランド国立美術館のホームページにアクセスできないので分かりません。
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これも誰の作品か分かりませんね。これがそのいわゆる虹です。右下にはフリジア帽をかぶった像もありますね。しかし良いコレクションです。下の作品はエディンバラ城からの眺めでしょうか。まあしかし改めて今見ると良い作品良いコレクションですね。これが近所に住んでいれば散歩コースで毎日見られるんだからたまりません。スコットランドエディンバラ住民の特権ですね。
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恐らくブラザーターナーの風景画でしょうかね。まあコンセプトとしては結局ルーヴル美術館と英国国立美術館とテートブリテンのターナーコレクションの良い所でそこに置いていないものを全てスコットランド国立美術館で見られるというところでしょうかね。規模としては明らかに小さいのですが、置いてあるものの一点一点の選んだ眼力がすごすぎて、全体としてとんでもない美術館になっているという感じだと思われます。
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これはヴェネチアの風景画でしょうか。ガイドを読んでも出てこないので誰の作品か全くわかりません。ホームページも止まっていますし。まあとにかく見に来てくださいというところだと思われます。
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これがまあブラザーロダンの接吻なんですが、なんとも艶めかしいですね。とりあえず誰もが欲しくなる像であるかと思われます。確実にブラザーロダンの最高傑作であるかと思われます。いやまあすごい。
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これがフェルメールらしいですね。真珠の首飾りの少女のフェルメールなわけですが、実は一番良いのがここにあるのですね。もうなんというか飽きれちゃいますね。マルタとマリアの家のキリストだそうです。
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これが第二の虹ですね。おやっと見学したときは思うわけですが、虹が好きでたくさん出したのかなとか思いましたが、まあねえと。展示はいろいろ変わるのでそういう見る人に向けて並べているのだという事でしょう。フレデリック・エドウィン・チャーチという方の作品でアメリカ側から見たナイアガラ滝だそうです。もちろんフリーメイスンでしょうね。まあ虹ですよね。しかしきれいな作品でした。写真のようなのですね。現代アメリカ絵画という感じでしょうか。
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これが実はサーピーター・ルーベンスなんですね。聖母被昇天やキリスト教の宗教絵画で有名なサーピーター・ルーベンスですが、恐らくこれは最高傑作でしょうね。いわゆるブラザーオスカー・ワイルドによるサロメで有名な洗礼者ヨハネの首を差し出す場面です。新約聖書の話ですが、恐らくヘロデ大王の時代にでもユダヤ古代誌にも書かれなかった裏話としてあったのでしょうね。画中のやりがクロスしているのが何か意味しているのではないかと思われます。しかしまあ傑作です。サーピーター・ルーベンスもナイトを受爵しているそうです
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これも明らかにここにあるものが一番良いのですね。サーアンソニー・ファン・ダイクのロメリーニ家だそうです。まあ基本的に最高傑作が全部ここにあるという感覚でしょうかね。今まで見てきたものは何だったのでしょうか。しかしまあそれが集められるここスコットランドの力というか権力というかそれは何なんでしょうね。まあそれはフリーメイスンリーです。
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これもサーアンソニー・ファン・ダイクでしょうかね。結局王様の前ではないのでリラックスして描いているのでしょうね。しかしまあこの美術館の収蔵品を一点でも貰えないでしょうかね。価値は計り知れないでしょうが換金はできないでしょう。
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これもサーピーター・ルーベンスでしょうかね。サーピーター・ルーベンスの作品もキリスト教的福音に満ちた絵画なので非常にキリスト教徒に好まれるのでしょうね。
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これもサーピーター・ルーベンスの頭部の習作(聖アンブローズ)です。まあダヴィンチの作品のようですね。まあなんというかなんというかですね。
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こちらはレンブラント・ファン・レインの作品ですね。ベッドの中の女だそうです。レンブラントと言えば夜警が有名ですが、あの辺の群像画は全てオランダにあるんですね。その辺り完全にフリーメイスンリーの力関係でしょうかね。しかしこの艶めかしい女性像はスコットランドにあるんですね。完全に大事なところを掴まれている感じでしょうか。
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レンブラントの自画像です。確かルーヴル美術館には螺旋階段を描いたものがあったと思います。まあ確実に最高傑作はここにあるのでしょうね。
