2012-03-21 12:40 | カテゴリ:全国の市章
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
なかなか難しいテーマです。
日本の伝統を何ととらえるかという事になるかと思います。
そもそもフリーメイスンリーは欧米で盛んですが、根本的にその思想では人類は統一の祖先を有するという所があり、これは現代科学において当然ながら裏打ちされてきている訳ですが、では極東の島国日本のアイデンティティーとする伝統はどこまで言語、文化を含めて、特にシンボリズムの点において独自の、特有の伝統があるのかという所になるかと思います。
日本の伝統と言えば文化でいえば着物とかかるた遊びとか浮世絵とか歌舞伎とか江戸の町人文化が思い浮かびそうです。文字や言葉でいえば、漢字やひらがな、書道など特に中国の影響が強いかと思います。中国ももちろん北京原人や秦の始皇帝の歴史があり、北京原人の骨もロックフェラー研究所が管理していて、戦時中に散逸してしまった歴史がありますが、いずれにせよ北京原人もネアンデルタール人などと同じ旧人は世界各地に存在し、いわゆるアフリカ起源の新人である現代人類の直系達と交わりつつ世界中に散らばっていったというのが現代考えられている人類史のようで、北京原人が直立して文明を独自に発達させたという理論はやはりどんなに共産中国が発展しようと無理と思われます。中国文明はやはりシュメールやメソポタミア、インダス文明からの影響を受け、中国大陸で独自の発展を遂げたものの、やはり文明や人々の流れは多くを西からのいわゆるその後のシルクロードになる道をたどっていたものと考えられます。シンボリズムでいうと日本的な紋章として天皇家の菊花紋がありますが、これもインターネットで検索するとシュメール文明との類似などが最初に出てきます。しかしこれもそもそもその過程が全く説明されていないいわゆる日ユ同祖論と同じような話ですが、発想としては日本人が菊花紋をシンボルとして利用するはるか昔にシュメールで同様のシンボルが使われていたという事であり、薩摩島津の十字と同様に西に起源があるという事でいいのではないかと思います。こう考えると日本の伝統というものは本当の所何なのだという事になるわけですが、一般的には日本人の精神性や文化は日本の気候風土や自然からの影響が強いとされ、日本の伝統も日本の自然の表現などのいわゆる花鳥風月に帰趨するかと思われます。花鳥風月の言葉自体は能を大成した世阿弥の言葉だそうで、建物や文物もそうですが、この時代に一つの和の文化は成立してきたようです。

さて一応そういう前提で全国の市章を見た際に日本の伝統として考えられるものとして桜、梅、菊の花の文様が挙げられました。またこれは特に日本の伝統とは関係ないのですが、分類不能であり、あえてこの分野に含んだのが三笠公園の項目でも少し触れましたが、かつての日本船舶振興会、現在の日本財団のかつてのシンボルマークである波紋の形、あえてここではAll Seeing Eyeやイエスの後背や仏像の後ろに描かれる光明、Gloryとして表現しますが、それも日本の伝統として含めました。もちろんGloryはそのシンボリズムの成り立ちを考えても日本の伝統とは全く関わりありませんが、市章のシンボリズムとしては恐らくこの日本船舶振興会、日本財団の影響が強いのではないかと個人的意見として推測されるため、意味合いとしてもこの日本の伝統という所に近いかと思いこういう分け方になりました。恐らく厳密な意味でのシンボリズムでは全く正しくないかと思いますが、上にも書きましたが実際日本の伝統って何という根本的な命題が存在する以上、そのシンボリズムとしてもこういう形になってそれほどおかしくないかなと思っています。

