2013-08-11 22:01 | カテゴリ:鎌倉
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
鎌倉には有名な禅寺として円覚寺があります。円を覚ると書いて円覚寺なわけですが、もちろん戦前は旧字体の圓覚寺であったわけで、戦後はRoyal Arch Masonryのシンボリズムになったというようです。夏目漱石がロンドン留学前に座禅を組んだり、島崎藤村も座禅したなどありますが、開高健の墓があったり有名人の墓がたくさんあるかと思います。フリーメイスンリーの中心にはやはりキリスト教とユダヤ教とがあり、我々日本人の固有の伝統宗教のみではフリーメイスンリーの中心の高みにはなかなか入りづらく円を書くように周囲を回る事になってしまうという事を象徴する話のようです。ちなみにGodのシンボルGは円周を止めて中に入るというシンボリズムの意味のようです。
G.png
フリーメイスンリーの円周の形のシンボリズムとしてはグノーシスのシンボルや子午線と太陽のシンボルがあるかと思います。その他には太陽十字や太陽そのもの、東洋のシンボルとしては太極、仏教の法輪などがあるかと思います。特に太極や仏教の法輪などはグノーシスのシンボリズムの意味を含むものかと思われます。
clip_image002.jpgo6masoncircle.jpg太陽十字日本国旗太極法輪

鎌倉には他にも光明寺という浄土宗大本山のお寺もあります。増上寺と同じ宗派のようですが、やはり寺の名前はシンボリズムを踏襲しているようです。漢字や東アジアの文化は欧米のシンボリズムとは異なる成り立ちのものですが、元となる本質は同じというのがシンボリズムの考え方であり、漢字や東アジアの文化のシンボリズムもやはりシンボリズムを基本に考えるフリーメイスンリーの基本的な評価や判断方法である事は変わりなく、もちろんそれはシンボリズムのみを変更する事は不可能で、シンボルは実態を反映するものであるというこれまたシンボリズムの本質が反映されているものかと思います。

鎌倉でもう一つ面白いのが鎌倉を愛し在住しノーベル文学賞を受賞しながらも自殺した川端康成の使用した家紋が北条氏と同じく三つ鱗であることでした。
三つ鱗
北条氏の家紋は太平記によれば北条政子の父親の北条時政の時代から使用し始めたとされるようですが、実際武士の棟梁である源頼朝の源氏は当時家紋が無かったようでシンボルは白旗であり、家来の方に当たる北条氏が家紋があるのはおかしな話です。江の島の弁財天の逸話などが伝承されているそうですが、北条政子などは井桁菊などを使用していたなどもあり、はっきりしたところは分からないようです。承久の乱の際に天皇家が菊花紋を使い始めたという伝承があるそうで、恐らく日本の武士たちが家紋を意識し始めたのはこの頃からのようです。元寇の絵図の中に家紋があることから少なくとも北条時宗の時代にはあった事は確実視されているようです。それに関連してか現在の横綱のモンゴル出身の白鳳関はこの三つ鱗の家紋を使用しているそうです。もしかすると当時ユーラシア大陸を制覇してキリスト教社会やユダヤ教社会と濃厚に接触していたモンゴル人から元寇後に教わった家紋であるのかもしれません。この三つ鱗の紋はなかなか面白い一族が使用していて、後北条氏もそうですが、鉄砲伝来した種子島家も使用していたそうです。あとは正岡子規やホテルニュージャパンの経営で知られる横井英樹氏も使用していたそうです。ちなみに横井秀樹氏は11月30日に亡くなられたそうです。前述の川端康成の自殺にも直前に日蓮上人の幻を見ていたなど様々な逸話があり、遺書も残っておらず本当に自殺かどうか未だに謎は残されているようです。まあ色々ありそうな三つのピラミッドの家紋の話でした。

鎌倉は残念ながら世界遺産の選考から漏れてしまい苦しい立場になった事かと思いますが、是非この北条氏の家紋を利用して街中に北条氏の家紋を使用したピラミッドを作ってみてはいかがでしょうか。世界遺産の選考に関係があるとは思えませんが、地域の活性化に一役買う事は間違いないかと思います。
p1.jpg
(これは検索で出てきた島根県の砂時計の博物館のモニュメントのようです。)

そういえば後北条氏の末裔の方が創価学会の会長をされていたりしたかと思います。鎌倉の仏教の歴史は日本の一般的な仏教の歴史の中心であり、日本の宗教といえば基本的には仏教の教えが最も確かなものと認識されているかと思いますが、なかなか仏教の教えだけでは円の中には入れないようでした。
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