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これは何でしょうね。画題もちょっと分かりませんが、キリスト教関係である事は間違いなさそうです。ニコラ・プッサンのようでもありますがちょっと分かりません。ところで背景の色が変わってきていることに気づくでしょうか。絵画が掛けてある壁面の色が最初の赤から徐々に対立色に変化してきているのですね。こういう見せ方も科学的なのですね。徐々に宗教画が増えてくるのも一種の演出かと思われます。
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これもなんでしょう。非常にカラフルです。古典を模倣した作品のようです。たった麦わらを抱えているのもシンボリズムですね。ユダヤ教のシンボルです。
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これも画題は分かりませんが、3つめの虹ですね。セント・アンドルーズを思わせる城の光景です。これがスコットランド、エディンバラの3つの虹でした。しかしまあ今日は日本は久しぶりの好天です。魔笛の日と同じでしょうか。虹は出なかったようですが、スコットランドの虹をお楽しみください。
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ブラザーウィリアム・ダイスのフランチェスカ・ダ・リミーニだそうです。チュッチュと言った感じでしょうか。星や月、白黒の床などシンボリズムも認めます。ギターがあったりします。
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画題は分かりませんが何か大きな本を読む修道士のようです。髑髏などシンボリズムを認めます。
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こちらもパンフレットにも使われていたと思いますが、ブラザーサーヘンリー・レバーンのダッディングストン湖でのスケートです。気持ち良さそうですね。
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これもコンパスを認める象徴画でしょうか。誰の作品かはわかりません。
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これは二階かで特別な展示室があったニコラ・プッサンの7つの秘蹟です。キリスト教のカトリックの教えを画題としたもので、解説にあるとおり新約聖書に描かれたキリストの伝道の様子や初期キリスト教徒の活動の様子を画題として、それらを個室に暗幕を掲げて一人ずつ見せる形で人々の信仰を高める目的で描かれたようです。ここは厳密に写真撮影禁止でしたが勢いで撮影してしまってとがめられました。上のものは聖餐というそうです。最後の晩餐のイメージかと思われます。毎日の食事での祈りが大事という事かと思われます。
その他にもあり全体で7つセットでありました。二つ組あるそうで、詳しくはwikipediaを参照してください。
ネット上にあった上記のものとその他のものを置いておきます。
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これは結婚だそうです。二本の柱や球を上に置いた柱など微妙にフリーメイスンリーのシンボルが一つ程入っている感じでしょうか。まあ男と女とヤキン、ボアズの柱と教訓が入っているのでしょうね。
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これは上記にもある聖餐です。三つの小さな光や四本の柱などいかにもシンボリズムという形でしょうか。四本の柱は四つの美徳を意味するものかと思われます。正義、剛勇、節制、思慮分別です。後ろの幕も幕屋の比喩なのだと思われます。右奥にある大鉢も友愛のシンボルになるものかと思います。実際飲み物を入れるのに使っていたのかと思われます。
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堅信礼ですね。キリスト教徒の幼児洗礼後の成人してからの信仰告白の儀式だそうです。恐らく後ろのロウソクの火を移している形がコンパスの形になっているのだと思われます。同時に聖火リレーのような意味もあるのだと思われます。
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これは苦行ですね。新教皇が孤児院の孤児の足を綺麗にするという様子が報道されていましたが、あの様子だと思われます。恐らく養老院の老病者の足を綺麗にする奉仕活動の様子なのだと思われます。やはり四本の柱と中の二本の柱の対比でしょうか。前の香の壺の形がユダヤ教の象徴のようでもあります。同時に洗礼を授けるという意味もあるのかと思われます。
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叙階だそうです。聖職叙任だそうで、司教や司祭を任命するという意味なのだと思われます。後ろの部分がピラミッドや物見の塔や橋という建築のオーダーという意味も掛けているのだと思われます。左手で鍵をもっているのもそういう言葉の意味の鍵が渡されるという意味なのだと思われます。右手の形やその他の人の天を指す指や中心の人物を指さす様子が全てキリスト教に共通の一つのシンボルなのだと思われます。All Seeing Eyeのデザインが組み込まれているようです。洋服も多色になっていて意味があるようです。左手後方にあるのは明らかにソロモン宮殿だと思われます。まあほぼフリーメイスンリーの教えの図に近いかと思われます。そういう時代のそういう画家なのですね。