桜や梅、菊が日本の伝統として表現されてほとんどの人が疑問を持たないかと思いますが、いずれもそういった自然を愛でる文化にしろその植物の由来特性にしても日本の起源ではなく中国文明の影響で間違いないかと思います。桜、梅ともにバラ科の植物であり、西洋でのバラが貴族の象徴であり、後にフリーメイスンリーのシンボルともなった事からも花弁が多く多種多彩な花の色を見せるバラ科の植物は人間の共通の美意識に働きかける作用を持つようです。バラ科は原産地がチベットや中国雲南省周辺のようで、東には梅や桜として広まり、西にはバラとして広がったようです。菊に関してはそもそも日本に伝来したのは中国経由で1500年前だそうで、皇室の紋章として採用されたのは鎌倉時代初期の後鳥羽上皇が愛用したからだそうです。そもそも皇室を示すシンボルが必要なかった時代から、武家政権の成立によって皇室を示すシンボルが必要になったことが考えられ、その中で中国から伝わった園芸の花を愛でる文化の象徴としての菊花であったと想像されます。桜が日本で一般的になったのは平安時代以降で、中国から伝来した当初の花としての梅を愛でる文化から、国風文化としての桜を愛でる文化と発展し、さらに江戸時代の太平の世で改良され様々な品種が生まれ、明治維新後、さらに第二次世界大戦後にソメイヨシノを強調した日本の独自の文化としての桜の木にまつわる精神性が付加されていったようです。新渡戸稲造の「武士道」での桜の精神性が有名かと思います。

まあいずれにしても桜や梅、菊は一般的に日本の伝統を象徴するものとして表現されていると思われます。非常に稚拙な表現で、憶測に基づいていて大変申し訳ありませんが、そういう事にして市章の紹介とします。

伊達市 北海道です。北海道なので五芒星を意識しての桜の選択なのかと思われます。一応市章の説明としては武士が開拓したので武士の魂の表現としての桜とあります。菊水を意識しての水になるのかと思います。士族の末裔が数多く定着したものかと思われます。

桜川市 茨木です。桜川という川があるようです。2005年です。伝統的に桜の花びらは花弁に割が入っていて、梅の花びらは丸く割が入っていない形になるようです。実際には花びらの割はほんのわずかです。

佐倉市 千葉です。さくらからのダジャレですね。花びらの形がGが対称に組み合わさったような形になっています。人口は非常に増えています。ブラザー林董の出身地です。基本的に桜、梅は五芒星の形に相似になるかと思います。

桜井市 奈良です。奈良は比較的伝統を大事にした市章が多いようです。市名から桜の形のようですが、これはもうすぐにわかると思いますがイクトゥスを5つ組み合わせた形で、五芒星ともかかっています。古墳が多く卑弥呼の墓とされる箸墓古墳や長谷寺があるようです。

奈良市 奈良です。制定は古く1903年明治36年です。五芒星の形、アンク、月と太陽が入れ込んであるようです。桜も五花弁でなく八重桜です。全体として太陽の表現にもなるかと思います。江戸時代はソメイヨシノも大事にされましたがやはり八重桜の方が花弁が多く見事なのでさらに大事にされたようです。大文字の送り火の形のようにも見えます。奈良にもあるようです。東大寺ともかかっているのでしょうか。まさに伝統とフリーメイスンリーのシンボルの融合かと思われます。

上田市 長野です。上田城があり桜の名所のようです。背景には四つ葉のクローバーのようです。クローバーは三つ葉の形で聖パトリックがアイルランドでキリスト教を布教した際の三位一体の象徴でアイルランドのシンボル シャムロックとなります。内部は真田の六文銭のようですが六芒星の配置になっています。やはり桜の花弁で五芒星の形になるかと思います。

春日井市 愛知です。愛知は非常にバランスが良く、これもその一つかと思います。日輪を示す様ですが、All Seeing Eyeで良いかと思います。昭和18年戦時中に制定されたようです。人口は非常に増えています。

富士宮市 静岡です。富士山を形作って五つ組み合わせ桜型としたようです。All Seeing Eyeは微妙な所です。富士山本宮浅間大社があります。昭和9年制定のようです。日蓮正宗総本山の大石寺がありますが、創価学会との絡みからかウィキペディアには書かれていません。最近では富士宮焼きそばで有名となりました。