その他には終油の秘蹟と洗礼があるそうですが、ネット上ではここに展示してあった第二セットのものはありませんので第一セットのロンドンの英国国立美術館とワシントンの米国国立美術館にあるものを出しておきます。
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これはロンドンにあるそうです。後ろの円が象徴なのでしょうかね。
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これはワシントンにある洗礼ですね。いわゆるヨハネによる洗礼に形が近い鳩が飛んでいる形となっていますが、有翼日輪に近い形となっています。後ろにある丘の上の木々が自然のシンボルになるのだと思われます。

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まあそういうわけでそういうすごい美術館という事でよろしいでしょうか。こちらはポール・ゴーギャンの説教のあとの幻影(ヤコブと天使の闘い)です。教会での説教の後で旧約聖書のヤコブと天使の格闘を皆で認めたという事でしょうか。まあ旧約聖書を読むと分かるのですが、明らかに夜間にヤコブが格闘するのは人間だよなあという話を題材としたものなのでしょうね。教会から出たところで格闘している人々を見て、それが人間の話であるという教訓なのだと思われます。株式仲買人であったゴーギャンらしい人間的な絵画ではないでしょうか。まあ最高傑作でしょうね。
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これは明らかにヴィンセント・ファン・ゴッホですね。農婦の画題のものはかなり沢山あるようですが、この人は色々な角度で何度もモデルになっていて恐らくファン・ゴッホのお気に入りであったのでしょうね。しかもその他の検索で出てきたものと比べると明らかにここにあるものが一番美人に良くできています。ファン・ゴッホの好みまで分かってしまうスコットランド国立美術館でしょうか。
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これは何でしょう。チェスをやっているようです。誰の作品かは全くわかりませんが、スコットランドではとにかくチェスが良く目につきました。かつてチェスの世界王者がアメリカを批判して亡命した事がありました。どうも画風はブラザーウジェーヌ・ドラクロワのもののようです。[チェスをするアラブ人」のようです。
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これはシンボリズムを認める絵でしょうか。砂時計と剣を認めるようです。作者や画題は分かりません。
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これは上に繋がる階段です。確か三階構造であったかと思われます。ホームページを見ると地下と一階と二階が二つに分かれた構造のようです。かなり複雑な作りではありました。まあロッジには成るのでしょうね。ブラザーウィリアム・ヘンリー・プレイフェアによる設計・建築です。
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サンドロ・ボッティチェリの聖母とおさな子です。ボッティチェリといえばヴィーナスの誕生や春が有名ですが、こういう薔薇を後ろに描いたものもあるのですね。一重の薔薇だそうですが、右下にイチゴがあり、左下にスミレがあったりと様々な寓意画であるようです。解説したものがあったのでリンクしておきます。どうも描き始め当初アクセスできなかったスコットランド国立美術館のホームページが回復したようですので、これ以降参照していきますが、どうもちょっと見ると展示作品はかなり毎回異なるようですし、オンラインギャラリーにもここに挙げたような主要作品はあまり出ていないようでした。なかなか複雑です。(この作品はかなり大きく修復しているようです。ブルーがかなり鮮烈になっています。)
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パブロ・ピカソの母と子です。いわゆる典型的な青の時代でしょうね。ピカソもモナ・リザの窃盗犯の疑いで拘留されたり色々あったようですが、とにかくルーヴル美術館で盛んに模写をしていた人ではあったようです。青の時代は明らかにブルーロッジの時代という事なのでしょうね。まあこれが最高傑作なんだと思われます。聖母子像なのでしょうね。
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これは驚きましたね。ラファエロはわたしはそれほど好きではありませんでしたが、明らかに他では見た事のない明らかに傑作が集まっているラファエロでした。聖母子像です。これは明らかに傑作です。恐らく教皇庁から何らかの算段をして手に入れられたものかと思われます。これを見るとダ・ヴィンチよりラファエロが上に来るのが分かります。
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これもラファエロですね。まあとにかくびっくりしちゃってビックリです。ヤシの木の下の聖家族です。色々な象徴が込められているようです。まあとにかくどう見てもラファエロの最高傑作です。
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これもラファエロです。一枚欲しいです。幼い洗礼者ヨハネとであった聖家族です。まあはっきりした人種差別傾向が認められるかもしれませんが、しかしまあこんな絵もあったのですね。
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これは恐らくダ・ヴィンチ作品なのでしょうね。糸車の聖母というそうです。弟子のものとされるのかもしれません。この辺で完敗ですね。(この作品は2003年のちょうどダヴィンチ・コードが流行したころに盗難騒動があったようです。所有者は83歳で亡くなってしまったそうですが、その後作品も見つかり犯人も逮捕されたそうです。そういえばそんな騒ぎがあった記憶があります。色々激動のミレニアムでした。その後公開されるようになりここスコットランド国立美術館に貸し出されるようになったようです。そういう経緯を考えるとかなりダヴィンチによる真作の可能性が高いのでしょうね。)
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クエンティン・マサイスによる肖像画です。バラのつぼみと十字架と羽ペンをもつ形です。薔薇十字団になるのでしょうか。北方ルネッサンスの画家でルーヴル美術館にも両替商の絵があったそうです。なかなかこの人の作品は他にも変わった画題が多いようで、恐らくこの薔薇と十字架の組み合わせは当時に流行した秘密結社としての薔薇十字団の象徴であったのでしょうね。
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ヨース・ファン・クレーフェの三連祭壇画というそうです。日本の国立西洋美術館にもキリストが磔になっている状態のものがあるそうです。ここには磔から降ろされた状態のキリストの後ろにタウ十字の磔板の形が大きく認められるものとなっています。なんとも象徴画としては最も大事なのがやはりここスコットランドではクロスになるのでしょうね。アッシジのフランシスコから始まるフランシスコ修道会が使用したというタウ十字ですね。キリスト教のこうしたシンボリズムの流れは結局ヘブライのユダヤ教のシンボリズムから生じ、その元がもちろんエジプトやオリエントの文字やシンボリズムの源流に行き着くという事なのですね。
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これは一階から二階に繋がる曲がり階段のところにある恐らくローマやギリシアの哲学者や思想家の胸像だと思いましたがどうもまさにユダヤ古代誌とユダヤ戦記の時代のローマ皇帝たちの胸像であるようです。ローマ皇帝ガルバ、ローマ皇帝ウェスパシアヌス、ローマ皇帝ティトゥス、ローマ皇帝ドミティアヌス、ローマ皇帝アントニヌス・ピウスが確認できました。
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一階から地下の売店の場所へはやはり螺旋階段です。売店とカフェとトイレがあったかと思います。極めてシンプルな感じであったかと思いますが、売店の美術の本は充実していました。
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ブラザーデイヴィッド・リヴィングストンの銅像です。アフリカを探検してヴィクトリアの滝を命名したことで有名です。フリーメイスンかどうかは微妙のようですが、業績や足跡、5月1日に亡くなっていてこうして銅像があることなどからもフリーメイスンと考えられるようです。まあ生きる石ですからね。最後は60歳で白ナイル、ナイル川の源流の西側でヴィクトリア湖から流れる地域を探索していてマラリア等で亡くなったそうです。遺骸はウェストミンスター寺院に送られたそうです。まあ生前にロッジに関心は無く純粋なキリスト者であった方なのだと思われます。

さてこの後は展示はされていなかったがカタログなどからも明らかに名作と思われるスコットランド国立美術館の収蔵作品のインターネットにあった画像を載せていきます。
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これがブラザーロダンの非常に艶めかしいキスと交互に置かれているらしいブラザーアントニオ・カノーヴァの三美神です。イタリアの人で11月1日生まれだそうです。これはすごいですねえ。同じものがエルミタージュ美術館にあるそうでこの写真はそちらのようです。ルーヴル美術館にも作品があるそうです。すごいですねえ。ヘッダー画像に入れています。
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お墓がこの様な形だそうです。サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂にあり、心臓だけ入っているそうです。自らのデザインだそうです。
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これはエル・グレコの祝福するキリストです。私もこれが来ていたらちょっとエル・グレコ展も観に行ったでしょうね。
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アルブレヒト・デューラーの黙示録の四騎士です。ヨハネの黙示録に出てくる四騎士でそれぞれ疫病や飢饉、戦争、勝利などを意味しているという事です。
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ブラザーウィリアム・ブレイクの契約の石板に描き示す神の図です。なかなかその選択がすさまじいですね。
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ティツィアーノ・ヴェチェッリオの海からあがったビーナスです。ヴェネチアの人で長生きしたそうです。
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ジョン・シンガー・サージャントのレディー・アグニューです。アメリカ人の画家だそうです。アメリカ人ですがイタリア生まれでロンドンで亡くなったそうです。ボストン美術館のロタンダの内装画を描いているそうです。その他にもブラザーセオドア・ルーズベルトやブラザーロバート・ルイス・スティーブンソンの肖像画をえがいておりフリーメイスンと思われます。
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ブラザーアラン・ラムゼイによるブラザージャン・ジャック・ルソーの肖像です。ブラザーヒュームの招待でロンドンを訪問した際の肖像画だそうです。公式ガイドを読んでもなかなか書いてある逸話は興味深いです。
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ブラザーウィリアム・フェテス・ダグラスの魔法です。他にも有名なのが錬金術師という画題で作品がある人です。この作品は骸骨と剣の周囲に魔法陣のような線が引かれ、そこに修道士が長い棒で指し示しながら片方の手で六芒星や数学の図式を壁に描いているという、数学と魔術が融合したような興味深い絵です。
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ブラザーアレクサンダー・ネイスミスによる王立協会の建築の最初のプリンスィズストリートです。王立協会の建物ができる際のプリンスィズストリートの様子です。非常に良く分かりやすいですね。セントジャイルズストリートや北橋が良く分かります。遠くにはネルソン記念塔も認めます。
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ジョージ・スーラのアニエールの水浴のための習作です。これは非常に面白いですね。点描画で書くための作品のために書いた下絵という事です。
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こちらもやはりアニエールの水浴のための習作の座った裸体です。ドミニク・アングルの紙というブランドの紙に描かれたスケッチのようです。荒い素材でこういう形になるそうです。これらの素描が元になって次の作品になったようです。
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その他にもサンドニの畑の風景を書いたものもあるようです。
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ブラザーピーター・グラハムによる移ろう影です。ウィキペディアもありませんが恐らくフリーメイスンなんだと思われます。良く見ると釣りをする高齢者と羊がいるハイランドの景色だそうです。