岩国市 山口です。錦帯橋の五つ反から来ているようです。ペンタゴンとなるのかと思います。米軍の岩国基地がありNo.16錦帯ロッジがあります。沖縄の嘉手納基地で有名となった海兵隊が駐屯しています。1940年制定です。

国立市 東京です。一橋大学がありNo.3スクエア・アンド・コンパス・ロッジがあります。ロッジのある市はシンボルがうまく構成されている場合とそうでない場合があるようでこちらはシンプルな形です。文教地区という意味もあるようです。ペンタゴンにもかかっているようです。米国国防総省は1941年着工の1943年完成だそうです。1967年制定です。

小田原市 神奈川です。小田原城があり明治の元勲が別邸を構えました。五つのGで構成される形です。曽我梅林があります。やはりペンタゴンにかかっているかと思われます。

熱海市 静岡です。温泉マークです。三本線で囲み、湯気三本で三の強調にもなるかと思います。熱海梅園があるようです。人口は減っています。

天理市 奈良です。天理教の本部があります。古墳が多くあるようです。天理教のシンボルマークも教祖の家紋をかたどった梅の形のようです。市章では内部はアンクのようです。

青梅市 東京です。飛ぶ鳥の形にもかかっているようです。梅の地名は平将門の逸話から来ているようです。吉野梅郷があるようです。

豊島区 東京23区です。この形は市章では唯一でありかなり珍しいものとなっています。皇室の菊花紋が大体十六菊なのでかなり似た形の十二菊となっています。中心には東京市の形のAll Seeing Eyeと六芒星の亀甲紋になります。駅は池袋が中心です。学習院大学、立教大学、大正大学があります。

菊川市 静岡です。菊川という川があるようです。2005年です。茶の生産地のようです。

富山市 富山です。もともと大和朝廷時代より農耕が盛んな土地のようで、伊勢神宮や院政期の荘園であったようです。その後変遷を経て一向一揆が強くなるなどしたそうです。前田家の分家が藩主であったようです。ウィキペディアでも角川書店、北陸電力、佐藤工業、コクヨ、清水建設、博報堂、プリマハム、安田財閥の創業者がそれぞれ出身者とあります。16角菊紋で方形となっています。十字にもかかるのかと思います。明治41年制定です。

さてこれ以降は問題のGlory、光明、ボートレース協会のシンボルの形です。典型例としてはAll Seeing Eyeや日本で言うと日章旗に認められます。


ボートレース振興会のシンボルマーク
日本警察の旭日章 ペンタゴンになっていて、桜も形どっているのですね。
このGloryをフリーメイスンリーのシンボルとするかどうかは微妙な所ですが、All Seeing Eyeや神、The Great Architect of the Universeの栄光、智恵の輝き、その良い影響を象徴するものとして表現されているので、シンボルになるのかと思います。ここら辺はちょっとわからないかと思います。まあ笹川さんなんかもまさにそういう立ち回りだったわけで、まさにそういうデザインになっている訳です。

さてまあ無理くりな感じになってきますが、それがはたして日本の伝統となるのかどうかというとまた非常に無理があるのですが、全体として市章を見た際にこれは要するに笹川さんの影響があるのかなという推測が成り立つ所で、それをどこに分類するかという所でこの辺に落ち着くのではという所です。三笠公園の所でもだいぶ解説しましたが、かなりややこしい歴史でそれこそ巣鴨プリズンや戦前から始まるわけで、それはまた日本のロータリーやライオンズ、青年会議所の歴史とも深くかかわるのでしょうし、正確な資料を私が持っている訳ではないのでなかなか難しいですが、市章のシンボリズムとしてはそういう推測を重ねるほかないかと思います。では該当する市章を挙げていきます。