いやあまあとにかくすごい美術館でした。世界一の美術館なのかもしれません。絵の公式ガイドの説明もなかなかビックリなスコットランド=フリーメイスンリーという世界が垣間見える驚きの美術館でした。横須賀にも日本人フリーメイスンが増えると横須賀美術館がとんでもない美術館になるかもしれませんね。
2013-10-28 23:54 | カテゴリ:キリスト教
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
フリーメイスンリーについてのブログなんですが、何度も言うとおりフリーメイスンリーについて調べれば調べるほどキリスト教やユダヤ教との繋がりは外せないものとなり、その中でもキリスト教は当初キリスト教徒のみで構成された歴史もあるほど欠かせないものであるのは何度も言って来た通りだと思われます。
まあその中で単なる聖書に描かれた神を盲目的に信じるのではなく、自らの理性の判断に基づいた世界の創造主としての至高の存在を信じるという共通の理念に基づいた信仰を確認する事をいわゆる英米系フリーメイスンリーは入会条件としていたわけですが、その際の唯一神の表現をGreat Architect of the Universe世界の偉大な創造主としたわけですが、実際にはGodやYHWHיהוה‎という表現が用いられることもそれはやはり聖書を読み込んだキリスト教徒やユダヤ教徒で構成された会であったわけで当然沢山出てくるのはかなり理解されるところかと思います。フリーメイスンリーのその他のシンボルであっても、石工の道具やAll Seeing Eyeのように汎宗教的なシンボルが認められることも多いわけですが、一方で碇や鳩や十字やイクトゥスと言った明らかに聖書やキリスト教徒の布教活動の中でシンボルと認められていったものが多いのもそういう歴史を鑑みれば当然な訳で、もちろん鳥居や仏像といった日本の伝統宗教のシンボルがフリーメイスンリーに採用されていくことも今後はありうるかとは思いますが、歴史や重要性、教えの要素を考えればそれらがあくまで局地的なもので留まるであろうことは容易に理解される所かと思います。仏教で普遍的であった卍がブラザーショーペンハウアーの研究などとも相まって、ナチスドイツが鍵十字として採用し今日世界的に使用が難しくなったことも一つの歴史の必然なのかと思われます。
まあその中で数字のシンボリズムとしての111の並びとキリスト教の繋がりをフリーメイスンリーからの視点で今回は取り上げていきたいかと思います。以前に11とユダヤ教の繋がりについてフリーメイスンリーからの視点で取り上げたわけですが、あの際はやはり聖書におけるヨセフの11男という数字や110歳という年齢やカバラの生命の樹の経路であるセフィラと隠されたダアトを合わせた数が11個あるというところで11という数字が関連があるという話としていました。もちろん数秘術として回文数であるとか10や12という完全数とされる数から1足りなかったり1多かったりする数という事で重要とされるのではないかという結論であったと思います。
11という数字はまた図形的にヤキンとボアズの二元性を示す柱とも形が似ているというところもあるのかと思われます。
そういうわけでまあなんとかキリスト教と111との繋がりを説明する事になるわけですが、そもそも三笠公園の噴水池の怪しげな半地下のパーフェクトアシュラーの謎解きから始まったこの数字のシンボリズムなわけですが、11のシンボリズムと同じくやはりキリスト教では明らかに日付の中で111のシンボリズムを認めます。
それが今日日本でも徐々に浸透してきた感のあるハロウィンに引き続いた万聖節、諸聖人の日と呼ばれる11月1日のカトリックの祝日であり、この起源はウィキペディアによれば8世紀ころであるそうです。ウィキペディアによればハロウィンと呼ばれるようなケルト人の祝祭日がそもそも10月31日に存在しそれにかぶせる形でカトリックが11月1日を取り上げたという事ですがどうもこれだと11月自体を特別視するような11月2日の死者の日や、アメリカの感謝祭11月の第4木曜日や11月30日の聖アンデレの祝日などを十分には説明できないと思われ、11の数字と111の数字にまつわる日付のシンボリズムであるというのが実際なんだと思われます。当ブログも去年の11月1・2・3日とロンドンのイングランド連合グランドロッジの訪問記を記事として、もちろん去年も成り行きで偶然そうなったわけですが、今年も成り行きで偶然スコットランドグランドロッジの記事がそこになりそうで、この後書き始めないといけない状況なんだと思われるという、まあ裏話に近いようなシンボリズムの話ですが、実際やはりキリスト教圏では11の数字や111の数字に対するシンボリズムのこだわりは強いようで、ヤキンとボアズの二本の柱の象徴性は挙げましたが、やはり3本の柱と言えば、フリーメイスンリーのロッジの目立つ3つの小さな光のシンボルであり、このブログでも最初の方で挙げた久里浜の3本の煙突などもこういう意味もあるのだなと考えています。
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その他フリーメイスンリーでは3本の柱としてドーリア式、イオニア式、コリント式という建築オーダーの柱頭の様式を示してそれぞれ力、知恵、美という美徳と対応させるというシンボルもあり、そういう意味もあるのだと思われます。これには他にトスカナ式と複合式を合わせて5つで建築の基本オーダーという事で重要になるという事です。
まあ三本の柱が111に見えるようになるには時間がかかるわけですが、実際シンボリズムについて勉強して解釈を重ねていくとツインタワーも11やヤキンとボアズの柱に見えてきますし、三本の柱が111に見えてくるのもそれほど不思議な感じはありません。もちろん3の象徴という事で111そのものが三位一体を示すものであることも当初より説明した通りだと思われ、三位一体そのものは聖書から直接導き出されるものではありませんが、三角形の象徴と同じく幾何学の象徴であり、三角関数や直角三角形の法則といった建築と直接つながる実用的な数学の基本を示す図形、概念としての象徴なのだと思われます。第三の目という意味でAll Seeing Eyeなどと重ね合わせられるときは、理性の目や第三者の目、客観性の象徴としてあるのかと思われ、3という数字のシンボリズムともやはり重ねられている3=△=理性という繋がりなのだと思われます。

で歴史的に認められる111のシンボリズムですが、恐らくそれがカトリックの万聖節となる前から数秘術の中でそれは認識されていたのだと思われ、ユリウス・カエサルが制定したユリウス暦の暦を使用していたローマ時代から西暦は存在するわけなので、シンボリズムと実際の歴史が関係するかというところで西暦111年と西暦1110年に何が起こったかを検討する事とします。

西暦111年で検索しても特に何も出てこないのでその周辺を検索すると西暦110年代のウィキペディアではシンプルにローマ帝国の領土が最大に達した。とあり、トラヤヌス:ローマ皇帝とあります。ローマ帝国史のブラザーギボンによって五賢帝の最初とされる皇帝であり、最初の属州出身のローマ皇帝です。トラヤヌス帝と言えばこのブログでも何度も螺旋階段のある柱として出てきた113年に建設されたトラヤヌスの記念柱の皇帝であり、ルーマニアに名前を残す、ダキアと呼ばれる地方での遠征を凱旋する目的で作られた記念柱を作らせた皇帝です。この頃はまだキリスト教はローマ帝国全土に広がりながらも異教徒とされるミトラ教を信仰する皇帝によって弾圧されることもあった時代であり、その中ではトラヤヌス帝は後のキリスト教徒にも評価される程の寛容な皇帝であったようです。キリスト教はそのおよそ200年後の311年にガレリウス帝が大迫害の後に寛容令を出し、313年コンスタンティヌス1世とリキニウス帝によるミラノ勅令によって、他の全ての宗教と共に公認され、その後の国教化に繋がっていくそうです。
こうして見るとまあ単純に111がキリスト教のシンボルであるからその年にローマ帝国が最大版図であったとは考えられないわけですが、少なくともトラヤヌス帝の記念柱と合わせてそういう数字とローマ帝国とキリスト教の挙動がどうも色々関係していそうだというのはあって良いのかと思われます。ΧΡのシンボルと合わせていわゆるキリスト教の歴史の中でのシンボリズムなんだと思われます。
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で、次の西暦1110年なわけですが、これも直接は何も出てこないので1110年代とその周辺で検索すると叙任権闘争といった話題が出てきます。いわゆるカノッサの屈辱などで代表される教皇権の拡大の時期ですね。でもう少し広げていくと12世紀は何があったかというとキリスト教圏では十字軍という事になります。十字軍のきっかけは東ローマ帝国がセルジューク朝イスラムに攻められてローマ教皇に救援を頼んだのが始まりであり、教皇ウルバヌス2世がクレルモン公会議で騎士達に十字軍の結成を呼び掛けたのが1095年だそうです。その後1096年には民衆十字軍が小アジアに達するも散り散りとなり、これと合流してエルサレム王国などいわゆる十字軍国家を建設するにいたった第一次十字軍が1099年まで続き、第一次十字軍の中心はフランスの諸侯であったようですが、彼らが聖遺物の発見や旧約聖書の奇跡のエピソードに合わせた宗教的情熱をもって聖地を奪回したそうです。つまり1110年というとそれら第一次十字軍が成功裡に終わり祖国に帰るものと現地で聖地の防衛についたものが分かれた時期であり、まさにテンプル騎士団やヨハネ騎士団が結成された時期です。それはその後にヴェネチアを中心とした地中海の交易ネットワークへと繋がり、その後に大航海時代に繋がるようなイスラム社会を中心とした東方世界への興味が拡大していくきっかけとなる時代であるかと思われます。
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まあ長々と書きましたが、どうも印象として西暦111年頃にはローマ帝国が最大版図となり、西暦1110年頃には第一次十字軍が成功してエルサレム王国等が成立してテンプル騎士団やヨハネ騎士団が聖地防衛に結成されたという事になるかと思います。それらが全てキリスト教の宗教的情熱というわけではなく、またそもそもその数字に合わせて物事が動いていたわけではないでしょうが、結果としておよそ2000年の西暦の年代の中でその二回現れる111のシンボリズムの年の頃にそうした西欧社会を象徴する決定的な時代が重なっていたという事はそうした数字に対する何らかの力が働いたか、単なる偶然か、無意識の数字の作用かいずれかだと思いますが、少なくとも後世から見た際にはそうしたシンボリズムの何らかの関連があるようにも思われる所ではないかと思われます。まあ少なくとも1110年頃の第一次十字軍については奇跡や聖書の記述に対する宗教的情熱がピークの時代であり、なおかつすでに諸聖人の日も認められる恐らくシンボリズムも意識されていた時代だと思われますので、そうしたミレニアムのような数字に合わせた教皇権を中心とした計画が意識されていた事はありうるのではないかと想像します。現に第一次十字軍にはフランス王フィリップ一世は離婚問題で破門されて参加できず、教皇権が王権を完全に上回り、その裏付けが聖地奪還とシンボリズムの数字や奇跡や聖遺物といったキリスト教の権威であったのだと思われます。そうしたシンボリズムや宗教的情熱の知恵がまた東方社会のイスラム教の文化や知恵と融合してテンプル騎士団らの十字軍の帰還によってヨーロッパ全土にもたらされ、結果としてルネサンスや宗教改革の基礎として地方に根付き、最終的には近代フリーメイスンリーとして現れた際に再び1666年や1717年といった反キリストやユダヤ教といったシンボリズムで現れてくるのは非常に皮肉な事でありまた必然なのかと考えます。

いずれにしても現在もフリーメイスンリーの非常に印象的なシンボルとして認められる3つの光のような三本の柱のシンボルがその成立の歴史の中でローマ帝国の最大版図や十字軍の成功といったキリスト教社会の重大な歴史と関わった可能性があるとすると、フリーメイスンリーに内在するキリスト教やユダヤ教のシンボリズムの歴史が非常に重要とされることが理解されるのではないかと思われます。

(題名のところに記号や文字を入れて対称性を表現したのはちょっとシンボリズムを魔よけのように示して一見さん除けのようにしただけです。)
(10/31追記:ユリウス暦について書きましたが、西暦1年をキリスト生誕の年と決めた現在の西暦の始まりは10世紀ころからのようで、そうなると少なくとも西暦111年のシンボリズムについてはかなり怪しいか後付けの話という事になるようです。第一次十字軍の聖地奪回に関してはそれに合わせて行われ、それとトラヤヌス帝の逸話に合わせたという事は多分に可能性はあるのではないでしょうか。いずれにしても教皇権絶頂の時代の考えうるシンボリズムの実際の話であるかと思われます。)
2013-10-29 08:37 | カテゴリ:横浜
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
まあそんな事は無いわけですが、以前紹介したみなとみらい地区の新しい結婚式場として紳士服のAOKIの経営によるアニヴェセルみなとみらいの話題を取り上げた「横浜にソロモン宮殿ができるらしい」わけですが、色々景観問題などいわれて2013年開業予定であったらしいのが現在の予定で2014年2月の予定となっているそうで、最近私もみなとみらい地区に寄ることが無いので建設の具体的な進行状況が分からないのでなんとも言いようが無いわけですが、なんとその開業の前にMM21新港地区に結婚式場「グランドオリエンタルみなとみらい」という事でなんとフランス大東社の名前を冠した結婚式場が11月1日の万聖節の日に開業するという事です。