御前崎市 静岡です。御前崎灯台があり、管直人前首相が停止を指示した浜岡原子力発電所があります。なかなか難しいですね。後に挙げますが半円の形にもなっています。

豊岡市 兵庫です。Gにもかかっています。2005年です。以前は三色旗にアンクそのものであったようです。城崎温泉があり、コウノトリが生息しているようです。人口は減っています。

薩摩川内市 鹿児島です。2004年です。Gloryは三本線で表現されることが多いようです。3の強調ともかかっているようです。中外製薬創業者の出身地のようです。

霧島市 鹿児島です。セブンイレブンが出店した事がウィキペディアにかかれていますね。2005年です。人口は増えているようです。ソニーや京セラの工場があるようです。神社が多いようです。霧島という相撲力士がいたかと思います。たばこの銘柄でもありました。

日進市 愛知ですね。愛知は本当にバラエティに富むバランスの良い市章です。市名は日露戦争で活躍した巡洋艦日進から採られたとの説があるそうです。なかなか変わった市です。おそらく日進村の時代に作られた村章のようです。日進という電気店があったかと思いますが、当時流行した名前なのかもしれません。日本警察の旭日章とよく似ていますがヘキサゴンになっています。黒白のモザイクも若干シンボルとなるかと思います。24弁あり菊花ともかかっているようです。Gloryは良いのかと思います。


さてなかなか異論が多い所かと思います。この辺は市章の中でも少数派なので、帰納的に解釈することも難しく、星型やGや月と太陽のように、フリーメイスンリーと直接的に結びつけることは難しいです。しかしフリーメイスンリーは基本的に伝統を尊重し、伝統の中に人類の共通の理想を再発見していく作業でもあり、日本の伝統を表現すること自体フリーメイスンリーの思想を表現することと合致するものでもあるという矛盾的な面があります。伝統のシンボルをフリーメイスンリー的に解釈し咀嚼していくことは大事なことであるかと思われます。またGloryに関しても恐らくこれも笹川さんたち以下の人々が意識していたかはわかりませんが、そういうものがまたフリーメイスンリーのシンボルとして存在し、それがまた日本を特徴づけるものとして取り入れられているという一種の伝統かと思いますが、そういうのも一つの伝統の形になるかと思いますのでそれはそれでシンボリズムなのだと思います。


以上日本の伝統編として、桜・梅・菊・Gloryを含みました。伝統の文様としての菱形や卍などがありますが、それらはまた別としました。


あとは桜の話でフリーメイスンリーと関連した話としてはワシントンの桜の木を切った話と、ワシントンD.C.の桜の話があるかと思います。ワシントンが桜の木を切った話はウィキペディアによればメーソンさんという牧師さんが伝記で創作した話のようです。ワシントンD.C.の桜の木は1909年に日露戦争でのポーツマス条約などに対する日米友好の証しとして憲政の神様と呼ばれた尾崎行雄東京市長が最初に2000本の桜を送ったそうですが、害虫が付いているとのことで全て焼かれたそうです。その後色々工夫して1912年に6040本の桜の木を送り、これは問題なかったそうでブラザータフト大統領の下ワシントンに植えられたそうです。この桜のお返しとして1915年に日本にハナミズキが送られ、現在も世田谷の都立園芸高校などに残っているそうです。ワシントンの桜の木を切ってしまった話とワシントンD.C.の桜の木が害虫で燃やされてしまった話はなんとなく繋がる様な話ですが、いずれにしてもワシントンD.C.で認められる日本と関係ありそうなものはこの桜の木と第二次世界大戦記念碑位だけですので、ワシントンD.C.を訪れる日本人はそれぞれ感慨があるかと思います。個人的にはワシントンD.C.に伊勢神宮の分社か出雲大社の分社でもあればもっと日本人も訪問するのではないかと考えたりしております。余談は以上です。

次回映画に関連してスカル・アンド・ボーンズの紹介をします。


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