全くビックリなわけですが、この辺りがグラントリアンのすごい所なわけで、またこうした競い合いが世界各地でのフリーメイスンリーの活動を常に活性化させて素晴らしいものとしているという典型なのかと思われます。
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外観はアニヴェセルのソロモン神殿の形とは対照的なモダンなそれでいてパーフェクトアシュラーの重ね合わせのような構造で、石壁の構造が象徴的なようです。場所も11-2街区であったり、電話番号も1221と何やらMM21地区に合わせて2と11のシンボリズムを意識したもののようです。正面がアウディの販売店だったりと何やら鼻息荒い感じが感じ取れるわけですが、面白いのは教会式は分かるのですが、神前式で本牧神社や伊勢山皇大神宮の名前が挙がっているなどなんともフランス大東社の一神教にこだわらない特徴を感じさせるなかなかソロモン神殿の形のアニヴェセルとはまた違う印象を与えるなかなかかつてフランス公使館とイギリス公使館が存在し薩長同盟から大政奉還、戊辰戦争、明治維新という日本の一大変革の中で鍔迫り合いを行った時代を彷彿とさせるような、規模はだいぶ異なりますが、そういう開国開港の土地横浜らしいものではないかと思われます。

ちなみにオリエンタルホテルというと1870年(明治3年)にオランダ人のG・ファン・デア・フリース(G. van der Vlies)により神戸外国人居留地79番地にて開業した老舗ホテルが有名ですが、こちらもやはりオランダ人やフランス人が経営に携わっており、グラントリアン、大東社の系列になるのかと思いますが、その後神戸ゴルフ倶楽部で取り上げたイギリス人アーサー・ヘスケス・グルームも関わっており、こういうのも絡んで仏教や神道、キリスト教と英米フリーメイスンリーと大陸フリーメイスンリーの様々な対立競争関係が見えてくるようです。三代目の建物は風見鶏の館を手がけた建築家ゲオルグ・デ・ラランデとヤン・レッツェルが共同設計したそうで、神戸ビーフの名声を世界に広めた施設の一つとされているそうです。なかなか非常に興味深い歴史ですね。戦後も日本の資本になって続いたそうですが、阪神大震災後に廃業し、2010年に同地に同名のORIENTAL HOTELで三井不動産のビルで開業したそうですが、旧オリエンタルホテルの系列はダイエー系列として存続し、その後ゴールドマンサックス社などが買収して経営しているそうです。

横浜みなとみらいのロンドンブリッジの形の展望台から海を渡って凱旋門の形をしたホテルをくぐり横浜の赤レンガ倉庫へと繋がる道と、その脇のこうしたソロモン神殿を模した形の二つのフリーメイスンリーの組織を代表するような結婚式場の存在はなかなかみなとみらい地区の今後のさらなる発展を予想させて素晴らしいものかと思いますが、それがやはりこの記念すべき2013年になされるというのも数字のシンボリズムのなせる業なのではないかとあらためてシンボリズムの力というものを感じたところでありました。

ちなみにフリーメイソンの項目のウィキペディアによると2008年にフランス系の国際的な女性・男性混成のフリーメイソンリー団体「人権」(Le Droit Humain International; ル・ドロワ・ユマン・アンターナショナル)の支援により東京に設立されたロッジ「日の出」(Soleil Levant; ソレイユ・ルヴァン)があるそうで、場所や連絡先など詳しいことは全くわかりませんが、恐らくフランス人の外交官などを尋ねて認められれば教えてもらえるのではないかと想像します。ホームページはこちらにありました。基本的にフランス語のようですので、日本人でもフランス語に堪能なフランスフリーメイスンリーについても知識のある大学での専門家や国際結婚などで親戚がフランス人の方などが対象となるのかと思われます。しかしまあシンボルがなかなか洗練されていて、こういうところはやはりフランスは素晴らしいなと思うところでしょうか。∴三点譜を多用するのがグラントリアンの特徴でもあるのですね。フラッグを見ると33のスコティッシュライトと同じシンボルがあり、スコティッシュライトと繋がりのあるフリーメイスンリーなのですね。
(2013/11/6追記:壇原照和さんのブログによると、「レッドライト」(連載第5回)どうも、恐らくGrand Orient大東社系のロッジが横浜ロッジで場所を共有していた歴史があるようです。「東洋の星第2支部( Star of the Orient Chapter 2)」と書かれていますが、結局インターナショナルスクールの地下のロッジに移る際の1981年に消滅したとなっています。恐らくこれが正式な大東社系のロッジであったのだと思われます。)
2013-10-30 18:44 | カテゴリ:キリスト教
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
これはちょっとどうでしょうか。
ゆるキャラで売っているところでこのブログで取り上げるのはちょっと躊躇われるのですが、まあ関係ありそうなので取り上げます。
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まあヨーロッパで好印象であったとか、天皇皇后両陛下がわざわざキャラクターに会われたとか、それも水俣初訪問で第33回全国豊かな海づくり大会出席とどうも色々重なってそうな状況であり勘の良い方は気付かれるのではないかと思いますがまあそこの重ね合わせですね。
くまモンのデザイン自体は白黒を基調とした赤丸でそれほど何かフリーメイスンリーに特徴的という事はありませんが、まあ白黒はそうなんでしょうね。赤丸は日の丸になるのだと思われます。熊はまあそれ自体ベアと言う事でテディベアに通じる存在であるのだと思われます。もちろんくまモン自体のシュタイフ社のテディベアも販売されている位なので、そういうキャラクターと言う事なのだと思います。
デザインした小山薫堂氏はフジテレビの人気番組である「カノッサの屈辱」や「料理の鉄人」を考案された売れっ子の放送作家という事で、経歴を見ると熊本県天草市出身でカトリック系の高校を卒業後日大芸術学部を卒業されているそうです。6月23日生まれという事と天草の乱の天草市出身とカトリック系の高校卒業という事でまあ大体分かるかと思います。
(デザイン自体を考えたのはデザイナーの水野学氏だそうです。NTTドコモのiDや宇多田ヒカルさんのCDのデザインを手がけていたりして、iDではいわゆるダ・ヴィンチ・コードで使われていたダ・ヴィンチのウィトルウィウス的人体図を使用しています。宇多田ヒカルさんのCDでは星空のデザインだそうです。茅ヶ崎市出身という事です。)
で、当のキャラクターになるわけですが、どうでしょうか。
kumamon01.jpgnews130712kumamon04.jpgjk-29bk.jpgkumamon.jpgKUMAMON (1)
まあ相変わらずのローマ字表記になるわけですね。KUMAMONと書くとMASONと似ているわけです。一席落ちたでしょうか。

MINIのシンボルも有翼日輪なんですね。
昭和天皇のキリスト教にまつわる話としては同じ九州の巡幸中のカトリック教会での逸話を取り上げた天皇のロザリオ 上巻 日本キリスト教国化の策謀があります。全部は読んでいませんがなかなか読ませる内容であり、赤間剛氏などと共通するいわゆる陰謀論に分類される筆致という事でなかなか取材がやたら書籍で細かいというところがありますが、天皇家とカトリックの接点というところで参考になるところではないでしょうか。

(現在何やらくまモンはほっぺの赤い丸をなくしたという企画をやっているようです。良く意味は分かりませんが、赤丸は日本の象徴でしょうから是非捜してあげてください。)
2013-10-31 13:01 | カテゴリ:東京
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
まあちょっと比較的軽いネタを連発で恐縮ですが、巨人軍といえばV9の川上哲治氏という事で、93歳で亡くなられたという事でもうほとんどのこのブログをお読みの方は気付かれているかと思いますが、日本で最も人気のある野球チームという事で巨人・大鵬・卵焼きと呼ばれた読売巨人軍のシンボリズムについて触れておきます。

まあ解説するまでもないと思うのですが、読売ジャイアンツの栄光の背番号3でGとそのままなわけですが、また対抗したのが西武ライオンズであった時代もあったりなんかして、ライオンズクラブとフリーメイスンリーの戦いではないですが、なんともシンボリズムの熱狂でもあったわけです。
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長嶋茂雄氏は現役時代は3塁手で監督時代は33番という背番号を使っていたり、上述したV9やそもそもルールにまつわる3アウトや3ストライクや9回制、9人制など3にまつわる数字も色々あったようです。バットとボールなどもTubal-Cainのシンボリズムとも対応しているかもしれません。
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その他にもチーム名としてのホークスやスワローズ、イーグルスというところは鳥のシンボルとなり、カープも魚という事でそれなりにシンボルとなるようです。バファローズも牛のシンボルとなります。
メジャーリーグとなるとブラザータイ・カップやブラザーサイ・ヤング、ブラザージョー・ディマジオと有名選手や草創期の運営に関わった方など非常に多くの方がフリーメイスンであり恐らく最もフリーメイスンが参加しているスポーツだと思われます。
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今後日本でプロ野球選手のフリーメイスンが増えていくかもしれませんね。現在日本シリーズ開幕中でした。サッカー人気に押されて野球も一時に比べると熱狂は収まったようですが、サッカーはそもそもイタリアやイギリスの国民的人気スポーツですからね。ペンタゴンとヘキサゴンで白黒に塗られたボールの時代なんかもあり、11人制というスポーツでもあります。現役選手では分かりませんが監督や引退後の有名選手などフリーメイスンがいるかと思われます。

(11/1追記:現在進行中の読売ジャイアンツ対楽天イーグルスの日本シリーズは圧倒的に楽天イーグルスが優勢のようですが、楽天もRAKUTENという事で恐らくロータリークラブを象徴しているのかと思われます。ロータリークラブ対フリーメイスンリーのシンボルの対決のようですが、ところで読売ジャイアンツのフリーメイスンリーのシンボルの元は誰なんでしょうか?もちろん現在原発問題などでも責任者として挙げられたりしている正力オーナーだと思われます。)